ヤーマス御願由来 ~琉球沖縄の伝説

横浜のトシ

2010年11月28日 20:20


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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第47話。


ヤーマス御願(うがん)の由来



 むかし(むかし)の話です。
 下地(しもじ)川満(かわみつ)という村があります。
 その川満に、津浜按司(つはまあじ)という人がおりました。津浜按司夫婦二人の(あいだ)には、十年、二十年が()ってもなかなか子どもが出来(でき)ませんでした。そして(のち)に、やっと(つま)妊娠(にんしん)したものの、それから三年の月日が経っても子どもは()まれません。
 不思議(ふしぎ)に思っていると、三年後に大きな(たまご)三個()()んだそうです。
 この時代(じだい)按司(あじ)といえば相当(そうとう)高い(くらい)であり、この津浜按司(つはまあじ)はこのことを世間(せけん)に知られることを(はずか)しいと思って、(たまご)を畑のフサギラ(※この辺りの言葉で、草をたくさん集めて積んで置いたものをフサギラと言い、昔はよくあった)の下に()めると、毎朝(まいあさ)毎晩(まいばん)そこに行って様子(ようす)を見ていました。
 そのまま日々が流れていきましたが何も()こりはしないと思い始めた三ヵ月後、朝早(あさはや)く行ってみたところ、卵から大きな男の子たちが生まれていたのでした。
 「ああ、これは(なん)ということか。なんと(めずら)しいことがあるものだ。」というなり、その三人の()ども達を(いえ)()(かえ)って(そだ)て始めました。
 さて、長男(ちょうなん)が七つ、次男が五つ、三男が三つぐらいになると、子ども達は御飯(ごはん)三升(さんしょう)ずつ食べるようになっていました(※当時の、白米(はくまい)ではなく(あわ)(めし))。そのために津浜按司は、三人の子どもを食べさせて養育(よういく)するのが非常に困難な状態に(おちい)り、どうしたものかと考えておりました。
 按司(あじ)には、与那覇(よなは)嫁入(よめい)りした(いもうと)がいて、子どもがいない(うえ)大変(たいへん)富豪(ふごう)と結婚していました。そこで按司は妹に相談(そうだん)しました。
 「お前は裕福(ゆうふく)()らしていると聞いているが、子どもがいない。私の子どもを(もら)って(そだ)て、自分の子どもにしたらどうだろうか。」と。
 それを聞いた妹がとても(よろこ)んだのはいうまでもありません。
 「ああ。本当にそうして(もら)えるなら、どんなにありがたいかわかりません。」と、(いもうと)(よろこ)んで引き()けたのでした。
 そんなわけで、与那覇(よなは)(いもうと)が、それから三人の兄弟(きょうだい)(すべ)てを(やしな)い始めましたが、長男が十歳になる(ころ)には、以前にも増してますます食べる量が激増(げきぞう)し、流石(さすが)富豪(ふごう)(いえ)でさえも、この兄弟を食べさせていくことは不可能(ふかのう)になってきました。
 丁度(ちょうど)、そんな時のことです。
 来間島(くりまじま/くれまじま)千人原(せんにんばる)()ばれていて、千人の人間が()んでました。
 ところが、ヤーマスという御願(うがん)()()めたところ、天罰(てんばつ)で、(てん)から怪物(かいぶつ)()()て来間島の人々(ひとびと)(すべ)てが(さら)われてしまい、今は無人島(むじんとう)になっているようだと、そんな話が伝わって来たのでした。
 そこで与那覇(よなは)の母が子ども達に向かって()うことには、
 「今、来間島(くりまじま/くれまじま)が無人島になっているそうです。
 お前たち兄弟三人は、あの島に行って()らしを立てるのがよろしい。沢山(たくさん)の土地があって、(あわ)を作るにしても、(いも)を作るにしても、自分達で力を合わせて農作物(のうさくもつ)を懸命に作って、収穫したら、後は贅沢(ぜいたく)に好きなだけ()べるといいです。」と。
