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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第90話。
むかし
ある
ところが
「
そう
「はい。
さて、
そこで
それを
そこで
「お
それにしても、
やがて
ところが、
そして、チンミが
「こんな
チンミが、いくら
チンミは、
すると
「チンミよ。
お
さて、
するとそこには、
あまりに
「そんなに、
チンミは
「
すると、チンミは
「
すると
「
チンミは、
チンミが
チンミが、
ところが、
そして
「みんなから、
そこで、
やがて、
そうこうしているうちに、
ところで、
さて、
その
「お
しかし、どうしてもしなければならない
すると、
すると、
※この話の参考とした話
①高木~「長者ヶ池」・柳田~「炭焼藤太」
②沖縄先島・沖縄県宮古郡城辺町保良~『沖縄の昔話』
③沖縄先島・沖縄県宮古郡宮古島~『宮古史伝』『宮古島庶民史』
④沖縄先島・沖縄県平良市池間島~『ゆがたい』第四集
⑤沖縄先島・沖縄県宮古郡城辺町砂川~「沖縄民俗」十八号
⑥沖縄先島・沖縄県宮古郡多良間村仲筋~『多良間村の民話』
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●伝承地
①高木~「長者ヶ池」・柳田~「炭焼藤太」
②沖縄先島・沖縄県宮古郡城辺町保良~むかし昔、長井(ながい)の里に漁夫がいたそうだ。ある日、パイパナリ漁(りょう)に出たそうだが、海は満潮で漁がでけんから、大きな寄木(よりき)を枕にして寝ていたそうだ。
ところが、真夜中に、白い髭をした神が来て、その寄木に話しておったそうだ。
「おい寄木くん、今日は長井の里に、東、西との家で、一度に子が生まれたそうだ。だから、あれに生命の福運をつけよう」って言うたそうだ。その寄木は、
「はい、行きたいけれども、自分には、客がいて行けんから、あなたばかりでおいでなさい」って言うたそうだ。それで、その神は、長井の里に行くと、東の家にも子が生まれているし、西の家にも子が生まれている。
見ると、東の家は男の子、西の家は女の子で、東の家の子どもは、お産の取り締りが悪くて、貧乏性だから貧乏の運を付け、西の家の子どもは、お産の取り締りがとてもいいから、裕福の運を付けて、戻ってきた寄木に、そのことを話したそうだ。それを聞いて、漁夫は、いいこと聞いたと思って帰ってみると、ほんとに自分の所は男の子が生まれている。これはなんとか相談しなくてはと思って、朝早く行って、隣の家の両親と相談して、 「俺たちの子どもは、神の恵みで、こんなにいっしょに生まれたのだから、この二人が成長した場合には、一つ夫婦にしてやろう」と約束をしたそうだ。
約束したから、それが成長して、二十二、三にもなった頃、いよいよ二人は結婚したそうだ。その西の家の子どもの名前は、チンミと言うそうだ。その二人は、非常に裕福に暮らしたそうだ。粟を取っても、麦を取っても、米を取っても、いつも稔りがよくて、倉はいっぱいになったそうだ。ーー昔は、粟を取っても、麦を取っても、米を取っても、初物(はつもの)と言って、かならず飯を炊いて神に上げて、自分の親類などにも配っておった。そういう例が、今まであったーー。ところが、男はあんまり豊かになったものだから、威張ったことをしたそうだ。ある時、男は、あんまりものがあり過ぎて、麦の初物の御飯を出すと、
「自分に、こんな麦飯を食べさせるか」って、チンミを叱ったそうだ。「絶対に家に帰れ。家に置くわけにはゆかない」って。チンミは、非常に残念に思って、隣の人と相談して、詫びをしてもきかん。仕方がなくて、自分の作った麦をそんなに粗末にしてはいかんと思って、その倉に入って、悲しんで寝ておったそうだ。そこへ真夜中に、神さまが来て、
