沖縄ほんとうをほんとうに旅して

横浜のトシ

2012年05月05日 20:20

はいさい、今日(ちゅう)(うが)なびら。
訪問(ほうもん)、ありがとうございます。

iPodを忘れてしまい、PCはあるので、
以前のような、久しぶりに旅の報告を。

昨日は、知念岬&安座真サンサン・ビーチに、
夜が明けきらぬ早朝、日の出を見に出発!
宿に戻って、徒歩散策開始。

まず、奥武山にある筈の、2中健児の塔が、
以前、探し回ったのになかったので調べ直したところ、
那​覇高校の前の、山にあるという事で、まず探索。

ちなみに、昔、つまり旧制(きゅうせい)(=昔の教育制度)で、県立、
「1中」とは、首里高校。
「2中」とは、那覇高校。
「3中」とは、名護高校。

なお、沖縄を旅していると、
沖縄戦での、学徒隊の碑に、よく出会いますね。

僕も昔、随分、勉強して沖縄戦の書籍も買いましたが、
あの頃は、学徒隊全体がまとまった資料が、
手に入っていなかったせいで、
碑があっても、よくわかっていませんでした。

※沖縄戦の、全21学徒隊を整理したページはコチラ。
http://masterpiece.ti-da.net/e3539382.html


場所ですが、那覇高校の門の、
道路の向かい側にある細い道を入ると、
城岳(じょうがく)公園」へ上がれる階段がありました。

この公園内には、ほかに拝所(うがんじゅ)もあります。

沖縄戦では、
日本軍は「35高地」と呼び、
米軍は「通信塔(テレグラムヒル)」と呼んだ場所です。
意外にも、解説がまったくありませんでした。
それで、いいのか?
いや まてよ? 全部、戦場だからそれでいいのかも。

それから「王の殿(とぅん)」「王川」を見てから、
「ガーナー(むい)」へ。
場所は、昔から知っ​ていて、
以前は、学校の裏から回って、眺めた事があります。
ハブが出そうで、登るのは、断念しました。
数日前、天久台病院の裏の緑地に上がっていく小道で、
小さいながら、上からハブが落ちてきたばかりなので。
能登の海の裏、ファミマの駐車所から、
裏の道を通って(金網に沿っていけば)、
空き地に、解説の碑がたっています。

ご存じの方も、いらっしゃる通り、
奥武山(おおのやま)公園も、ここも、かつては海の中の、小島。

琉球時代から、奥武山の島からの、この島の眺めは、
なかなかだったと伝わっています。

次に、その場所をスタートに、
頂上が、森口公園の​山と、その周辺を、
徹底的に歩いて調べました。お陰で足が棒です。

特に後​半は、持って行った資料地図にない、
もの凄い発見ばかりで、興奮。
す~み~サンに教えてもらった地図はコチラ。
http://takara.ne.jp/oroku/o-utaki.html

かなり、絵とは地形が変わっているので要注意。
でも逆に、昔はこんな風景だったと想像しながら、
散歩して、楽しかったです。
みなさまも、いかがでしょうか。

ところで、
ずいぶん昔のことですが、ある本に、
場所が載っていない巨大​な門中墓群の写真があり、
どこだろうと思って調べたものの、わからず。
こんな場所にあったんだと、驚きました。
色々と読んでおくって、大事だなあと思いました。

しかも森口公園内にある、門中の小さな碑の意味が、
この巨大​な門中墓群を見て、納得できました。

ちなみに、亀甲墓(かめこうばか・きっこうばか)ですが、
これは中国から、台湾やアジアに広がりました。
女性から人(=子孫)は生まれ()づる意(=先祖崇拝に繋がる)や、
玄武(げんぶ)」を、意味するとされています。

中国の伝説の「五獣」は、
青龍(せいりゅう)朱雀(すざく)黄麟(きりん・麒麟)白虎(びゃっこ)と、玄武(げんぶ)ですが、
黄麟を外すと、四方(しほう/東西南北)を守る神「四神」になるわけで、
亀に蛇がからまっているような玄武(げんぶ)は北の守り神。

森口公園の頂上は、小禄御嶽です。
ふつうの御嶽かと、勘違いしていました。

御嶽を入って、進んでいくと、
まず、山の頂上なのに、小さい自然の池が。
そして、所狭しとある拝所(うがんじゅ)の数々。

下調べの段階や、上の地図にも全く載っていません。
やはり、実際に歩かなくては、駄目ですねぇ。
知っているのと、わかっているのは大違いだなぁ。

とにかく、地図にない御嶽、古民家、畳石の道路はじめ、
小禄の、​一地域の半分を調べるだけで、精一杯でした。

さすがに、ねをあげました。疲れた~。奥が深すぎる。

小禄殿内(おろくどぅんち)にも、
何かの思し召しか、迷ったと思ったら、辿り着きました。

とにかく、足がつるほど歩きましたよ~。
足が棒。痛い。歩きすぎたぁ~!

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