 兄弟三人は、母からその話を聞いて賛成(さんせい)し、周囲に沢山(たくさん)あったマイヤマという大きな木を(たお)すと、それで舟をこしらえ、三人で来間島(くりまじま/くれまじま)に渡ったそうです。
 さて、来間島(くりまじま/くれまじま)に渡って見ると、人は(たし)かに全滅(ぜんめつ)したかのようでした。ところがよく調(しら)べてみると、井戸から上がる(ところ)のスムリャーという家に、年寄の老婆(ろうば)が一人だけ()(のこ)っていたのでした。
 兄弟三人がこの家の中に入って行きました。そして、(こわ)がって(なべ)(かぶ)って(かく)れていた老婆(ろうば)に向かって聞きました。
 「何故(なぜ)、あなたはそんなことをしているのか。」と。
 すると老婆(ろうば)は、話し始めたのでした。
 このところ、神がやって来ては人を(さら)っていく。今日は、(つい)に自分の番が回ってきたのだと思って、隠れていたところ、あなた(たち)だった。そもそも(むかし)から、一年に一回、行ってきた大切な御願(うがん)を取り止めたところ、天罰(てんばつ)で、島の人間が次々に(さら)われるようになり、今では島に自分ひとりしか残っていない、そう老婆(ろうば)は話したのでした。
 それを聞くと、兄弟三人は(たず)ねました。
 「その、天から来て人を(さら)怪物(かいぶつ)というのは、いつやって来るのか、決まっているのか。それと、現れる場所は、いつも決まっているのか。」と。
 すると老婆(ろうば)は言いました。
 「パチャの広場に降りて来て、決まった時間に人を(さら)っていくと聞いている。」と。
 パチャとは、(むか)(みち)で、それは段々(だんだん)になっている道のことでした。
 その場所を聞くと兄弟は、さっそくそこに行き、(かく)れていました。
 やがて老婆(ろうば)から聞いた時間になると、本当に天から真直(まっす)ぐ何かが()(おろ)ろされたのでした。そしてそれはまったく怪物(かいぶつ)であり、まるで巨大な(うし)のようなものでした。
 兄弟三人はみな、とにかく力にだけは自信(じしん)があり、()ず三男が怪物に向かっていきました。しかしながら三男(さんなん)では、どうしても力で相手に(かな)わないとみると、続いて次男が向かっていきました。そして、それでも(かな)わないとみてとると、最後(さいご)に長男が怪物に向かっていきました。そして長男(ちょうなん)は怪物の牛の(つの)を二つとも、力任せに引き()いてしまったのでした。
 流石(さすが)(つの)を引き()かれた牛は大きな(うな)り声を上げるなり、宮古に(つう)じるナガピシという浅瀬(あさせ)干瀬(ぴし)に向かって、()きながら走り()って行ったのでした。
 ナガピシとは、潮が引くと陸のように本島まで続いて出る陸地でした。
 兄弟たちは、潮が引いてからナガピシに行ってみたのでした。
 ナガピシには、舟がやっと通れるような海峡(かいきょう)になっている場所があり、三男がそこから(うみ)(そこ)(のぞ)いて見ると、大きな家が()えます。そしてその家の門で、一人の女性が(いと)()けているのが()えました。それを見た三男は、長男と次男を呼び、海の(そこ)に入って行きました。
 海の底はまるで陸のようで、龍宮城(りゅうぐうじょう)のような立派(りっぱ)な家があり、女の人が門番(もんばん)をしているようでした。そこで、どうかご主人様(しゅじんさま)にお()いする事が出来ないものだろうかと、()()ぎを(たの)んでみたところ、(なか)に通されたのでした。
 ところが通された先で、主人(しゅじん)()まみれになっていたのでした。もちろん(つの)を二つとも取られ、もう自分には(いのち)がいくらもないと、その神は兄弟たちに()かって言いました。
 兄弟は、ヤーマス御願を(おこた)ったために(さら)われて行った人々が、今はどうなっているかを(たず)ねました。
 すると(かみ)は、全員ここにいると言います。