「おい、お前の夫になるのは、白川(しらかわ)の里に炭焼太良(すみやきだる)という、たいへん幸福な男がいるから、それと結婚すれば、お前は成功する」と言ったそうだ。しかし、これから離れてもいかんと思ったけども、神の言うたんだからと、そこを離れて行ったそうだ。
白川の里に行くと、その村はずれで、大雨に出会ったそうだ。チンミは、どこに入るかと眺めてみたら、道がわに木の葉で作った汚ない家があったそうだ。そこには、裸(はだか)になった古い炭焼太良がいたって。まごまごしていたら、
「わたしは悪い者じゃないから」って。チンミは、ヤマグかと恐れておったさ。「悪い者じゃないから、おいでなさい」って言ったら、
「あんたはなんという人か」って聞いたって。
「わたしには名前はないが、炭焼太良って言われている」って言ったそうだ。チンミは、神が結婚しろと言われたのは、この人だなと思っていたら、炭焼太良も、神の夢に、きれいな花をもらったが、この人のことだと考えたそうだ。そこで二人は、相談して、いっしょになったら、それまでは、「炭焼太良」「炭焼太良」と軽蔑されていたのが、白川村の主になったそうだ。子どもは、女が二名、男が三名で、たいへん発展したそうだ。
炭焼太良が八十になったときに、目が見えなくなったそうだ。それまで、「炭焼太良」と軽蔑されていたから、三名の男の子は、今度は、
「みんなに炭焼太良と言われるのは恥だから、捨ててやろう」と魚を取ろうと、わざわざ炭焼太良を海に連れて行って、環礁で休ませ、
「魚を取って食わせるから」って、彼らはそのまま帰って来たさ。炭焼太良は、
「今来んか、今来んか」と声の限り呼んでいるけれども、子どもたちは戻って来ない。舟も見えない。どうするかとしていると、その環礁も満潮になって立っていることもできなくなったって。仕方がないって、泳いでおったさ。したら、大きな寄木がさわったもんだから、つかまえようと思ったら、大きなサバであって、それが舟になって浜まで連れて来たって。
炭焼太良は、海のサバに、
「たいへんありがとう」と言って、浜にかがんでおったって。女の子ども二人は、孝行な子どもで、自分の親が海遊びに行ったということなので、迎えに行ったさ。ところが、浜の真ん中に、裸になった年寄りがかがんでいるから、行ってみると、自分の父だ。わけを聞いたら、
「こうこういう状態で、自分がここに来た。だから、自分の役の牛を取って来て、皆潰(つぶ)ししてサバにやりなさい」てって、女の子に命じて、サバにみんな食わせたら、そのサバは牛の頭を被(かつ)いで逃げて行ったそうだ。
家に帰ると、隣の人たちが、目の見えない炭焼太良が無事戻ったって見舞に来たさ。兄弟三名は、非常に恥をかいたって。それで、
「自分たちが恥をかいたのは、あのサバのせいだから、あれを取って殺す」って。三名は釣針を用意して、舟で海に出たそうだ。その時、炭焼太良は、
「自分の家の屋上に、ぜひ登せてくれ」って言ったって。
「あんた、目が見えなくて登れないだろう」って言ったら、
「いやどうしても登せてくれ」って。それから登せたら、
「三名の子どもの舟は、どれだけ見えてるか」って言ったら、
「今は蒲葵笠(くばがさ)の舟が見えてる」って。次は、
「今はセンスの舟が見えてる」って。その時に、炭焼太良は、茅葺きのシフを取って投げたそうだ。それがとうとう龍巻になって、舟を巻き上げ、三名を殺したって。(『沖縄の昔話』)
