ヤーマス御願由来 ~琉球沖縄の伝説
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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第47話。
ヤーマス御願の由来
むかし昔の話です。
下地に川満という村があります。
その川満に、津浜按司という人がおりました。津浜按司夫婦二人の間には、十年、二十年が経ってもなかなか子どもが出来ませんでした。そして後に、やっと妻が妊娠したものの、それから三年の月日が経っても子どもは生まれません。
不思議に思っていると、三年後に大きな卵を三個生んだそうです。
この時代、按司といえば相当高い位であり、この津浜按司はこのことを世間に知られることを恥しいと思って、卵を畑のフサギラ(※この辺りの言葉で、草をたくさん集めて積んで置いたものをフサギラと言い、昔はよくあった)の下に埋めると、毎朝毎晩そこに行って様子を見ていました。
そのまま日々が流れていきましたが何も起こりはしないと思い始めた三ヵ月後、朝早く行ってみたところ、卵から大きな男の子たちが生まれていたのでした。
「ああ、これは何ということか。なんと珍しいことがあるものだ。」というなり、その三人の子ども達を家に連れ帰って育て始めました。
さて、長男が七つ、次男が五つ、三男が三つぐらいになると、子ども達は御飯を三升ずつ食べるようになっていました(※当時の、白米ではなく粟の飯)。そのために津浜按司は、三人の子どもを食べさせて養育するのが非常に困難な状態に陥り、どうしたものかと考えておりました。
按司には、与那覇に嫁入りした妹がいて、子どもがいない上に大変な富豪と結婚していました。そこで按司は妹に相談しました。
「お前は裕福に暮らしていると聞いているが、子どもがいない。私の子どもを貰って育て、自分の子どもにしたらどうだろうか。」と。
それを聞いた妹がとても喜んだのはいうまでもありません。
「ああ。本当にそうして貰えるなら、どんなにありがたいかわかりません。」と、妹は喜んで引き受けたのでした。
そんなわけで、与那覇の妹が、それから三人の兄弟全てを養い始めましたが、長男が十歳になる頃には、以前にも増してますます食べる量が激増し、流石の富豪の家でさえも、この兄弟を食べさせていくことは不可能になってきました。
丁度、そんな時のことです。
来間島は千人原と呼ばれていて、千人の人間が住んでました。
ところが、ヤーマスという御願を取り止めたところ、天罰で、天から怪物が出て来て来間島の人々全てが攫われてしまい、今は無人島になっているようだと、そんな話が伝わって来たのでした。
そこで与那覇の母が子ども達に向かって言うことには、
「今、来間島が無人島になっているそうです。
お前たち兄弟三人は、あの島に行って暮らしを立てるのがよろしい。沢山の土地があって、粟を作るにしても、芋を作るにしても、自分達で力を合わせて農作物を懸命に作って、収穫したら、後は贅沢に好きなだけ食べるといいです。」と。
兄弟三人は、母からその話を聞いて賛成し、周囲に沢山あったマイヤマという大きな木を倒すと、それで舟をこしらえ、三人で来間島に渡ったそうです。
さて、来間島に渡って見ると、人は確かに全滅したかのようでした。ところがよく調べてみると、井戸から上がる所のスムリャーという家に、年寄の老婆が一人だけ生き残っていたのでした。
兄弟三人がこの家の中に入って行きました。そして、怖がって鍋を被って隠れていた老婆に向かって聞きました。
「何故、あなたはそんなことをしているのか。」と。
すると老婆は、話し始めたのでした。
このところ、神がやって来ては人を攫っていく。今日は、遂に自分の番が回ってきたのだと思って、隠れていたところ、あなた達だった。そもそも昔から、一年に一回、行ってきた大切な御願を取り止めたところ、天罰で、島の人間が次々に攫われるようになり、今では島に自分ひとりしか残っていない、そう老婆は話したのでした。
それを聞くと、兄弟三人は尋ねました。
「その、天から来て人を攫う怪物というのは、いつやって来るのか、決まっているのか。それと、現れる場所は、いつも決まっているのか。」と。
すると老婆は言いました。
「パチャの広場に降りて来て、決まった時間に人を攫っていくと聞いている。」と。
パチャとは、昔の道で、それは段々になっている道のことでした。
その場所を聞くと兄弟は、さっそくそこに行き、隠れていました。
やがて老婆から聞いた時間になると、本当に天から真直ぐ何かが吊り下ろされたのでした。そしてそれはまったく怪物であり、まるで巨大な牛のようなものでした。
