てぃーだブログ › 琉球沖縄を学びながら、いろいろ考えていきたいな~

「(糸満)真壁」でミニ民俗学講演

2023年10月06日

Posted by 横浜のトシ(爲井) at 10:36 Comments( 0 ) その他
明後日の日曜の夕方、
糸満の真壁の地元の方々のための、
民俗学の講座の講演を依頼されたので、
ただいま準備中。







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「神人(かみんちゅ)」とは?パート2

2023年05月07日

Posted by 横浜のトシ(爲井) at 15:02 Comments( 0 ) 伝説・歴史・雑学・言い伝え等

琉球沖縄の「神女(しんにょ)」体制2
神人(かみんちゅ)祝女(ぬる/のろ)変遷(へんせん)



 ご訪問、ありがとうございます。
 以前に、琉球沖縄の「神女(しんにょ)」について、概略(がいりゃく)として「琉球沖縄の神女(しんにょ)体制、神人(かみんちゅ)とは?」を書きました。

 今回は特に神人の中の「祝女(ぬる/のろ)」に焦点を当てて、その「変遷(へんせん)」の歴史を改めて追ってみることにします。

 琉球沖縄における、宮古・八重山の(つかさ)を含む神人(かみんちゅ)祝女(ぬる/のろ)が、集落の御嶽(うたき)拝所(うがんじゅ)などを中心とした集落の公的(こうてき)祭祀(さいし)()り行う女性の神官(しんかん)であることを、前回は説明させて頂きました。かつて琉球王府(おうふ)が国を治めていた時代、一番上の最高神女である聞得大君(ちふぃじん)を筆頭に一番下の祝女(ぬる/のろ)までが、神人(かみんちゅ)として国家を支える職として確立され、機能していました。もちろん、琉球神道にのっとって琉球の神々に仕え、国を治める太陽の子である琉球王に仕え、神事をもって国を守るのが仕事でした。そのような、琉球国家に仕え、琉球の神々に仕える人々が、神人(かみんちゅ)と呼ばれました。

 祝女(ぬる/のろ)(つかさ)は、今でいう国家公務員であり、世襲制で役職や役割りを引き継いで地域を治める大名並みの扱いの女性たちであって、民間の霊媒師(れいばいし)(うらな)()預言者(よげんしゃ)と呼ばれる(たぐ)いの人とはまったく異なります。従って、その都度(つど)きちんと辞令書が発行される由緒ある公儀(こうぎ)の役職である、それが祝女(ぬる/のろ)(つかさ)でした。

 その起源ですが、そもそも琉球沖縄の神女(しんにょ)の発生は琉球國誕生より前であり、またある時に作られてそっくりそのまま続いたものでもなく、時代により神人(かみんちゅ)たちの役割りは変化したのであり、今回はそのあたりの歴史も少し追ってみようと思います。

 琉球沖縄の研究者が指摘(してき)してきたように、琉球沖縄では古来、兄弟から姉妹を()して「()なり」、姉妹から兄弟を指して「()けり」と呼ぶようになります。と同時に「をなりは、ゑけりを守護(しゅご)する現人神(あらひとがみ)である」という考え方が琉球沖縄の社会に広く浸透(しんとう)していきます。つまり、「をなり」は「ゑけり」を霊的(れいてき)に守護し保護するという役割りが地域社会に定着していきます。それは後に「をなり神信仰(しんこう)」と呼ばれました。「をなり神信仰(しんこう)」は神人(かみんちゅ)である祝女(ぬる/のろ)(つかさ)の発生と深く連関(れんかん)するものと説明されるのが普通です。

 「まきょ」と呼ばれた琉球沖縄の古い時代には、「根屋(にーやー)」と呼ばれる集落の創始者の家があり、その家の「ゑけり」は「根人(にっちゅ/ねひと)」と呼ばれて、村を守る御嶽(うたき)とそこに(まつ)られる神を守護(しゅご)する役目を(にな)って政治的に集落を支配しました。そして根人(にっちゅ/ねひと)根神(にーがん/ねがみ)である「をなり」は、「ゑけり」を守ると同時に(かく)家の「をなり神」である女性たちを統率(とうそつ)して、集落の祭祀(さいし)()り行うことにより宗教的に集落を支配していくようになります。

 やがて「根人(にっちゅ/ねひと)」の中から、複数の集落を支配する有力な人物が出てきて「按司(あんじ/あじ)」と呼ばれるようになります。この按司(あんじ/あじ)になった「ゑけり」の根神(にーがん/ねがみ)である「をなり」が祝女(ぬる/のろ)と呼ばれるようになり、これが祝女の発生と言われています。

 繰り返しますが、古くから「をなり」は「ゑけり」を守る存在でした。ただそれは正確に言い直すと、「をなり」と「ゑけり」は互いに守り合う平等の関係にありました。

 ところが、根屋の根人の「ゑけり」の中から強大な力を持つ按司(あんじ/あじ)が出現するのに合わせるように、その「ゑけり」が「祝女(ぬる/のろ)」と呼ばれるようになってきたあたりから、かつて平等だった「をなり」と「ゑけり」の関係は、「ゑけり」先行の形に変化していきます。

 やがて琉球沖縄では、覇権(はけん)を競いながら勝ち残った有力な按司(あんじ/あじ)が各地を治めていくことになります。やがてその按司の中から、「按司の中の按司」と呼ばれる「()(ぬし)」が誕生します。そして長い時を経た15世紀、「琉球國」という統一国家が琉球沖縄に生まれたのでした。

 統一国家となった琉球國は、多くの男性を国家の構成員として再編成し組織化しました。と同時に、女性を組織化するにあたって、神女組織をもって再編成して国家を支える強い柱の一つに変えました。そのため琉球沖縄の神女組織は日本の他の地域とは異なる独特の道を歩み始めることになります。

 この国家を立ち上げるための組織づくりによって、国王の姉妹の「をなり神」が最高神女の「聞得大君(ちふぃじん)」と定められました。聞得大君(ちふぃじん)を頂点とし、その下に「三平等(みふぃら)大阿母志良礼(おおあむあむしられ)」が置かれ、続いて地方の有力神女である、今帰仁(なきじん)阿応理屋恵(あおりやえ)、久米島の君南風(ちんべー)、そして地域地域に大阿母(おおあも)が置かれました。そして大阿母などによって、祝女(ぬる/のろ)と宮古や八重山の(つかさ)が統率されることになりました。しかしながら、実際にその琉球國の女神官の体制がほぼ完成するのは15世紀後半から16世紀にかけてで、琉球國第二尚氏王統、第三代尚眞王(しょうしんおう)の時代です。

 なぜ以前からずっとあった神女組織が尚眞王の時代に確立されたとするかと言うと、その根拠は、尚眞王が王になってからの五十年余りをかけて、琉球王府はより強固な体制と確立したからです。王を頂点とする中央集権体制が整えられました。

 地方の按司を首里に住まわせ、代わりに管理者として按司掟(あじうっち)という役人を配置し、地方の隅々まで支配下に置きました。また、一目で階級が分かる身分制度も確立しました。按司には、身分に応じた六色の鉢巻(はちまき)(かんむり)、髪に挿す(かんざし)「じーふぁー」、(ひも)の色を決めて身に付けさせました。琉球國の中央集権化をほぼ完成させた功績が尚眞王にはあるというわけです。そんな中で神女組織も、国家を支える柱の一つとして再整備され体制が整えられたため、尚眞王によって神女体制が作られた、あるいは完成されたと言う考え方が存在しますが、個人的にはそう考えません。確かにこれ以後は、格式化され、しっかり定着した点だけは認めますが、今まで歴史を追ってきた通り、神女の歴史はもっともっと以前から存在していまますから、そうは考えられないという個人的な私の意見もあながち誤りではないと思います。

 それでも国家的神女組織の再編成で祝女(ぬる/のろ)は、それまで通り自分が支配する地域の神々をたたえ五穀豊穣(ごこくほうじょう)繁栄(はんえい)などを祈る(しゅ)たるそれまでの役目に加えて、国家の安泰と繁栄を祈る役目がより強くなっていきます。祝女(ぬる/のろ)だけでなく、最高神女「聞得大君(ちふぃじん)」を筆頭に琉球國の神人(かみんちゅ)である女性神官達は、国のトップから集落までの祭祀(さいし)を執り行い、ますます国家にとっても地域にとっても神人は、なくてはならないより重要な存在に変わっていきました。

 男性の官僚制度と同様に祝女(ぬる/のろ)には、琉球王府により国家公認として辞令書が発行され、祝女(ぬる/のろ) 殿内( どぅんち)を与えられ、「オエカ()(ノロクモイ地)」という利益を得るための役地(えきち)なども与えられました。

 ところが、何年も()ない一六〇九年に、琉球國は島津の侵攻により支配下となり、同時に奄美は島津藩に編入されてしまいます。従って、尚眞王の中央集権はその後もずっと強力に推し進められたという、尚眞王や王府の表現が少なくないものの、経過と結果からして疑問をもたざるを得ません。それは神女のその後の変遷からも明らかで、祝女(ぬる/のろ)の辞令書の発行が停止され、一六六七年の「軽き官僚への御印判(辞令書)の発給停止」により三司官の「覚」によって任じられるようになってしまうのは、祝女にとって大きな転換点といえます。最高神女の聞得大君から阿応理屋恵や君南風といった高級神女までには引き続き御印判が支給されたものの、祝女(ぬる/のろ)は地方の神職に格下げとなってしまい、つまり地方役人や下級官人と同様の軽い官職レベルにまで下げられてしまった点は、見逃せないところです。それでも平均すると二つ~三つの村に一人は王府公認の祝女(ぬる/のろ)がそれまでに存在していて、「公儀祝女(ぬる/のろ)」と呼ばれました。そしてやがて、「村祝女(ぬる/のろ)」と呼ばれる、その地方の地域や集落でのみ公的性格を持つ祝女(ぬる/のろ)で、琉球王府公認ではなく辞令書も発行されない祝女(ぬる/のろ)も誕生するようになります。

 琉球國の財政困難などにより、琉球國時代には高級神女の統合や廃止という改革が進んでいき、琉球國滅亡に向かう中で琉球沖縄の神女体制は、常にその時代時代と共に変化していったのでした。

 やがて江戸時代が終わると共に琉球國時代が終わる、明治に入った一八七九年に、神人の歴史において大事件が起こります。琉球処分により沖縄の廃藩置県が断行されると、最高神女「聞得大君(ちふぃじん)」を筆頭に、「三平等(みふぃら)大阿母(おおあむ)」はじめ女神官体制はすべて解体され廃止されることになりました。

 ところが祝女(ぬる/のろ)だけは、地方役人の人々と同様に、明治新政府の沖縄統治を円滑に進めるために残されることとなり、辞令も県知事から発行されました。役俸は明治十三年の現収高に応じて石高(こくだか)給与、明治十七年以降は金禄支給となりました。そして一九一〇年になって祝女(ぬる/のろ)職が廃止され、その代わりにそれまでの金禄は公債の発給で処理され、制度上の公的職としての祝女(ぬる/のろ)はこの時点で終止符が打たれるはずでした。しかしながら、役地のノロクモイ地の問題が以前からあちこちで頻発していて、特に一九〇三年の土地整理の際に、ノロクモイ地が祝女(ぬる/のろ)やその一族の私有地になって地域で問題が次々に頻発していったところに、祝女(ぬる/のろ)職廃止が重なったため、祝女(ぬる/のろ)の神性と地域における公的存在は、打ち消されたのにも関わらず存続しました。そして琉球沖縄では現在でもなお、地域の共同体意識が強い地域がたくさん残り、沖縄独特の祭祀が地域文化として息づいているというのが現状です。個人的には、琉球らしく素晴らしい事だと思います。ぜひとも残すべきだと考える一方で、歴史や伝統、特に目的を見失って初心を忘れて迷走する地域の行く末についは、非常に危惧してやみません。


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沖縄奄美の、すべての、もののけ大集合! 2023.2版

2023年02月13日

最新・琉球沖縄の「もののけ」たち
~妖怪幽霊・大集合/総集編~
(2023.2改訂版) 50音順



アーマンチュー
 アマンチュー参照。

アカウニ
 八重山(やえやま)諸島、特に西表島などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

アカカナザー
 アカカナジャー参照。

アカカナジャー
 妖怪。アカカナジャーとは「赤い髪」という意の伊平屋(いへや)(沖縄最の有人島北端。無人島最北端は徳之島沖の硫黄鳥島(いおうとりしま))の方言。伊平屋島でのキジムナーの呼び名といえるが、キジムナー発祥の地は、伊平屋島に隣接する野甫(のほ)島の海岸に隣接する岩のジューマ(小島)の巣と言われ、そこでは家族で住むフィーフィーという名の妖怪であった(※そのため住居はフィーフィーガマと呼ばれる。フィーフィーは伊平屋島でもその名が使われた可能性がある古い呼び名)。伊平屋島ではアカカナジャーを古くはフィーフィーと言ったと伝えられ、どちらもたくさんいたという複数形の話も多い。野甫島のフィーフィーが、伊平屋島のアカカナジャー隣、沖縄本島の奥武山に移動して(※その当時の奥武山は川に浮かぶ島)、 単体(※1匹)になって、そこから琉球全域に広がったのではないだろうかと推測できる。キジムナー参照。

アカカラジャー
 アカカナジャー参照。

アカガンター
 妖怪。赤い髪の毛をお河童(かっぱ)にした、童子(どうじ)のような格好(かっこう)をした妖怪。赤い衣を着ている場合もある。古い家の広間などに現れて、枕返(まくらがえ)しをしたり、寝ている人を押さえつけたりする。姿や習性が似ていることから、精霊(せいれい)のキジムナーの仲間、もしくはキジムナーの別名ともされる。座敷童子(ざしきわらし)と同じ種類の琉球沖縄の妖怪で、家の中での悪戯(いたずら)したり、枕返ししたり、人を金縛(かなしば)りにするのが共通の性質。家運(かうん)に関係する事も少なくない。韓国の済州島(さいしゅうとう)のトチェビ等も似た性質。キジムナー参照。

アカガンターワラバー
 アカガンターのこと。アカガンター参照。

アカガンターワラビ
 アカガンター参照。

アカグヮーマジムン
 アカングヮーマジムン参照。

アカジラー
 キジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

アカジラグヮー
 久米島仲里でのキジムナーのような妖怪。カーカプロー、キジムナー参照。

アカナー
 月の精。月の神。昔話や童謡に出てくる子どもの名。その名には赤い顔という意が。むかし、正直者のアカナーと、ずる(がしこ)い猿がいた。2人の庭に、(モモ)の木があった。桃を(ひと)()めしたい猿は、悪巧(わるだく)みし、負けた方が勝った者に殺される条件で、桃を売る競争をしかけた。(ことわ)れなかったアカナーは、(じゅく)さない実を売らされ、猿は()れた実を売った。夜になった帰り道、アカナーは、夜空に輝く月を見上げて、涙ながらにこう祈った。「お月様、僕は殺されたくありません、助けてください」と。すると、それを可哀想(かわいそう)に思ったお月様が、空から(かご)を下ろし、天の世界へと引き上げてくださった。それ以来、アカナーは、月で暮らすようになったという。琉球沖縄では、月の中の影はずっと、(うさぎ)(もち)をついているのではなく、(おけ)を持ったアカナーの姿だとされてきた。

アカブチャーグヮー
 久米島仲里でのキジムナーのような妖怪。カーカプロー、キジムナー参照。

アカブサー
 妖怪。アカブサーとは、赤い髪の魔物の意。島尻(シマジリ)郡伊平屋村伊是名(イゼナ)(※歴史上の長きに渡り、伊平屋島と伊是名島に区別はなく、周囲を含めて島尻郡伊平屋村であり、伊平屋と呼ばれた)に、2つの話が伝わる。(りょう)上手(じょうず)なアカブサーは、魚の目玉だけを食べ、友だちになると魚がもらえるという。ある人が、(きら)いなタコ()でアカブサーを追い払ったところ、一つの話では自分の子どもたちの目がくり抜かれ、一つの話では家を焼かれてしまう。(※沖縄県立図書館で調べたところ、『日本昔話通観』によると、「沖縄民族8、p28」と、「沖縄民族21、p69」にある。これもキジムナーといえる。本来、地域地域でキジムナーの呼び名が異なり、共通が多い半面、微妙に異なっている部分があったりする、その例。)。特に、伊是名島などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

アカマタ
 神。沖縄各地で行われる豊年祭に登場する神。石垣島宮良(みやら)の豊年祭に登場する2柱(ふたはしら)の神の場合や、発祥とされる西表島(いりおもてじま)古見(こみ)の場合は、クロマタ(ー)が親神で、アカマタ(ー)とシロマタ(ー)が子神である。シロマタ、クロマタも参照。

アカマター
 妖怪。動物の怪。アカマターとは山原(ヤンバル)地方に多い毒をもたない無害の蛇で、ナミヘビ科の斑蛇(まだらへび) の名。八重山諸島から、沖縄本島では谷茶(たんちゃ)国頭(くにがみ)今帰仁(なきじん) 、羽地村田井、名護、中頭郡西原村我謝、那覇泉崎はじめ、琉球沖縄の広い地域でアカマターの話は語り()がれる。民話でのアカマターは、若く(うるわ)しい漁師や美女に()け、女性や青年を、言葉巧(たく)みに(だま)して誘惑し、時には子どもを(たくさん)産ませ、人を殺す場合もある。アカマターが人を誘惑する時、尻尾(しっぽ)で文字を書くということは有名。沖縄本島第2の都市、名護(ナゴ)東江(アガリエ)と城戸との(さかい)にあるアナダ橋の(たもと)に、鬱蒼(うっそう)としたガジュマルの大木があった(※今も橋のすぐ近くに有名な名護の大ガジュマルがあるが、話のそれであるかは、今となっては分からない)。ある人が、そこで挙動不審(きょどうふしん)の若い女性を見つけたが、よく見ると、足もとでアカマターがしきりに尻尾を振って文字を書いている。女は、ここで美男子と待ち合わせをしているのだと言って、にこにこ笑っている。その人は女を家に連れていき、再びひとりでガジュマルの木まで戻って、アカマターが書いた文字を消した。するとその瞬間に、女は正気(しょうき)(もど)ったが、なぜ知らない人の家にいるのかわからなかったという話が伝わっている。羽地村仲尾次には蛇婿に似た話が伝わる。「3月3日(サニジ)浜下(はまう)り」起源説話のアカマターもまた、よく知られている。他に多い話が、アマターが美青年に化け、娘の所に夜な夜な訪れる話。そして美青年の着物に糸を縫い付け、昼間、その糸を辿っていくと洞穴の中まで糸は続き、結果、美青年はアカマター(蛇)だとわかった、という内容の似た話があちこちに伝わる。その後、娘はアカマターの子を産んだり、流産するなど色々。

アカングヮーマジムン
 妖怪。赤ん坊の死んだ幽霊や死霊の妖怪。四つん()いになって人の股間(こかん)(くぐ)ろうとする。これに(また)(くぐ)られると(マブイ)が取られて死んでしまうという。「マジムン」の一種。「アカングヮー」は「赤ん坊」、「マジムン」は「魔物」の意。股を潜られた人が死んでしまう妖怪は、特に奄美大島や徳之島はじめとする南西諸島一帯によく見られ、子豚の妖怪がその代表といえる。女性の貞操教育の意があったのではないかと個人的には考えている。赤ん坊は人間なので幽霊ではないかとも考えられなくはないが、これは赤ん坊の形をした妖怪。マジムン参照。

アカングヮユー
 人魚。ジュゴン。上半身が幼い赤子のような人魚。大津波を知らせる。

アコークロー
 ユサンリとも。時間帯を指し、まだほんの少し明るい夕暮れ時の、日が沈んで暗くなりきる頃をいう。西の地平線状には、ぎりぎり夕日の残照が残っていて上空に向け光が少し出ている状態で、そこから空の色はだんだん青みがかっていって、東の空は真っ暗である、その状態とその時間帯と指す。マジムン(魔物)が出没し始める時刻。

アヒラーマジムン
 アフィラーマジムン参照。

アフィラーマジムン
 家鴨(あふぃらー)マジムン。妖怪。動物の怪。家鴨(あひる)の妖怪 、変化(へんげ)。マジムンの一種。これに(また)をくぐられると死んでしまう。沖縄本島読谷村(ヨミタンそん)の読谷高校の運動場周辺は、かつては(さび)しい谷底で、アフィラーマジムンがよく現れたという。ある畑人(はるさー)(※農民の意)が石を投げつけたところ、たくさんの(ジンジン)になって畑人(はるさー)の周囲を飛び回った。間も無く一番鶏(いちばんどり)が鳴くとその声と共に消え去ったという。他に旧日本軍の軍服を着て日の丸の鉢巻きの一匹の家鴨(あひる)に追いかけられ、気付くといつの間にか消えていた話が那覇にあり、それは日本兵に食べられ骨が投げ捨てられた家鴨の妖怪だという。マジムン参照。