③沖縄先島・沖縄県宮古郡宮古島~野崎村長井の里に東屋と西屋と隣同士の女が身ごもっていた。たまたま東屋の男が、潮時を待って海岸の寄木を枕にして眠っていると、寄木の主よ、長井の里で子どもが生まれたので、運定めをしようという声がし、またしばらくして、一人は女の子で、産後の始末もきれいで、産子の額に鍋ふす粉も付けていたから粟一斗の運、一人は男の子で、薄暗くて汚らしかったので、乞食の貧相、としたと話すのを聞いた。男はいそいで帰ると、男の子が生まれており、隣をのぞくと女の子が生まれていたので、将来夫婦にさせようと契約した。二人は年ごろになると夫婦の縁を結んだが、次第に富貴栄耀の家となった。ある日、女が新麦の初穂の祭に、麦粉(ゆにく)を作って男に出すと、彼は腹を立てて、それを庭に投げ捨てた。女が蔵に入って呆然としていると、異形の者が現れて、西銘に行き炭焼太郎を夫とせよと伝える。女の名はモウシと言ったが、この言葉に従って西銘をたずねて行くと、その里近くで大雨に会い、はからずも炭焼太郎の貧しい庵に雨宿りした。話せば、長井の里のモウシという女が訪ねてくるという夢を見たと言う。二人はこれが縁となって夫婦となり、三男二女をもうけて、富貴栄華をきわめ、嘉播(かま)の親(うや)と称された。ところで、三人の息子は、たいへんな不孝者で、父が老いて盲目になると、みにくい年寄は見る目も恥かしいと、海浜の遊びにことよせて、親を連れ出し、コスクアカの干瀬に置き去りにした。やがて潮満ちて親が助けを求めると、忽然と一疋の大鱶(ふか)が現れ、背に乗せて浜に運んでくれた。たまたま父親の行方を探していた二人の娘が、これを浜に迎えて喜び、牛を殺して鱶に与えた。これによって嘉播の親の子孫は、鱶を食わないと伝える。三人の息子は、鱶を恨んで、これを殺そうとして舟を漕ぎ出した。親は甍(かわら)に上り、甍をはずして、舟を払わせ給えと振ると、息子たちの舟を天に巻きあげてしまった。それで今に、家人が旅行して留守の間は甍を改めぬという。(『宮古史伝』『宮古島庶民史』)
④沖縄先島・沖縄県平良市池間島~男が漁をおわった後、寄木に横たわって眠っていると、夢見心地に、野崎村の西と東の家に子どもが生まれたので、墨をつけていた女の子は言うことがないが、何もつけていない男の子には、まあまあの運をやって来たという話声を聞いた。家に帰ってみると、その通りに生まれていた。二人の子どもは、年頃となると結婚したが、男は飲み食いにわが儘を言って女を困らせ、遂には女を家から追い出してしまった。女は山奥の汚れた炭焼太郎と夫婦になったが、その炭焼太郎は顔を洗ってみるとなかなかのいい男であった。そして、それまで何もなかった炭焼太郎は金持になり、さらには島の王さまになって『嘉播(かばにゆ)の主(しゆう)』と称された。(『ゆがたい』第四集)
⑤沖縄先島・沖縄県宮古郡城辺町砂川~久松の男が、海岸の寄木を枕にして寝ていると、寄木の主よ、久松で隣同士に子どもが生まれたという声がした。家に戻ると、その通り、自分の家と隣の家とに、男の子と女の子が生まれている。同じ日に生まれたからと、年頃になったときに夫婦にしたが、器用な妻がユニク(麦粉)を作ってやると、夫は灰をくれるのかなどと怒る。女は家を出て、夢に従って西銘に行き、雨宿りをさせてくれた貧しい炭焼と結ばれた。二人の間には、女の子二人、男の子三人が生まれたが、子どもたちは、炭焼ダルと呼ばれることを嫌った。それに父は盲目にもなったので、三人の息子は、海で殺す計画をして、父を海に誘い、干瀬の岩に置き去りにした。それを聞いた女の子と母親は、泣きながら父を探しに浜に出ると、父はフカの背に乗って戻ってきた。フヵはお礼に牛の頭をもらい、背中に載せて帰って行った。息子たちは驚いて逃げたが、父が褌(ふんどし)であおぐと、それが竜巻となってしまった。(「沖縄民俗」十八号)
