牛岡 ~琉球沖縄の伝説

横浜のトシ

2011年06月06日 20:20


みんなで楽しもう!
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第154話。


牛岡(うしむる)



 むかし(むかし)大和(やまと)(くに)から()(さむれー)新志花重成(あらしはなかさなり)は、竹富島(たけとみじま)(みなみ)(はし)、ブサシという場所(ばしょ)に、(しろ)(きづ)いて()んでいました。
 ただこの(あた)りの地形(ちけい)(あま)()くなかった(うえ)に、(なに)より()(みず)確保(かくほ)(こま)場所(ばしょ)のため、将来(しょうらい)、ここでは(むら)発展(はってん)(のぞ)めないと決心(けっしん)し、(しろ)()りまく(むら)ごと()()すことに()め、仲筋(なかすじ)(あたら)しく(むら)()てたのでした。
 ()()して()もなく、重成(かさなり)見張台(みはりだい)(きづ)きたいと(かんが)えて、()場所(ばしょ)はないかとみんなで(さが)(まわ)りました。ところがなかなか()場所(ばしょ)()つかりません。
 ところで、部下(ぶか)(なか)(うし)()っている(もの)がおりました。
 その(うし)が、ある(ばん)のこと、屋敷(やしき)から()()すと、人々(ひとびと)寝静(ねしず)まった真夜中(まよなか)から()(がた)にかけて、(つの)()()()て、(つち)(いし)()()げ、(たか)(おか)(つく)ったのでした。そしてその(おか)(うえ)(うし)(のぼ)ると、ンブフル、ンブフルと、一際(ひときわ)、大(おお)きな(こえ)で、()いたのでした。
 その(こえ)()いてやって()重成(かさなり)は、一目見(ひとめみ)て、自分(じぶん)のためにしてくれたと(さっ)して(うし)感謝(かんしゃ)しました。そして、その(おか)(うえ)堅固(けんご)見張台(みはりだい)(きづ)いて、ここを、ンブフルと名付(なづ)けたそうな。

 
※この話の参考とした話
柳田~「牛石」
沖縄先島・沖縄県八重山郡竹富町竹富島~『蟷螂の斧』


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●伝承地
柳田~「牛石」
沖縄先島・沖縄県八重山郡竹富町竹富島~昔、大和の国から来た武士新志花重成殿は竹富の南端ブサシというところに城を築いて住んでいたが、付近は地形が悪く、そのうえ飲料水にも困り、将来部落としての発展は望めないと思い、村中を引越し、仲筋に部落を立てられた。
 重成殿は自分の見張台を築きたいと思い、良い場所を求めるため苦心していた。その頃、部下に牛を飼っていた男がいた。その牛がある晩屋敷より飛び出し、人の寝静まった夜中に、角で土や石を振り上げ夜明け頃までに高い岡を作り、その岡の上にのぼって牛がンブフル、ンブフルと大声を上げて泣きました。その声を聞いた重成殿は大変喜んでその牛に感謝し、牛の振り上げた岡を土台として堅固な岡を築いて岡の名前をンブフルと名付けたそうです。(『蟷螂の斧』)

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