アマオナグ
 アモレオナグ参照。

(アマサンチュウ)
 運が悪い人、運の弱い人。(※よってここに入れるべきではないかも知れないが記載しておく。)
 奄美大島に隣接する加計呂麻(かけろま)薩川(さつかわ)でアマサンチュウと言う呼び方があるが、幽霊や妖怪ではなく人間。加計呂麻島薩川では、コーマブルシャンチュウ(※霊感が強い人)には幽霊が見えるといい、そしてアマサンチュウは幽霊に体を害されている事が多いという。ちなみに幽霊の色は青や黒で、人の形をしているが足は無く、空中を飛ぶように歩くという。


アマミキヨ
 アマンチュー参照。

アマミク
 アマンチュー参照。

アマミコ
 アマンチュー参照。

アマンチュー
 神。阿摩美津(あまんちゅー)。「天の人」という意。琉球沖縄の創成神(そうせいしん)とされる。大むかし、天と地は(さかい)い目がなくて一つであったため、人は(かえる)のように()って生きていた。それを見かねたアマンチューは、両手両足に力を()め、一気に天を押し上げた。天と地の境をつくったお(かげ)で、それから人間は立って歩けるようになったという神話。またある時、アマンチューは天秤棒(てんびんぼう)に、太陽と月を(かつ)いで遊んでいた。その時に棒が折れて、太陽と月はそれぞれ遠く離れた場所に落ちてしまった。悲しんだ彼が涙を流すと、涙川という川になったという。来訪神(らいほうしん)としての「天の人」は、一説にはアマミキヨ(奄美人)を語源にもつとされている。同じような話は、熊本のアマンシャグマの巨人の話に類似。

アムログオナグ
 奄美大島地方の妖怪。または霊魂。海に入って死んだ者の霊で、青い火を持って歩き回るという。本来は、天から降りてくる天女だったが、海で死んだ者の死霊という意味になったのは他の妖怪との混同ともいわれる。アムログオナグは、アモレオナグともいう。アモレオナグ参照。

アメカイユウレイ
 (あめ)買い幽霊。幽霊。飴買(あめか)幽霊(ゆうれい)の話は、日本全国に伝わる。那覇の「七つ墓」にまつわる話に出てくる幽霊。しとしと雨が降る夕刻のこと、那覇市牧志(まきし)十貫瀬(じっかんじ)にあった飴屋(あめや)が店じまいしようとすると、白装束(しろしょうぞく)の女が現れて(あめ)を買い求めた。翌朝、店主が前日の売り上げを調べていると、お金の中にウチカビが紛れ込んでいた。その日の夕方にも女は現れて飴を買い求め、主人は代金を受け取ったが、女がいなくなるや否やお金はウチカビに変わっていた。翌日、主人はこの事を知り合いの坊主に相談したところ、その女は幽霊に違いないから、今晩、飴を買いに来たら、こっそり後をつけなさいと言われてその通りにする。つけて行くと女は、かつては海岸だった、岩場にある小さな「七つ墓」と呼ばれれる、たくさんのお墓がある場所ですっとかき消すように消えてしまった。消えた辺りに主人が行ってみると、赤ん坊の泣き声が一つの中から聞こえてきた。墓の(ふた)を開けてみると、白装束の腐乱(ふらん)した女性の脇に、生まれたての赤子(あかご)が泣いていた。そして赤子の口元には、今まで売った飴がいくつもあったという伝説。

アモレオグナ
 アモレオナグ参照。

アモレオナグ
 神。アモレオナグは、奄美大島などでの天から降りてくる女、天女の呼び名。「天降女(あもろうなぐ)天降女子(あもろうなぐ)阿母礼女(あもれおなぐ)安室(あむろ/あもろ)(神)、天下り女、天の女、天女(アマヲナグ)、アマオナグ、アモロオナグ」等々(などなど)と表記される。また、ハゴロモマンジョ(羽衣美女)とも言われ、羽衣伝説の天女と似た話が古くから琉球全域に伝わり、様々な話に変わって後世に語り継がれてきた。その一方で、奄美地方などの天女や羽衣美女の中には、天から男を求めてやってくる妖女の話もあるのが特徴的で、その場合、白い風呂敷包みを背負って天から降りて来て、泉や村境の辻などに出没する。なお、どんなに天気が良い日でも必ず小雨(こさめ)が降る。そして、男を見ると、行って着物の左をまくり上げ下裳を覗かせて、相手に(さか)らいがたい強力な色気(いろけ)(なまめ)かしく(せま)る。この誘惑に負けた男は命を取られてしまう。また、水が入った柄杓(ひしゃく)を持っている場合、その水を飲むと命を取られマブイ()を天上に持っていかれるので、決して飲んではいけないという。ただし、柄杓(ひしゃく)を持つ(てのひら)が上を向いていて()を支えるようにしている場合は、その水を飲んでも大丈夫(だいじょうぶ)とされる。(つや)やかに色っぽいアモレオナグが近づいてきた時の対処法(たいしょほう)は、じっと(にら)みつけ、根負(こんま)けさせることが、唯一(ゆいいつ)、助かる道だという。また他の話では、自分の素性を口外しない約束で男と結婚して子供が産まれるが、男は子どもの母がアモレヲナグである事を村人に話してしまい、アモレヲナグは怒って男の命を奪う話もあれば、鬱蒼(うっそう)と茂る樹木に覆われた渓谷の淵や滝壺の水溜まり水浴する天女で、人に危害を加えることはない話の場合もある。天降女(あもれおぐな)が家に来る怪、天降女子(あもろうなぐ)を山の怪とする場合もある。奄美大島の山のマイナムン。

アモロウナグ
 アモレオナグ参照。

アモロオナグ
 アモレオナグ参照。

イエジマハンドーグヮー
 イエジマハンドゥグヮー参照。

イエジマハンドゥグヮー
 ハンドゥグヮー参照。

イキマブイ
 イキマブリ参照。

イキマブリ
 妖怪。霊魂。奄美大島の怪異。生き魂(いきまぶい)生霊(せいれい)生き霊(いきりょう)。生きたままの姿で、霊が歩き回ること。イキマブイ、イチジャマとも。イチジャマ参照。琉球沖縄では、マブリやマブイは魂のこと。マブイ参照。

イシャトウ
 奄美の与論島だけにいる妖怪「ハタパギ」は「イシャトウ」ともいう。ハタパギ参照

イジュガマクグヮーノイネンビ
伊集(いじゅ)ガマク(ぐゎー)遺念火(いねんび)。イネンビ参照。

イチジャマ
 霊魂。生邪魔(いちじゃま)生霊(せいれい)生き霊(いきりょう)。また、呪法(じょほう)、呪法を行う者、またその家筋(いえすじ)等を指す。他人に取り憑き害をなす邪術、その使い手をいう。使い手は、非社交的、嫉妬深い、強欲といった特徴がある。主に女性が多いものの、男系•女系とも遺伝しやすいため通婚を忌んだ。(にく)い相手にイチジャマを()けて苦しめることができる。イチジャマを行う者は、イチジャマブトキイ(生邪魔仏)というものを持っていて、それに祈って相手にイチジャマを()けるという。憎いと思っただけで、憑けることができる者もいるという。イチジャマは土人形を刺して嫌いな人間の体を痛めつけたり、憎んだだけで人を病にできる。イチジャマに憑かれると病気になる。その場合、神職者や巫女(みこ)などに祈祷(きとう)してもらうのが有効で、その際、病人の親指を(しば)って(くぎ)を打つ真似(まね)をすることにより、イチジャマを相手に送り返すことが可能。なおイチジャマは、人間だけに限らず家畜にも憑く。石垣で1676年、ある女がイチジャマを使って他の女を果てさせたと告発され、評定所はその女を死刑に処した。また名護では、ある娘が咳をしてイチジャマヤシキの側を通ったため、その家のイチジャマの女に見つかって頭痛になった。アンキングヮ(※脈を取る人)がウシヌキウガン(※除災の儀式)をしたところ治った。イチジャマは主に女性だが男性にもいて、特にイチジャマの体質は遺伝されやすいため、その男系・女系の通婚を()んだ。マブイ参照。

イチマブイ
 霊魂。イチジャマとも。沖縄県中頭(ナカガミ)郡でいう怪異。マブイ()には、「イチマブイ」と、「シニマブイ」とがある。「イチマブイ」は、生きている人の霊魂(れいこん)=生霊(せいれい)のこと。「シニマブイ」は、死んで()もない人の霊魂のこと。危篤(きとく)の人の霊魂が、墓場に行く場合がよくある。その際に、マブイが顔を(おお)っている場合は、肉体に霊魂を戻すことができる。しかしながら、もし笑っている場合は、(あきら)めるしかないという。イチマブイには、離脱性(りだつせい)があり、心理的ショックで、霊魂が身体から抜け落ちてしまうことがある。また、抜け落ちやすい場所があるともいわれる。琉球沖縄では、とても驚いた時の言い回しに「魂脱(たましぬ)ぎたん」というのがあり、本土の「おったまげた」は「魂が抜けた」の語源と思われる。魂脱(たましぬ)した人の特徴は、焦点(しょうてん)が定まらない(うつ)ろな目をし、微熱が続いて、ぼけっとしている。日頃からトゥルバヤー(大人しい人/ぼっとしている人)の場合、なかなか見分けがつかないので、よほど注意して観察しないと判別が(むずか)しいという。抜け落ちたイチマブイは、いつまでも放っておいてはいけない。いち早く身体に戻すため、抜け落ちた場所で「マブイグミ(魂込め)」の儀礼を行うが、特に神職者や呪術師のような特別な人である必要はない。なお琉球沖縄では、気をつけているとわりにマブイグミはよく見かける。その際の呪文は色々あり、地域差もある。一例をあげておくと、「マブヤー、マブヤー、ウーティキミソーリー(※魂よ、魂よ、どうぞ追って来て下さい)」などと唱えながら、マブイを落とした場所で落ちたマブイを拾い、あるべき所(※なお、マブイの出入り口は、背中の上部、首の下のほう)(もど)仕草(しぐさ)をする。落としてから時間が経って戻らない場合には、自宅の便所の神(フールヌカミ)にお願いして、マブイが戻るのをお願いするがのが一般的だが、それでも駄目な時には最終手段として、伊平屋島のクマヤ洞窟でマブイグミをする。マブイグミはかつて、地域を治める巫女(みこ)であり神人(かみんちゅ)であった祝女(ノロ)という神職者に頼む事が多かったようだが、また集落や家族の年長者の女性がごく自然に日常の中で行っていた行為。マブイの数には地域差があり、3つ・5つ・7つなど色々。マブイ参照。

イッシャ
 奄美の徳之島の妖怪。母間(ボマ)集落の周辺では、夜になると犬田布岳(イヌタブダケ/インタブデー)から異様な小人(こびと)、イッシャが降りてくるという。破れ傘(やぶれがさ)をさし、短い(みの)を着て、片足でひょこひょこ飛ぶように走り、人に出会うと「お前は誰だ」と質問する。そんな場合の対応策は、とうもろこしなどを尻尾(しっぽ)のように振って見せ、イッシャの姿を真似(まね)ると、イッシャに自分の仲間と信じ込ませる事が出来るとされる。また、上手(じょうず)におだてると、気をよくして、色々と仕事を手伝ってくれる。漁の手伝いの場合は、豊漁(ほうりょう)になる。ただイッシャが食べてしまうので魚はすべて片目がない。イッシャにとって人を(たぶら)かすのは朝飯前(あさめしまえ)で、何日も山中を彷徨(さまよ)わせたり、海辺に連れ出して海水を飲ませたり悪戯(いたずら)をする。魚の片目だけを食べる特徴から、沖縄本島のキジムナーや、特に奄美のケンムンと同種でありあがら違う妖怪といえる。

イッチョイグワー
 沖縄本島中部、勝連(カツレン)半島と周辺の離島などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

イトマンキジムナー
 キーヌキジムナー参照。

イナフクバア
 怪異。沖縄本島の西原(にしはら/にしばる)間切(まぎり)棚原(たなはら)に、稲福婆(いなふくばあ)という祝女(のろ)がいた。他の祝女(のろ)と一緒に上ヌ嶽(イーヌウタキ)で祭事を執り行っていた時に、忽然(こつぜん)と神隠しにあった。それから数年後、我謝村(がじゃそん)鍛冶屋大主(かじやうふぬし)という者が船を出して沖で釣りをしていて、海面に、得体が知れぬモノを見つけた。それは頭髪が抜けて禿頭(はげあたま)の、全身にフジツボや貝殻や海藻(かいそう)などが付いた老婆だったが、息があったため岸まで連れていって介抱(かいほう)した。瞬く間に、その話は広がって、一目(ひとめ)見ようと人々が集まってきた。やがて稲福婆(いなふくばあ)が語れるようになると、上ヌ嶽(イーヌウタキ)から、自分ではわけのわからないうちに海の底のギライカナイ(儀来河内)(※古くはニルヤカナヤ、近年はニライカナイとも)に飛ばされて、貝ばかり食べさせられているうちに、体じゅうから貝殻が生えてきた話などをした。話を聞いて人々はそれから、稲福婆(いなふくばあ)をギライバアと呼ぶようになったという。やがて噂は首里城にまで伝わって王の耳に入り、登城(とじょう)するようにと(めい)が下りた。首里城の城門まで来た稲福婆(いなふくばあ)は、両手を両脇に挟んだかと思うまもなく、そのままそこで跡形(あとかた)もなく消えてしまった。あわてて行方(ゆくえ)を探したところ、上ヌ嶽(イーヌウタキ)(うずくま)っている稲福婆(いなふくばあ)が発見された。それから稲福婆(いなふくばあ)はその当時としてはかなりの長生きして八十歳嫌いで息を引き取ったという。

イナボーマジューヌ
 八重山(やえやま)諸島などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

イニンビ
 イネンビ参照。

イニンビー
 イネンビ参照。また、沖縄本島南部の東海岸地域のキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

イヌガミ
 インガメ参照。

イネクイシーサー
 神。神の使者。浦添の天徳山龍福寺(もとは浦添の極楽寺)の仏殿の獅子木像があった。知恵の文珠観音が、右手に知恵の剣、左手に蓮華の花を持ち、このシーサーに乗っていた。夜になると寺を抜け出し、稲の穂を盗んで食べていたが、それはこの寺に寺田がなく獅子に供物を捧げなくなったためとわかり、首里王府は六畝の獅子田と呼ばれる田圃を寄進したところ、もう浦添の田に現れなくなった。それから何年かして、シーサーを修理することになった時、腹の中には稲穂の籾殻(もみがら)が入っていたという。

イネンビ
 遺念火(いねんび)。火の(かい)霊魂(れいこん)怪火(かいか/あやしび)(※正体不明の炎の総称(そうしょう))。琉球沖縄では亡霊(ぼうれい)遺念(いねん)と呼ぶ。遺念(いねん)が火となって一定の場所を往復するのが遺念火(いねんび)。遺念火にまつわるほとんどが、色恋(いろこい)のもつれから非業(ひごう)の死を()げた男女の霊の話。男女2つの霊の火が連れ立って現れる場合もあり、最も有名な話は、首里(シュリ/スイ)の南、「識名坂(シキナザカ/シキナヒラ/シチナンダビラ)の遺念火」の悲劇が最もよく知られているが、ほかに「謝苅坂(じゃがるざか)の遺念火」、「大道松原(うふどうまつばら)の遺念火」、「川平良(かーてーら)井戸(がー)の遺念火」、「ウフンガーラの遺念火」、宮古「カママミネの遺念火」、「伊集(いじゅ)ガマク(ぐゎー)の遺念火」はじめ、各所にたくさんの遺念火の話が伝わる。「識名坂(シキナザカ/シキナヒラ/シチナンダビラ)の遺念火」の話は、識名(シキナ)に、大変に仲睦(なかむつ)まじい夫婦がいた。妻は毎日、遅くまで首里の街で行商をしてよく働いていた。妻の帰りが遅くなったある日、妻を案じる夫は、識名坂から金城(キンジョウ/カナグスク/カナグシスク/rt>)橋まで迎えに出た。ところが、かねてから夫婦の仲がよいのを嫉妬(しっと)する男がそこにやってきて、あなたの妻は首里で若い男と遊びほうけていると、夫に嘘を吹き()む。()に受けて怒った夫は、生き恥を(さら)すよりはと識名川に身を投げてしまう。やがて帰ってきた妻もそのことを知り、愛する夫を追って同じ場所に身を投げた。それ以来、識名坂の上から川の方へ、2つの火の玉がもつれ合いながら行き来するようになったという。なお、亡霊火と近年呼ばれるのは海上の怪火のことで、群れをなし、移動するという。遺念火の話には、ユクサーや悪い人(ヤナー)には、くれぐれも気をつけるように、また賢い人(ジンブナー)になりなさいという先祖の(いまし)めがこもっていると考えられる。なおユクサーとは、嘘つき、嘘吐き、平気で嘘を吹き込む人のこと。(ユクシ)に「er」が付いて人を表す。刀自待火(トジマチャービー)参照。

イマジョ
 幽霊。奄美大島の幽霊。阿鉄生まれとも小名瀬生まれとも言われれ、絶世の美女だったが、やがてヤンチュとなり、主人からの寵愛を受けたために夫人が嫉妬してイマジョに虐待を繰り返していた。助けを求めても誰も助けてくれず、イマジョはついにたまりかね逃げ出して山で首をくくって死んでしまう。イマジョがもしかしたら故郷に帰っているかも知れないと行方不明は実家にも伝えられたが、その間にイマジョの死体は発見されて主人の家の墓に葬られた。行方不明を聞いたイマジョの兄弟(エヘリ)達が駆けつけたが、とき既に遅く、兄弟(エヘリ)達はイマジョの遺体を故郷に持ち帰ると言ったが、主人はイマジョの虐待が露見するのを恐れて頑なに拒否した。それでも兄弟(エヘリ)達はイマジョの遺体を掘り起こして故郷に連れ帰ったが、遺体に数知れず暴力を受け続けた跡を見た兄弟(エヘリ)達は嘆き憤り、イマジョの髪を道の下に埋め、竹の棒を逆さに突き刺していったのだった。その後、イマジョの幽霊が出現し、恨みをはらすべく主人一家をたたったため、一家はじめ見て見ぬ振りをした人々は全て変死した。奄美の同じく美女で非業の死を遂げたカンッテメの話はカンツメ節となって広く話が広がったが、イマジョの話は民謡にならずに生々しく恐ろしい怪異談として伝わった。

インガマヤラウ
 インガマ・ヤラウとも。宮古諸島伊良部島(いらぶじま)などでのキジムナーのような妖怪。インガマヤラウが住む所は次々に火をつけられ、岬、赤木の根元、アダンの幹、八重山へと逃げ住む所を移したもののその度に人々に焼かれた。報復としてインガマヤラウは木箱に悪性のマラリヤ菌を入れ人に送って全滅させたとも伝わる。キジムナー参照。

インガマヤラブ
 インガマ・ヤラブとも。インガマヤラウ参照。

イングヮーマブイ
 妖怪。犬の霊魂。「イングヮー」とは犬、「マブイ」は魂のため、犬の霊魂の意。沖縄本島本部(もとぶ)間切(まぎり)備瀬村(びせそん)桃原(とうばる)の男が、夜、上島(うえじま/rt>)のロンロン道とペンザン道が交わる三叉路(さんさろ)で、野良犬に襲われた。犬を打ち殺したところ、黒い煙が犬を覆い尽くし、それは天に昇るやいなや、大空を埋め尽くすほどのおぞましい犬の怪物に姿を変えた。男は必死に家まで逃げ帰ったが、高熱を発し、魂が抜け殻のようになってそのまま亡くなった。その後、何人もの者が三叉路で野良犬の妖怪に襲われ、同じことがしばらく続いたという。

インガメ
 霊魂。神。ほかの地方の犬神(いぬがみ)にあたるのがのインガメ。(おも)に、農村地帯でいわれる憑き物(つきもの)犬神(いぬがみ)には、突然(とつぜん)人の体に()く場合と、代々家系に憑く犬神持ちとがあり、狐憑(きつねつ)きと同じような特徴がある。犬神に憑かれると様々(さまざま)な病気になるが、発作を起こすと犬の真似(まね)をするためそれと()ぐわかる。神職者(しんしょくしゃ)巫女(みこ)などに頼んで、犬神を落としてもらう。犬神(いぬがみ)の由来は多く、様々。犬神(いぬがみ)を作り出す方法も色々とあるという。中国伝来の巫蠱(ふこ)(※蠱道(こどう))の手法と酷似(こくじ)し、犬神(いぬがみ)巫蠱(ふこ)術の影響を受けたものとされる。犬の霊を使う呪術(じゅじゅつ)もあるという。

