パルマッツーの由来 ~琉球沖縄の伝説
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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第47話。
パルマッツーの由来
昔のお話です。
ある時代、多良間島では、一人前の歳になるとみんな、粟と精米した米の俵を税として上納しなければなりませんでした。
その俵とは、三斗入りを一俵として数えて、それぞれ三俵ずつ納めていました。
その時代、粟と米が豊かに実った年には、人々は年貢を無事に納め終えてはじめて、一安心したものでした。それから残った物を、それから一年間の家族の食料にしたり、他の物と交換しながらやりくりし、暮らしていました。
反対に、粟や米が豊かに実らなかった年の場合、それからの一年間の暮らしがどれほど大変だったかは、今更言うまでもありません。
さて、ある年の、多良間島に粟と米を収穫する時期がやってきた時のことです。
驚いたことに、収穫する筈だった粟も米も、島から全てなくなっていたのでした。当然、島中、大騒ぎになりました。
ところが誰の仕業か一向にわからず、また何者がやって来て苅り取るのか理由もわかりません。それでいて、それからも盗みはずっと続き、同じことが、それから何年も続いたのでした。
ある者は考えました。
「いくらみんなで相談し、また、みんなで順番に見張りを立てたところで、少しも状況は良くなっていない。こんな事がこれ以上続けば、やがて家族がみんな飢え死にしてしまう。兎に角、こうなったら、他人任せにしてばかりではいられない。みんなには黙って、一晩中、畑で見張って犯人を突き止めてやろう。」と、そう決心した者がおりました。
さて、その夜になりました。
月の明かりで畑に映し出されたものですが、それは山羊のようでもあり、しかしよく見てみると、何とも言いようのない初めて見る動物達でした。それらは何処からともなく集まって来て、粟をあっという間に全て苅り取ると、急いで担ぐなり逃げ出したのでした。
隠れて一部始終を見ていた男は、飛び出していくなり、その中の一匹を捕らえて言うことには、
「こいつめ。まったく何という事を今までしてくれたんだ。みんなが、毎日毎日、大変な苦労をして育ててきた粟や米を、真夜中にこっそりやって来て盗むなんて、ぜったいに許せん。」と。
すると、その動物が言うことには、
「私達も、本当ならこんな難儀な事など、したくはないのです。あくまで命令に従っているに過ぎません。」と。
そこで男は、誰の命令なのかと詰問しました。
すると動物が話すことには、
「神々です。
この島の人間達は、自分達が働いて粟や米を育て、それが自分たちの力だけで出来るものだと考えるようになって、今では誰一人、神々に感謝しなくなってしまいました。
それで龍宮の神や、山の神はじめ、神々が相談して、このままにしておく事は出来ないという事になったのです。
自分達の知恵のなさと愚かな行いに気付かせるために、私達は、龍宮の神の僕として、このような事をさせられているのです。
そもそもあなた達人間が、神に感謝の気持を捧げていれば、私たちは、こんな大変な事などしなくて済むのです。」と。
「なるほど、話はわかったが、ところで一体、神への御礼を捧げるには、どのような事をすれば良いというのか。」と。
するとその動物が、少し驚きながら言うことには、
「天の恵みによって収穫した初物というものは、そもそも神にお供えしなければならない。」と。
男が、実際にはどのような御礼をすれば良いのかと詳しく聞くと、動物が答えていうことには、
「三斗を一俵として、その三俵を、畑の真ん中の石盛りの上に、御神酒と一緒にみんなでお供えして、感謝しなさい。
すると龍宮の神、山の神達がそれを受け取って、毎年、雨を降らせてくれます。そして、穀物が豊作に恵まれるのです。もちろんそれをすれば、君たちどころか私たちもこんな事をしないで済みます。」と。
すると男が考え込んで言うことには、
「しかし私たちにとって、みんなで三俵といっても三斗の俵が三つとなれば、九斗にもなる。それだけ余分に畑から粟や米を収穫することなど出来はしない。
いったい私達は、どうすればいいというのだろう。むしろいっそのこと、何も作らない方がましかもしれない。」と。
それを聞いて、その動物が言うことには、
「何と馬鹿なことを言うのだ。神に捧げる場合は、蝸牛の殻一つを一斗と数えて、その三つ分を一俵とし、その三俵を神にお供えするのが慣わしだ。お神酒も同じだけ供えれば、それが龍宮の神、山の神はじめとする神々に対する感謝の意になる。それをしさえすれば、君たちは安心して、毎年、粟や米が豊作になる。」と、そう教えてくれました。
こうして、多良間島ではその後、蝸牛の殻で計って粟や米をはじめとする品々で、神にお供えするようになって、多良間島で人々が暮らし始めた最初の頃のようにまた、穀物の豊作が続くようになりました。
