げせいない!阿麻和利、護佐丸、尚泰久たちが生きた時代

横浜のトシ

2019年05月06日 13:41

やはり()せない。
何年()っても、やはり()せない。

阿麻和利(あまわり)護佐丸(ごさまる)尚泰久(しょうたいきゅう)百度踏揚(ももとふみあがり)の、本当の関係と歴史がどうだったのか。

どう考えても、
阿麻和利や護佐丸が伝えられてきたような馬鹿(ばか)だったなんてあり()ない。

また、琉球史上最大の功績(こうせき)があったのは、尚巴志(しょうはし)であるのは(うたが)いようもない事実(じじつ)なのに、墓がどこのあるのかも知らない人が多い。これまた、あり()ない。

これこそがデタラメでインチキ琉球国第二王統が第一王統を抹殺し、正当化するために作り出した究極の嘘であり詐欺であるのは、疑いようがない。王族の血筋ではない一般庶民であった金丸が尚円王(尚圓王)となって、ありえない国の乗っ取りを正当化した、血塗られた琉球国の歴史。

最大の愚者(ぐしゃ)が、見事にだまされて金丸(かなまる)王府(おうふ)に入れ、国をみすみす乗っ取られた尚泰久であるのは疑うべくもない。むろん、裏ですべてを画策(かくさく)したのは金丸である。

琉球史上、最低最悪の男であり、同時に天才的悪党であるのが金丸、つまり尚円王(尚圓王)。

ただいくら金丸が、ずる賢くそれが天才的であったとしても、
それに、みすみす阿麻和利や護佐丸が、特に阿麻和利が(おとしい)れられた過程(かてい)がどうしても()せない。
いや、あり()ない。

なにか、ぜったいに裏がある。
本当の隠された真実の歴史が!

なお尚巴志の長男は養子(ようし)で、
次男が正妻(せいさい)の子で、尚忠王となって王位を()ぐ。
そして子どもが次の尚志達王になる。

尚忠王の妃で、尚志達王の母は、勝連の娘とあってそれもまた(なぞ)で、歴史から消えている。阿麻和利は史書によると、悪政を強いる前城主の茂知附(もちづき)按司を倒して10代目勝連城の按司となったことになっているが、それと勝連の娘との関係がまた謎のままだ。そのあたりの秘密を()き明かすのが、金丸一族が作り上げた一連の歴史の大嘘を解き明かす(かぎ)となる気がする。

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