インヌフィークーテアッチュン
 インヌフィークーテアッチャン参照。

インヌフィークーテアッチャン
 妖怪。沖縄本島中頭(ナカガミ)郡地方でいう怪異。火をくわえて歩く犬の妖怪で、名前そのまま。詳細(しょうさい)不明。

インマーザァービ
 妖怪。「夜間に海浜を過ぎる火」という意。下半身が真っ赤な姿で現れ、長い髪を()らしているという。

インマホ
 奄美大島の妖怪。霊魂。人が死ぬ直前に、マブイ()を取りにくるという。

インミャオ
 奄美の妖怪。夜道で出会う、山羊(やぎ)とも犬ともいえない耳の大きな動物で、歩くとパチャパチャと、耳が体にあたる音が聞こえるという。これに出会っても、何か悪いことがあるわけではない。まったく無害の妖怪は珍しく、この妖怪が伝わってきた意図を想像すると実に楽しいと思う。(※ふりむんサンから、かつてご指摘頂いた通り、鹿児島県奄美大島瀬戸内町花徳となっている資料がある。しかし、奄美大島に「花徳」という集落はなく、徳之島町の旧東天城村地域の集落名にある。ネット上や多くの資料も同じように間違っていると思われる。一方で、奄美大島の瀬戸内町に似た地名もあるのでそこかも知れない。そもそも『季刊民話 通巻8号』(一声社) にて、話者である田畑ウヒルさんから、 奄美の民俗学研究者として有名な田畑英勝氏が聞き取った。田畑氏が地名を間違える事は考え難いため、恐らくその資料を、誰かが書き写しの際に間違え、それが誤って広まったと考えられる。なお『季刊民話 通巻8号』が見つからないため、確認できていない。)

ウイ
 妖怪。怪異。精霊。奄美大島の山のマイナムン。

ウサグヮ
 ウサグワー参照。

ウサグワー
 ウサ(グワー)。幽霊。怪異。首里の内金城(うちかなぐしく)(※首里の金城には、昔、金城村と、その東の内金城(うちかなぐしく)村があった)士族(ゆかっちゅ)新垣(あらかき)里之子(さとぬし)という男がいた。(ひど)く貧乏で仲間から酷い扱いばかり受け苦労していたが、尾類(じゅり)(※遊女)のウサ(グワー)と恋に落ちた。ウサ(グワー)が身を(てい)して新垣の身の回りの世話をした甲斐(かい)あって、みごと新垣は科挙(かきょ/こー)の試験に受かるが、受かるなり心変わりし、ウサ(グワー)を遠ざけてしまう。まもなくして新垣の結婚の噂を聞いたウサ(グワー)は、いてもたってもおられず会いに行き、初めて会った時と同様に、自分は尾類(じゅり)の身だから妻にして欲しいなと高望みはしないが、せめて側妾(ゆうべー)(※(めかけ))にして自分をそばに置いてくれと懇願する。ところが新垣は大事な縁談のある身なのでと冷たくあしらい、その夜、ウサ(グワー)は井戸に身を投げ自殺してしまう。新垣は結婚したが、水を飲もうとすると血に変わり、夜には三つの(あわ)い火の玉が自分の蚊帳(かや)のまわりを彷徨(さまよ)うようになり、(ひじ)で切断された腕が出現して自分に近づいてきたため気を失い、精神錯乱(さくらん)の後、ついに悶死(もんし)する。

ウシマジムン
 妖怪。動物の怪。牛の変化(へんげ)(うし)マジムン。沖縄本島の読谷村(ヨミタンそん)地域では、大きな真っ黒の牛のようなマジムンとされ、牛が()けたモノなのではなく、牛に()けたモノ。島尻(シマジリ)地方では棺桶(かんおけ)を入れる(かご)が牛に化けたものと言われてきた。夜道で襲ってくるという。「マジムン」の一種。ある時、男がウシマジムンと出会い、組み合って、その(つの)を折ったが、とり逃がしてしまった。翌朝、その角を見てみると、死者の棺桶の飾りになっていたという。また他の話では、空手の名人が、夜遅くに突進してきた赤牛と大格闘して両角をへし折って組み伏せたが、自分もすっかり疲れ果ててその場でそのまま倒れ込んで寝てしまったが、翌朝、起きて見てみると(がん)の両側に付けた鳥型の飾り物を握り締めていたという。

ウタンクビリ
 地名。妖怪。怪異。奄美大島の知根を流れる川の奥にウタンクビリと呼ばれる、昼でも夜のように暗い渓谷がある。ここにはクランビャラ(高倉の柱)ほどのハブがいて、耳が生えていて、人などが近づくと耳を動かしながら「コーコー」と吠えるという。

ウトゥジャー
 沖縄本島恩納村の真栄田を中心とした近辺でのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

ウミフサガリ
 (うば)。妖怪。怪異。精霊。奄美大島の海のマイナムン。

ウバ
 海塞(ウミフサガ)リ。(うば)。奄美大島の山のマイナムン。外観(がいかん)や性質は、熊本県周辺の妖怪山童(ヤマワロ)(サンツアウ)と同じものと思われる。沖縄のキジムナー同様、河童(かっぱ)と同系列の妖怪。山野(さんや)で人を迷子(まいご)にするなどの悪戯(いたずら)を働く妖怪。頭に水の入っている皿があり、これをたたき落とすと力を失う。同じく奄美大島の妖怪であるケンモン同様に、元々は人だったと考えられ、7歳と5歳の兄弟のうちの、兄がケンモン、弟がウバになったとも言われている。また、ウバはケンモンと別の妖怪ではなく、ケンモンの現れ方の一つがウバだとも言われる。いずれにせよ、ガワッパとケンモンとウバには混同が見られる。一方で、ウバはナガネなる地域を中心に山林一帯に生息すると言われ、その点でケンモンやガワッパの生息する場所と異なる(※部落から部落に通じる山路の峠辺りには大抵長根/長峰(ナガネ)と呼ばれる地域があり、この名称は大抵の部落に共通で、赤土のトーミチ(山間の平坦路)のある地域をそう呼ぶ。たいてい(サク/さこ)があり、砂糖黍や色々な農作の耕地があって、水便の良い所には田もある)。ウバはケンモンより体が大きく、従ってケンモンほど敏捷(びんしょう)ではない。顔は広く赤く、頭いっぱい毛だらけで顔におおいかぶさっている。山間の大木の間に棲み、雨が降る山中が小暗い時など、(まき)とりなどで人が通ると、小石や木片を投げ付けていたずらする。方言にウバガマチという語があり、これはウバのような頭髪の意であるが、女の子のオカッパのようで、頭髪に手入れをせずに乱頭蓬髪である。ウバは、頭髪が茫々(ぼうぼう)と生えて眼まで覆い被さっていると信じられて来た。尚、髪を姥にするという意味の言い方も残っている。またこの島の山間には姥滝などという地名もあり、よくウバが出没する所とされている。ここから、ウバは山姥の上略語だろうと推測される。ウバに会った時は、生木ではなく、出来るだけ朽ちた木の棒で叩くのが良く、これは朽ちた木は折れやすいためである。ウバは木が折れるまで叩かれたと錯覚して降参するという。また、ウバには頭に皿のようなものがあり、これには力水が入っているため、この皿を叩き落とすと力を失って消滅するのは、一ッ目小僧の目に当たるとも。なお、部落により、あるいは同一部落内でも、年齢層により姥の話は色々と混同し、皿のあるのはケンモンだという人もいる。大石文七という人は、姥滝で真昼に出会ったという姥は、叩いたところパッと煙を立てて消失したという。ガワッパ、ケンモン参照。

ウバトウイ
 奄美大島の音の怪異。山の怪。(おも)に、山で起きる現象。しかし磯辺や浜で起きた場合もある。ひとりで山道を歩いていたところ、不意に後ろから、「ウイ(おい)」と声がする。足を止めて振り向いても誰もいない。ふたたび歩き出すと、また「ウイ」と声がする。これはウバの仕業(しわざ)とされる。宇婆と呼びかけの言葉「ウイ」で、「ウバトウイ」と呼ばれる。ウバ参照。

ウフドゥマツバラノイネンビ
  ウフドウマツバラノイネンビ参照。

ウフドウマツバラノイネンビ
 大道松原(うふどうまつばら)遺念火(いねんび)。イネンビ参照。

ウフンガーラノイネンビ
 ウフンガーラの遺念火(いねんび)。イネンビ参照。

ウミフサガリ
 ウミフサギ参照。

ウミフサギ
 奄美大島の海の怪異。海の怪。妖怪。海塞(うみふさ)ぎ。海塞(うみふさ)がり、とも。島影が見えない沖合いの海原で、舟を漕いで帰りを急いでいたところ、いつの間にか舟の前に山が現れて立ち(ふさ)がった。(あわ)てずに目をつぶって念仏などを唱えていると消えるという。

ウヮーグヮーマジムン
 妖怪。動物の怪。豚の変化(へんげ)。沖縄で夜道によく現れる豚の化け物、妖怪。しきりに人の(また)(くぐ)ろうとし、潜られた人は(マブイ)を抜かれて死んでしまう。ウゥーグヮーマジムンは、男にも女にも化けることができる。なお、毛遊び(もうあそび/もうあしびー)(※夜の野原で、三線などを弾いて若い男女がカチャーシーを踊ったりして遊んだ)などで見知らぬ者が飛び入りした時は、人なのか豚の変化(へんげ)なのかを識別するために、「ウヮーンタ(豚武太)グーグーンタ(グーグー武太)」と(はや)したてると、もしも豚の変化の場合は逃げ出すという。ただし過去には、そうして囃し立てられて追い出された若者が少なくなかったことが推測できる。娼婦(しょうふ)のことを三小ナー(サングワナー)ともいうが、これは数十年を経た豚が美女に()け、皮の草履(ぞうり)()いて三貫で多くの若者と一夜を共にしたからという。草履を無理矢理()がせたところ豚の爪だったので正体が分かったという。豚の妖怪は、男に化けて女を誘惑する場合もある。皮裏草履を履いて若い女を盛んに口説いたが、糞臭(くそくさ)いのは何だろうと女に言われ、正体を見破られたと思った妖怪は、豚の姿に戻って姿を消したという。宜野湾我如古道では青年の姿に化けて出没。通り掛かった男と格闘になり豚の正体を現した。男は逃げたが、翌朝、待ち伏せされて殺される。なお豚は盲神であるため、豚小屋に唾を吐くと貧乏神になってしまうという。なお、豚小屋でなにか驚くと必ず(マブイ)()ける。また豚小屋に落ちたりすると、チマラー(一寸法師)になる、ウマンズラー(石女)、石男などになるとも言われる。マジムンの一種。マジムン参照。

ウンサーガナシ
 キジムナー参照。伊是名島、内花の呼び名。

ウンサービー
 沖縄本島中部の勝連半島の平敷屋周辺などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

ウンサガナシ
 沖縄本島近くの伊是名島などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

ウンサグワー
 沖縄本島中部、勝連(カツレン)半島と周辺の離島などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

エギリドリ
 妖怪。エギリ鳥(えぎりどり)疫痢鳥(えきりどり/えきりちょう)。石垣島でいう怪鳥。夜に飛ぶ鳥で、上空を通過した場所では疫病(えきり)が、流行(はや)ると言われる。

オーナチマヤー
 (おー)()(まやー)。バケネコ参照。

オオヤママヤーガマ
  大山(おおやま)(ねこ)洞窟(がま)。ガマとは洞窟の意。バケネコ参照。

オカッパグワー
 キジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

オカッパグヮー
 キジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

オバケザカ
 怪異。オ化ケ坂(おばけざか)。久米島にある坂で、勾配(こうばい)を変えることにより、徒歩だと上り坂に見えるのに実際は下っているように、あるいは、下り坂に見えるのに実際は上っているように錯覚(さっかく)を起こす坂道。

カーカンロー
 沖縄の妖怪。怪異。井戸(いど)()んでおり、子どもを井戸に引き入れてしまう。また、古井戸(ふるいど)(のぞ)()んだ子どもが、水面に映った影をカーカンローに取られると、病気になってしまう。なお、沖縄方言(うちなーぐち)で、「カー」は「井戸、川」など、「カンロー」は「子ども」という意。

カーカプロー
 久米島仲里でのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

カーガリモー
 沖縄本島中部や、中城(なかぐすく)村などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

カーテーラガーノイネンビ
 川平良(かーてーら)井戸(がー)遺念火(いねんび)。イネンビ参照。

ガーナームイ
 妖怪。ガーナー(ムイ)。那覇の伝説の森。「ガーナー」は「たんこぶ」、「ムイ」は「森」の意。また、「鵞鳥」の意もあり「鵞鳥森/鵝森」という表記もある。かつて昔、ガーナー(ムイ)は、那覇(なは)奥武山(おおのやま)から真玉橋(まだんばし)あたりまでの、かつては深い入り江のある海だった漫湖(まんこ)に浮かぶ、盛り上がった(こぶ)全体にこんもりと木々が生い茂る動く小島で、自ら意志をもって動き回る化け物だったという。そして、真玉橋へ行っては人を襲って食べたり、陸に上がって畑を荒らしたりと、やりたい放題に暴れていた。近隣の村人は困り果て、ついに土地の神に退治してくれるように祈った。土地の神はこの願いを聞き入れて、ガーナー(ムイ)尻尾(しっぽ)の上に大きな岩を置いて動きを封じたところ、動けなくなったガーナー(ムイ)は、そのままそこで力()きたという。村人たちは再びガーナー(ムイ)が暴れ出さないよう魔除(まよ)けのシーサーを、森の(そば)に安置したという。戦前まで奥武山の東の海中にあった、名勝の地としてよく知られていた小島だった。1719年(尚敬7)に渡来した、尚敬王の冊封副使であった徐葆光(じょほこう)の言には、「奥武山の東に小尖阜(小さく尖った丘)あり。鶴頭山(ガーナー(ムイ)と名づく。(中略)那覇市近所第一の勝処(しょうしょ)(※景勝地)たり」とある。1800(尚温6)年に渡来した李鼎元(りていげん)もまた同様に景勝地として称賛(しょうさん)

カイギョ
 妖怪。怪魚(かいぎょ)。動物の(かい)美里間切(ミサトまぎり)古謝村(コジャそん)に伝わる話だが、日本のあちこちに似た民話がある。塩焚(しおた)きが、海に浮かんだ一尾の魚をとって帰った。すると、(ざる)の中から「一波(ひとなみ)寄せるか、二波寄せるか、三波寄せるか」と、(かす)かな声がする。塩焚きは不気味(ぶきみ)がって、海に魚を戻そうと浜に向かう。ちょうどその時、一人の無頼漢(ぶらいかん)(※ならず者)が通りかかり、塩焚きから事情を聞いて嘲笑(あざわら)い、魚をもらって自分で料理した。食べようとしたまさにその時、大津波(おおつなみ)が襲って来た。

カイビ
 怪火(カイビ)。妖怪。怪異。精霊。奄美大島の海のマイナムン。沖縄ほか日本各所に見られる。

カゲタマシ
 亡霊(カゲタマシ)。奄美大島の怪異。また霊魂を奄美ではカゲタマシと言う。

カゲダマシ
 カゲタマシ参照。

ガジャヌヒャ
 妖怪ではなく、山の大木に宿る神で、山の神(ダマヌカン)。ガジャヌヒャという男がウスガナシという男の妻を我がものとしようとしたが、妻の妖術により木の精(キディムヌ)にされてしまったと与那国島に伝わる

カゼ
 奄美大島の怪異。(みち)の怪。風邪神(じゃしん)。墓道などで出会う。(あた)りに風もないのに生温かい風が体などをかすめて悪寒がし、家に帰って着物を脱いでみると、体のどこかに斑紋(はんもん)が出来ていて、間もなく高熱が出る。神職者や巫女に治してもらう。

カタアシピンザ
  沖縄宮古島の妖怪。片足(かたあし)ピンザ。「ガングリ・ユマタ 片足ピンザの話」として、宮古では有名な山羊(やぎ)の妖怪。宮古島の方言で。山羊(やぎ)はピンザ、四辻(よつじ)(四つ(かど)がユマタ。 ガングリ(ガングル)は、このユマタ近くに棺桶(かんおけ/ガン)小屋があったから、「ガングリ・ガングリ」という音を出してどこからともなく現れるから、歩く姿が「ガングリ・ガングリ」だからとも。頭上を飛び越えられたり、頭の上を(また)がれると、死んだり、魂を抜かれたり、呪われるという。島の山羊(やぎ)の中に、人を見ると飛び越えるのが好きな、たいそう元気な山羊(やぎ)(がんずうピンザ)がおりました。ある時、着地に失敗して捻挫(ねんざ)し、片足(三本足)でしか歩けなくなり、「片足ピンザ」といわれるようになりました。それ以来、夜になるとこの山羊(やぎ)がどこからともなく現れて人の頭上を飛び越え、飛び越えられた子どもは魂を抜かれるという噂が広がり、子どもたちは決してこの交差点を通らなくなったとも言われている。夜遊びしない教育ともとれる。

カタキラウヮ
 奄美大島の妖怪。片耳豚(かたきらうゎ)片身豚(かたきらうゎ)。影がない子豚の形をした妖怪で、しきりに人の(また)(くぐ)ろうとする。これに(くぐ)られると、死んでしまうか、子どもをつくる器官が駄目(だめ)にされて腑抜(ふぬ)けになる。カタキラウヮに狙われた場合は、咄嗟(とっさ)に両足を()()わせば(ふせ)げる。またその状態なら、(もぐ)られても痛手(いたで)はない。出現地、出没時刻は、ほぼ決まっており、大抵(たいてい)、女性の一人歩きや二人連れの前によく出現。「ユマグレアキ(夕まぐれ歩き)」する頃に出ると言われ、妖怪が出るから危ないと(いまし)められた。ミンキラウヮ、ユナワ参照。

ガダヌヒャ
ガジャヌヒャ参照。

カデモーサ
 怪異。奄美の徳之島(トクノしま)、徳之島町亀津(カメツ)の怪異。山中での怪音を言い、天狗倒(てんぐだお)しや天狗礫(てんぐつぶて)(たぐ)い。(※以下、田畑英勝『奄美物語』からの引用~「・・・・・・大風のようで、大木を倒す音がしたり、グワラグワラ牛に木を引かせる音がした。そんな時は、谷間には行かないで、(みね)になった所を行くとよい。()ぐだりに神は通るからだ。しかし、見える人にしか見えない。自分は(田畑氏に語る人)一度、木を引く音を聞いたので、追いつこうとして追ってみたが、追いつけなかった。石を投げたり、石の落ちてくる音がしたりもする」。)

ガニクノバケマヤー
 バケネコ参照。

ガネコノバケネコー
 バケネコ参照。

カブロー
 久米島仲里でのキジムナーのような妖怪。カーカプロー、キジムナー参照。

カママミネノイネンビ
 宮古地方の、カママミネの遺念火(いねんび)。イネンビ参照。

カムラーマ
 八重山諸島などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

カムラグヮー
 カムラーグヮ参照。

カムラーグヮ
 妖怪。怪異。沖縄本島北部、本部町、今帰仁村、伊江島などでのキジムナーのような妖怪。カムラー(ぐわ)は20~30cmぐらいの小人。人の魂ともいわれている。形はスノーラと似ているが、人を害することはない。スノーラが誰でも見られるのに対し、カムラー(ぐわ)は普通の人は見ることが出来ない。またスノーラが海辺を歩くのに対し、カムラー(ぐわ)はおもに山を歩く。ただしセーマとはまた異なるという。キジムナー参照。

カムロ
 妖怪。禿頭(はげあたま)をした河童のような妖怪とも言われるが、この妖怪に関する話はもともと少ない。道の怪。 那覇と与那原の間にある一日橋で、よく踊りの音がした。近づいて川に引き込まれた人がいたという。これは「マ」の仕業(しわざ)だという。家にいる怪。カムローとも。井戸(カー)に住み、子どもが覗くと引き込む。なお古井戸を覗くと水面の影をカムローに取られ、その人は病弱になるという。