⑥沖縄先島・沖縄県宮古郡多良間村仲筋~久松の男が海で寝ていると、運定めの神さまが、西隣は女の子で豊かな徳、東隣は男の子で竹細工の徳と話しているのを聞いて、家に戻ると男の子が生まれていた。隣をみると女の子が生まれていたので、将来は夫婦にすることを約束した。成長して二人は夫婦となり、家はたいへん豊かになったが、ある日、女がたかきびのご飯を炊くと、男はこんなものは食えないと怒って喧嘩になって夫婦別れをした。女は西銘の炭焼ダルの許へ行けという夢の告げを聞いたので、守り姉を連れて炭焼ダルを訪ねると、ダルも同じ夢をみたという。守り姉がダルをつかまえて、髪を剃り頭を洗ってやると、男前の人であった。二人は夫婦になり、七人の男の子と一人の女の子をもうけて、金持となった。ところが、年老いて盲人となった炭焼ダルを息子たちは、海に捨てようとして、船に乗せて遠干瀬に置き去りにした。それを聞いて娘は泣きながら海岸に出ると、父親は大きなフカの背に乗って戻ってきた。娘は父親の言い付けで、家から牛を連れて来てフカに食べさせ、頭を持たせて海に帰した。父の炭焼ダルは、家に戻って息子たちを旅立たせ、娘を屋根に昇らせ、家の角の茅を抜いて燃やさせると、息子たちは竜巻に飲み込まれてしまったという。(『多良間村の民話』)
①高木~「長者ヶ池」・柳田~「炭焼藤太」
②沖縄先島・沖縄県宮古郡城辺町保良~むかし昔、長井(ながい)の里に漁夫がいたそうだ。ある日、パイパナリ漁(りょう)に出たそうだが、海は満潮で漁がでけんから、大きな寄木(よりき)を枕にして寝ていたそうだ。
ところが、真夜中に、白い髭をした神が来て、その寄木に話しておったそうだ。
「おい寄木くん、今日は長井の里に、東、西との家で、一度に子が生まれたそうだ。だから、あれに生命の福運をつけよう」って言うたそうだ。その寄木は、
「はい、行きたいけれども、自分には、客がいて行けんから、あなたばかりでおいでなさい」って言うたそうだ。それで、その神は、長井の里に行くと、東の家にも子が生まれているし、西の家にも子が生まれている。
見ると、東の家は男の子、西の家は女の子で、東の家の子どもは、お産の取り締りが悪くて、貧乏性だから貧乏の運を付け、西の家の子どもは、お産の取り締りがとてもいいから、裕福の運を付けて、戻ってきた寄木に、そのことを話したそうだ。それを聞いて、漁夫は、いいこと聞いたと思って帰ってみると、ほんとに自分の所は男の子が生まれている。これはなんとか相談しなくてはと思って、朝早く行って、隣の家の両親と相談して、 「俺たちの子どもは、神の恵みで、こんなにいっしょに生まれたのだから、この二人が成長した場合には、一つ夫婦にしてやろう」と約束をしたそうだ。
約束したから、それが成長して、二十二、三にもなった頃、いよいよ二人は結婚したそうだ。その西の家の子どもの名前は、チンミと言うそうだ。その二人は、非常に裕福に暮らしたそうだ。粟を取っても、麦を取っても、米を取っても、いつも稔りがよくて、倉はいっぱいになったそうだ。ーー昔は、粟を取っても、麦を取っても、米を取っても、初物(はつもの)と言って、かならず飯を炊いて神に上げて、自分の親類などにも配っておった。そういう例が、今まであったーー。ところが、男はあんまり豊かになったものだから、威張ったことをしたそうだ。ある時、男は、あんまりものがあり過ぎて、麦の初物の御飯を出すと、
「自分に、こんな麦飯を食べさせるか」って、チンミを叱ったそうだ。「絶対に家に帰れ。家に置くわけにはゆかない」って。チンミは、非常に残念に思って、隣の人と相談して、詫びをしてもきかん。仕方がなくて、自分の作った麦をそんなに粗末にしてはいかんと思って、その倉に入って、悲しんで寝ておったそうだ。そこへ真夜中に、神さまが来て、
「おい、お前の夫になるのは、白川(しらかわ)の里に炭焼太良(すみやきだる)という、たいへん幸福な男がいるから、それと結婚すれば、お前は成功する」と言ったそうだ。しかし、これから離れてもいかんと思ったけども、神の言うたんだからと、そこを離れて行ったそうだ。
白川の里に行くと、その村はずれで、大雨に出会ったそうだ。チンミは、どこに入るかと眺めてみたら、道がわに木の葉で作った汚ない家があったそうだ。そこには、裸(はだか)になった古い炭焼太良がいたって。まごまごしていたら、
「わたしは悪い者じゃないから」って。チンミは、ヤマグかと恐れておったさ。「悪い者じゃないから、おいでなさい」って言ったら、
