百合若大臣 ~琉球沖縄の伝説

横浜のtoshi

2010年12月21日 20:20


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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第70話。


百合若大臣(ゆりわかでーず/ゆりわかだいじん)



 昔々(むかしむかし)七日(なぬか)一日(いちにち)ぐらいに(かんが)えている、そして大変(たいへん)寝坊(ねぼう)(ひと)がおりました。
 その人の()百合若大臣(ゆりわかでーず/ゆりわかだいじん)といい、(うつく)しい(つま)がおりました。
 百合若大臣の家来達(けらいたち)(なか)に、主人(しゅじん)(つま)(なん)とかして自分(じぶん)(つま)出来(でき)ないものかと(かんが)える(よこしま)人物(じんぶつ)がいて、いつもその(こと)ばかりを(かんが)えていました。また決まってそういう人間には同類(どうるい)の仲間がいました。百合若(ゆりわか)はいつも()てばかりいたので、(よこしま)部下(ぶか)は何人かの仲間を上手(じょうず)(たぶら)かし、百合若(ゆりわか)熟睡(じゅくすい)するのを見計(みはか)らって、(まえ)もって用意(ようい)してあった(いかだ)百合若(ゆりわか)()せ、六尺(ろくしゃく)(かたな)だけを(かれ)(からだ)(うえ)()せて(なが)してしまいました。
 百合若(ゆりわか)は、寝付(ねつ)いて以後(いご)(こと)(まった)()らないまま、()()ました(とき)には(はな)小島(こじま)漂着(ひょうちゃく)していました。
 百合若(ゆりわか)は、()()えず、()きていくために仕方(しかた)なく、六尺(ろくしゃく)(かたな)五寸(ごすん)になる(まで)(おも)(かい)(あさ)って生活(せいかつ)しました。また、シャコ(がい)(から)(みず)()めて()み、(なん)とかやっと()(なが)らえたのでした。
 そんなある()のこと、(いわ)(おお)きな(とり)()まっています。
 (そば)近寄(ちかよ)ってよく()てみると、(むかし)から可愛(かわい)がって()ってきた自分(じぶん)(とり)ではありませんか。大変(たいへん)(おどろ)きながら、(とり)(あし)(むす)()けられていた手紙(てがみ)を、早速(さっそく)()みました。その手紙(てがみ)は、(つま)百合若(ゆりわか)(とど)くようにと、鳥に(たく)したものなのでした。
 百合若(ゆりわか)は、(ふみ)()みながら、(すべ)ての事情(じじょう)()ると(とも)に、自分に対する(つま)()わらぬ(あい)(ふか)さを()って、さめざめと(なみだ)(なが)したのでした。
 それから自分(じぶん)指先(ゆびさき)(かたな)傷付(きずつ)けると、()返事(へんじ)をしたため、(そら)(とり)(はな)ったのでした。
 (ふみ)(たずさ)えた(とり)(かえ)って()たため、百合若(ゆりわか)(つま)(おっと)無事(ぶじ)()きているのを()り、()いて(よろこ)びました。
 それからというもの、(つま)はこの(とり)になるべく(かる)食物()(もの)(えら)んで(くく)りつけ、百合若(ゆりわか)(もと)へと(はこ)ばせたのでした。
 そんなある()のこと、百合若(ゆりわか)は、今日(きょう)(とり)()んで来ないのかと心待(こころま)ちにしていると、(はる)彼方(かなた)地平線(ちへいせん)に、(とり)らしき(かげ)()ました。
 それを最初(さいしょ)(よろこ)びましたが、それも(つか)()のこと、(にわか)周囲(しゅうい)天候(てんこう)()(ぐも)って()模様(もよう)になりました。同時(どうじ)(うみ)時化(しけ)て、(すさ)まじい暴風雨(ぼうふうう)悪天候(あくてんこう)()わったのでした。
 (とり)無事(ぶじ)(ねん)じながら、()(くる)(かぜ)(あめ)(なか)百合若(ゆりわか)()ちに()ちましたが、(つい)(とり)(もど)って()ることはありませんでした。
 翌日(よくじつ)になって、(あらし)()()った浜辺(はまべ)(ある)き回っていると、()たして、(とり)()んで(なが)()いているのを見付(みつ)けたのでした。百合若(ゆりわか)(とり)()()り、自分(じぶん)のために(いのち)()とした(とり)(なげ)(かな)しんだのでした。
 百合若(ゆりわか)は、()んだ(とり)をそっと()(かか)えると、(しま)で一番景色(けしき)がいい(おか)(のぼ)ると亡骸(なきがら)をそこに()め、そこに簡素(かんそ)碑文(ひぶん)()てて、丁重(ていちょう)(ほうむ)ったのでした。
 現在(げんざい)でも、この(しま)では(ねん)一度(いちど)、この主人(しゅじん)(おも)いの(とり)冥福(めいふく)(いの)(まつ)りが(おこな)われているそうです。
 さて、それからというもの、百合若(ゆりわか)()(すべ)もなく、毎日(まいにち)(うみ)()ながら故郷(こきょう)(かえ)る方法を、あれこれ考えながら生活していました。