カムロー
 カムロ参照。中城村でのキジムナーのような妖怪。

カムローグ
 カムローグヮー参照。

カムローグワー
 カムローグヮー参照。

カムローグヮー
 沖縄本島北部、本部町、今帰仁村、名護市屋部地区安和、伊江島などでのキジムナーのような妖怪。カムラグヮー、キジムナー参照。

ガヤブヤ
 ガヤプヤー参照。

ガヤプヤー
 沖縄本島中部、金武町などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

ガワカムロウ
 水の怪。かつてはよく池などで人を引きずり込んだ。

ガワッパ
 河童(がわっぱ)。奄美大島の妖怪。ガワッパは体が細く、異常に手が長く、雨が降って洪水がある時などは、必ず川尻に来て「厄かぶり」の人を川に引き込んで溺れさせる。また子どもなどが水門尻で浴びると尻を抜く事がある。その他の他所でガワッパについて語られる時は、ケンモンによく転嫁されている傾向がある。よって、ガワッパはケンモンと別の妖怪ではなく、ケンモンの現れ方の一つがガワッパだともいわれる。いずれにせよ、ガワッパとケンモンとウバには混同が見られる。一方で、ガワッパは主に奄美大島の、部落を貫いて流れる川のミナトジリ(水門尻)と、その上流ウッコー、あるいは、ウックンコー(※奥河あるいは御垢離河の意か。乃呂(のろ)やユタはここで斎戒沐浴したと言われている)と呼ばれる深淵の辺りに生息すると言われ、その点でケンモンやウバの生息する場所と異なる。ウバ、ケンモン参照。

カワタロ
 水蝹(カワタロ)。「水蝹」は様々な読み方がある。奄美の妖怪。ケンモンの別名、ないしは似た妖怪。ケンモン参照。

ガワル
 妖怪。怪異。精霊。奄美大島の海のマイナムン。

ガラシヌクイナキ
 妖怪。怪異。精霊。奄美大島の村里のマイナムン。

カンチメ
 カンッテメ参照。

カンッテメ
 幽霊。奄美大島に伝わる、「岩加那(いわかな)」と「カンティミ(カンティメ、カンテメ、カンツメ等々(などなど))」という若い男女の悲恋(ひれん)物語。そこに登場する魂、あるいは幽霊。むかし、奄美大島には「ヤンチュ(家人)(※奄美独特の奴隷)」という制度があった。焼内間切(ヤケウチまぎり)名柄(ナガラ)部落の、あるお金持ちの家に、(とな)りの村の須古(スコ)から、カンティミという名の、たいそう美しい娘が、ヤンチュとして買われて来た。心立(こころだ)てがたいそう優しい上に、容姿端麗、眉目秀麗(ようしたんれい、びもくしゅうれい)の娘だった。その頃、名柄(ナガラ)部落とは、山一つ(へだ)てた背中合せの場所に、久慈村(クジそん)(※現在の瀬戸内町)があり、そこの役場の筆子(てつこ・てっこ)(※書記)を務めていた者に、岩加那(※岩加那は通称で、本名は岩太郎。「加那」は敬称)という名の青年がいた。また岩加那は、歌と三線(さんしん)得意(とくい)な若者でもあった。やがて二人は運命的出逢いによって相思相愛(そうしそうあい)(なか)になる。それを知った主人によって、カンティミは(はずかし)めを受けて自殺。するとその魂が恋人の岩加那の前に現れる。そして、永遠(とわ)の最後の別れを告げながら、カンティミはこう歌う。「恋路(くいじ)(へだ)めてぃ、(うむ)いぬ()てぃさ。あかす世は暮れて()きや夜は明ける、果報節(かふしつ)のあらばまた見逢(みきよ)そ」(※大意~今やふたりの恋路は隔たってしまい、互いの思いは苦しいばかり。幽冥の世〈あの世〉は暮れて、あなたの夜は明けます、よい時節がめぐって来たらまたお逢いしましょう。)

カンツメ
 カンッテメ参照。

カンティミ
 カンッテメ参照。

カンティメ
 カンッテメ参照。

カンテメ
 カンッテメ参照。

カントミ
 カンッテメ参照。

ガンノセイ
 妖怪。器物の怪。(がん)の精。(がん)のマジムン。琉球沖縄の妖怪。(がん)とは、(りゅう)の彫刻や仏画(ぶつが)(えが)かれた朱塗(しゅぬ)りの御輿(みこし)のようなもので、棺桶(かんおけ)をのせて(かつ)葬具(そうぐ)。琉球沖縄では、(がん)棺桶(かんおけ)()けて人を(たぶら)かす話が多い。国頭(クニガミ)今帰仁村(ナキジンそん)運天(ウンテン)のブンブン(ビヤー)にこの(がん)の精がいて、よく大きな牛や馬に変化(へんげ)して出没し、人を襲ったという。人の足音と、荷物を(はこ)ぶギーギーという音が聞こえて近くを通るのは、それは人が今まさに()くなる時、その家の周囲を行き()する龕の精だという。龕の精は、夜、鶏を売りに来ることがある。子どもが病気なので鶏を買ってくれと夜訪ねて来た者がいて、買ってあげて翌朝それを見たところ、龕の角々に飾られる木彫りの鳥だったという。また、名護(ナゴ)市の北西に、昔あった羽地村(ハネジそん)では、夜に鳥を売りに来る者から買ってはいけないという言い伝えがある。昔、子どもが病気だから鳥を買ってくれないかと家々を回る者がいて、翌朝、買った鳥を見たところ、(がん)の角に(かざ)る鳥の木彫(きぼ)りになっていたという。(がん)は、亡骸(なきがら)を運ぶ物のために精霊(せいれい)がこもりやすいと考えられてきて、取り扱いには注意が必要とされた。また、葬式に赤い着物や帯をすると(がん)(せい)(マブイ)(※たましい)(うば)い取られるとか、葬式の最中に龕を指差(ゆびさ)すと手がもげてしまうといった(いまし)めがある。また、葬儀が終わって龕をしまう時には、悪口(わるぐち)を言いながらしまわないと、(がん)の精が人を連れに来るとされた。(がん)は、村(ごと)に一つという村の共有物(きょうゆうぶつ)であったため、年に一度、村人による龕祝(がんいわ)いが、かつては行われ、酒や肉汁で供養(くよう)した。また、古くなって不要になった(がん)は特に琉球時代、神職者である僧侶や祝女(ノロ)によって充分に供養(くよう)された。マジムン参照。

ガンノマジムン
 ガンノセイ参照。

キーヌーシー
 キーヌシー参照。

キーヌキジムナー
 木自物(キーヌーキジムナー)。糸満のキジムナー。南部の真壁(まかべ)の話で、全身が鮫肌(さめはだ)の人間クカキサメドン(久嘉喜鮫殿)とキジムナーの話。クカキサメドンが夜に海で魚を取っていると一人の魚取りがやって来て、並んで漁をするようになる。それからというもの大量だった。クカキサメドンはある夜、こっそりその友だちの跡をつけていって村はずれの大きな桑の木自物(キーヌーキジムナー)と知る。そして帰ると妻にそれを話す。すると妻は、クカキサメドンが漁に出ているうちに、その大きな桑を燃やしてしまう。キーヌーキジムナーが帰ると住む所が焼けて仕方なく遠い木の多い国頭へ移っていって苦労する。それからというものキーヌーキジムナーは、ぱったり現れなくなったが、それ以来、クカキサメドンの不漁が続く。時が経ち、友だちを誘って飲みにいった時にその話をしたところ、その友が突然恐ろしい形相になって立ち上がると、自分がキーヌーキジムナーだと名乗り、全身鮫肌(さめはだ)のクカキサメドンの弱点であった、指と指の間に小刀を突きつけ復讐する。
キジムナー参照。

キーノキジムナー
 キーヌキジムナー参照。

キーヌシー
 木の精。木霊(こだま)。精霊。沖縄本島で木の精をキーヌシーという。大木(たいぼく)宿(やど)る木の(せい)のこと。屋敷(やしき/やしち)内の大木を()る時にはかつて、キーヌシーに祈願してから伐採(ばっさい)した。なお、真夜中に木が倒れる音がする事があり、これはキーヌシーが苦しんでいる音とされ、決まって二、三日後、その木は()れるという。屋敷の大木を伐採する時には、キーヌシーが宿っているため祈願を執り行う。旧暦12月8日のムーチーの日には、キーヌシーが不在となるので、かつてはこの日に限って大木の枝を切り落とせるとする地域もある。キーヌシーはキジムナーであるともいわれるが、キジムナーとは異なって木から飛び出すことはない。。キジムナー参照。

キーマジムン
 キジムナー参照。

キームングヮー
 沖縄本島北部、名護の宇茂佐近辺や伊計島などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

キザムナー
 キジムナー参照。

キジマスクヮー
 沖縄本島恩納村などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

キジムナー
 琉球独自の妖怪。木に宿る怪。水の怪。木の精。水死人の亡霊。死霊。精霊。キジムンとも。キジムナーの語源は諸説がある。一説には「物をかき回す」の意とも。また一説には「キヂムン=()し物」の意とも。また一説には「キヌ(=の)ムン」の意とも。あるいは「木の蠱物(※まじもの/意味は人を惑わすもの。魔性のもの)」から「ま」が落ちて「キジムン」になったのという説もある(※キジムンの愛称がキジムナー)。また神の対極の存在とする説もある一方で、富を司る神としての存在の象徴とする説が有力。キジムナーという呼称は本来、正確には沖縄本島の中部と南部などでの呼び方。琉球沖縄全域で最も知名度が高い妖怪として有名で、河童(かっぱ)に似た妖怪なものの頭上に皿はなく、河童の緑色に対しキジムナーは赤。また河童に火は無縁だが、キジムナーは火と深い縁がある。多くが古木(こぼく)(せい)であり、(おも)にウスク、ガジュマル、アコウ、フクギ、センダン(栴檀)の古木(の(ウロ)(ウロ))に()(※この他には、ガーガーギー、伊集、ビンギなど)。また歳をとった古木がキジムンになるともいわれる。うっかり住む木を伐ってしまって酷い目にあわされたり、つきまとわれて、いつまでも悪さをされる場合もある。外形は、人の形、あるいはそれに近い。背丈は、7、8才の子どもぐらいとか、2尺とか、5~10センチぐらいなど色々。赤面(アカジラー)赤頭(アカガンター)小童(グマワラビ)で古木に棲んだりする。つまり赤い顔の子どものような姿をしているが、顔は猿に似ているとも。いずれにせよ赤ら顔、赤毛が多い。髪が肩よりも長く、全身が毛で(おお)われている場合が多いので小童伝承の系譜に入ると思われるが、ある地域では大きく真っ黒いモノであったり、あるいはまた、大きな睾丸(こうがん)の持ち主であったり、乳房が大きく垂れ下がっていたりする場合もある。黒い小さな虫の形をして節穴から入ってくる場合もある。つまり、妖怪変化の性格をもつ。人を(だま)すのが大好きで、寝ている時に人を押さえつけたり、赤土(あかつち)赤飯(せきはん)に見せかけて人に食べさせたりする(※金縛(かなしば)りは、よくキジムナーのせいとされる。キジムナーに押さえ込まれることを「ウサーリーン」という。キジムナーには(おす)(めす)がいて、イナグキジムナーは男を、イキガキジムナーは女性を押さえ込むが、女性がキジムナーの子を(はら)むことはない。押さえ込む行為の意味はクイ(恋)であり、ミートンダニンジであるとも。仮眠状態の時によく押さえ込まれ、その際のキジムナーの姿は全く見えず、周辺の人にも見えない透明であり、キジムナーには姿がないとも伝わる。また、キジムナーが家に入ってくる際には、一陣の風が起こってからやって来るともいわれる。夜に人がうなされるのは、キジムナーが戸の隙間や穴から入って来て人を押さえるためとも。これを防ぐにはススキのサンを胸に乗せておくのが効果的)。また、木の(うろ)(※樹木に開いた穴)をはじめとする、通常なら入れない狭い場所に人を閉じ()めたり、夜道(よみち)()(うば)ったりという悪戯(いたずら)をする。逆に、友達になると、(りょう)山仕事(やましごと)を手伝ってくれる。キジムナーがいる家は富み、キジムナーと友だちになったところ経済的に豊かになったという話は多いが、やがてキジムナーがよそに越して家が没落する話が多い。家に大変な富をもたらす性格と、裏切った人間に残忍な仕返しをする二つの性格を併せ持つのが特徴的。家の中で枕返しにあったり、寝ている人が押さえ付けられたりはキジムナーのせいといわれる。水面を駆けるのが巧みで、人を連れたままでも水面に立てる。一緒だと魚運に恵まれることが多く、キジムナーは魚を捕るのが非常に上手で、一緒に漁に行くと(またた)()にたくさんの魚が()れる。ただ決まって左目、または両目はキジムナーに食べられている(※「片目の魚」とは、そもそも神への供物お魚で、取ってきた魚を神に捧げるにために片目を潰して神社の池に放し、普通のものとの差別化を図った。つまり、片目の魚は神や精霊の食べ物の象徴)。キジムナーと(えん)を切るには、大嫌(だいきら)いな、次の物を投げつけるのが有効(ゆうこう)とされる。(たこ)放屁(ほうひ)(おなら)(にわとり)、熱い鍋蓋(なべぶた)など。また、宿(やど)っている老木を切ったり焼いたり(※木を切って良い日を「キリチビー/チリキ」などといい、その日以外に切るとキリチ、つまりキーヌシー(木の精)(たた)りがある)、古木(の(また))に(くぎ)を打ち込む方法もあるが、(ただ)しいずれにせよ、いちど友だちになったキジムナーとの決別後は必ず仕返しされ、経済的没落や死亡に至る場合が多い。またキジムナーの復讐は、縁を切った本人以外に、むしろ家族に、災害や不幸が及ぶ場合も少なからずあり、本人は絶望の淵に立たされる。キジムナーは火と深く関わり、魚や(かに)を捕る時に盛んに火を(とも)して海の上を行き来する。特に旧暦8月10日は妖怪日(ヨーカビー)といってキジムナーの火が出るため、それを見ようとする人は多い。キジムナーの火は通常の火の色と異なる。時々、海上を渡って来る時があり、またそれはとても速い。なおその原因不明の怪火は「キジムナー()」と呼ばれる。「キジムナー()」が家の屋根から上がる場合は、死の予兆(よちょう)とされる。キジムナーと関わりたくない方法の一つは、側に来ても声を掛けないことで、声を掛けると(マブイ)を取られる事があるという。山で出会った人や、谷川の石を動かしているのを見てしまった人が、キジムナーの怒りをかって(マブイ)を取られたという。国頭村の山小屋にキジムナーが来たことがあり、追い払うと悪さをするので、生竹をそっとくべ、爆ぜる音を聞かせたところ、驚いて逃げていったという。人語を聞き分けることができ、怪力の持ち主で、それを利用して財を成した者がいて、この者はキジムナーと別れるため、(ぢやさめ)(たこ。手八つ、の意)を柱に掛けておいたところ、二度と来なかったという。総角(あげまき)の髪型で、山で人が()いた火の周辺に近寄って来る。これを追い払うには青竹を燃やして出る爆音が効果的。なお本土の火取魔のように人が持つ提灯(ちょうちん)の火を取って逃げる。これを防ぐには出掛ける前に提灯を(また)ぐとよい。羽地村源地では、老婆が川端の老木の上で、枝を枕に睾丸の大きい子どもが寝ているのを見た。老婆が竹竿で睾丸を(つつ)くと子どもは飛び上がってどこかに消えた。その夜、老婆は床につくや(いな)や先ほどの子どもに襲われて身動きが出来ず、一晩中苦しめられたという。大宜味村喜如嘉のある家に、毎年旧8月8日にやって来て、豚小屋の豚を綱で(くび)り、火でところかまわず焼いたという。他の話では、屋敷にあったヒンギの老大木にキジムナーが住んでいて、その家の翁と親しくなった。キジムナーは、翁を毎晩、魚取りに誘い、また翁を裕福にした。毎晩の誘いが辛くなった翁は木に火をつけたところ、キジムナーは他の家に移ってしまい、あっという間にその翁の家は没落したという。似た他の話では、キジムナーとの関係を断とうとして、嫌いなものを聞き出し、門口に蛸を()るし、(みの)を着て鶏の真似(まね)をして追い出すことに成功するも、3日後に翁は死んでしまう。沖縄本島の勝連には、水死した人の亡霊が妖怪化してキジムナーになったとする伝承もある。奄美のケンムンや宮古のマズムヌ同様、起源は、家造りの手伝いをした藁人形にあるという説もある。なおキジムナーの呼び名は多種多様で、本来、以下のように地域により様々(さまざま)だったのが、近年はあまりにキジムナーという呼び名に傾倒(けいとう)し過ぎている傾向が見られる。野甫島(のほじま)隣接(りんせつ)するジューマ(小島)の「フィーフィーガマ」のフィーフィーが、当時は小島であった那覇の奥武山(おおのやま)に引っ越し、やがて沖縄(じゅう)に広がっていったと推測している(※キジムナーには以下のように色々な元の呼び名があり、中にはここで扱うキジムナーとは異なる妖怪の場合もあるものの、あくまでここでは個人的な分類となる。なお、奄美の群島のケンムン類は、分類を別にしてここでは別扱いにしているが、同類と考えている)
【キジムナーの地域別の本来の呼び名】

沖縄本島(おきなわほんとう)の、中部(ちゅうぶ)南部(なんぶ)島尻(しまじり)中頭(なかがみ)キジムナー、アカジラー
伊平屋島(いへやじま)アカカナジャー、アカカナザー
野甫島(のほじま)フィーフィー
伊是名島(いぜなじま)の、伊是名(いぜな)勢理客(せりきゃく)アカブサー
伊是名島(いぜなじま)の、内花(うちはな)ウンサーガナシ
沖縄本島北部(おきなわほんとうほくぶ)の、国頭村(くにがみそん)大宜味村(おおぎみそん)羽地村(はねじそん)東村(ひがしそん)久志村(くしそん)ブナガー、ブナガイ、ブナガヤ、ブナガヤー、プルパカヤー
沖縄本島北部(おきなわほんとうほくぶ)大宜味村(おおぎみそん)喜如嘉(きじょか)ハンダンメー、ハンダンミー
沖縄本島北部(おきなわほんとうほくぶ)大宜味村(おおぎみそん)謝名城(じゃなぐすく)ブラガヤア
沖縄本島北部(おきなわほんとうほくぶ)の、名護(なご)カムローグワー、シノーラー、スノールキジムン、ボージマヤー、ヤンバサカー
沖縄本島北部(おきなわほんとうほくぶ)の、汀間(ていま)ティヤーチャー
沖縄本島北部(おきなわほんとうほくぶ)の、本部町(もとぶちょう)今帰仁村(なきじんそん)伊江島(いえじま)カムラグヮー、カムローグワー、シェーマ、セーマ
沖縄本島北部(おきなわほんとうほくぶ)の、伊豆味(いずみ)健堅(けんけん)セーマ
沖縄本島中部(おきなわほんとうちゅうぶ)の、金武町(きんちょう)ガヤプヤー
沖縄本島中部(おきなわほんとうちゅうぶ)の、勝連半島(かつれんはんとう)とその周辺(しゅうへん)離島(りとう)イッチョイグワー、ウンサグワー、ケンケンズーマー、ケンケンジムナー、フカゾークークー、ヤチバー
沖縄本島中部(おきなわほんとうちゅうぶ)の、中城村(なかぐすくそん)カーガリモー
沖縄本島南部(おきなわほんとうなんぶ)の、糸満(いとまん)ギジムナー
沖縄本島(おきなわほんとう)(旧島尻(しまじり))の、仲里(なかざと)キムナー
沖縄本島南部(おきなわほんとうなんぶ)の、南風原町(はえばるちょう)玉城村(たまぐすくそん)マージャ
久米島(くめじま)キムナー、ギジムナー、仲里村では更にカーカプロー、カブロー、アカジラグヮー、アカブチャーグヮー、マヤ
宮古列島(みやこれっとう)(諸島)インガマ・インガマ・ヤラブ、ズムヌ、マジムン、マズムヌ、マズムン
八重山列島(やえやまれっとう)(諸島)アカウニ(西表島)、カムラーマ、キディムヌ・マディムヌ、マア、マージヤッピー、マンジー、マンジャー(小浜島)、マンジャースー(小浜島)、マンダー(石垣島)
奄美沖永良部島(おきのえらぶじま)グァーラ


ギジムナー
 沖縄本島の南部、糸満を中心に北部の西側、久米島などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