「あんたはなんという人か」って聞いたって。
「わたしには名前はないが、炭焼太良って言われている」って言ったそうだ。チンミは、神が結婚しろと言われたのは、この人だなと思っていたら、炭焼太良も、神の夢に、きれいな花をもらったが、この人のことだと考えたそうだ。そこで二人は、相談して、いっしょになったら、それまでは、「炭焼太良」「炭焼太良」と軽蔑されていたのが、白川村の主になったそうだ。子どもは、女が二名、男が三名で、たいへん発展したそうだ。
炭焼太良が八十になったときに、目が見えなくなったそうだ。それまで、「炭焼太良」と軽蔑されていたから、三名の男の子は、今度は、
「みんなに炭焼太良と言われるのは恥だから、捨ててやろう」と魚を取ろうと、わざわざ炭焼太良を海に連れて行って、環礁で休ませ、
「魚を取って食わせるから」って、彼らはそのまま帰って来たさ。炭焼太良は、
「今来んか、今来んか」と声の限り呼んでいるけれども、子どもたちは戻って来ない。舟も見えない。どうするかとしていると、その環礁も満潮になって立っていることもできなくなったって。仕方がないって、泳いでおったさ。したら、大きな寄木がさわったもんだから、つかまえようと思ったら、大きなサバであって、それが舟になって浜まで連れて来たって。
炭焼太良は、海のサバに、
「たいへんありがとう」と言って、浜にかがんでおったって。女の子ども二人は、孝行な子どもで、自分の親が海遊びに行ったということなので、迎えに行ったさ。ところが、浜の真ん中に、裸になった年寄りがかがんでいるから、行ってみると、自分の父だ。わけを聞いたら、
「こうこういう状態で、自分がここに来た。だから、自分の役の牛を取って来て、皆潰(つぶ)ししてサバにやりなさい」てって、女の子に命じて、サバにみんな食わせたら、そのサバは牛の頭を被(かつ)いで逃げて行ったそうだ。
家に帰ると、隣の人たちが、目の見えない炭焼太良が無事戻ったって見舞に来たさ。兄弟三名は、非常に恥をかいたって。それで、
「自分たちが恥をかいたのは、あのサバのせいだから、あれを取って殺す」って。三名は釣針を用意して、舟で海に出たそうだ。その時、炭焼太良は、
「自分の家の屋上に、ぜひ登せてくれ」って言ったって。
「あんた、目が見えなくて登れないだろう」って言ったら、
「いやどうしても登せてくれ」って。それから登せたら、
「三名の子どもの舟は、どれだけ見えてるか」って言ったら、
「今は蒲葵笠(くばがさ)の舟が見えてる」って。次は、
「今はセンスの舟が見えてる」って。その時に、炭焼太良は、茅葺きのシフを取って投げたそうだ。それがとうとう龍巻になって、舟を巻き上げ、三名を殺したって。(『沖縄の昔話』)
③沖縄先島・沖縄県宮古郡宮古島~野崎村長井の里に東屋と西屋と隣同士の女が身ごもっていた。たまたま東屋の男が、潮時を待って海岸の寄木を枕にして眠っていると、寄木の主よ、長井の里で子どもが生まれたので、運定めをしようという声がし、またしばらくして、一人は女の子で、産後の始末もきれいで、産子の額に鍋ふす粉も付けていたから粟一斗の運、一人は男の子で、薄暗くて汚らしかったので、乞食の貧相、としたと話すのを聞いた。男はいそいで帰ると、男の子が生まれており、隣をのぞくと女の子が生まれていたので、将来夫婦にさせようと契約した。二人は年ごろになると夫婦の縁を結んだが、次第に富貴栄耀の家となった。ある日、女が新麦の初穂の祭に、麦粉(ゆにく)を作って男に出すと、彼は腹を立てて、それを庭に投げ捨てた。女が蔵に入って呆然としていると、異形の者が現れて、西銘に行き炭焼太郎を夫とせよと伝える。女の名はモウシと言ったが、この言葉に従って西銘をたずねて行くと、その里近くで大雨に会い、はからずも炭焼太郎の貧しい庵に雨宿りした。話せば、長井の里のモウシという女が訪ねてくるという夢を見たと言う。