風に吹かれて〜沖永良部島へ

横浜のトシ

2017年01月03日 20:18

沖永良部島へ、フェリーで2泊3日の旅。

7時に那覇港を出発し、本部港に寄港後、
辺戸岬沖を回って、太平洋側に。
与論島に寄港して、14時に和泊港へ到着。

やはり、実際に旅すると、発見がいっぱい。

フェリーから、沖縄本島の反対側を見ていると、
かつて訪れた、伊是名島や伊平屋島が。
ところが、その左に座間味諸島が見えるではありませんか。

意外に、両者が近くなのでビックリ。

そういえば昔、
本島北部の西海岸から見た謎の島影、
そして伊是名島で見た謎の島影は、
なんと、座間味諸島だったのだ!
近い! 少なくとも、両者が遠いとは感じない。

以前、津堅島に行ったら、
すぐ横に久高島があって、驚いた時、以来だ。
それまでは、
久高島は知念半島の沖、
津堅島は、中城湾の真ん中に浮かんでいると、
そう思っていた。
沖縄本島にいて、
そういう錯覚に陥っていたのだ。

ところが、津堅島に行ってみて、
その感覚が、誤りなんだと初めて気づいた。

これがまさに、
体で感じる土地勘というやつ。

また、辺戸岬沖を太平洋に回り込んだ際、
沖縄本島の東海岸が見えて、
その端が、海と思いきや。

良く目を凝らして見ると、
本島の切れ端から、島影が。

恐らく、
伊計島や宮城島や平安座島かも知れない。
あるいは、どこかの岬かも。

琉球時代の船旅も、
まさに、この景色を見る船旅だったのだ。

良く考えて見ると、
むかしの時代、
台風や嵐などの危険はよそにして、
九州から沖縄本島、そして、座間味までは、
島影を追いながら、旅ができたわけだ。
もちろん、島々は緊急の避難場所でもあった。

一方、座間味を出て渡名喜島を過ぎると、
見渡す限りの海。

久米島や粟国島は、大海の孤島。
宮古諸島まで、やはり相当の距離がある。

例えば、勝連グスクの阿麻和利が、
盛んに本州を行き来したのも、頷ける。
その繁栄ぶりを鎌倉に喩えた詩が残り、
日本商人との繋がりも強かったとされる。
ここまでは、歴史の教科書にも。

では、なぜ中国でなく、日本なのか?
島づたいに行くのだから、
中国に行くより、
リスクが断然低いからに違いない。

沖永良部島、和泊港へ到着。
レンタカーのお店も民宿も、港のすぐ前なのでした。
宿に荷物を置いて、さっそく、
まずは島一周に出発。
これはよくやる事で、
体で、島を体得する、いつもの最初の一歩。

途中、行きたかった一つ、
世之主の墓を見学し、
まずは資料集めに、
和泊町歴史民族資料館へ。

館長は、
えらぶ郷土研究会の、
先田光演、会長なのでした。

民話の調査で訪れた旨を伝えると、
次から次へと資料を出して下さり、
全てを教えて下さいました。

その結果、
なんと私の、沖永良部島の民話6つのうち4つの場所は、
もちろんあれども、碑や説明板などがまったくない、行ってもわからず、意味がない事が判明。

一方、知らない伊良部の民話の数々を手に入れたのでした。

そしてなんと、
今後の研究のために役立てなさいと、
伊良部島の方言の辞書、
『分類 沖永良部島 民族語彙集』を、
頂いたのでした。

もちろん、資料本を4冊手に入れ、
これまた、たくさんの資料を頂きました。

先田館長、ありがとうございました。

つまり、
沖永良部島に到着するなり研究がほぼ終了〜

後は、沖縄か横浜に戻って、教えられた資料を、数冊、手に入れるだけ。手に入れるべき本の数々は、写真に撮らせて頂きました。

と思って宿に帰って調べて見ると、amazonに3冊ともあったので注文してしまいました。

それにしても、驚くべきは、
沖永良部島の民俗学の研究が、
非常に進んでいるばかりか、
よく整理されているのに驚きました。

考えたら、民俗学資料館で、
こんなにきちんとしているのは、伊平屋島と、この沖永良部島ぐらいなものでしょう。

その後、取り敢えず、島をぐるっと一周。けっこう大きな島だなあ。

なお、購入した資料に、
以前、探してもなかった、天女伝説の話がありました。

さっそく、長編記事、天女伝説に、沖永良部島の「天人女房」を追加しました。

それにしても、
天女が天上に戻れなくなったのが、
羽衣を隠されたのと、
ニコチン中毒のためとは驚きです。(笑)

くわしくは、
「新・羽衣をなびかせ、天から琉球沖縄に舞い降りた天女とは?」をご覧ください。

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