キジムナービー
 キジムナー参照。

ギジムナービー
 キジムナー参照。

ギジャムナービー
 キジムナー参照。

キジムン
 キジムナー同様、よく使われて来た呼称。キジムナー参照。

キジャムナー
 キジムナー参照。

ギズマナービー
 キジムナー参照。

キヅムナー
 キジムナー参照。

キディムヌ
 与那国島はじめ八重山諸島にいるキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

ギベテツジン
 人。幽霊や妖怪ではない。儀部鉄人(ぎべてつじん)。むかし、沖縄本島のの金武(きん)間切(まぎり)並里(なみさと)に、儀部鉄人(ぎべてつじん)という体の多くが鉄で出来た屈強な男がいた。薩摩が琉球國に攻めてきた際、大いに薩摩軍を脅かしたが、ついに殺されてしまった。他の記事「儀部鉄人」参照。

キムナー
 久米島などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

キムヤー
 キジムナー参照。

キャンミサキノハナモー
 ハナモー参照。

ギライバア
 イナフクバア参照。

ギルマナア
 妖怪。家に来る怪。妖怪。身長は一尺(いっしゃく)(※約30㎝)(ほど)の身長で、赤い体をしていている。普段(ふだん)(くさ)った木の(うろ)(※木の穴)、またはその下にいて、夜になると人家に侵入(しんにゅう)し、金縛(かなしば)りにして人を押さえつける。ない、鶏が鳴くと去ってゆく。海で魚や(たこ)を取って来る。キジムナーの一種。キジムナー参照。

キンノギベテツジン
 ギベテツジン参照。

クイキリウシ
 奄美の徳之島の妖怪。首切り牛(くいきりうし)阿布木名(アブキナ)の白牛の坂に現れる、首が切れた牛の妖怪。

クチ
 呪文(クチ)。奄美大島の怪異。お茶や食物などに呪詛する呪詞を唱え入れ、相手に飲ませたり食べさせ害を成す事を「クチ」「フイグチ」という。呪術のクチを返す「カエシグチ」もある。そのほか、憑依した物をクチという。

クカキサメドン
 クカキサメドン(久嘉喜鮫殿)。全身が鮫肌(さめはだ)の人間。キジムナーに復讐され殺される。キーヌキジムナー参照。

クチフラチャー
 伝説の、双頭の(クチフラチャー)双頭(そうず)

クビキリウシ
 クイキリウシ参照。

クビナシハブトリ
 浦添間切に西原部落を作って、西原間切と区別するため西原グヮーとした。そこのあるハブ取りが、自分で自分の首を切り落とし、胴体を墓の外に放り投げて自殺した。

クランビャラ
 ウタンクビリ参照。

クロマタ
 神。沖縄の特に八重山(やえやま)各地で行われる豊年祭(ほうねんさい)に登場する来訪神(らいほうしん)西表島(いりおもてじま)東部の古見(コミ)発祥(はっしょう)とされ、小浜島、石垣島宮良、上地島などに伝わる。アカマタとクロマタの二神とともに現れる場合もある。西表島の古見(コミ)では、クロマタが親神、アカマタとシロマタは子神とされ、親神のクロマタには次の伝説が伝わる。むかし、山の幸を採って生活していた下幸二という屋号の家の息子が、犬と猟に出たまま戻らなかった。村総出(そうで)で捜索したが見付からず、結局、死んだものと思われた。ある嵐のこと、家の外から母を呼ぶ息子の声がする。母が誰かと問いただすと、声の(ぬし)が言うことには、自分は神になって、母に会えない身となったいう。私の姿を見たければ、旧暦六月の最初の(みずのえ)の日に、ある場所に来て欲しいと。いぶかしく思いながらも、母はいわれたままにその場所へ行ってみると、(わず)かな時間だけ息子を見ることが出来たという。それ以来、毎年その日になると、神になった息子が出現し、豊作の時は村の近くに、凶作の時は村から遠くに現れるようになったと言い伝えられる。なお村人達は、これを豊作をもたらす神とするようになり、その神を真似た(めん)を作り、豊作祈願して村近くに(まつ)った。するとそれから神が姿を見せなくなり、代わりに、(めん)に神が宿(やど)るようになり、それが豊年祭の始まりだといわれる。

クンム
 ケンモン参照。

クンムン
 妖怪。奄美大島や、徳之島伊仙町(イセンちょう)などに伝わる妖怪。首吊(くびつ)り現場に現れる妖怪で、ケンムンの一種とも言われる。ケンモン参照。

ケムン
 徳之島の妖怪。ケンモン参照。

ケンケンジムナー
 沖縄本島中部、勝連(カツレン)半島と周辺の離島などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

ケンニン
 ケンモン参照。

ケンムン
 ケンモン参照。

ケンモン
 ()(もん)。奄美のマイナムン。水蝹(ケンモン)。奄美地方全域の海や山に現れる奄美で最も有名な妖怪。ケンモンは熊本県周辺の妖怪山童(ヤマワロ)山○(サンツアウ)(※○は「けものへん+操のつくり」)と同じものと思われる。沖縄のキジムナー同様、河童(かっぱ)と同系列ながら、別の妖怪とされる。琉球独特の妖怪キジムナーが、琉球時代の島津氏の琉球侵攻により奄美地方が薩摩支配に変わった事によって日本本土の様々な影響がしだいに強くなり、有名な妖怪であるガラッパの影響を強く受けて奄美独自の妖怪となったと推測される。また一説には、沖縄本島ののキジムナーや宮古のマズムヌ同様、木こりのの手伝いをしたり、山から木を運んで大工の手伝いをする話もあり、由来譚からケンムンの起源は、家造りの手伝いをした藁人形にあるともされる。ガジュマルやアコウなどの()(せい)とされ、また()む場所はケンムンワラと言われる。呼び名は色々あり、ケンモンやケンムンのほか、カワタロ、クンムン、クンム、ネブザワ、山ワロはじめ色々あるが、そもそも発音を正確に表記できないため、それらで仮に表記しているとされる。また語源は、怪の者、化の者、恠の者、木の者、毛の者(※「者」が「物」の場合も)訛語(かご)といった諸説がある(※「ムン」は、実体のない何か、摑みどころのないもの、得体の知れぬ霊物という意)。また体の特徴や性質は、土地(ごと)でかなり異なっている。幼子(ようじ)のような体格で、顔が犬、猫、猿などに似て、体中に毛が生えているとか、赤い肌をした裸の場合など様々で、犬、猫、猿などに化けることもあるという。また、頭に皿があったりなかったり。また、おかっぱ頭で赤い毛の場合もある。(あし)が細長く、座る時はいつも両膝(りょうひざ)を立てるが、頭より両膝の方が高いという。指の先に、火を(とも)して歩くとか、(よだれ)が光るとされ、いずれにせよ、火に関連。季節によって海と山を移動し、尾根伝(おねづた)いに火を(とも)しながら集団移動する様子(ようす)は、さながら提灯行列(ちょうちんぎょうれつ)のようだと言われ、それをケンムンマチ(ケンムン火)と言う。蝸牛(かたつむり)常食(じょうしょく)で、ナメクジを丸めてそれを(もち)だと言って食べたりもする。体臭(たいしゅう)山羊(やぎ)のそれで、山中で、(くさ)いと言われたり、()の事を話すのを(いや)がる。また、(きら)いな物は、(たこ)、ギブ貝、鉄類(てつるい)など。山の中で、大きな石が転がる音や、木が倒れる音を立てたりするのはケンムンの仕業(しわざ)である。また、人と相撲(すもう)をとるのが好き。変化(へんげ)能力が非常に高く、子馬、出会った人そっくりの人に化けてみたり、保護色を使って周囲の物に()けて同化(どうか)するのも得意(とくい)とする。山の中で食物を持っていると、ケンムンに跡をつけられて、よく道に迷わされる。ケンムンと友達になると、きまって片目の魚が沢山(たくさん)()れるが、片目がケンムンに食べられているのは、キジムナーの場合に同じ。ただし目に塩を塗っておくと魚の目玉はどうもない。ケンムンには、河童、キジムナー、イッシャーといった西南諸島の妖怪の性質が(ほとん)(ふく)まれている点が特徴的といえる。ケンムンは、太平洋戦争までよく目撃されたが、戦争を(さかい)にあまり聞かれなくなったという。なお戦時中、空襲を()けるためにガジュマルの木の下に疎開(そかい)していた時、()いておいた(かゆ)をケンムンに食べられたという話があり、人には姿が見えないのに、ケンムンは、チャンチャンと音を立てて食べたと伝わる。またGHQの命令で奄美大島に仮刑務所が造られ、たくさんのガジュマルなどの大木を伐採した。島民はケンムンの祟りを恐れ、「マッカーサーの命令だぞ」と大声で叫びながら木を切ったという。後にマッカーサーがアメリカに帰って亡くなった知らせを聞いた島民は、近頃、見えなくなったケンムンは、アメリカに渡ってマッカーサーに祟っていたのだと言ったそうである。そしてその後、ケンムンが現れる始めると、アメリカから帰ってきたと(うわさ)したという。奄美のキジムナーともいえるが、キジムナーとは区別するのがよいと思われる。ケンモンと似た奄美地方の妖怪は、ケンモンの一つの現れ方とも言われる。いずれにせよ、ケンモンとウバとガワッパには混同が見られる。その一方で、ケンモンは、ウバやガワッパと生息する場所が異なるとも言われる。ヒジャ(※海に迫る山頂の平斜地を「ヒジャ(※ヒダの訛、飯田、飛騨)と呼ぶ。この場所は人々が耕作して唐芋その他の農作物を作った。ヒジャに出来る唐芋を比田蕃藷(ヒジャバヌス)と呼び、かつては有名だった。また秣を刈ったり、周辺から焚物を拾ったりする所)という地域を中心に海浜一帯に生息するのがケンモンの特徴。ただし、ケンモン原と呼ばれる所ではどこでもケンモンが出没するが、そこでウバやガワッパはあまり出没しない。空模様が悪くなりそうな暗い夜など、また海岸などに出ていると、人が通りそうもない山の中腹辺りに、青白い光が明滅し出す。時に早く、時にゆっくり動き、みるみる一点の火が三つも四つにも分かれて、また一つになる。これは怪物火比(ケンモンウマツ)という。その火は、浜伝いに河童が出ると言う水門尻に迄やって来て消失する事がある。またケンモン指の先に火を点して歩くともいう。あるいは、その(よだれ)が光って火に見えるともいう。朝まだ誰も人が通らぬ白浜の水際に行ってみるとケンモンの足跡が付いている場合があり、脚は細長く、(きね)の先の様になっているため、これを手杵足(アヅミハギ)と言う。人里離れた白浜の小屋などにいると、夜になると裏山から木の葉をざわめかして岩石を蹴落としながら無数のケンモンが磯の方へいざりに出掛ける。その通る様は、群鳥が飛び下って来る様であるという。なおその通り道に白い洗濯物を干しておくと翌朝は必ず足跡が付いて汚れているという。その際は何か「左まき」の物を置いておけば被害がないという。ケンモンの棲家は、ホーギ(※オホ木/ガジュマルの一種)の下だといわれる。よくケンモンは子をあやすため、嘉徳部落のヒゴ山の法木からは、白昼でもケンモンの子守唄が聞こえるという。ちなみに、これが子をあやす時は、「ヨーファン(くわ)、ヨーファン子(意味不明)」と歌うのに反して、人の子守唄は、「ヨーファンヨー、ヨーファンヨー」であるから、区別がつくという。ケンムンの常食は蝸牛(ツンダリ)蝸牛(かたつむり)で、木の根元に食い残しの蝸牛の殻が沢山溜っていたりする。またナメクジを丸めて餅だといって食う。ある山間の一軒家の子供が行方不明になった。父母は心配して心あたりを探しが見つからなかったが、翌朝、木の下に坐っていた。そして夜中にケンモンに引き回わされ蝸牛をしこたま食わされたと言う。山路の法木の側を通る時は、よくケンモンが石を投げるという。また山路で屁のあげつらいはしないものだと言われていて、必ずケンモンが出て来て「吾ン屁ヤヒラソド」(吾は屁はひらざりしぞ)と言われている。よくケンモンは人間に相撲を挑むが、その際は逆立ちして見せるとよい。ケンモンが真似て逆立ちすると、頭上の皿の力水がこぼれてケンモンはたちまち退散するか死ぬ。同様に、お辞儀をすると、ケンモンもお辞儀して水がこぼれるので効果的。ケンモンは「ノブサダ」と呼ばれるのが嫌いで、こう呼ばれると怒って色々なと人にいたずらする。ケンモンは藁人形からできていて、(かしら)は大工の神テンゴであるともいう。また人をススキの下などに閉じ込めることがある。ケンモンは怪力の持ち主で、捕まえて家の柱に括り付けておいたところ、柱をへし折って逃げていたという。ケンモンが騙すのは、同い年で頭が悪い人、または、とても善い人だいう。また、ケンモンが見えない時は、人差し指を口に加えると見ることができる。なお、ケンモンと河童の共通点は、頭に水を蓄える皿がある点、その水が無くなると力が抜け神通力が消失する点、人を水中に引き摺り込んで肛門のところにあると想像されていた尻子玉(しりこだま)尻小玉(しりこだま)を取る点だが(※取られると人も動物も死ぬ)、逆に、ケンモンと河童の相違点は、ケンモンがガジュマルなどの古木の樹上や岩の上といった陸上に住むのに対して、河童は水中に住む点(※ケンモンが水に入ったり河童が陸に上がるのは稀)、ケンモンがが猿のように全身が毛で覆われているのに対して、河童は背中が鱗で覆われ亀の甲羅のようである点、ケンモンには河童にない様々な要素がある点が挙げられる。従って違いから、ケンモンは河童というよりもヤマワロ•サンツアウに似ているといえる。ウバ、スイイン、カワタロ、ヤマワロとも。ガワッパ、ウバ、キジムナー参照。

コイナー
 妖怪。石垣島でいう鳥。クイナ。夜間に南方の海上から鳴きながら渡ってくる。その鳴き声を聞く事は、吉兆(きっちょう)(※善い事が起こる前触(まえぶ)れ、前兆(ぜんちょう))とされている。

コソダテユウレイ
 子育て幽霊(こそだてゆうれい)。幽霊。(あめ)買い幽霊とも呼ばれ、昔話や伝説、民話として語られる怪異(かいい)で、青森県から沖縄県までの広い地域に似た話が分布。幽霊(ゆうれい)子育(こそだ)てする内容。ある飴屋(あめや)に、夜毎(よごと)、見知らぬ女が(あめ)を買いに来る。不思議に思った飴屋の主人が後をつけると、女は墓地に消える。すると、ある墓の地面の下の方から、赤ん坊の泣き声が聞こえ、墓を掘り返すと、最近死んだ母親の亡骸(なきがら)(かたわ)らで、赤ん坊が元気に生きていたという話。身ごもったまま、行き倒れの場合や、いずれにせよ死んだ母親が、三途(さんず)の川の渡し(ちん)である六文銭(ろくもんせん)で、子どものために、乳の()わりに飴を買って与えていたという話が基本型。また、この赤ん坊は、後に立派な(そう)(※お坊さん)になる話の場合が多く、各地の寺院の秘話(ひわ)として語り()がれている場合が多い。

ザー
 幽霊。沖縄の宮古島に伝わる女の幽霊。どこか弱々しく、髪の毛を()らした姿で出現。生前、失恋した女性がザーの姿の幽霊になって現れるとされる。特別、人を襲うことなどはないものの、生前好きだった人の(そば)に常にいて、その人が裏切りを働いたり、大切にすべき人を大切に出来ていない場合はじめ、ザーから強い忠告がある。なお、それでも何も変わらない男の場合は、重い罰が(くだ)る。

サイモン
 チリモス参照。

サカダチユウリー
 サカダチユウレイ参照。

サカダチユウレイ
 幽霊。逆立(さかだ)幽霊(ゆうれい)首里(しゅり)末吉(すえよし)から(とまり)崇元寺(そうげんじ)まで続く道を真嘉比道(まかんみち)と言う。かつてここに波名城真三郎(はなぐしくまさぶろう)という(さむれー)と美人の妻真鶴(まづる)が住んでいた。真三郎は士官(しかん)もかなわず病弱で寝込んで心も()み、性格が良く美人の妻が他の男の元に走るのではないかと始終(しじゅう)嫉妬(しっと)したため、真鶴は自分の鼻を()ぎ落とし、(みずか)らの貞操(ていそう)を証明した。その後の真鶴の献身的(けんしんてき)介護(かいご)により真三郎はすっかり回復し、士官も(かな)うが、(みにく)い妻に嫌気(いやけ)がさし、ついにはナビーという女を自宅に連れ込み、真鶴に毒を()って殺してしまう。毒殺(どくさつ)された真鶴は幽霊になって、怨念(おんねん)を晴らすべく真三郎とナビーの家へ()()な現れたため、真三郎は真鶴の墓に行き、二度と化けて出ないようにと真鶴の亡骸(なきがら)の足を釘付(くぎづ)けにした。しかし真鶴の幽霊は、釘付けされた両足を(さか)さにし、鼻がないうえに猛毒(もうどく)によりさらに醜くなった顔のまま現れ続けたため、真三郎は寺に頼んで魔除(まよ)けの(ふだ)を手に入れて、それを屋敷(やしき)じゅうに貼った。そのため家には入れなくなった真鶴は、逆立ちしたまま真嘉比道を彷徨(さまよ)うしかなくなってしまった。その(うわさ)を聞いた池城里之子(いちぐしくさとぬし)という者が、幽霊を退治するため真嘉比道へやって来るが、真鶴の非常な身の上を聞いて同情し、家に貼られたお(ふだ)を無効にしたため、ついに真鶴の幽霊は(うら)みを晴らすことができたという。(※他に、夫の名が嘉平川(かびらがわ)里之子(さとぬし)、妻がチルー、愛人が寡婦(かふ)のナビー、池城(いちぐしく)親方(うぇーかた)になっているといった話あり。芝居では、夫の名が玉城里之子(さとぬし)、妻がチルー、愛人が花城(はなぐしく)、愛人は尾類(ジュリ)。)

サバ
 神。海の神。海の神の使い。琉球の民話に度々出てくる巨大な(さば)とは多くがruby>(さめ)だが、大きい魚のことをいう。

サヒモン
 チリモス参照。

ザン
 神。海の神。海の神の使い。動物の怪。人魚。琉球沖縄の伝承上の魚や、ジュゴンのこと。奄美地方では「ザンノイオ」とも。「ザンノイオ」ともいうジュゴンのことを言う。むかしは、漁師がジュゴンを捕まえて食べる時は、必ず浜で料理し、家には決して持ち帰らなかったという。持ち帰れば、その家の主婦が死ぬか、あるいは持ち帰った者が海で災難(さいなん)()うと信じられていたためである。なお、奄美大島では、ジュゴンをザンノイュと呼び、これを見かけたら必ず大時化(おおしけ)になると信じられ、舟を急いで帰港させた。石垣島に伝わる話では、ある漁師がザンを捕まえたところ、涙を流して助けを()うので、逃がすことにした。するとお礼に、大津波(おおつなみ)が来ることを教えてくれた。漁師達はさっそく村に帰って、その話をみんなに伝えた。なお、それを信じた者だけが助かり、信じずに避難(ひなん)しなかった者達は、ことごとく大津波で命を落としたという。また他の話では、知らせを聞いた村の人々は避難(ひなん)して助かり、折角(せっかく)教えてあげた隣り村の人々は、話を信じずに逃げなかったために、助からなかったという。他の話では、夜遅くに、海上の波間を渡って美しい女性の声が聞こえた。翌日、その声を確かめるべく、3人の若者が船を出した。網に掛かっていたのは半人半魚の生き物、人魚だった。船に引き上げようとしたが、人魚は、空気中では生きていかれないと泣いて命乞(いのちご)いした。そこで若者たちは人魚を海に帰してあげた。なお人魚はお礼に、程なく大津波が来ることを教えた。琉球沖縄で人魚は、大津波の預言者としてよく登場する。

シー
 西表島など八重山の妖怪。クヮーキ(桑の木)の木のヌシで、木の穴から人の形をしたシーが出てきて漁を助けてくれると西表島に伝わる。また沖縄本島の名護より本部方面の海側の広い地域でのキジムナーのような妖怪もシーという。キジムナー参照。

ジーワーワー
 妖怪。地豚(じーわーわー)国頭郡(クニガミ・ぐん)大宜味村(オオギミ・そん)謝名城(ジャナグスク)地方の妖怪。夜道に出る化け物(ばけもの)。ジーワーワー石と呼ばれる石が、夜な夜な豚に化けて歩き回るという言い伝えがある。