二人はこれが縁となって夫婦となり、三男二女をもうけて、富貴栄華をきわめ、嘉播(かま)の親(うや)と称された。ところで、三人の息子は、たいへんな不孝者で、父が老いて盲目になると、みにくい年寄は見る目も恥かしいと、海浜の遊びにことよせて、親を連れ出し、コスクアカの干瀬に置き去りにした。やがて潮満ちて親が助けを求めると、忽然と一疋の大鱶(ふか)が現れ、背に乗せて浜に運んでくれた。たまたま父親の行方を探していた二人の娘が、これを浜に迎えて喜び、牛を殺して鱶に与えた。これによって嘉播の親の子孫は、鱶を食わないと伝える。三人の息子は、鱶を恨んで、これを殺そうとして舟を漕ぎ出した。親は甍(かわら)に上り、甍をはずして、舟を払わせ給えと振ると、息子たちの舟を天に巻きあげてしまった。それで今に、家人が旅行して留守の間は甍を改めぬという。(『宮古史伝』『宮古島庶民史』)
④沖縄先島・沖縄県平良市池間島~男が漁をおわった後、寄木に横たわって眠っていると、夢見心地に、野崎村の西と東の家に子どもが生まれたので、墨をつけていた女の子は言うことがないが、何もつけていない男の子には、まあまあの運をやって来たという話声を聞いた。家に帰ってみると、その通りに生まれていた。二人の子どもは、年頃となると結婚したが、男は飲み食いにわが儘を言って女を困らせ、遂には女を家から追い出してしまった。女は山奥の汚れた炭焼太郎と夫婦になったが、その炭焼太郎は顔を洗ってみるとなかなかのいい男であった。そして、それまで何もなかった炭焼太郎は金持になり、さらには島の王さまになって『嘉播(かばにゆ)の主(しゆう)』と称された。(『ゆがたい』第四集)
⑤沖縄先島・沖縄県宮古郡城辺町砂川~久松の男が、海岸の寄木を枕にして寝ていると、寄木の主よ、久松で隣同士に子どもが生まれたという声がした。家に戻ると、その通り、自分の家と隣の家とに、男の子と女の子が生まれている。同じ日に生まれたからと、年頃になったときに夫婦にしたが、器用な妻がユニク(麦粉)を作ってやると、夫は灰をくれるのかなどと怒る。女は家を出て、夢に従って西銘に行き、雨宿りをさせてくれた貧しい炭焼と結ばれた。二人の間には、女の子二人、男の子三人が生まれたが、子どもたちは、炭焼ダルと呼ばれることを嫌った。それに父は盲目にもなったので、三人の息子は、海で殺す計画をして、父を海に誘い、干瀬の岩に置き去りにした。それを聞いた女の子と母親は、泣きながら父を探しに浜に出ると、父はフカの背に乗って戻ってきた。フヵはお礼に牛の頭をもらい、背中に載せて帰って行った。息子たちは驚いて逃げたが、父が褌(ふんどし)であおぐと、それが竜巻となってしまった。(「沖縄民俗」十八号)
⑥沖縄先島・沖縄県宮古郡多良間村仲筋~久松の男が海で寝ていると、運定めの神さまが、西隣は女の子で豊かな徳、東隣は男の子で竹細工の徳と話しているのを聞いて、家に戻ると男の子が生まれていた。隣をみると女の子が生まれていたので、将来は夫婦にすることを約束した。成長して二人は夫婦となり、家はたいへん豊かになったが、ある日、女がたかきびのご飯を炊くと、男はこんなものは食えないと怒って喧嘩になって夫婦別れをした。女は西銘の炭焼ダルの許へ行けという夢の告げを聞いたので、守り姉を連れて炭焼ダルを訪ねると、ダルも同じ夢をみたという。守り姉がダルをつかまえて、髪を剃り頭を洗ってやると、男前の人であった。二人は夫婦になり、七人の男の子と一人の女の子をもうけて、金持となった。ところが、年老いて盲人となった炭焼ダルを息子たちは、海に捨てようとして、船に乗せて遠干瀬に置き去りにした。それを聞いて娘は泣きながら海岸に出ると、父親は大きなフカの背に乗って戻ってきた。娘は父親の言い付けで、家から牛を連れて来てフカに食べさせ、頭を持たせて海に帰した。父の炭焼ダルは、家に戻って息子たちを旅立たせ、娘を屋根に昇らせ、家の角の茅を抜いて燃やさせると、息子たちは竜巻に飲み込まれてしまったという。(『多良間村の民話』)
