~琉球沖縄に伝わる民話~

『球陽外巻・遺老説伝』より、第48話。

稲穂祭(いなほまつり)

 むかしむかし、阿摩美久(あまみく)が初めて稲の種をまいた。その田を「田内川」(たうちかわ)と名づけました。
 それは、知念村にありまして、近世まで根人(にいんちゅ)が、この田のことを、川内(かあうち)と呼んでいましたものを、今になって、誤って幸地(こうち)といっています。
 今でも稲穂祭のときは、根人が、その田へ行き、稲穂をとってきて、知念城内城に、うやうやしくお供えします。
 そのお米は、きれいに洗い、水にひたしておきますが、そのうちの半分は、根人と家内の人にあたえて、半分は御飯を炊(た)いて神前にお供えをして、お祈りをささげて、お祭りをします。


※注
【阿摩美久】(あまみく)琉球王朝の時代、琉球の歴史を記した本を作り始める(これは大和朝廷はじめ、世界においてもよく見られる一般的なこと)。『中山世鑑(ちゅうざんせいかん)』や『中山世譜(ちゅうざんせいふ)』、『球陽(きゅうよう)』など。それらの本には、琉球の初期の歴史や王朝の始まりなどが記される。琉球の島の始まりだが、阿摩美久(あまみきよ)という神が島々をつくったとされる。阿摩美久は、島に1組の男女を住まわせ、その2人の間に、3男2女が生まれる。長男は王、次男は按司(あじ)、三男が百姓、長女が大君(琉球王国の神女)、次女が祝女(ノロ/地方の神女)の始まりになった。その王は、天孫(てんそん)と名乗り、人々に農耕や建築を教えた。そして、舜天(しゅんてん)王統(流刑(るけい)により沖縄にたどり着いた源為朝(たなもとのためとも)の子であるというのは、あくまで伝説)、英祖(えいそ)王統(初代の英祖王は、母親が太陽の夢を見て身ごもった子であるという伝説、太陽の子、ティダヌファー伝説)、琉球王統へと続く。
【稲】(いね)
【種】(たね)
【知念村】(チネン・そん)「知念」の以前の発音では「チニン」など。
【根人】(にいんちゅ、にーんちゅ、にっちゅ、にーっちゅ、ねひと)琉球王国時代、世の中を支配する男性を、神に仕える女性が、男と社会を霊的に守護するという考え方ができあがった。政治を男が行い、その男を守護する女が神事(しんじ)を司(つかさど)り、神託(しんたく)をえて霊的に指導するという、琉球神道、祭政一致(さいせいいっち)体制の基盤(きばん)が完成した。この原則は、王府から集落まで一貫(いっかん)される。集落の、もっとも古い宗家(そうか、そうけ)の長(おさ)が「根人」と呼ばれ、その妹は集落の祭事を司る「根神(にーがん、ねがみ)」となる。さらに領地を統治する按司(あじ)の妹は、その領地の祭事の司祭である「ノロ、ヌル」となる。そして、ノロを統括(とうかつ)する最高神女が、聞得大君(ちふぃじん、きこえのおおきみ、きこえおおぎみ)。この最高位には、王の妹や王亡(な)き後の王妃(おうひ)がなることが多かった。
【誤って】(あやまって)間違って。
【稲穂】(いなほ)いなぼ、とも。
【知念城】(チネンぐすく、ちねんじょう)
【内城】(ないじょう)城の本丸(ほんまる)。また、城の内郭(うちぐるわ/城の内部にさらに築かれた郭。またそれに囲まれた区域。沖縄の城は、祭殿(さいでん)や御嶽(おたけ/うたき))がいくつか拝されている。
【お供え】(おそなえ)
【家内】(やうち)おそらく、「かない」ではなく「やうち」と読む、家族、親類、一族の意と思われる。
【御飯】(ごはん)


Posted by 横浜のtoshi





コメント以外の目的が急増し、承認後、受け付ける設定に変更致しました。今しばらくお待ち下さい。

※TI-DAのURLを記入していただくと、ブログのプロフィール画像が出ます。もしよろしければ、ご利用下さい。(詳細はこの下線部クリックして「コメ★プロ!」をご覧下さい。)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。
琉球民話『球陽外巻・遺老説伝』のご紹介(旧版)」 新着20件  → 目次(サイトマップ)       設置方法