 そんなある日のこと、やっと百合若(ゆりわか)好機(こうき)(おとず)れました。
 大きな(ふね)が、(めずら)しく(しま)(ちか)くの(おき)(とお)()ぎようとしていたのです。
 百合若(ゆりわか)は、その船影(せんえい)見付(みつけ)けるなり、(いわ)(うえ)によじ(のぼ)り、()()り、また(こえ)(かぎ)(たす)けを(もと)めたのでした。
 まったく(さいわ)いなことに、(ふね)(ほう)でも百合若(ゆりわか)気付(きづ)き、進路(しんろ)()えて(しま)近寄(ちかよ)って()ました。
 ()ちきれない百合若(ゆりわか)(うみ)()()んで(ふね)まで(およ)()くと、()せてくれるように(たの)みました。
 ところが、(ふね)(うえ)から、こんな(こえ)()こえて()ました。
 「(なん)だ、あれは。
 人間(にんげん)か。化物(ばけもの)など(ふね)には()せられない。」と。
 百合若(ゆりわか)(さけ)んで言うことには、
 「私は人間(にんげん)です。この(しま)(なが)()いて、(なが)(あいだ)(なん)とか(いま)まで()(なが)らえて、こんな見窄(みすぼ)らしい姿(すがた)になりました。
 どうか御願(おねが)いです。(なん)でも手伝(てつだ)いますから、(ふね)()せて(くだ)さい。」と。
 そう()いながら、懸命(けんめい)(たの)()んだのでした。
 こうして乗船(じょうせん)無事(ぶじ)許可(きょか)された百合若(ゆりわか)は、偶然(ぐうぜん)その(ふね)()(さき)であった自分(じぶん)故郷(こきょう)である(しま)(かえ)()く事が出来たのでした。
 上陸(じょうりく)するなり百合若(ゆりわか)は、かつて自分(じぶん)()んでいた屋敷(やしき)()かいました。
 屋敷(やしき)()(ぐち)には門番(もんばん)()っていました。
 どうしても(なか)(はい)らねばならない(わけ)があるからと、()()ぎを(たの)むものの、百合若(ゆりわか)容姿容貌(ようしようぼう)(あま)りに(ひど)かったため、最初(さいしょ)(まっ)()()って(もら)えません。
 しかしながら、(あま)りに懸命(けんめい)(たの)百合若(ゆりわか)に、とうとう門番達(もんばんたち)根負(こんま)けし、(おそ)らく許可(きょか)はされまいと(おも)うが、取り()ぎを(ねが)(もの)がいるとだけ主人(しゅじん)(つた)えてやると()いました。
 その(かわ)わり、もしも(ことわ)られたら、この場から立ち去るようにとも言われました。
 門番(もんばん)は、主人(しゅじん)(おそ)る恐る報告(ほうこく)しました。屋敷(やしき)(なか)(はい)りたいという、(かわ)わった風体(ふうてい)(もの)(もん)()て、主人(しゅじん)()したいと申しておりますと。
 それを聞くと、私も是非(ぜひ)、その(もの)()てみたいと主人(しゅじん)()いました。
 やがて(なか)(とお)された百合若(ゆりわか)は、主人の前に進み出て、話し(はじ)めることには、
 「()くところに()りますと、(むかし)、この(いえ)には百合若大臣(ゆりわかでーず/ゆりわかだいじん)()うお(かた)がいらっしゃって、その方が()()ける(よろい)(かたな)相当(そうとう)(もの)で、何でも、どんな力持(ちからも)ちでさえも、それを身につける事が出来(でき)ないと代物(しろもの)だと()いて、是非(ぜひ)ともそれを見せて(いただ)きたいと、やって来ました。もしも出来(でき)れば、私にそれを(ため)させて欲しいと、遙々(はるばる)遠くからやって来たのだと言いました。
 主人はそれを聞くと、早速(さっそく)、家来に命じてそれ()(しな)(はこ)んで()させたのでした。
 ところがどれもこれも大変に重く、七、八人がかりでやっとのこと、それは(はこ)ばれて()ました。
 それを見た百合若(ゆりわか)は、こんな物を身に()けるとは、(なん)(おそ)ろしい人物(じんぶつ)かと言いながら、どれどれ私が(ため)して見ようと言いながら、鎧甲(よろいかぶと)()()けたのでした。
 すると百合若(ゆりわか)眼光(がんこう)(する)(ひか)り、大声(おおごえ)()(はな)つことには、
 「お前達(まえたち)は、よもや私のことを(わす)れたのか。」と。
 そう言って、持っていた(かたな)一振(ひとふ)りしたところ、(よろい)(かたな)(さび)四方(しほう)()()りました。
 続いて百合若(ゆりわか)をかつて(おとしい)れた者達が、あっという()に、目鼻(めはな)()()とされて全員(ぜんいん)成敗(せいばい)されました。
 言うまでもなく、こうして(いと)しい(つま)再会(さいかい)した百合若(ゆりわか)は、(ふたた)(しあわ)せな生活(せいかつ)(もど)りました。
 それから(しばら)くの(のち)百合若(ゆりわか)(つま)相談(そうだん)して、(おん)がある(しま)に十四、五人の頑強(がんきょうな)大和(やまと)の人間を送って水納島(みんなじま)(うつ)()ませたそうな。