シイノキノセイ
 木の変化(へんげ)(しい)の木の精。(しい)の木は必ずスジヤ(人間)を守ってくれるという言い伝えが琉球沖縄には昔からある。大宜味村喜如嘉で、(しい)の実を拾うため山に入り、道に迷ってしまった少女がいた。夜中、緑の衣装を着て踊る大勢のモノ達に会った。この時、大きな猪に少女は襲われるが、白い髭を生やした翁に抱きかかえ上げられて救われた。翌朝、目を覚ますと、(しい)の大木の下に(かか)えられるように少女はおり、実がたわわに実っていた。

シェーマ
 妖怪。精魔(せーま)。沖縄本島北部、名護から本部町、今帰仁村、伊江島などでのキジムナーのような妖怪。シェーマは人の目には見えないとも。大きなガジュマルなどに棲む。かつて本部(もとぶ)健堅(けんけん)はじめどこでも、家の敷地に年を経た大きなガジュマルがある場合にシェーマの住みかとならないように、ガジュマルに五寸釘を打って追い払っていたという。沖縄本島の国頭(クニガミ)今帰仁村(ナキジン・そん)羽地内海(ハネジナイカイ)のヤガンナ島では、人がこの島に入ると、(おす)のセーマは自分の性器を人の(くち)()っ込み、(めす)のセーマは乳房をロに突っ込んで窒息死(ちっそくし)させるという有名な伝説がある。また本部町健堅では、シェーマと仲良くなると、その人に覆い被さるようになり、人は物も言えず、動く事もできず、息ができずに苦しいという。シェーマが家に入って来る時は真っ黒な影で人の足音がするので注意していれば薄々感じる。雌のシェーマは乳房で人の口を塞いで物を言わせなくする。雄のシェーマは女性に覆い被さると睾丸を口にくわえさせるという。今帰仁湧川のヤガンナ島は、そもそも死者を(ほうむ)る神聖な島で、一般の立ち入りはタブーとされてきた。その一方で、ヤガンナ島に先祖の墓がある者達は、しばしば祖先を供養(くよう)するため、舟で羽地内海を渡った。キジムナー同様に、シェーマと友達になって一緒に漁に出ると大漁になるが、獲れた魚には左目がなく、シェーマが食べられているという。(チィーヤーチャー)(タコ)()が苦手。キジムナーの一種とも。キジムナー参照。

シェーマキジムナー
 シェーマ、キジムナー参照。

シェーマビ
 シェーマ火。海でシェーマが火つける火で、1つが2つ、3つ、4つとなった後に1つになったという言い伝えがある。

シカタ
 妖怪。怪異。精霊。奄美大島の村里のマイナムン。長く病気を(わずら)った病人のところに現れる。この妖怪が、地面を(たた)いて(かた)める音を立てると、その病人は死んでしまうという。

シキン
 沖縄本島北部、安和や山入端などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

シチ
 怪異。山の怪。決まった時間に出る幽霊。奄美の喜界島(キカイジマ)や沖縄の妖怪。難産(なんざん)で死んだ女の霊がなる妖怪で、天と地を(つな)ぐ黒い円柱(えんちゅう)のようなものだとも言われ、喜界島に伝わる『二十三夜様』という昔話に登場する。ヒチ(マジムン)と関係あるとも言われる。また琉球沖縄ではヒチ、シチマジムンとも呼び、幽霊の一種とされる場合もある。道の(つじ)にいて、人を迷わせ、時には数十キロも離れた所まで歩かせる。シチが走るとそれは風のようで、水面を()け回る時もある。また人に会うと、赤飯と白飯とを選ばせる()る舞いをし、赤飯を選んだ者は赤土を食わされ、白飯を選んだ者は海岸の波の飛沫(しぶき)を食わされる。シチに出会った時は、男の場合は(ふんどし)を外して鉢巻(はちま)きし、女の場合は腰巻(こしま)きや(はかま)を頭に(かぶ)ったり打ち振れば被害(ひがい)を受けない。時には、草木にしがみ付いていて助かった例はある。また、鶏が鳴くと離れてゆく。なお、夜道、(くし)を髪に()して歩いたり、(むしろ)を持って歩くとシチに(だま)されるともいわれえう。なお、シチマジムンを、魔物(まもの)の中で最も恐ろしいとする考えがあり、それは天まで届いたり地面一杯に広がったりする得体(えたい)の知れない魔物であるため、絶対に逃げ切れないという。沖縄本島の山原地方に伝わるクルク山のシチマジムンも有名。形が見えず、ぼんやりした雲か風のようなものだとも。板戸の節穴からでも出入り出来て、人に危害は加えないものの数週間、人を連れ出して迷わせる。時には、墓穴の中に人を閉じ込めることがある。

シチマジムン
 シチ参照。

ジッカンジノアメカイユウレイ
 幽霊。十貫瀬(じっかんじ)飴買(あめか)幽霊(ゆうれい)。アメカイユウレイ参照。

シツヌビ
 霊魂。巳亥の火(しつぬび)。「ツチノトキノヒ」とも。「シツ」とは「巳亥(きのとい/いつがい) )」で干支(えと)の一つ。石垣島地方でいう怪火。巳亥の夜、お墓の付近からのぼる炎で、特に墓守(はかもり)などは、それ見て、色が青白ければ大凶、赤ければ半凶・半吉ということで、それを人々に伝えて注意を(うなが)した。

シニマブイ
 霊魂。死魂(しにまぶい)死霊(しりょう)や霊魂のこと。死んだ後も存続する死者の霊魂や、死後三十三回忌まで墓や位牌(いはい)に宿る霊魂。マブイ()には、生者に宿る「イチマブイ」と死者に宿る「シニマブイ」とがある。死後もこの世に(とど)まるシニマブイは、そのまま幽霊になってこの世を彷徨(さまよ)うため、あの世へと正しく送り出さなければならない。そのために、四十九日の法事が終わってから、死者と遺族の絶縁(ぜつえん)の儀式である「魂い別し(マブイワカシ)」を行う必要があるとされた。イチマブイ、マブイ参照。

シノーラー
 沖縄本島北部、名護などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

シバナガユウレイ
 幽霊。舌長幽霊(しばながゆうれい)。沖縄本島の国頭(クニガミ)地方でいう、人の幽霊や、人以外では、首長、山羊、牛、豚などの形をした妖怪。山羊、牛、豚の妖怪は、そもそも琉球沖縄ではマジムンとしてもよく知られる動物。なお舌長、首長については、よくわかっていないところがあるが、首長は特に地方の豪族の長や権力者の場合が多い。

シマーブー
 奄美の喜界島の妖怪。夜中に道を歩いている時、枝を広げた木のようなものが突如(とつじょ)出現して、先に行かれなくなる。有名な福岡県の塗壁(ぬりかべ)のような妖怪と言えるかもしれない。

ジャー
 妖怪。義本王(ぎほんおう)時代、沖縄本島北谷(ちゃたん)間切(まぎり)屋良村(やらそん)屋良無漏池(ヤラムルチ)の巨大な大蛇(だいじゃ)。伝承では、巨大な蛇、龍、巨大な鰻のようでもあったと伝わる。ある時は雲の中まで昇ったかと思うと遠くまで響き渡るほどの大音響で咆哮(ほうこう)し、雷と共に暴れ回った。古い時代、ジャーの怒りを抑えるため、屋良村(やらそん)の人々は生贄(いけにえ)(ささ)げていた。ある時、生贄(いけにえ)加那(かなー)という女性が選ばれ、年老いた母と村のために、母には内緒で自分の身をジャーに(ささ)げることにした。そしてまさに加那(かなー)が食べられそうになった時、天をも貫く雷光がジャーに落ち、悲鳴を上げながらジャーは燃え上がったという。人々は天神が母親思いの加那(かなー)に慈悲をかけたのだと噂した。やがてそれが伝わり、天神にまで愛されるほどの娘ならばと、義本王(ぎほんおう)は息子の(きさき)にと、加那(かなー)と母親を城に迎え入れたという。

ジャガルザカノイネンビ
 謝苅坂(じゃがるざか)遺念火(いねんび)。イネンビ参照。

シャクシクレ
 タンゴクレレ参照。 

シャクシクレレ
 杓子(しゃくし)くれれ。タンゴクレレ参照。 


ジュリガーマジムン
 妖怪。沖縄本島の、遊女(ゆうじょ)尾類(じゅり/ずり)」の幽霊。琉球沖縄各地の妖怪の中では有名な化け物の一つ。「ジュリ」とは琉球の遊郭(ゆうかく)遊女(ゆうじょ)のこと。ジュリバカ(じゅり墓)から三線(さんしん)(かな)でる音や、(うめ)き声のような唄が聞こえる事があるという。それを聞いたらマブイ()を抜かれたという話もある。しかしながら、そもそも貧しい地域から買われてきて遊女となる女性が殆どであり、悲しい末路(まつろ)の者が多かった、はかない女性達の一生から生まれたともいえる。なお、「男のジュリ買い、女のユタ買い」は、ともに家を(かたむ)かせる元凶(げんきょう)とされ、昔から琉球沖縄では(いまし)められてきた。もちろんそれらは、家計を圧迫(あっぱく)し、それがもとで家庭や親族の崩壊、家系断絶に繋がる場合が多かったためである。なお琉球王朝崩壊後、例えば離島はじめ、神人(かみんちゅ)である祝女(ノロ)(ツカサ)血筋(ちすじ)と、民間の霊媒師(れいばいし)(※祈祷師(きとうし)ユタの血筋(ちすじ)の、両方を受け()ぐ者も出てきて、それぞれの仕事や役割りを兼務(けんむ)するようになった場合がごく(まれ)にあるものの、大名(だいみょう)的存在で神官である祝女(ノロ)と、神人(かみんちゅ)と霊媒師では天土地ほど違宇野で決して混同(こんどう)してはならない。中頭郡浦添村屋富祖で、深夜、アガリヌカー(※村の当方にある共同井戸)という東の共同井戸の方から(かぐ)わしい香りが漂って来たので、村の屈強な若者達が忍び寄って覗いて見た。すると一人のジュリガーマジムンが井戸で髪を洗っていたという。

ジュリグワーマジムン
 ジュリガーマジムン参照。

シュリノミミチリボウジ
 ミミチリボウジ参照。

シリー
 霊魂。沖縄本島の、那覇地方で言われる死霊(しりょう)のこと。何らかの理由で成仏(じょうぶつ)できないシリーの霊が、()()彷徨(さまよ)い歩くと伝えられている。

シロマタ
 神。沖縄各地で行われる豊年祭に登場する神。アカマタ、クロマタという二神と共に現れる場合や、発祥とされる西表島(いりおもてじま)古見(こみ)の場合は、クロマタが親神で、アカマタとシロマタが子神である。クロマタ参照。

ジロムン
 奄美大島の妖怪。真っ白なものや黒いものがいる。動きが俊敏(しゅんびん)であるほか、まるで(うさぎ)のように飛び()ねる。なおこれを見た場合は、(ひら)いている両足の間をしっかりと閉じて、くれぐれも(また)の間を(くぐ)らせてはいけないとされ、(くぐ)られると災難(さいなん)()うという。夕暮れ時の、人の顔が、見分けがつくか、つかないかの時分に出没すると言われる。はっきりとした容姿(ようし)が分かっていない妖怪ではあるものの、子豚の妖怪の(たぐい)のようである。

ジャイシ
 蛇石(ジャイシ)。妖怪。奄美の妖怪。名瀬の隣りのコバマという浜に大蛇(だいじゃ)がいて、名瀬に美女が生まれて娘に成人するとさらっていた。勇者が成敗したところ蛇は石になったという。

ジンピカレー
 神。小人(こびと)。聖霊。むかし西表島(いりおもてじま)租内(そなえ)に、両親を亡くした貧しい若者がいて、祖父が養われていた。何をやらせても失敗ばかりするひどく不器用(ぶきよう)だったため、ついに家を追い出されてしまう。若者は山奥をさんざん彷徨(さまよ)い、土地の者がジンピカレー(※ヤンバルアワブキ)と呼ぶ大木の(うろ)(※(あな))を見つけ、そこで寝る。すると神から、一所懸命、真面目に働けば、幸せになると啓示がある。また両親と住んでいた屋敷に行くよう言われる。そこで若者が屋敷跡に行ってみると、草で荒れ放題だった敷地はきれいになっていて、大黒柱が立ち、小人(こびと)達が次から次へと材木を運び込んでいた。若者はこっそり小人(こびと)の後をつけたところ、小人は若者が昨夜泊まった(うろ)から材木を運び出していたのがわかった。出来上がった家に住みながら真面目に働いた若者は金持ちにって幸せになった。またこの話を伝えきいた村人はジンピカレーに寄人加那志(ゆぴとぅんがなし)の名をつけ、家を建てる着工の儀式では必ず大黒柱の先にジンピカレーをかけるようになったという。

ジンメンギョ
 人面魚(ジンメンギョ)。妖怪。怪異。精霊。奄美大島の海のマイナムン。

スイイン
 水蝹(スイイン)。「水蝹」は様々な読み方がある。奄美の妖怪。ケンモンの別名、ないしは似た妖怪。ケンモン参照。

スキマカゼ
 怪異。霊魂。好魔風(すきまかぜ)。鹿児島県、吐噶喇(トカラ)列島の十島村(じっとうそん/としまむら)ロノ島(クチノシマ/口之島)怪異(かいい)。スキマカゼにあうと病気になるとか、打ち倒されるという言い伝えがある。風による(わざわ)いや病気は、巫女(みこ)などに頼んで、()きものを退散させる。

スノーラ
 妖怪。霊魂。怪異。沖縄本島北部、本部。キジムナーのような妖怪とも、キジムナーと異なるとも。コウナに出現。テービー(松明)を持って歩くためスノーラ火とも。海岸を歩くため誰でも見ることが出来た。スノーラの好物は魚の目。

スノールキジムン
 沖縄本島北部、名護などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

ズムヌ
 宮古島諸島などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

セーマ
 シェーマ参照。

セーマキジムナー
 沖縄本島名護の数久多などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

セーマグ
 セーマ、キジムナー参照。

ソーンリサ
 キジムナー参照。

タチッチュ
 タチュッチュ参照。

タチュッチュ
 妖怪。山の怪。岳人(たちゅっちゅ)。沖縄県国頭村(クニガミそん)地方や山原(やんばる)の妖怪。夕方になると、山から(杖をついて)下りて来て、子どもをさらってゆく。非常に力が強い山人で、村の若者でこれに相撲を(いど)んだところ勝てる者がいなかったという。

タナハラノイナフクバア
 イナフクバア参照。

タマガイ
 霊魂。火の怪。県今帰仁(ナキジン)地方の怪火。子どもが生まれる時かその前に、タマガイといって火の玉が上がるという。様々(さまざま)除厄招福(じょやくしょうふく)の行事が集中する旧暦八月前半期はヨーカビー(妖怪日)とされ、この時期は怪しい火がよく目撃され、そうした火もタマガイと呼ばれる。子どもが生まれる前に姿を現われて人に危害を与えないタマガイは、命の誕生を祝う縁起(えんぎ)よい怪火(かいび)とされる。また「タマガイ(魂離り)」は人魂(ひとだま)のことで、人を死に追いやる怪火だとする場合もある。また沖縄本島南部の大里のいち地域ではキジムナーのような妖怪をタマガイと呼ぶ。ヒザマ、ヒダマ参照。

ダマヌカン
 妖怪ではなく、山の神。

タマビー
 妖怪。沖縄の波照間島の妖怪。浜千鳥亭主(たまびー)。浜千鳥亭主で、タマビーとも、ハマチドリテイシュとも。むかし独り者の男が暮らしていて、ある日、魚釣りに海に出掛けたところ、釣れた魚がとても綺麗(きれい)で珍しい魚だった。食べるのをやめ、水瓶で育てながら、魚をタマビーと呼んで可愛がって育てた。そんなある日、畑から戻ってみると、いつもご飯が出来ている上に洗濯もされている。そんな毎日がずっと続いた。不思議に思った男は、隣りのお(ばあ)に相談する。すると畑に行く()りをして、半分行ったところでこっそり戻ってきてごらんと。そこでその通りにし、家の戸をいきなり開けると、そこには見た事もない綺麗な女が立っていた。男が誰かと聞くと、女は、魚のタマビーですと答える。神の(めい)を受け、男を助けるために竜宮(りゅうぐう)からやって来たと言う。ただし、魚から女になる事を絶対に話してはならないと神から言われていた事も話す。話をしてしまった以上はもはや一緒に住む事は出来ず、竜宮に戻るには、草鞋(わらじ)が十三足なければ帰れないと話す女のため、男はそれを()んで渡す。やがて出来上がった草鞋(わらじ)を肩に掛け、女は挨拶をすると家から出て行くが、男はこっそり跡をつける。やがてタマビーは海に入って、姿が見えなくなる。すると失ったものの大きさに気づいた男は、それからタマビーと何度も必死に呼びながら想い続け、気が触れたように岸辺を彷徨(さまよ)う。そして何日も歩き続けた挙げ句(あげく/rt>)、ついに恋()がれるあまり、岩にくっついて死んでしまう。そして、男の魂は、浜千鳥(はまちどり)になったという話。

タンゴクレレ
 幽霊。桶呉(たんごく)れれ。「(たんご)()れよ」という意。鹿児島県奄美大島地方の船幽霊。闇夜(やみよ)の海上に現れるもので、淡い光とともに「たんごくれれー」という声が近づいてきて、船に海水を入れて沈没させようとする船幽霊(ふなゆうれい)(たぐい)。無視していると、どこまでもついて来るので、底を抜いた小さな桶を投げてやると消えてしまう。船幽霊の話に出てくる典型で、柄杓(ひしゃく)小桶(こおけ)が違っている話といえる。シャクシクレ(杓子くれ)(など)とも。奄美大島の海のマイナムン。

タンナーバ
 妖怪。沖縄本島近くの、伊江島に伝わる巨人。「(ちから)タンナーバ」という大男の話が伝わる。隣り村との戦いで、タンナーバは伊江島タッチュー(城山)に登って、迫りくる軍勢に向かって岩を持ち上げ、投げつけて敵を退散させたとされ、その時にできた足跡(あしあと)が、伊江島タッチューの頂上に今も残る。

ヂーヂーウヮーグヮ
 妖怪。沖縄本島の沖縄市地方の妖怪。ヂーヂーウヮー(ぐゎ)。ヂーヂーと鳴く子豚(こぶた)の妖怪で、人に害を(およ)ぼすことはない。捕まえて(しば)っておいたところ、棺桶(かんおけ)の切れ(はし)になっているという。そのために、棺桶(かんおけ)の切れ(はし)は焼いて処分するものとされてきた。

チーヌウヤ
 チーノウヤ参照。

チーノウヤ
 沖縄県の妖怪。乳の親(ちーのうや)。沖縄本島、国頭村、大宜味村などでは、子どもを埋葬(まいそう)した童墓(わらんちゃーばか/ワラビバカ)にいる妖怪で、死んだ子どもは後生でこのチーノウヤが乳を飲ませて養ってくれるとされる。とても優しい顔をした女性で、洗い髪のような黒髪を長く()らし、乳房がとても大きいという。水中の水面近くにいる事があり、生きた子どもをあの世に引き()む恐ろしい存在でもある。特に沖縄本島、今帰仁村などでは、童墓や水中にいる乳の親(ちーのうや)は子どもをさらう存在。また、幼い稚児に鏡を見せると、水面を鏡と思って行って落ちる可能性があるので、鏡を見せるべきではないとされ、それは水面下の乳の親(ちーのうや)に引きずり込まれるからだという。なお死児のためにはこの霊怪(れいかい)である乳の親(ちーのうや)に、亡き子の冥福を祈る。

チカラタンナーバ
 タンナーバ参照。

チグトュ
 沖縄の怪異。音の怪異。死の予兆のこと。家の中で、(のこぎり)(かんな)の音、板を置く音といった大工(だいく)仕事の音が聞こえてくると、その家から死者が出るという。この音は棺桶を作る音らしい。また、家族が談笑(だんしょう)している声が、外から聞くと泣いている声に聞こえる時も死者が出るという。

チューキジャー
 沖縄本島近辺、古宇利島のキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

チュダマ
 人魂(チュダマ)。妖怪。怪異。精霊。奄美大島の村里のマイナムン。

チリモス
 妖怪というよりも、かつて奄美にいたとされる幻の絶滅した動物。別の名をサヒモン。色は黒っぽ尾は短いという。

ツチノトキノヒ
 シツヌビ参照。

ツボノマジムン
 妖怪。器物の怪。壺の変化(へんげ)山羊(ヒージャー/
やぎ
)
に化けて通る人を悩ませたり、数え切れない人間の命を奪ったという。その正体は洞穴の中にあった壺とわかり、これをマーニ(黒縄)で縛ったところ、以後、化け物は出なくなった。

