沖縄ほんとうをほんとうに旅して
はいさい、今日拝なびら。
ご訪問、ありがとうございます。
iPodを忘れてしまい、PCはあるので、
以前のような、久しぶりに旅の報告を。
昨日は、知念岬&安座真サンサン・ビーチに、
夜が明けきらぬ早朝、日の出を見に出発!
宿に戻って、徒歩散策開始。
まず、奥武山にある筈の、2中健児の塔が、
以前、探し回ったのになかったので調べ直したところ、
那覇高校の前の、山にあるという事で、まず探索。
ちなみに、昔、つまり旧制(=昔の教育制度)で、県立、
「1中」とは、首里高校。
「2中」とは、那覇高校。
「3中」とは、名護高校。
なお、沖縄を旅していると、
沖縄戦での、学徒隊の碑に、よく出会いますね。
僕も昔、随分、勉強して沖縄戦の書籍も買いましたが、
あの頃は、学徒隊全体がまとまった資料が、
手に入っていなかったせいで、
碑があっても、よくわかっていませんでした。
※沖縄戦の、全21学徒隊を整理したページはコチラ。
http://masterpiece.ti-da.net/e3539382.html
場所ですが、那覇高校の門の、
道路の向かい側にある細い道を入ると、
「城岳公園」へ上がれる階段がありました。
この公園内には、ほかに拝所もあります。
沖縄戦では、
日本軍は「35高地」と呼び、
米軍は「通信塔」と呼んだ場所です。
意外にも、解説がまったくありませんでした。
それで、いいのか?
いや まてよ? 全部、戦場だからそれでいいのかも。
それから「王の殿」「王川」を見てから、
「ガーナー森」へ。
場所は、昔から知っていて、
以前は、学校の裏から回って、眺めた事があります。
ハブが出そうで、登るのは、断念しました。
数日前、天久台病院の裏の緑地に上がっていく小道で、
小さいながら、上からハブが落ちてきたばかりなので。
能登の海の裏、ファミマの駐車所から、
裏の道を通って(金網に沿っていけば)、
空き地に、解説の碑がたっています。
ご存じの方も、いらっしゃる通り、
奥武山公園も、ここも、かつては海の中の、小島。
琉球時代から、奥武山の島からの、この島の眺めは、
なかなかだったと伝わっています。
次に、その場所をスタートに、
頂上が、森口公園の山と、その周辺を、
徹底的に歩いて調べました。お陰で足が棒です。
特に後半は、持って行った資料地図にない、
もの凄い発見ばかりで、興奮。
す~み~サンに教えてもらった地図はコチラ。
http://takara.ne.jp/oroku/o-utaki.html
かなり、絵とは地形が変わっているので要注意。
でも逆に、昔はこんな風景だったと想像しながら、
散歩して、楽しかったです。
みなさまも、いかがでしょうか。
ところで、
ずいぶん昔のことですが、ある本に、
場所が載っていない巨大な門中墓群の写真があり、
どこだろうと思って調べたものの、わからず。
こんな場所にあったんだと、驚きました。
色々と読んでおくって、大事だなあと思いました。
しかも森口公園内にある、門中の小さな碑の意味が、
この巨大な門中墓群を見て、納得できました。
ちなみに、亀甲墓ですが、
これは中国から、台湾やアジアに広がりました。
女性から人(=子孫)は生まれ出づる意(=先祖崇拝に繋がる)や、
「玄武」を、意味するとされています。
中国の伝説の「五獣」は、
青龍、朱雀、黄麟、白虎と、玄武ですが、
黄麟を外すと、四方を守る神「四神」になるわけで、
亀に蛇がからまっているような玄武は北の守り神。
森口公園の頂上は、小禄御嶽です。
ふつうの御嶽かと、勘違いしていました。
御嶽を入って、進んでいくと、
まず、山の頂上なのに、小さい自然の池が。
そして、所狭しとある拝所の数々。
下調べの段階や、上の地図にも全く載っていません。
やはり、実際に歩かなくては、駄目ですねぇ。
知っているのと、わかっているのは大違いだなぁ。
とにかく、地図にない御嶽、古民家、畳石の道路はじめ、
小禄の、一地域の半分を調べるだけで、精一杯でした。
さすがに、ねをあげました。疲れた~。奥が深すぎる。
小禄殿内にも、
何かの思し召しか、迷ったと思ったら、辿り着きました。
とにかく、足がつるほど歩きましたよ~。
足が棒。痛い。歩きすぎたぁ~!
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