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横浜のtoshiさん
こんばんは
宮古島では女性も門中を継げる…これは良い事だと思いますでもどうして宮古島だけが女性も継げるのか?不思議に思っていましたよ。
もしかしたら…本島からの偉い方が単身赴任して地元の女性と一緒になり子孫が繁栄して…男性は首里にもどる…残された女性が門中を継ぐ?からかな~と考えたりします(笑)
又は、海人が多く事故で男性がいなくなり女性が…(糸満は同じ海人ですが男性だけが継げる。のでこの考えはですね(笑))
いずれにしても、宮古島だけが女性でも継げる。事が素晴らしいと思う反面何故なのか不思議ですね
それと『毛遊び』宮古島では聞いた事がありません。
私の勉強不足かも?
今でいう 合コン?(笑)
昔の人は情熱的(笑)だったのですね
やはり南国だから?(笑) ちょっと羨ましいです(笑)
変なところに食いつき?(笑)失礼しました
こんばんは
宮古島では女性も門中を継げる…これは良い事だと思いますでもどうして宮古島だけが女性も継げるのか?不思議に思っていましたよ。
もしかしたら…本島からの偉い方が単身赴任して地元の女性と一緒になり子孫が繁栄して…男性は首里にもどる…残された女性が門中を継ぐ?からかな~と考えたりします(笑)
又は、海人が多く事故で男性がいなくなり女性が…(糸満は同じ海人ですが男性だけが継げる。のでこの考えはですね(笑))
いずれにしても、宮古島だけが女性でも継げる。事が素晴らしいと思う反面何故なのか不思議ですね
それと『毛遊び』宮古島では聞いた事がありません。
私の勉強不足かも?
今でいう 合コン?(笑)
昔の人は情熱的(笑)だったのですね
やはり南国だから?(笑) ちょっと羨ましいです(笑)
変なところに食いつき?(笑)失礼しました
Posted by ルミ at 2011年02月07日 23:26
ルミさん、こんにちは。
真面目に働く、親孝行をする、それが代々、続いていくことが人の基本です。
素晴らしい先人の教えは、時代を越えて、素晴らしいものが多いですね。
結婚や別れに関してですが、
実は、本土では、やはり、しがらみが強く、封建制の時代が長いので、
決して、潔くはないんです。
一方、島国は、潔いわけです。
親子で殺し合うとなると、やはり日本の歴史では、戦国時代によくある話です。
この話の場合は、
一族の長が、結束を破った家族や一族を罰するという、
アジア特有の倫理観が、色濃くみられます。
それから、さすが宮古の話、いいなと思いました。
宮古では、女性も門中を継げますので、こういう話も成り立つと思います。
コメントありがとうございます。では。
真面目に働く、親孝行をする、それが代々、続いていくことが人の基本です。
素晴らしい先人の教えは、時代を越えて、素晴らしいものが多いですね。
結婚や別れに関してですが、
実は、本土では、やはり、しがらみが強く、封建制の時代が長いので、
決して、潔くはないんです。
一方、島国は、潔いわけです。
親子で殺し合うとなると、やはり日本の歴史では、戦国時代によくある話です。
この話の場合は、
一族の長が、結束を破った家族や一族を罰するという、
アジア特有の倫理観が、色濃くみられます。
それから、さすが宮古の話、いいなと思いました。
宮古では、女性も門中を継げますので、こういう話も成り立つと思います。
コメントありがとうございます。では。
Posted by 横浜のtoshi at 2011年02月07日 06:52
コメント以外の目的が急増し、承認後、受け付ける設定に変更致しました。今しばらくお待ち下さい。
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