ティヤーチャー
 キジムナー参照。汀間の呼び名。

テツジン
 人。鉄人。二人の話が有名で、沖縄本島金武(きん)儀部鉄人(ぎべてつじん)と、竹富島の根原金殿( ねーれかんどぅ)の話が有名。鉄でできた人間とは屈強という意味も含むが、琉球の歴史において鉄の意味は重要で、支配者、地域を治める者の意を表す。ギベテツジン、ネーレカンドゥ参照。

テンゴンカミ
 妖怪。怪異。精霊。奄美大島の山のマイナムン。。

トウィマジムン
 妖怪。動物の怪。鳥の変化。(とうぃ)マジムン。沖縄県の妖怪。鶏のマジムン。家畜のマジムン。人の前をさっと横切るという。

トジ・マチャー・ビー
 霊魂。火の怪。刀自待火(トジマチャービー)。沖縄の怪火。遺念火(いねんび)の一種。イネンビ参照。最初に提灯(ちょうちん)ほどの大きさの火の玉が現れ、他方からもう一つ火の玉がやって来て、二つは合わさって、ゆらゆらと明滅(めいめつ)する。那覇市首里の識名平(しちなんだ)の話が有名で、刀自待火の由来(たん)。首里に仲がよい夫婦がいた。その妻に横恋慕(よこれんぼ)した男が妻を待ち伏せ、「お前の夫は、お前に不満があり、お前の帰りがあまりに遅いので、川に身を投げて死んだ。」と嘘をつく。夫も、この男に同様の手口で(だま)され、すでに自殺。妻はこれを悲しんで、自分も川に身を投げて死んでしまう(別の話では、先に豆腐売りの美しい妻が、夫が死んだと聞いて自害。それを聞いた夫が後を追う)。それ以来、この夫婦の二つの(マブイ)が無念の火、刀自待火(トジマチャービー)となって出現するという。なお「刀自」とは妻のこと。イネンビ参照。

トジマチャービー
 トジ・マチャー・ビー参照。

ナカニシ
 ナカニシヘーイ参照。

ナカニシヘーイ
 怪異。晩方、那覇と泊の間にかかる潮渡橋(しおわたりばし)付近(塩田温泉)で「仲西(なかにし)ヘーイ」と呼ぶと出てくる。かつて那覇の東には大きな干潟(ひがた)があり、塩田(えんでん)が広がり、川も流れていたが、明治36年に木造の潮渡橋がかけられた。この橋のたもとで夕刻、「仲西(なかにし)ヘーイ」と名を呼ぶとそれが現れると言う妙な噂が立って広まった。従って、比較的新しい時代に生まれた。人間を惑わせたり、人をさらうとも言われるが、その姿を見た者はいないという。仲西(なかにし)ヘーイという人名がついた原因や理由は不明。

ナガムン
 長いもの。蛇。

ナナイロムーティ
 髪を結ぶ紐。琉球國(りゅうきゅうこく)尚眞王(しょうしんのう)の時代、王府は首里から那覇まで真珠道(まだまみち)を作った。その途中の国場川(こくばがわ)を渡るために真玉橋(まだんばし)をかけたが、たびたび流されてしまった。ナナイロムーティ(※ナナイロムーティとは、七色(なないろ)元結(もとゆ)いの意。髪の毛をまとめる(ひも)をした()年生まれのユタが生贄(いけにえ)として人柱(ひとばしら)として橋の根元に埋められると、その後真玉橋は洪水で流されることがなくなったという(※幽霊や妖怪の話から除外しても良いかも知れないがが掲載しておく。)

ナナツバカノアメカイユウレイ
 幽霊。(なな)(ばか)飴買(あめか)幽霊(ゆうれい)。アメカイユウレイ参照。

ナビケーマジムン
 ナビゲーマジムン参照。

ナビゲーマジムン
 妖怪。器物の怪。鍋笥(ナビゲー)マジムン。汁などをすくったりする道具である鍋笥(杓子・しゃくし)変化(へんげ)の妖怪。琉球時代から古い食器類は化けて出ると信じられてきた。なお似たミシゲーマジムンも参照のこと。

ナンナンジョウ
 南々城(なんなんじょう)。怪異。琉球が、まだ鬱蒼(うっそう)とした木々に(おお)われていた山や林だった大昔のこと、南々城(なんなんじょう)に天界から若い神たち三人が降りてきた。全身、毛で覆われて毛むくじゃらだったので、男とも女とも見分けがつかなかった。通り掛かった倭人(やまとんちゅー)が三人が何を食べているのか聞くと、木の根、草の実、水芋を(なま)で食べているという。倭人は、焼いたり、煮ると、(なま)で食べるよりもっと美味(おい)しいよと教えてあげた。それから三人は焼いたり煮て食べるようになった。すると三人の体毛が薄くなっていって人間らしくなっていった。

ニタンボージ
 妖怪。怪異。精霊。奄美大島の山のマイナムン。

ニシートビ
 霊魂。沖縄県石垣島の怪火(かいび)。夜の海中から現れる。

ネーレカンドゥ
 竹富島の鉄人。幽霊や妖怪ではない。根原金殿( ねーれかんどぅ)。非常に優れた頭脳を持ち、また大変な力持ちであり、六つあった竹富島の村々を統一し、神と崇められていた人物。

ネコノカイ
 動物の怪。猫の怪。猫はマジムンにはならないが、13年経つと化けて人を害すると言う。子供が夜泣きした時に「猫だ」と言って脅すと化け猫がやって来て噛み殺すという。猫が青鳴き、高鳴きした場合は今でも長い呪文を唱えて災いを避ける所がある。

ネブザワ
 奄美大島の妖怪。ケンムンのあだ名ともいわれる。昔、ネブザワとユネザワという漁師がいた。ユネザワには美しい妻がおり、それを(うらや)ましいと思っていたネブザワは、(ひそ)かにユネザワを殺してその妻に求婚(きゅうこん)する。やがて浜に打ち上げられたユネザワの死体を見て真実を見抜(みぬ)いた妻は、ネブザワを山に(さそ)()んで、ネブザワの手を(くぎ)で木に打ち()け、夫の復讐(ふくしゅう)見事(みごと)()たす。妻が去ってその場に取り残されたネブザワの前に、やがて神が現れてこう言う。お前はユネザワを殺すという大罪(たいざい)(おか)してしまったが、それ以外の悪行(あくぎょう)はないので、命までは取らないものの人間にしておくことはできないとそう言って、ネブザワをケンムンの姿に変えてしまったという。これがケンムンの起源(きげん)であると伝わっている。そんな経緯(いきさつ)があるため、ケンムンはネブザワと呼ばれることを(きら)うのだという。ケンモン参照。

パーダ
 沖縄地方に妖怪の児童語(じどうご)

ハーメーマジムン
 沖縄地方の妖怪。老婆(ろうば)の怪。老婆(ろうば)のお()けといわれる。

パーントゥ
 神。沖縄、宮古地方の妖怪の児童語。パーントゥには鬼神(きしん)来訪神(らいほうしん)の意がある。一つは、宮古島の島尻(しまじり)のもの。ここではパーントゥ・サトゥプナハ(里願い)祭りが執り行われる。「プナハ」とは祈願祭という意で、毎年、旧9月吉日に登場。年に一度、パーントゥが集落に現れて(やく)(はら)う。(どろ)蔓草(つるくさ)で全身を仮装(かそう)したパーントゥが現れ、泥を()られ者には無病息災(むびょうそくさい)(おとず)れると信じられてきた。一つは、野原岳(ノバルだけ)の南、上野村(ウエノそん)の野原集落(しゅうらく)のパーントゥ。これはパーントゥの(めん)(かぶ)った子どもを先頭に、蔓草(つるくさ)などを体に巻き付けた女性達が、ホーイホーイと叫びながら行列(ぎょうれつ)をつくって集落を回るサティパライ(里祓い/さとばらい)。こちらは旧暦12月最後の(うし)の日で、一説には平良(ヒララ)久貝(クガイ)荷川取(ニカドリ)から伝わったとも。

ハギハラウヮークヮー
 妖怪。奄美大島名瀬(なぜ)の妖怪。夜道(よみち)で、足が切れていたり足がない子豚(こぶた)ウヮークヮーが現れる。南西諸島の子豚の妖怪は、(また)(くぐ)ろうとするのを常習(じょうしゅう)とするが、このハギハラウヮークヮーにはその特徴(とくちょう)がない。

バケネコ
 妖怪。動物の怪。猫の怪。化ケ猫(ばけねこ)。怪異をなす猫のことで、全国に伝承(でんしょう)が残り、古い文献や民俗伝承にも数多くみられる。沖縄本島国頭(くにがみ)地方をはじめとして、猫はマジムンにはならないものの、十三歳になると化け猫になり、人に害を及ぼすと信じられてきた。この禁忌(きんき)は、ほぼ全国的な特徴(とくちょう)。化け猫のなす怪異は多岐(たき)にわたり、人に変化(へんげ)する、手拭(てぬぐい)いなどを(かぶ)って(おど)る、言葉を(しゃべ)る、山に(ひそ)む、(おおかみ)(したが)えて旅人を(おそ)う、(たた)りを(およ)ぼす、死体を(あやつ)る、人に()くなどといった傾向が全国的にみられる。なお琉球沖縄の地方によっては、死んだ(マヤー)(ほうむ)(さい)、土に()めると必ず化けて出ると考えられてきたため、それを()けるために木に(つる)してきた。夜泣きするとバケネコがやって来て噛み殺されると、子どもたちによく言い聞かせた。また、猫が青泣き、高泣きすると今でも呪文をよく唱える。沖縄本島宜野湾間切(まぎり)我如古(がねこ)長柵洞窟(ながさくガマ)の化け猫の話も有名。『我如古の化猫』の記事参照。

バケマヤー
 「マヤー」は猫のこと。バケネコ参照。

ハゴロモマンジョ
 アモレオナグ参照。

バショウノセイ
 精霊。芭蕉ノ精(ばしょうのせい)謡物(うたいもの)『芭蕉』は中国の怪奇説話『湖海新聞』などを題材にしたもので、芭蕉の精が人の姿になって現れる話。芭蕉(ばしょう)は背が高いバショウ科の多年草(たねんそう)。芭蕉の(せい)が人の姿となって現れ、様々(さまざま)怪異(かいい)をなす。琉球沖縄では芭蕉の繊維(せんい)で糸をつくって布にし、衣服を作るために、昔は山野(さんや)はじめ芭蕉(ばしょう)沢山(たくさん)()えられていたという。その場所を蕉園(しょうえん)という。()()けてから一人でこの蕉園を通ると必ず芭蕉の怪異にあう。芭蕉の変化(へんげ)は必ず婦人の形をしているが、特に害はなく、ただそれを見た人は驚くだけである。なお(かたな)を持っているとこの怪異には()わずに()むという。江戸時代に『中陵漫録』を書いた佐藤成裕は、最初、この信州に伝わる話を信じていなかったが、後に琉球の人と出会った時に琉球の蕉園での話を聞いて信じるようになったという。また佐藤は、大きな葉をもつ芭蕉は草の中にあって王のような存在のため、怪しい振る舞いをする力を持つのだろうと考えた。

ハタパギ
 奄美の与論島だけにいる妖怪。 ハタパギ とは、片足の意。南西諸島の妖怪ケンムンのようなものだが片足しかない。ケンムンと性格がよく似ていて、体格は小さくて、子どもぐらいだという。片足で跳ねて移動するとも。火になっ珊瑚礁の上を飛ぶとも言われている。夜、いざりをするともされる。魚の目を抜き取ったりする点が他の妖怪と似ているが、人は騙さない。夕刻、漁船の前を似た形の舟が走っている事があり、着いて行くと危険な目に遭うのはハタパギのせいともいわれる。人に対して大きな禍を与える事はあまりないが、名前を呼び捨てにされると、怒って仕返しに道を迷わしたり、海で釣果の文句を言うと、また波が荒れて魚が獲れなくなるのはハタパギのせいだという。浜で、「アーパンチカ・クルパンチカ(※赤くはじけている•黒くはじけている)」と言うと必ず海が荒れるので慎まなければならない。また、海でモリ漁をしている時に何が獲れるかを聞かれて、「ハタパキトゥトゥラリュイ(※片足しか獲れない)」と返事をしたらそれから魚が全く獲れなくなったという。ムヌ、イシャトウとも。

ハナモー
 幽霊。ハナモーとは鼻無し(はななし)の意。昔々、沖縄本島最南端の喜屋武(きゃん)間切(まぎり)に、結婚が間近の女性がいた。(とつ)ぐ日のため花嫁衣装をせっせと準備していたところ、誤って自分の鼻を()ぎ落としてしまい、その夜、女は嫁入り衣装を身にまとい、村はずれにある断崖絶壁(だんがいぜっぺき)喜屋武岬(きゃんみさき)から、荒れ狂う海に身を投げてしまった。それ以来、岬で「ハナモー」と叫ぶと、それまでは静かであっても海原(うなばら)が一転して荒れ狂い、海の中から巨大なその女の幽霊が出現して叫んだ者を高波で連れ去るため、決してそう叫んではならないと言い伝えられてきた。ハナモーの話では他に、美しい嫁をもらった夫の嫉妬に対し、夫への愛を証明しようと自ら自分の鼻をそいだ妻が、醜くなった妻に見向きもしなくなった夫に失望して妻が自殺し、化けて出る似たような話がある。

ハニマノカブル
 妖怪。奄美群島の沖永良部島(おきのえらぶじま)の妖怪。子どもが泣いて騒ぐ時、親はハニマノカブルがやって来るぞと言って(しか)って泣き()ませようとする風習がある。その正体(しょうたい)はよく分からないが、恐らく山姥(やまんば)のような存在ではないかと考えられる。

ハブ
 飯匙倩(ハブ)。奄美や沖縄に生息する有名な蛇の一つが「ハブ」だが、奄美ではマジムンという。

ハマチドリテイシュ
 タマビー参照。

ハンダンメー
 大宜味村喜如嘉のキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

ハンドーグヮー
 ハンドゥグヮー参照。

ハンドゥグヮー
 ハンドゥ(グヮー)伊江島(いえじま)ハンドー(グヮー)。幽霊。怪異。「ハンドー(グヮー)」は芝居などでの名で、実際の名はカマドー。伊江島(いえじま)の、下級役人文子(てくぐ)ながら豪農の大百姓島村家(しまむらけ)の一人息子に、加那(かなー)という若者がいて、伊江王子(いえおうじ)の首里の御殿(うどぅん)に奉公していた。国頭(くにがみ)辺土名(へんとな)加那(かなー)が行った際、田舎には珍しく(たぐ)(まれ)な美人ハンドー(グヮー)と一夜を明かす。そして、間もなく仕えている王子に同行し薩摩の国に行くが、帰国したら必ず迎えに来ると約束して伊江島(いえじま)に帰ってゆく。ところがいつまで経っても迎えに来ない。ついにハンドー(グヮー)は恋人を訪ねて伊江島へ行く。ところが加那(かなー)の父親に、息子が辺土名(へんとな)に行った時に(たぶらか)したのはお前かと(ののし)られる。しかも加那(かなー)には昔から許嫁(いいなずけ)がいて、今は妻だと知る。そこに加那(かなー)が帰宅するが、ハンドー(グヮー)に怒号を浴びせて追い払う。あまりの酷い仕打ちに嘆き悲しんだハンドー(グヮー)は、山越森まで来ると一家を呪いながら長い自分の黒髪を木の枝にかけ、首を吊って死んでしまう。するとその後、島村家に次々と災いが降りかかる。加那(かなー)と父親が原因不明の死を()げたのを発端に、子孫に不具者が出たり、首の周りに首を吊ったような黒い輪が出来て死ぬ者が続いて、ついに一家は断絶してしまう。一方でハンドー(グヮー)の遺骨は辺土名(へんとな)の実家の者に引き取られ、海の向こうに伊江島が望める、田原(たばる)にある辺土名村の、三つあった墓のうちの「(めえ)んトー」に葬られた。このハンドー(グヮー)の伝承は、特に近年は組踊りで人々に伝わり、「辺士名ハンドー小・伊江島ローマンス」、「辺士名ハンドー小」、「伊江島ハンドー小」と名称は変わりながらも現代に伝わる。

ヒーダマ
 ピージャーヤナムン参照。

ピィーイハト
 妖怪。ピィーイ鳩(ぴぃーいはと)。奄美大島地方でいう怪鳥(かいちょう)。このピィーイハトが七回鳴くと、()もなく誰かが死ぬと言われる。

ヒージャーマジムン
 ヤギマジムン参照。沖縄本島のヤギの呼び名が「ヒージャー」。

ピーシャーヤナムン
 ピージャーヤナムン参照。

ピージャーヤナムン
 沖縄の妖怪。山羊(やぎ)の沖縄語「ヒージャー」の妖怪。ガンノセイ、ヤギマジムン、ヒツギノマジムン参照。

ピージャーマジムン
 ピージャーヤナムン参照。

ヒーダマ
 ヒダマ、ヒザマ参照。

ピーフキトゥリ
 妖怪。沖縄の八重山(ヤエヤマ)地方の妖怪。火吹き鳥(ぴーふきとぅり)ヨーラサー(五位鷺)のことで、夜間(やかん)、これが鳴いて通る所は何か事件が起こると()(きら)われる。また、これが鳴く時には、「なーまやーど(長間家だよ)。」と(とな)えながら(きね)木臼(きうす)を三度(たた)いて魔除(まよ)けをするのがよいとされる。

ピキクルー
 ピキンキル参照。

ピキンキル
 妖怪。怪魚。水の精。大宜味(おおぎみ)間切(まぎり)喜如嘉(きじょか)を流れる川の、深い所に住む妖怪。水に人を引き込む命を奪う。「ウンダ川」、「インナトチビ」、アミガーの「ウイヤチフンムイ」などにそれがいるといわれる。

ヒザマ
 霊魂。邪神(じゃしん)。奄美群島の沖永良部島(おきのえらぶじま)の怪火。島で最も恐れられる邪神(じゃしん)であり、火事が起こるのはヒザマの仕業(しわざ)と信じられてきた。ヒザマは鶏のような姿をしていて、(ほお)は赤く、羽は胡麻塩(ごましお)の色をしている。そのために沖永良部島ではそのような特徴(とくちょう)をもつ(にわとり)(きら)って()わなかった。またヒザマは、(から)(かめ)(おけ)宿(やど)るとされる。もし宿るのを()けたい時は、いつも水を入れておくか()せておく。もしも家にヒザマが()いた場合には、()ぐに巫女(みこ)を呼んで追い出しの儀式をしたというほど恐れられた邪神。なお、ヒザマは火玉と書くとても明るい火の玉のことで、(全国的に)すっと流れるように飛んで消え、その現れた場所から消えた場所までのどこかの土地で必ず火事が起こると言われてきた。沖縄本島などでは火玉のほかに火魂と書いて、フィーダマともいう。奄美大島では村里のマイナムン。ヒダマ、タマガイ参照。

ヒジムナー
 沖縄本島北部などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

ピジムナー
 沖縄本島北部などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

ヒダマ
 霊魂。火玉(ひだま)火魂(ひだま)。琉球沖縄の沖縄地方で特に、死人が出る前や、火災が起きる前兆(ぜんちょう)として現れる怪火や人魂(ひとだま)をいう。タマガイ、ヒーダマ、ヒザマ、ヒダマガヒ、ピダマ、フィーダマなどともいう。男は青い火、女は赤い火で、大人や子どもによって大きさが違うという。また場合により、屋根すれすれの場所を重量感があるような感じで、横に尾を引いて流れるもので、それが出た家から(やく)が去って、落ちた家に厄が()くともいわれる。石垣島ではピダマと呼ばれる。ヒザマ、タマガイ参照。

ヒダマガヒ
 ヒザマ、ヒダマ、タマガイ参照。

ピダマ
 霊魂。火玉。沖縄の石垣島(いしがきじま)でいう怪火(かいか)。天から()りて来るもので、火事を引き起こす。そしてその(けむり)は天に(のぼ)って雲となり、ピダマはその雲に乗ってまた天に帰って行くとされる。ヒダマ、ヒザマ参照。

ヒタマガキ
 霊魂。沖縄本島の中頭(なかがみ)地方で、遠方(えんぽう)から、火や煙が火事の前兆(ぜんちょう)として見えるのをヒタマガキという。昭和2年の大火(たいか)(さい)、その4、5日前にこれが見えたという。