兄弟三人はみな、とにかく力にだけは自信があり、先ず三男が怪物に向かっていきました。しかしながら三男では、どうしても力で相手に敵わないとみると、続いて次男が向かっていきました。そして、それでも敵わないとみてとると、最後に長男が怪物に向かっていきました。そして長男は怪物の牛の角を二つとも、力任せに引き抜いてしまったのでした。
流石に角を引き抜かれた牛は大きな唸り声を上げるなり、宮古に通じるナガピシという浅瀬の干瀬に向かって、鳴きながら走り去って行ったのでした。
ナガピシとは、潮が引くと陸のように本島まで続いて出る陸地でした。
兄弟たちは、潮が引いてからナガピシに行ってみたのでした。
ナガピシには、舟がやっと通れるような海峡になっている場所があり、三男がそこから海の底を覗いて見ると、大きな家が見えます。そしてその家の門で、一人の女性が糸を掛けているのが見えました。それを見た三男は、長男と次男を呼び、海の底に入って行きました。
海の底はまるで陸のようで、龍宮城のような立派な家があり、女の人が門番をしているようでした。そこで、どうかご主人様にお会いする事が出来ないものだろうかと、取り次ぎを頼んでみたところ、中に通されたのでした。
ところが通された先で、主人が血まみれになっていたのでした。もちろん角を二つとも取られ、もう自分には命がいくらもないと、その神は兄弟たちに向かって言いました。
兄弟は、ヤーマス御願を怠ったために攫われて行った人々が、今はどうなっているかを尋ねました。
すると神は、全員ここにいると言います。
兄弟たちは、自分達が連れ帰って来間島をきちんと再建するので、返してくれるようにと頼みました。すると神が言うことには、連れて帰っても最早役に立たないと言います。というのも全員の目の中に鉛を入れてしまったと言うのです。
ただ門番をしている女だけは大丈夫だから、連れて帰ればよいと神は言いました。
こうして兄弟三人は、その女性を連れて島に戻りました。
その女性はやがて長男の妻となり、生まれた女の子たちが、やがて次男と三男の妻となったそうです。
またそれからというもの、ヤーマスの御願ですが、兄弟それぞれが住む三軒の、スムリャープナカ、ウプヤープナカ、ウーマスシャプナカ、それぞれの家で行われるようになったそうです。
こうして、来間島の千人原は、一度は無人になってしまったものの、そこから島を再建したのが、この兄弟三人でした。そしてこの兄弟三名を源として、今の来間島の人々がいるのだと伝わってきました。
なお兄弟三人は、何よりもヤーマス御願を大切にして、御願は常に盛大に執り行ったそうです。
それが、来間のヤーマス御願の由来とされているそうな。
※この話の参考とした話
①沖縄先島・沖縄県宮古郡下地町来間島~『沖縄の昔話』
②沖縄先島・沖縄県宮古郡下地町来間島~『宮古島庶民史』
③同右~「沖縄民話の会会報」三号
④沖縄先島・沖縄県宮古郡下地町与那覇~『ゆがたい』第四集
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●伝承地
①沖縄先島・沖縄県宮古郡下地町来間島~この下地(しもじ)に、川満(がわみつ)という部落があるな。その川満という部落に、津浜按司(つはまあじ)という人がおったそうだ。夫婦二人で、十ヵ年、二十ヵ年たっても、子どもができなかったそうだ。
それが、後に、奥さんが妊娠したそうだが、三ヵ年なるけれども、子どもが生まれない。不思議だと思っていたら、三ヵ年後に、人間でなくして、大きな卵を三個生んだそうだ。そのときは、按司といえば、相当の位の人だったから、この津浜按司は世間に恥しく思って、これを畑のフサギラーーこの辺の言葉で、草をたくさん集めて積んでおいたものをフサギラと言って、昔はよくあったがーーその下に卵三個を埋めて、毎朝毎晩行って、様子を見ておったそうだ。しかし、三ヵ月になるけれども、そのままであって、三ヵ月後に、朝早く行ってみたら、その卵から大ぎな男の子が三名できておったそうだ。
「ああ、これは珍しい」と言って、その三名の子どもを家に連れて帰って来て、育てていたそうだ。
そうすると、長男は七つ、次男は五つ、三男は三つぐらいに大きくなった頃から、御飯を三升ずつも食べるようになっておったそうだーー当時は、こっちでは白米はできなかったから、粟の飯だっただろうーーだから、津浜の按司も、その三名の子どもに食わせて養育するのが非常に困難になって、どうしたらいいかと考えておったそうだ。その按司の兄妹(きょうだい)が与那覇(よなは)に嫁入りして行っておったそうだが、その兄妹には子どもがなく、たいへんな富豪だったそうだから、その妹に、