 兄弟たちは、自分達が()れ帰って来間島(くりまじま/くれまじま)をきちんと再建するので、返してくれるようにと頼みました。すると(かみ)が言うことには、連れて帰っても最早(もはや)役に立たないと言います。というのも全員の目の中に(なまり)を入れてしまったと()うのです。
 ただ門番をしている女だけは大丈夫(だいじょうぶ)だから、()れて帰ればよいと(かみ)は言いました。
 こうして兄弟三人は、その女性を()れて島に(もど)りました。
 その女性はやがて長男の妻となり、生まれた女の子たちが、やがて次男と三男の妻となったそうです。
 またそれからというもの、ヤーマスの御願(うがん)ですが、兄弟それぞれが住む三軒の、スムリャープナカ、ウプヤープナカ、ウーマスシャプナカ、それぞれの家で行われるようになったそうです。
 こうして、来間島(くりまじま/くれまじま)千人原(せんにんばる)は、一度は無人(むじん)になってしまったものの、そこから島を再建(さいけん)したのが、この兄弟(きょうだい)三人でした。そしてこの兄弟三名を(みなもと)として、今の来間島の人々がいるのだと(つた)わってきました。
 なお兄弟三人は、何よりもヤーマス御願(うがん)を大切にして、御願(うがん)は常に盛大(せいだい)()り行ったそうです。
 それが、来間(くりま/くれま)のヤーマス御願(うがん)由来(ゆらい)とされているそうな。


 
※この話の参考とした話
沖縄先島・沖縄県宮古郡下地町来間島~『沖縄の昔話』
沖縄先島・沖縄県宮古郡下地町来間島~『宮古島庶民史』
同右~「沖縄民話の会会報」三号
沖縄先島・沖縄県宮古郡下地町与那覇~『ゆがたい』第四集


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●伝承地
沖縄先島・沖縄県宮古郡下地町来間島~この下地(しもじ)に、川満(がわみつ)という部落があるな。その川満という部落に、津浜按司(つはまあじ)という人がおったそうだ。夫婦二人で、十ヵ年、二十ヵ年たっても、子どもができなかったそうだ。
 それが、後に、奥さんが妊娠したそうだが、三ヵ年なるけれども、子どもが生まれない。不思議だと思っていたら、三ヵ年後に、人間でなくして、大きな卵を三個生んだそうだ。そのときは、按司といえば、相当の位の人だったから、この津浜按司は世間に恥しく思って、これを畑のフサギラーーこの辺の言葉で、草をたくさん集めて積んでおいたものをフサギラと言って、昔はよくあったがーーその下に卵三個を埋めて、毎朝毎晩行って、様子を見ておったそうだ。しかし、三ヵ月になるけれども、そのままであって、三ヵ月後に、朝早く行ってみたら、その卵から大ぎな男の子が三名できておったそうだ。
 「ああ、これは珍しい」と言って、その三名の子どもを家に連れて帰って来て、育てていたそうだ。
 そうすると、長男は七つ、次男は五つ、三男は三つぐらいに大きくなった頃から、御飯を三升ずつも食べるようになっておったそうだーー当時は、こっちでは白米はできなかったから、粟の飯だっただろうーーだから、津浜の按司も、その三名の子どもに食わせて養育するのが非常に困難になって、どうしたらいいかと考えておったそうだ。その按司の兄妹(きょうだい)が与那覇(よなは)に嫁入りして行っておったそうだが、その兄妹には子どもがなく、たいへんな富豪だったそうだから、その妹に、
 「お前は、そんなに裕福に暮らしているが、子どもがないから、わしの子どもを貰って育てて、お前の子どもにしたらどうか」と聞いたら、喜んで、
 「ああそうしてもらったら、ありがたい」と引ぎ受けたそうだ。それで、与那覇の妹が、三名の兄弟全部を養っていたそうだが、もう十(とお)にも余る頃になれば、ますます食べ物の量は増えたらしいな。さすがに富豪な家でも、食わすのに堪えきれなくなっておったそうだ。そのとき、ちょうど来間の島が、千人原と言って、千人の人間が住まっておったそうだが、このヤーマスという御願(うがん)をとりやめたために、天罰で、天から怪物が出て来て、来間の人を全部攫(さら)って、無人島になっておったそうだ。だから、その与那覇のお母さんが、