 
 
※この話の参考とした話
沖縄先島・沖縄県宮古郡多良間村水納島~『多良間村の民話』


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●伝承地
沖縄先島・沖縄県宮古郡多良間村水納島~七日の日々を一夜と一日ぐらいに考えた、たいへん寝坊な人がいたそうです。それが百合若大臣で、美しい妻がいたそうです。それで百合若大臣の家来たちは、この主人の美しい妻を、自分の妻にすることができないものかと、いつも考えていたそうです。百合若が寝坊な人なので、その部下が彼の寝たすきを見はからって、イカダを造り、もの(ママ)きで出来た六尺の刀を彼の体の上に乗せて、流してしまったそうです。百合若大臣は、寝ついて全く知らなかったので、目を醒ました時は離れ島に流されてしまって、しかたがないので六尺の刀が五寸になるまで、貝をあさって生活したそうです。水は浜に上がったシャコ貝の殻で、水を溜めて飲んだりして暮していたらしいよ。
 ある時、岩に大きな鳥が来て止まっていて、石を投げても飛び立つ様子がないので、だんだんと側へ近寄って見ると、昔、飼っていた鳥だったので大変驚いた。足には紙が結んであるので解いて見ると、妻が百合若大臣を捜すための手紙だったそうです。百合若大臣は、それを読みながら泣き、自分の指を刀で切って血を出し、その返事を書いて送ったので、それから百合若大臣の妻は、夫が無事で生きていることを知って、泣いて喜んでこの鳥に、たびたび軽い食物を運ばせて貢いでいたそうです。しかしある日、百合若大臣は、今日もまた、鳥は来ないかなーと待っていると、やっぱりやって来るのが遠くから見えて来たので、喜んでいると、急に天気が時化て雨と風の悪天候に変わってしまったので、百合若大臣は心配して無事を念願しながら待ちに待ったけれど、待てずに翌日、浜を散歩していると、鳥が死んで流れて来たので、百合若大臣は、その場で嘆き悲しみ、持って行って埋め、碑文を立てて葬ってやったので、現在でもこの村では、年に一回のお参りをして祭っているわけです。
 それから百合若大臣は、どのようにすれば故郷へ帰る時があるだろうかと、毎日見張りをしながら生活していたようで、ある時、船が沖を通っているのを見つけ、岩の上に登って声を限りに招いたりして騒いでいると、幸い船の方でも気づいて近寄って来たようです。それで彼の方も泳いで行って乗せてくれるようにたのむのだが、「こいつは化物だから乗せられない」と言うので、「私は人間です。どうかお願いだから乗せて下さい」と頼みこんで、ようやく乗せてもらい、その船で自分の島へ帰り、自分の住んでいた屋敷を見たいもんだと行くと、そこには門番が構え、自由に中へ入ることができないので、入れてくれるよう、しつこく頼むので、門番たちにはどうしようもないので、主人に伝えると、「入りたい者を、まずは入れて見よ」と入れたそうです。すると百合若大臣は、これを幸いと入って、主人に会って話をして、昔このあたりに百合若大臣と言う人がいらっしゃって、その人が着ていたという鎧とか、煙草盆とか刀とか、ものすごい物があると聞いて、それを見せてもらいに来たと伝えると、百合若大臣を陥れた人が主人になっていたので、百合若大臣とは知らず、早速家来たちに命じて、それ等の物を運ばせたが、七、八人でもやっとのことで運んで来て見せたところ、「なんとまあ、恐ろしい人物であったろうか」と口を開いていたが、やがて眼光するどく、「君たちは、私のことを忘れたのか」と鎧かぶとなどを着け、刀を持って見震いすると、鎧や刀の錆がぱっと飛び散り、彼を企んだ者たちの目や鼻をつぶし、全員をやっつけてしまって、それから愛しい妻と一緒になり、忘れぬことのできなかった妻と、良い相談をして恩のある島のために、十四、五人の強い大和の人を、この水納島へ移り住ませたという話だよ。(『多良間村の民話』)

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