「お前は、そんなに裕福に暮らしているが、子どもがないから、わしの子どもを貰って育てて、お前の子どもにしたらどうか」と聞いたら、喜んで、
「ああそうしてもらったら、ありがたい」と引ぎ受けたそうだ。それで、与那覇の妹が、三名の兄弟全部を養っていたそうだが、もう十(とお)にも余る頃になれば、ますます食べ物の量は増えたらしいな。さすがに富豪な家でも、食わすのに堪えきれなくなっておったそうだ。そのとき、ちょうど来間の島が、千人原と言って、千人の人間が住まっておったそうだが、このヤーマスという御願(うがん)をとりやめたために、天罰で、天から怪物が出て来て、来間の人を全部攫(さら)って、無人島になっておったそうだ。だから、その与那覇のお母さんが、
「今、来間が無人島になっているから、お前たち兄弟三名は、向こうの島に行って、暮らしを立てたらいいだろう。たくさんの土地があるし、粟を作っても、芋を作っても贅沢(ぜいたく)に食べられるから、向こうに行ったほうがいいよ」と相談したら、
「自分らもそれがいい」と賛成してなあ、向二うには、マイヤマと言って、大きな木がたくさんあったそうで、その大きな木を倒してそれで舟を作って、三名、来間の島に渡って来たそうだ。
渡って来て見たら、人家は全滅して、井戸から上がる所に、スムリャーという家だけに、年寄りのお婆さんがおったそうで、兄弟三人、その家に入ったそうだ。したら、お婆さんは、三名の兄弟を怖がって、鍋を被って隠れておったそうだ。家の中を全部調べて、鍋を返して見たら、お婆さんが現われたそうだ。
「なぜ、あんたは、そんなことをしているか」と言ったら、
「いやもう。こっちは、神さまが来て、人を全部攫って行ってるから、今日はわたしの番だと思って、あんたらがわたしを攫いに来たと隠れた」と。
「そんなら、いちいち訳を話してくれ」と言って、お婆さんからいちいち聞いたら、
「まあ、こうこういうふうに、一年に一回やる、大切な御願をとりやめたために、天罰で、こういうふうに全部の人が攫われて、自分ひとりしか残っていない」と話したそうだ。したら、
「その天から来て人を攫う怪物は、何月何日の何時ごろ来ると決まっているかあ」と。「その場所はどこか」
と聞くと、
「パチャの広場に降りて来て、攫って行ってる」とーーパチャと言って、昔の道が段々であるんですよーー。
それを聞いて、兄弟三名、その日のその時間に行って、隠れておったそうだ。ほんとうに、その時間には、天から真直ぐ、なにかが吊されて来て、その怪物はなにかと言えば、大きな牛だったそうだ。そこで、兄弟は、普通の人ではない、力に自信があるから、いちばん先は、三男に、
「お前から行って掛かれ」と言って掛からせたそうだ。したら、三男は、どうしてもかないそうでない。次には次男を出したら次男も、
「どうしてもかなわん」と。
「これは最後に、わしが出なけりゃあいかん」と、長男が出て行って、その牛の角をば二つまで、引ぎ抜いたそうだ。引ぎ抜いたら、牛は、大きな唸り声をあげて、ナガピシという所ーー宮古に通じた干瀬(ぴし)があるよ、浅瀬がーーそこから泣いて行ったそうだ。
その後ーーこっちは、ナガピシは、潮が引いたら陸のように本島まで続いて出るんだよーー兄弟三名、潮が引いてから、ナガピシに行ったそうだ。したら、そのナガピシの間には、舟の通れるような海峡があって、そこから弟の三男が海の底をのぞいて見たら、大きな家があって、その家の門で女の人が、糸を掛けていたそうだ。それを見て三男は、長男と次男を呼んで、
「見てみなさい。珍しいものが海の底に見えている」と。
「行って全部見てみよう」と、三名、海の底に入って行って見たら、海の底は陸みたようにして、龍宮城のように立派な家があって、その女の人は、門番をしておったそうだから、
「おい、あんたの主人に会わせてくれ」と言うたら、
「そうですか。そんなら待ってください。主人に聞いてみますから」と聞いてみたら、主人が、
「通しなさい」と。
「ああ通していいそうですから」と入らせたそうだ。入って見たら、その主人が血まみれになっておって、 「角二つ取られたから、もう自分は命がない」と言ったそうだ、それは神さまであるからして、知っておったそうだ。兄弟三名に、
「あんた方には負けた」と。
「ヤーマス御願を怠ったために、集めた人間はどうなってるか」と。
「いやあ全部こっちにいる」と。
「そんなら。それを返しなさい。わたしらが連れ帰って、来間の島を再建するから」と言うたら、