 「今、来間が無人島になっているから、お前たち兄弟三名は、向こうの島に行って、暮らしを立てたらいいだろう。たくさんの土地があるし、粟を作っても、芋を作っても贅沢(ぜいたく)に食べられるから、向こうに行ったほうがいいよ」と相談したら、
 「自分らもそれがいい」と賛成してなあ、向二うには、マイヤマと言って、大きな木がたくさんあったそうで、その大きな木を倒してそれで舟を作って、三名、来間の島に渡って来たそうだ。
 渡って来て見たら、人家は全滅して、井戸から上がる所に、スムリャーという家だけに、年寄りのお婆さんがおったそうで、兄弟三人、その家に入ったそうだ。したら、お婆さんは、三名の兄弟を怖がって、鍋を被って隠れておったそうだ。家の中を全部調べて、鍋を返して見たら、お婆さんが現われたそうだ。
 「なぜ、あんたは、そんなことをしているか」と言ったら、
 「いやもう。こっちは、神さまが来て、人を全部攫って行ってるから、今日はわたしの番だと思って、あんたらがわたしを攫いに来たと隠れた」と。
 「そんなら、いちいち訳を話してくれ」と言って、お婆さんからいちいち聞いたら、
 「まあ、こうこういうふうに、一年に一回やる、大切な御願をとりやめたために、天罰で、こういうふうに全部の人が攫われて、自分ひとりしか残っていない」と話したそうだ。したら、
「その天から来て人を攫う怪物は、何月何日の何時ごろ来ると決まっているかあ」と。「その場所はどこか」
と聞くと、
 「パチャの広場に降りて来て、攫って行ってる」とーーパチャと言って、昔の道が段々であるんですよーー。
それを聞いて、兄弟三名、その日のその時間に行って、隠れておったそうだ。ほんとうに、その時間には、天から真直ぐ、なにかが吊されて来て、その怪物はなにかと言えば、大きな牛だったそうだ。そこで、兄弟は、普通の人ではない、力に自信があるから、いちばん先は、三男に、
 「お前から行って掛かれ」と言って掛からせたそうだ。したら、三男は、どうしてもかないそうでない。次には次男を出したら次男も、
 「どうしてもかなわん」と。
 「これは最後に、わしが出なけりゃあいかん」と、長男が出て行って、その牛の角をば二つまで、引ぎ抜いたそうだ。引ぎ抜いたら、牛は、大きな唸り声をあげて、ナガピシという所ーー宮古に通じた干瀬(ぴし)があるよ、浅瀬がーーそこから泣いて行ったそうだ。
その後ーーこっちは、ナガピシは、潮が引いたら陸のように本島まで続いて出るんだよーー兄弟三名、潮が引いてから、ナガピシに行ったそうだ。したら、そのナガピシの間には、舟の通れるような海峡があって、そこから弟の三男が海の底をのぞいて見たら、大きな家があって、その家の門で女の人が、糸を掛けていたそうだ。それを見て三男は、長男と次男を呼んで、
 「見てみなさい。珍しいものが海の底に見えている」と。
 「行って全部見てみよう」と、三名、海の底に入って行って見たら、海の底は陸みたようにして、龍宮城のように立派な家があって、その女の人は、門番をしておったそうだから、
 「おい、あんたの主人に会わせてくれ」と言うたら、
 「そうですか。そんなら待ってください。主人に聞いてみますから」と聞いてみたら、主人が、
 「通しなさい」と。
 「ああ通していいそうですから」と入らせたそうだ。入って見たら、その主人が血まみれになっておって、 「角二つ取られたから、もう自分は命がない」と言ったそうだ、それは神さまであるからして、知っておったそうだ。兄弟三名に、
 「あんた方には負けた」と。
 「ヤーマス御願を怠ったために、集めた人間はどうなってるか」と。
 「いやあ全部こっちにいる」と。
 「そんなら。それを返しなさい。わたしらが連れ帰って、来間の島を再建するから」と言うたら、
 「ああもう、おそらくそれを連れて行っても役には立たない。全部目の中に鉛を入れてあるから駄目だ」と言うて、「自分が負けた詫(わ)びとして、門番をしている女の人を連れ帰りなさい。あれだけは完全な入間だから」
というふうで、その女の人をこっちに連れて帰ったそうだ。
