穴石 ~琉球沖縄の伝説

横浜のトシ

2011年03月09日 20:20


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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第121話。


穴石(あぼいし)



 石垣島(いしがきじま)野底(のぞこ/ぬずく/ぬじゅく)(そん)より、於茂登岳(おもとだけ)横断(おうだん)して、桃里(ももさと/むむさとぅ)(そん)(つう)じる山道(さんどう/越地)はウラソコ越地(クイチィ)()ばれ、渓流(けいりゅう)紆余曲折(うよきょくせつ)して(なな)()りとなつているため、(ぞく)にナナッカーラと()われています。
 ある(とき)桃里(ももさと/むむさとぅ)(そん)乙女(おとめ)が、野底(のぞこ/ぬずく/ぬじゅく)(そん)二歳(※にさい(人名))恋仲(こいなか)になり、毎夜(まいよ)、ナナッカーラで(ひそ)かに睦事(むつごと)()わしておりました。(あめ)(かぜ)さえも、二人(ふたり)情火(じょうか)(さまた)げる(こと)出来(でき)ませんでした。
 やがて乙女(おとめ)許嫁(いいなずけ)との婚礼(こんれい)()(ちか)づいてきました。
 相思相愛(そうしそうあい)のビラマ(※二歳の異名)との(わか)れの()もまたやって()て、草木(くさき)さえも悲哀(ひあい)(ただよ)わせる(なか)、ビラマと乙女(おとめ)は、一晩中(ひとばんじゅう)(たが)いの行末(ゆくすえ)(かた)りました。()めどない(なみだ)(あめ)(すべ)てをすっかりと湿(しめ)らせ、愛情(あいじょう)()もった(たが)いの言葉(ことば)()()りに()わせる(よう)に、()にした(いし)腰掛石(こしかけいし)(たた)くその音色(ねいろ)()もすがら(※暮れ方から夜明けまでずっと)山彦(やまびこ)となって、(ふか)渓谷(けいこく)(かな)しげに(ひび)(わた)りました。
 やがて()こえてきた、夜明(よあ)けを()らせる(とり)(こえ)(おどろ)いた二人(ふたり)は、各々(おのおの)家路(いえじ)(いそ)ぎました。
 (たた)いた(いし)(めん)に、その(こい)(しるし)として(いま)(のこ)った(あと)が、(あな)(ふた)つ。
 地元(じもと)人々(ひとびと)(あいだ)で、それはアボイシと()ばれ、(おとこ)穿(うが)った(あな)より、乙女(おとめ)穿(うが)った(あな)(ほう)(ふか)いのは、その(じょう)(ふか)(ゆえ)()われているそうな。

 
※この話の参考とした話
柳田~「腰掛石」「穴石」
沖縄県石垣市~「旅と伝説」第四巻一号


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●伝承地
柳田~「腰掛石」「穴石」
沖縄県石垣市~野底村より、おもと山脈を横断して、桃里村へ通ずる山道を「ウラソコ越地」と呼ぶ、渓流、紆余曲折して七ツ折りとなつてゐる、俗に、ナナッカーラと称す。桃里村の乙女が、野底村の「二歳」と恋仲となり、毎夜、ナナッカーラで、睦事を交はした、雨も風も二人の情火を妨げなかった。乙女は、許嫁と、婚姻の日が近づいた、想思の「ビラマ」(二歳の異名)と別るゝの悲哀あり、一夜「ビラマ」と行末を語り、涙の雨、湿る情語の連鎖の句点に、手にせる石で、腰掛石を搗く音色、山彦に響き夜もすがら、暁鳥の声に驚きて各々家路を急げり、たゞ石面に、恋の意地を痕せる穴ニツ。郷人、アボイシと呼ぶ、男の穿てるものより、乙女の穿てる方情や深しと云ふ。(「旅と伝説」第四巻一号)

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