「ケンモン」と、
「ウバ」と、
「ガワッパ」の、
違い。
●「ケンモン」と「ウバ」と「ガワッパ」の、
活動範囲の違い
「ケンモン」
~怪ン物/けんもん。ヒジャなる地域を中心に海浜一帯。但し、部落でケンモン原と呼ぶ所ではどこでもケンモンが出没し、そこではウバやガワッパの影は薄い。
※ヒジャ~海に迫る山頂の平斜地を部落では「ヒジャ(ヒダの訛、飯田、飛騨)」と呼ぶ。この場所は人々が、耕作して唐芋その他の農作物を作ったり(ヒジャに出来る唐芋をヒジャバヌス(比田蕃藷)といってかつては有名だった)、秣を刈ったり、周辺から焚物を拾ったりする所。
「ウバ」
~姥/うば。ナガネなる地域を中心に山林一帯が活動範囲。部落から部落に通じる山路の峠辺り等にたいていナガネ(長根、長峰)等と呼ばれる地域があり、この名称は大抵の部落に共通で、赤土のトーミチ(山間の平坦路)のある地域を呼ぶ。大抵サク(さこ、硲)があり、砂糖黍や色々な農作の耕地があり、水便の良い所には田もある。
「ガワッパ」
~河童/がわっぱ。ガワッパは、部落を貫いて流れる川のミナトジリ(水門尻)と、その上流ウッコー、あるいは、ウックンコー(奥河あるいは御垢離河の意か。乃呂やユタはここで斎戒沐浴したと言われている)と呼ばれる深淵の辺りに棲む。
●「ケンモン」と「ウバ」と「ガワッパ」の、
特徴などについて
「ケンモン」
近年は姿を見せる機会は減少傾向にあるが、それでも目撃情報が絶える事はない。減少理由として、この近年で、人々の物の考え方が大きく変わった点と、部落に生きる人々の生活様式が大きく変わった事によりケンモンとの縁が薄くなった点等が考えられる。特に後者であるが、元々、荒磯の塩焼き小屋、山間僻地の砂糖製造小屋、炭焼小屋では、また、漁撈の磯籠りの際には、一人か二人で夜更かしする機会が多く、ケンモンに親しまれたり馬鹿にされる可能性が多く、そういった場所には大概ケンモン譚が付き物だった。なお島固有の、在来の小軀の馬(駒と現地では呼ぶ)とケンモンは因縁浅からぬ関係にあったとも言われる。
「ウバ」
ウバはケンモンより体が大きく、従ってケンモンほど敏捷ではない。顔は広く赤く、頭いっぱい毛だらけで顔に覆い被さっている。山間の大木の間に棲み、雨が降る山中が小暗い時等、薪採り等で人が通ると、小石や木片を投げ付けて悪戯する。方言にウバガマチという語があり、これは姥のような頭髪の意であるが、女の子のオカッパのようで、頭髪に手入れをせずに乱頭蓬髪である。姥は、頭髪が茫々と生えて眼まで覆い被さっていると信じられて来た。尚、髪を姥にするという意味の言い方も残っている。またこの島の山間には姥滝などという地名もあり、よく姥が出没する所とされている。ここから、姥は山姥の上略語だろうと推測される。姥に会った時は、生木ではなく、出来るだけ朽ちた木の棒で叩くのが良く、これは朽ちた木は折れやすいためである。姥は木が折れるまで叩かれたと錯覚して降参するという。また、姥には頭に皿のようなものがあり、これには力水が入っているため、この皿を叩き落とすと力を失って消滅するのは、一ッ目小僧の目に当たるとも。尚、部落により、あるいは同一部落内でも、年齢層により姥の話は色々と混同し、皿のあるのはケンモンだという人もいる。大石文七という人は、姥滝で真昼に出会ったという姥は、叩いたところパッと煙を立てて消失したという。
「ガワッパ」
河童は体が細く、異常に手が長く、雨が降って洪水がある時等は、必ず川尻に来て「厄かぶり」の人を川に引き込んで溺れさせる。また子供等が水門尻で浴びると尻を抜く事がある。その他、他所で河童について語られるべき事は、奄美大島ではケンモンによく転嫁されている事が伺われる。
●「ケンモン」語源
ケンモンという語は、ケノモノ(化の物、怪の物、恠の物)の訛語で、得体の知れぬ霊物の意と思われる。空模様が悪くなりそうな暗い夜など、また海岸などに出ていると、人が通りそうもない山の中腹辺りに、青白い光が明滅し出す。時に早く、時にゆっくり動き、みるみる一点の火が三つも四つにも分かれて、また一つになる。これはケンモンウマツ(怪物火)という。その火は、浜伝いに河童が出ると言う水門尻に迄やって来て消失する事がある。またケンモン指の先に火を点して歩くともいう。あるいは、その涎が光って火に見えるともいう。朝まだ誰も人が通らぬ白浜の水際に行ってみるとケンモンの足跡が付いている場合があり、脚は細長く、先が杵の先の様になっているため、これをアヅミハギ(手杵足)と言う。人里離れた白浜の小屋などにいると、夜になると裏山から木の葉をざわめかして岩石を蹴落としながら無数のケンモンが磯の方へいざりに出掛ける。その通る様は、群鳥が飛び下って来る様であるという。なおその通り道に白い洗濯物を干しておくと翌朝は必ず足跡が付いて汚れているという。その際は何か「左まき」の物を置いておけば被害がないという。ケンモンの棲家は、ホーギ(がじまるの一種)の下だといわれる。よくケンモンは子をあやすため、嘉徳部落のヒゴ山の法木からは、白昼でもケンモンの子守唄が聞こえるという。ちなみに、これが子をあやす時は、「ヨーファン子、ヨーファン子(意味不明)」と歌うののに反して、人の子守唄は、「ヨーファンヨー、ヨーファンヨー」であるから、区別がつくという。ケンムンの常食はツンダリ(蝸牛)で、法木の根元に食い残しの蝸牛の殻が沢山溜っていたりする。またナメクジを丸めて餅だといって食う。ある山間の一軒家の子供が行方不明になった。父母は心配して心あたりを探しが見つからなかったが、翌朝、木の下に坐っていた。そして夜中にケンモンに引き回わさ蝸牛をしこたま食わされたと言う。山路の法木の側を通る時は、よくケンモンが石を投げるという。また山路で屁のあげつらいはしないものだと言われていて、必ずケンモンが出て来て「吾ン屁ヤヒラソド」(吾は屁はひらざりしぞ)と言われている。よくケンモンは人間に相撲を挑むが、その際は逆立ちして見せるとよい。ケンモンが真似て逆立ちすると、頭上の皿の力水がこぼれてケンモンはたちまち退散する。ケンモンは「ノブサダ」と呼ばれるのが嫌いで、こう呼ばれると怒って色々なと人にいたずらする。