 その女の人を来間に連れ帰って、長男の奥さんにして、その間から生まれた女の子どもを次男が奥さんに、次に長男から生まれた、あとの女の子を三男が奥さんにしたそうだ。ーーこっちのヤーマスのときは、三軒、スムリャープナカ、ウプヤープナカ、ウーマスシャプナカとあって、今日まで御願をするとぎには、その家でやっているわけだよーー。そのようにして、来間の島の千人原が無人になっているときに、再建したのは、この兄弟三名だと。そういうことで、兄弟三名が源(もと)になって、今の来間島は作ってあるという意味だ。そのときから、兄弟三名は、盛んにヤーマス御願をしたそうだ。来間のヤーマス御願のいわれはそれだな。(『沖縄の昔話』)
沖縄先島・沖縄県宮古郡下地町来間島~昔、来間島にバーント(鬼)がいて、島民が一人ずつ食い殺されていった。与那覇村の強力の三人兄弟が、この鬼を退治しようとして、島に渡って探していると、一軒の小屋で老婆が泣き悲しんでいるのを見た。訳を聞くと、今晩あたり自分が食い殺されるだろうというので、三人はこれを慰めて、近くの物陰に隠れて鬼の来るのを待った。真夜中ごろ、果して鬼がやってきたので、三人が力を合わせて、これを投げ伏せ、大木に縛り付けた。翌朝見ると、大木は根こそぎ倒れて、鬼の姿は見えず、昨夜の格闘で傷ついたとみえ、血痕が地上に残っていた。三人は、その血痕をたよりに尋ねて行くと、島の東海岸の洞窟内で呻き声が聞こえたので、踏み込んで鬼を退治することができたが、全身真黒で口が耳の下まで裂けていた。これから島内には鬼の危害はなくなり、住民が繁昌したので、祈願祭としてヤーマスプナカを始めるようになった。(『宮古島庶民史』)
同右~宮古島川満のキサマ按司の娘が、ひとりでに孕み、三年後に三つの大きな卵を生んだ。その三つの卵から三人の男の子が生まれたが、この子どもたちは、たいへんな大飯食らいであった。キサマ按司は、三人の子どもを養い切れないので、それを与那覇のミル豊見親に預けた。そのミル豊見親も養い切れず、三人兄弟を来間島に赴かせた。兄弟が来間島に渡ってみると、その島は一年に一度のたいせつな御願をやめたために、神さまが怒って島人を皆さらってしまい、スムリャーという家に、老婆がただ一人、鍋を被って隠れていた。兄弟は、老婆に悪神の現われる場所を聞き、悪神をナガビシで待つと、悪神は赤牛となって現われた。兄弟が力を合わせて悪神をやっつけ、その牛神の跡を追って海の底を訪ねると、門のところで糸を巻いている娘がいた。その娘の案内で牛神と会うと、牛神は血だらけで、御願を復活してくれるならば、来間島の暮らしを邪魔しないという。兄弟は御願の復活を約束し、さらわれた島人は、すべて目に鉛をつめられて駄目になっていて、その門番の娘だけを連れて帰った。島に戻ると、門番の娘はスムリャーの老婆の家の娘であることが分り、これと長男が結婚して子どもをもうけ、その子どもと次男、三男が結婚して家をおこし、それぞれスムリャーブナカ・ウプヤーブナカ・ウーマスシャブナカとなった。またそれ以来、三人兄弟は、ヤーマス御願(豊年祭)をさかんにおこない、これが今に及んだという。(「沖縄民話の会会報」三号)
沖縄先島・沖縄県宮古郡下地町与那覇~昔、来間島にファントゥという大男がいて、来間島の人々を全部食ってしまったので、与那覇の部落から力持ちの男が二人、これを退治するために来間島に渡った。ある一軒で泣き声が聞こえるので探してみると、お婆さんが一人台所に薪をかぶって隠れていた。聞くと、今夜はわたしがファントゥに食われる番だというので、二人が待っていると、夜中になると大男のファントゥが現われた。二人は、ファントゥに突進して押さえつけ、屋敷のそばの大木に縛り付けた。翌朝になって再びそこへ行って見ると、大木は引き抜かれてファントゥは見えず、血の跡が点々と続いていた。その血の跡をたどって行くと島の東岸の洞窟に続いており、なかに入ってみると、大男のファントゥが血だらけでのたうち回っていた。そこで二人は、再びファントゥをつかまえ舟に乗せて沖に流した。それで、こんな人食いが島に現われないようにと、シマフサラと言って、動物の骨をシメ縄につるして、さげるようになった。(『ゆがたい』第四集)

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