風に吹かれて〜沖永良部島へ
沖永良部島へ、フェリーで2泊3日の旅。
7時に那覇港を出発し、本部港に寄港後、
辺戸岬沖を回って、太平洋側に。
与論島に寄港して、14時に和泊港へ到着。
やはり、実際に旅すると、発見がいっぱい。
フェリーから、沖縄本島の反対側を見ていると、
かつて訪れた、伊是名島や伊平屋島が。
ところが、その左に座間味諸島が見えるではありませんか。
意外に、両者が近くなのでビックリ。
そういえば昔、
本島北部の西海岸から見た謎の島影、
そして伊是名島で見た謎の島影は、
なんと、座間味諸島だったのだ!
近い! 少なくとも、両者が遠いとは感じない。
以前、津堅島に行ったら、
すぐ横に久高島があって、驚いた時、以来だ。
それまでは、
久高島は知念半島の沖、
津堅島は、中城湾の真ん中に浮かんでいると、
そう思っていた。
沖縄本島にいて、
そういう錯覚に陥っていたのだ。
ところが、津堅島に行ってみて、
その感覚が、誤りなんだと初めて気づいた。
これがまさに、
体で感じる土地勘というやつ。
また、辺戸岬沖を太平洋に回り込んだ際、
沖縄本島の東海岸が見えて、
その端が、海と思いきや。
良く目を凝らして見ると、
本島の切れ端から、島影が。
恐らく、
伊計島や宮城島や平安座島かも知れない。
あるいは、どこかの岬かも。
琉球時代の船旅も、
まさに、この景色を見る船旅だったのだ。
良く考えて見ると、
むかしの時代、
台風や嵐などの危険はよそにして、
九州から沖縄本島、そして、座間味までは、
島影を追いながら、旅ができたわけだ。
もちろん、島々は緊急の避難場所でもあった。
一方、座間味を出て渡名喜島を過ぎると、
見渡す限りの海。
久米島や粟国島は、大海の孤島。
宮古諸島まで、やはり相当の距離がある。
例えば、勝連グスクの阿麻和利が、
盛んに本州を行き来したのも、頷ける。
その繁栄ぶりを鎌倉に喩えた詩が残り、
日本商人との繋がりも強かったとされる。
ここまでは、歴史の教科書にも。
では、なぜ中国でなく、日本なのか?
島づたいに行くのだから、
中国に行くより、
リスクが断然低いからに違いない。
沖永良部島、和泊港へ到着。
レンタカーのお店も民宿も、港のすぐ前なのでした。
宿に荷物を置いて、さっそく、
まずは島一周に出発。
これはよくやる事で、
体で、島を体得する、いつもの最初の一歩。
途中、行きたかった一つ、
世之主の墓を見学し、
まずは資料集めに、
和泊町歴史民族資料館へ。
館長は、
えらぶ郷土研究会の、
先田光演、会長なのでした。
民話の調査で訪れた旨を伝えると、
次から次へと資料を出して下さり、
全てを教えて下さいました。
その結果、
なんと私の、沖永良部島の民話6つのうち4つの場所は、
もちろんあれども、碑や説明板などがまったくない、行ってもわからず、意味がない事が判明。
一方、知らない伊良部の民話の数々を手に入れたのでした。
そしてなんと、
今後の研究のために役立てなさいと、
伊良部島の方言の辞書、
『分類 沖永良部島 民族語彙集』を、
頂いたのでした。
もちろん、資料本を4冊手に入れ、
これまた、たくさんの資料を頂きました。
先田館長、ありがとうございました。
つまり、
沖永良部島に到着するなり研究がほぼ終了〜
後は、沖縄か横浜に戻って、教えられた資料を、数冊、手に入れるだけ。手に入れるべき本の数々は、写真に撮らせて頂きました。
と思って宿に帰って調べて見ると、amazonに3冊ともあったので注文してしまいました。
それにしても、驚くべきは、
沖永良部島の民俗学の研究が、
非常に進んでいるばかりか、
よく整理されているのに驚きました。
考えたら、民俗学資料館で、
こんなにきちんとしているのは、伊平屋島と、この沖永良部島ぐらいなものでしょう。
その後、取り敢えず、島をぐるっと一周。けっこう大きな島だなあ。
なお、購入した資料に、
以前、探してもなかった、天女伝説の話がありました。
さっそく、長編記事、天女伝説に、沖永良部島の「天人女房」を追加しました。
それにしても、
天女が天上に戻れなくなったのが、
羽衣を隠されたのと、
ニコチン中毒のためとは驚きです。(笑)
くわしくは、
「新・羽衣をなびかせ、天から琉球沖縄に舞い降りた天女とは?」をご覧ください。
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