「ああもう、おそらくそれを連れて行っても役には立たない。全部目の中に鉛を入れてあるから駄目だ」と言うて、「自分が負けた詫(わ)びとして、門番をしている女の人を連れ帰りなさい。あれだけは完全な入間だから」
というふうで、その女の人をこっちに連れて帰ったそうだ。
その女の人を来間に連れ帰って、長男の奥さんにして、その間から生まれた女の子どもを次男が奥さんに、次に長男から生まれた、あとの女の子を三男が奥さんにしたそうだ。ーーこっちのヤーマスのときは、三軒、スムリャープナカ、ウプヤープナカ、ウーマスシャプナカとあって、今日まで御願をするとぎには、その家でやっているわけだよーー。そのようにして、来間の島の千人原が無人になっているときに、再建したのは、この兄弟三名だと。そういうことで、兄弟三名が源(もと)になって、今の来間島は作ってあるという意味だ。そのときから、兄弟三名は、盛んにヤーマス御願をしたそうだ。来間のヤーマス御願のいわれはそれだな。(『沖縄の昔話』)
②沖縄先島・沖縄県宮古郡下地町来間島~昔、来間島にバーント(鬼)がいて、島民が一人ずつ食い殺されていった。与那覇村の強力の三人兄弟が、この鬼を退治しようとして、島に渡って探していると、一軒の小屋で老婆が泣き悲しんでいるのを見た。訳を聞くと、今晩あたり自分が食い殺されるだろうというので、三人はこれを慰めて、近くの物陰に隠れて鬼の来るのを待った。真夜中ごろ、果して鬼がやってきたので、三人が力を合わせて、これを投げ伏せ、大木に縛り付けた。翌朝見ると、大木は根こそぎ倒れて、鬼の姿は見えず、昨夜の格闘で傷ついたとみえ、血痕が地上に残っていた。三人は、その血痕をたよりに尋ねて行くと、島の東海岸の洞窟内で呻き声が聞こえたので、踏み込んで鬼を退治することができたが、全身真黒で口が耳の下まで裂けていた。これから島内には鬼の危害はなくなり、住民が繁昌したので、祈願祭としてヤーマスプナカを始めるようになった。(『宮古島庶民史』)
③同右~宮古島川満のキサマ按司の娘が、ひとりでに孕み、三年後に三つの大きな卵を生んだ。その三つの卵から三人の男の子が生まれたが、この子どもたちは、たいへんな大飯食らいであった。キサマ按司は、三人の子どもを養い切れないので、それを与那覇のミル豊見親に預けた。そのミル豊見親も養い切れず、三人兄弟を来間島に赴かせた。兄弟が来間島に渡ってみると、その島は一年に一度のたいせつな御願をやめたために、神さまが怒って島人を皆さらってしまい、スムリャーという家に、老婆がただ一人、鍋を被って隠れていた。兄弟は、老婆に悪神の現われる場所を聞き、悪神をナガビシで待つと、悪神は赤牛となって現われた。兄弟が力を合わせて悪神をやっつけ、その牛神の跡を追って海の底を訪ねると、門のところで糸を巻いている娘がいた。その娘の案内で牛神と会うと、牛神は血だらけで、御願を復活してくれるならば、来間島の暮らしを邪魔しないという。兄弟は御願の復活を約束し、さらわれた島人は、すべて目に鉛をつめられて駄目になっていて、その門番の娘だけを連れて帰った。島に戻ると、門番の娘はスムリャーの老婆の家の娘であることが分り、これと長男が結婚して子どもをもうけ、その子どもと次男、三男が結婚して家をおこし、それぞれスムリャーブナカ・ウプヤーブナカ・ウーマスシャブナカとなった。またそれ以来、三人兄弟は、ヤーマス御願(豊年祭)をさかんにおこない、これが今に及んだという。(「沖縄民話の会会報」三号)
④沖縄先島・沖縄県宮古郡下地町与那覇~昔、来間島にファントゥという大男がいて、来間島の人々を全部食ってしまったので、与那覇の部落から力持ちの男が二人、これを退治するために来間島に渡った。ある一軒で泣き声が聞こえるので探してみると、お婆さんが一人台所に薪をかぶって隠れていた。聞くと、今夜はわたしがファントゥに食われる番だというので、二人が待っていると、夜中になると大男のファントゥが現われた。二人は、ファントゥに突進して押さえつけ、屋敷のそばの大木に縛り付けた。翌朝になって再びそこへ行って見ると、大木は引き抜かれてファントゥは見えず、血の跡が点々と続いていた。その血の跡をたどって行くと島の東岸の洞窟に続いており、なかに入ってみると、大男のファントゥが血だらけでのたうち回っていた。そこで二人は、再びファントゥをつかまえ舟に乗せて沖に流した。それで、こんな人食いが島に現われないようにと、シマフサラと言って、動物の骨をシメ縄につるして、さげるようになった。(『ゆがたい』第四集)
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