そしてこの話は、多良間のパルマッツーの始まりとして長く子孫に伝えられ、今日に至っていますが、時代が変わって生活も変化したためでしょうか、また近頃では神へのお供えや感謝の祭事や祈りが減って、あまりしなくなってきたそうな。
※この話の参考とした話
①○沖縄先島・沖縄県宮古郡多良間村~『多良間村の民話』
②沖縄本島・沖縄県島尻郡粟国村~「沖縄民俗」十五号
③沖縄先島・沖縄県宮古郡多良間村仲筋~『多良間村の民話』
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●伝承地
①○沖縄先島・沖縄県宮古郡多良間村~昔は、多良間では、まず一人前になったら、粟の上納を一人につき、精米したものの俵を、三斗入りを一俵として、それを三俵ずつ納めていたらしいので、これが豊かに実って上納も納めたりしていたが、それが済めば安心して、残りは家族も食べようと思っていたけれども、ある年から収穫しようとしたら、全部なくなっていてね、何者が来て苅り取ったのか、盗まれてばかりいて、それから同じことが幾年か続いた後、
「このようなざまではどうしようもない。このままでは他人と同じようなことはできない」と夜中に畑へ行って見張っていると、そこに見えたのは、山羊のようでもあり、何とも言いようのない初めて見る動物が集まって来て、粟を全部苅り取って担いで逃げて行くので、
「こら、こんちきしょう」とその中の一匹を捕えて
「なんということだ、人間が毎日苦労して育てあげたものを、しかも真夜中に来やがるとは」と言うと、その動物が言うことには、
「私たちも、本当はこんな難儀なことはしたくないよ。だけど、君たちは自分だけの働き、自分の力だけで、粟を作っていると思っているに違いない。そのことを、竜宮の神、山の神、みんなで相談して、このままではいけないので、知恵を与えなければなら.ないと、それを気付かせるために竜宮の神様の使いで来たのだ。そこで、君たちが感謝の気持を捧げてくれると私たちもこんな難儀なことをしなくてすむよ」
「御礼とはどのようなものだ」とその動物に聞くと、
「君たちは、物のお初をお供えしたことはないが、そんなことではいけない」と言うので、
「では、御礼とはどんなことをすれば良いのか」と聞くと、
「一俵を三斗とし、その三俵を畑の真中の石盛りの上に、御神酒と、俵を三俵お供えしなさい。こうお供えすると、竜宮の神、山の神も受け取って、毎年、毎年、君たちは豊作に恵まれるのだよ。このことを気付かせるため私たちが来たんだよ。君たちさえそうすれば、私たちもこんな難儀はしないですむよ」とその動物が言うので、
「しかし、私たちには、こんなたくさんの、三斗の三俵といえば九斗だし、これだけの物はこの畑からは、とれないし、どうすればいいのだ。それよりは、作らん方がいいのでは」と言うと、その動物が教えるには、 「何と馬鹿な。かたつむりの殻の一つを一斗として、その三つを一俵として、三俵をお供えし、お神酒も君が飲むぐらい供えれば、それが竜宮の神、山の神への感謝になるので、そうさえすれば、君たちは安心して毎年、毎年、粟を豊作していけるのだよ」と教えたので、それから後は、かたつむりの殻で計った一つを一斗として、一俵に三つ入れて、お供えするようになってからは、また最初のころのように、豊作にすることができたそうですよ。
これが多良間のパルマッツーの始まりだと伝えられ、今日に至っているが、もう最近ではそのようなこともしなくなっているよ。(『多良間村の民話』)
②沖縄本島・沖縄県島尻郡粟国村~昔、粟国島には、毎年六月ごろになると、人の目や鼻を取ったり、流産させたりする恐ろしい神さまがいた。困りきった住民の訴えで、今帰仁城から平敷大主という役人が派遣される。平敷大主は、王の命に従って、粟・米で酒やご馳走を作ってヤガンガマの前に持って行き、鐘・鼓を鳴らして神を誘い出すと、神はヤガンガマを出て、ガジヌク御岳、チヂ、イビガナシへ行き、グスクマ大屋のあたりで見えなくなった。その後は、神が暴れることがなくなったので、六月の折目には、ヤガン御岳で、そのときの様子を再現する祭をおこなうこととなった。(「沖縄民俗」十五号)
③沖縄先島・沖縄県宮古郡多良間村仲筋~ウプカッジャフ家の先祖が、大道のウプジュクという荒地を開いて、毎年、粟の稔りを得ていたが、ある年、毎晩のように沢山の粟が盗まれた。畑に行って夜通し番をしていると、一匹の小山羊が出て来てつかまえると、小山羊は竜宮の使だと言い、初穂祭をやらないから竜宮の神さまがたいへん怒っておられるので、畑の四隅に、供物を用意し、コシダカサザエの殻に、七杯のお神酒、カタツムリの殻に三杯のお神酒を供えて祭をやれと言う。その小山羊の教え通りパルマッツーをやったところ、それからは毎年、豊かな粟に恵まれるようになった。(『多良間村の民話』)
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