ヒチ
 ヒチマジムン、シチ参照。

ヒチマジムン
 妖怪。怪異。海の怪。沖縄地方、特に国頭地方でいう妖怪。単に「ヒチ」とも言う。道の(つじ)にいて人を(まよ)わせるという。なかには数十キロも離れた所まで歩かされた人がいたという。ヒチマジムンは、風のように走り、また水面を(かけ)け回ることもできるという。また、人に出会った時、赤飯(せきはん)白飯(はくはん)とを選ばせた上でふるまう()りをして、赤飯を選んだ者は赤土(あかつち)を食べさせられ、白飯を選んだ者は海岸の波の飛沫(ひまつ)を食べさせられる。なお、このヒチマジムンに出会った時に被害(ひがい)()ける方法がある。男の場合は(ふんどし)(はず)して鉢巻(はちま)きにするのがよく、女の場合は腰巻(こしま)きを頭に(かぶ)るとよいとされる。なお、(よる)(くし)を挿しているとヒチマジムンに連れ去られるとも。また夜道(よみち)(むしろ)を持って歩くとヒチマジムンに(だま)されたり、連れ去られるとも。シチ参照。

ヒツギノマジムン
 妖怪。器物の怪。(ひつぎ)変化(へんげ)(ひつぎ)のマジムン。沖縄の妖怪。古い(ひつぎ)板切(いたき)れなどが、美女、雄牛(おすうし)山羊(やぎ/ひーじゃー)などの、化け物(ばけもの)変化(へんげ)する。ある一つの話では、昔でいう羽地間切(ハニジまぎり)真喜屋村(マジャそん)の男が、深夜、(とな)りの稲嶺村(ハニクそん)から帰る途中(とちゅう)()っ白い山羊が前を通ったので、不審(ふしん)に思って稲嶺の浜まで追い()めて、(しば)り上げた。浜に山羊を置いたまま帰宅した男は、妻にその話をし終えた途端(とたん)発熱(はつねつ)して死んでしまった。翌朝の未明(みめい)、妻が浜の山羊を見に行ってみると、奇怪な棺の板が(しば)られていたという。また今帰仁村の話では、大変に美しい女に化けて青年を誘惑した。青年の友がそれを垣間見(かいまみ)たところ、舌が長く目玉が飛び出したていんげー(天蓋)のような化け物だった。友は青年にそれを話して説得し、その女を短剣で突き刺させたところ、刺した女の胸から蛍火(ほたるび)のような青光りする血がほとばしった。翌日、改めて見てみると、古い(ひつぎ)板切(いたき)れの中央に、短剣が刺さっていたという。また他の話では、羽地村源河と大宜味村の(さかい)で、とても美しい女が執拗(しつよう)に男に抱きつき(まと)わり付いて来て知らない場所へ引き込もうとした。男は必死に抵抗したが、そうしているうちに夜が明け、女は一片の棺板になった。直ぐさま男はそれに火をつけ燃やしたところ、陰湿な悪臭を伴った油が(にじ)み出て来て、物凄い光景だったという。(※稲嶺(そん)は、沖縄各所にある。沖縄本島南部豊見城(とみぐすく/てぃみぐすぃく)は「んなんみむら」で、豊見城間切(まぎり)宜保(じーぶ)村の南、渡嘉敷(とかしき/とぅかしち)村の西にあった村。沖縄本島南部大里(おおざと/うふざとぅ/うふじゃとぅ)村も「んなんみむら」で、大里村稲嶺(いなみね/んなんみ)平川(ふぃらかー)村の南。沖縄本島北部は「はにくむら」で、羽地(はねじ/はにじ)間切(まぎり)の北東寄りに位置。隣接する親村の真喜屋(まきや/まじゃ)村と共にマギャー・ハニクと併称)龕の精(ガンノセイ)山羊(ヤギ)マジムン、マジムン参照。

ヒジムナー
 妖怪。精霊(せいれい)の意。キジムナー参照。

ビセノイングヮーマブイ
 犬の霊魂。備瀬(びせ)のイングヮーマブイ。「イングヮー」とは犬。イングヮーマブイ参照。

ピンザマヅモノ
 妖怪。沖縄の宮古島の妖怪。山羊(ヒージャー/やぎ)化け物(ばけもの)。山羊の妖怪の総称(そうしょう)。ヤギマジムン参照。

ファードリ
 妖怪。沖縄の石垣島でいう怪鳥(かいちょう)。五月の上旬(じょうじゅん)に渡ってくる鳥。一声(ひとこえ)、鳴く時は大凶(だいきょう)。二声なら半凶(はんきょう)だという。

ファチハンバ
 沖縄本島北部の喜如嘉の、河童に似た妖怪で、頭の上に皿がある。

フィーダマ
 霊魂。火の怪。火玉(ふぃーだま)火魂(ふぃーだま)。火球。鬼火。人魂の(たぐい)。「火の玉」の意。「上がる」ことをタマガエンといい、その名詞がタマガイ。人が死ぬ時にはその(マブイ)はフィーダマとなって墓場に飛んで行くと信じられて来た。なおそれが上がった近所では近いうちに、思いがけなく人が死ぬことがあるとされた。なお、人の霊魂である(マブイ)は火の形をしているという考えがある一方で、小鳥の形をしている、蝶の形をしているともいわれる。火魂(ふぃーだま)は火事を起こすことがある。その形は赤い火の鳥に似て、火球が長い尾を引いて飛び回るといわれる。時には台所の(かまど)の後方の、(ふた)をしていない瓶に住んでいるとも。火魂(ふぃーだま)が飛んで行って止まった場所からは必ず火災が起きるという。ヒザマ、ヒザマ参照。

フィーフィー
 妖怪。伊平屋(イヘヤ)島に隣接する野甫島(ノホじま)などでのキジムナーのような妖怪。野甫島(ノホじま)の島影に隣接する小島の洞窟は「フィーフィーガマ」と呼ばれ、かつてフィーフィーがたくさん住んでいたと伝わる(※通常、キジムナーは単体が少なくない)。また、ここから那覇の奥武山(オオノヤマ)に移って、それから琉球沖縄全域に広がっていったとも言われている。アカカナジャー、キジムナー参照。

フィジムナー
 沖縄本島北部などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

フカゾークークー
 沖縄本島中部、勝連(カツレン)半島と周辺の離島などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

フカゾークークーキジムン
 フカゾークークー・キジムンとも。フカゾークークー参照。

フサキ・ガバネノ
 冨崎ガバネー。身長八尺の巨人。弓術にたけ、名蔵湾を航行する船が帆を上げて表敬の意を表す礼式を欠くと、強弓で船もろとも沈める。

フサマラー
 神。沖縄の八重山郡、波照間島(はてるまじま)で、旧暦の七月に行われる、ムシャーマ行事の際に登場する雨乞(あまご)いの神。祭りの際、子ども達は全身を蔓草(つるくさ)(おお)ってフサマラーに(ふん)する。

フトンノカイ
 妖怪。布団ノ怪(ふとんのかい)。沖縄の宮古郡城坂町の怪異(かいい)。太平洋戦争が終わった頃、結婚十年目にして、やっとのことで一人の男の子を(さず)かった夫婦があった。夫婦は子どものために、村中の人々を集めて、盛大(せいだい)な誕生祝いをした。(えん)もたけなわの時、突如(とつじょ)、奇妙な(さけ)び声が一帯(いったい)(ひび)き渡ったという。夫婦が子どもの所に飛んで行くと、子どもが寝ていた布団が、ばたばたと波打(なみう)っていて、子どもはその下で息絶(いきた)えていた。父親が布団(ふとん)を庭に投げ捨てると、魔物(まもの)がその中にいると思った村人は手に手に(かま)を持って襲いかかって布団を細かく切り()いた。それでも布団の切り(くず)が周囲をばたばたと動き回って土煙(つちけむり)を立てたが、やがて力尽(ちからつ)き、動きを止めた。それからよく布団を調べてみたところ、人の(つめ)に髪の毛を何重(なんじゅう)にも巻いたものが四隅(よすみ)(かど)()()まれていたという。当時は行商(ぎょうしょう)が色々な物を売り歩いており、新しい布団を買えなかったこの夫婦は、ある行商から子どものためにこの布団を買ったという。しかしこの布団は、墓荒(はかあ)らしによって()り出された物で、悪霊(あくりょう)が乗り移っていたとされる。(※宮古郡城坂町がどこを指すのかまだわかっていません。出典として記載されている『ゆがたい 宮古島の民話』宮古民話の会編・『現代民話考 五 あの世へ行った話』松谷みよ子編は、現在まで未確認。)

ブナガ
 木に宿る怪。沖縄本島で、木に宿る怪をいう。国頭地方でいうキジムンと似たモノ。ボージマヤとも。大宜味間切高里村のある家の主人と親しくなった。後に主人が交際をを絶とうと烏賊(イカ)をぶつけたところ驚いて逃げ、二度と現れなかった。大宜味村ではキジムンそのもののこと。ブナガルは髪を振り乱すの意味。キジムナー参照。

ブナガー
 沖縄本島北部、国頭村、大宜味村、東村などでのキジムナーのような妖怪。ブナガ、キジムナー参照。

ブナガイ
 沖縄本島北部、国頭村、大宜味村、東村などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

ブナガ
  妖怪。精霊。木に宿る怪。沖縄本島木に宿る怪をいう。国頭地方でいうキジムンと似たモノで、ボージマヤともいう。大宜味村間切高里村のある家の主人がブナガと親しくなった。後に、主人がこれと交際を断とうと烏賊(イカ)をぶつけたところ、驚いて逃げて二度と現れなかったという。大宜味村ではキジムンそのものを指す場合がある。「ブナガル」は髪を振り乱す意で、(わき)あたりまで髪を垂らした様をいう。ブナガヤー、キジムナー参照。

ブナガヤ
  ブナガ、キジムナー参照。

ブナガヤー
 沖縄本島北部、国頭村、大宜味村、東村などでのキジムナーのような妖怪。ブナガヤーモもキジムナーも頭に皿はなく、河童とは異なる(※喜如嘉には」河童に似たファチハンバがいる)。ブナガヤーも多少のいたずらをしたり、防衛上、人に火傷を負わせる例はあるが、基本的に人に何の危害も加えない。ブナガヤーの意は「振り乱している者」で、長い髪の毛を自然のままに伸ばして手入れせず、原始の姿そのままに振り乱した姿の者。大宜味村を中心に、特に喜如嘉や謝名城部落では、旧暦8月に、ヤングヮー(架け小屋)を巨木の上に造ったり、ヤドゥイ(小屋)を山の中腹や小高い丘に造ってブナガヤーの来訪と出現を見届けるアラミ行事という風習が戦前まであったという。ブナガ、キジムナー参照。

ブナガヤア
 ブナガヤー、キジムナー参照。

プナジ
 妖怪。神。神の使い。プナジとは「()」の意とされる。沖縄の石垣島でいう怪鶏(かいけい)。神の使(つか)神使(しんし/じんし)(にわとり)。姿には清潔感(せいけつかん)があり神々(こうごう)しく、この妖怪を見た者は心を(うば)われ、うっとりと見とれて心が舞い上がり、とてもよい気分になるという。ただし、特別善い事があったり幸せになるという事はないという。

フナユウレイ
 幽霊。船幽霊(ふなゆうれい)。奄美大島などでの船幽霊。全国各地で海上、河川、湖沼にも現れる。タンゴクレレ参照。

プルパカヤー
 沖縄本島北部、国頭村・大宜味村・東村などのキジムナーのような妖怪(※大宜味村田嘉里のプルパカヤーの呼称はブナガヤやキジムナーに置き換えられつつあり、その傾向は他の地域でも)。キジムナー参照。

ブラガヤア
 大宜味村謝名城などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

プルガヤー
 沖縄本島宜野座村を中心とした地域などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

フルファガ
 沖縄本島北部の田嘉里などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。


ヘントナハンドーグヮー
 辺土名(へんとな/ふぃんとぅな)ハンドゥ(グヮー)。ハンドゥグヮー参照。

ボージマヤー
 沖縄本島北部、名護より北、親川から海側の地域と源川でのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

ボージャーグヮー
 キジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

ホートイワ
 ホート岩(ほーといわ)。ホートガー参照。

ホートガー
 怪異。神。沖縄本島近くの津堅島(つけんじま)の伝説に出てくる岩。津堅島海岸に「ホートガー」と呼ばれる泉にある鳩形のホート岩。この岩は(おや)で、かつて九つの子の岩を大切に守っていたが、ある時に全て盗まれ、親岩は泣き暮らした。盗んだ者の舟は神の罰により海中に沈んだという。それ以来、ホート岩は子どもを求めて泣いているという。

ボゼ
 神。精霊。奄美より北の、吐噶喇(トカラ)列島に浮かぶ悪石島(あくせきじま)でいう怪異(かいい)(琉球の妖怪には入らないかも知れない)。旧七月十六日の盆踊(ぼんおど)りの(さい)、青年達が仮装(かそう)したボゼが現れる。シュロ皮、ビロウ、クバの葉などで全身を(おお)い、仮面を(かぶ)り、手足に赤い(どろ)()ってボゼとなる。ボゼは現れると、ボゼマラという(ぼう)で、女性を()っついたり、子どもを(こわ)がらせたりして帰っていく。なお、ボゼは山から下りて来て山に帰っていく来訪神(らいほうしん)とされる。『十島村誌』によると、ボゼはヒチゲーと呼ばれる冬の節替りの夜に登場する仮面を被った神で、かつてはトカラ各島に現れたとされ、その名残りが悪石島にだけ残ったとある。悪石島の伝統行事として旧暦7月16日のお盆最終日翌日に登場する。

マー
 妖怪。怪異。沖縄の妖怪。鹿児島県では妖怪を意味する児童語(じどうご)。形は漠然としていて、牛の鳴き声を発する怪とされる。

マーザァービ
 霊魂。沖縄の八重山(やえやま)。この世に(うら)みが残って成仏(じょうぶつ)できない死者の霊魂(れいこん)彷徨(さまよ)い歩くという。

マージャ
 沖縄本島南部、南風原町(ハエバルちょう)玉城村(タマグスク・そん)などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

マージヤッピー
 八重山(やえやま)諸島などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

マーダーピィー
 マーチャービの八重山での他の呼び名。マーチャービ参照。

マーチャービ
 霊魂。沖縄の石垣島(イシガキじま)でいう怪火。暗い夜に、赤い火の玉となって現れて、(みち)行く人を家まで送ってくれる親切な火。但し、別れる時にお(れい)を言わなかったり挨拶(あいさつ)しないと頭髪(とうはつ)()かれるという。

マイナムン
 奄美で、得体の知れない禍をもらたすものの総称をマイナムンと呼び、妖怪や幽霊を含む怪異。沖縄のマジムンに似ている。マイナムンは本土の「眉撫で物」が音便化したものと思われる(※恵原義盛氏の説)。マジムン参照。

マア
 八重山(やえやま)諸島と久米島仲里でのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

マカー
 座間味い山。この山から薪を拾ってくると祟りがあり、熱病で頭の毛が抜けたりする病気になる。

マカンミチノサカダチユウレイ
 幽霊。真嘉比道(まかんみち)逆立(さかだ)ち幽霊。サカダチユウレイ参照。

マザービー
 キジムナー参照。

マザーレーン
 キジムナー参照。

マジャー
 キジムナー参照。

マジャーグヮ
 キジムナー参照。

マジャービー
 キジムナー参照。

マジムン
 魔物(まじむん)。マジムヌ、マジモン、マジャムンともいう。魔のもの。化け物。沖縄における妖怪や悪霊(あくりょう)総称(そうしょう)。人間や動物や植物や器物(きぶつ)()けた魔物の意。マジムンの種類には、豚、家鴨(アフィラー/あひる)、犬、牛、(がん)はじめ、器物などの変化(へんげ)がある。アフィラーマジムン、(ウシ)マジムンというように、「~マジムン」といった使われ方をする。家には殆ど出ず、主に道の辻などに出没する。決まった場所に出るものもある一方、徘徊(はいかい)するものもある。。ユーリーと混同される事があるがそれは誤りで、ユーリーは幽霊を意味し、人間の亡霊のこと(※幽霊と妖怪の区別がつかない場合は、幽霊はもともと人であり、足がないのが特徴で、一方で、妖怪はもともとは神で、神が凋落(ちょうらく)したモノなどと考えるのが基本)。奄美地方の一部ではハブをマジムンと呼ぶ。なお伝承でハブは神の使いであったりもする。

マジムヌ
 マジムン参照。

マジモン
 マジムン参照。

マジャムン
 マジムン参照。

マズムヌ
 妖怪。幽霊。霊魂。沖縄の宮古島の、化け物や幽霊の総称。動物の怪の場合と、人の死霊や幽霊の場合がある。幽霊や死霊は人の方を向いて現れ、動物の怪の場合はこれが最後という時など滅多に人に顔を向けない点で区別できるという。マズムヌは、相手を食い殺すとか、呪うとか、生きていた時の怨念を晴らそうとするとされる。なお、この霊が来る時には山羊の臭いが強く漂うため、ツカサやカンカカリャ(祈祷師)には直ぐわかるという。なお木こりのの手伝いをしたり、山から木を運んで家造りの手伝いをしたりする話もある。マジムン参照。キジムナー参照。

マズムン
 宮古諸島伊良部島(いらぶじま)などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

マダンバシノナナイロムーティ
 ナナイロムーティ参照。

マディムヌ
 八重山諸島などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

マゾーソス
 マゾームヌ参照。マゾーソスはマゾームヌの誤字ともされるが、よくわかっていない。

マゾームス
 マゾームヌ参照。

マゾームヌ
 沖縄の石垣島地方の、化け物の総称。総称。沖縄本島のマジムンにほぼ同じ。ちなみに、マジムンの「ムン」や、マゾームヌの「ムヌ」は、「者/モノ」を意味する。

マブイ
 霊魂。(まぶい)。沖縄でいう霊魂(れいこん)のこと。マブイ()には、「イチマブイ」と、「シニマブイ」とがある。マブイは驚いた瞬間に体から飛び出してしまう事があり、これを「マブイ落とし」という。地域によって、人に宿(やど)るマブイの数は異なり、3つ、5つ、7つだったりする。マブイが落ちた時には、魂込み(マブイグミ)、マブイツケを行う。なお、マブイの出入り口は、背中の上部、首の下のあたりとされる。マブイグミ(魂込み)呪文(じゅもん)ほか、(さら)(くわ)しくは、イチマブイを参照。なお個人的には、「驚いた」の語源は「おったまげた」で、それは沖縄語「たましぬぎたん(※(たましい)が落ちたの意)」から来ているのではないかと考察する。シニマブイ、イチマブイ参照。

マブイウトシ
 魂落(まぶいう)とし。マブイ参照。

マブイグミ
 魂込み(まぶいぐみ)。マブイ参照。

マブイコメ
 魂込め(まぶいこめ)。マブイ参照。

マブイゴメ
 魂込め(まぶいごめ)。マブイ参照。

マヤ
 久米島仲里でのキジムナーのような妖怪。カーカプロー、キジムナー参照。

マヤーガマ
 洞窟。沖縄本島の宜野湾市大山に、大山マヤーガマ洞穴遺跡がある。猫をマヤ―、洞穴をガマという。むかしこのマヤ―ガマに住むマジムン(魔物)が猫に化け、大山村の子ども達をさらっていた。見かねた村の力持ちが化け猫を懲らしめるため、逃げ込んだ洞穴の中の(かめ)棕櫚(しゅろ)の皮で作った左巻きの縄で括り付けた。するとそれ以来、マヤ―ガマの化け猫は二度と村に現れなくなった。バケネコ参照。

マヤーグイオバー
 (マヤー)()いオバー。本質的に妖怪や幽霊とは関係がない。沖縄本島本部町備瀬では「猫は七つの罰を受けて生まれたため、死んだら人目に付く場所に吊してさらし者にする」という意が込められ、特にアダンの木に吊され、昔はアダン林の下は猫の死骸だらけだった場所もあるという。猫は執念深いため、化けて出ないようにという風習は全国的にある。琉球では、地面に埋めるのでは猫は成仏できないと考えられ、木に吊るして成仏させると考えられていた。なお猫は、一軒の家で7年以上飼うと化け猫になるとさた。琉球では近年に禁止されるまで猫食が残ったが、一般に肉食性の哺乳類は肉が臭く、脂肪分が少ないため食用に適さず、薬膳などに限られていた。琉球では古くから喘息に効くと信じられ、現在でも先島諸島の一部では稀に用いられる事があるという。なお、一例として、映画『ホテル・ハイビスカス』に出てくる死んだ(ねこ)の皮を()いで食べると子ども達に思われる老婆が登場するる(※沖縄民謡の重鎮、大城美佐子先生が演じる)。バケネコ参照。

マヤーツクグル
 妖怪。沖縄の石垣島地方でいう怪鳥。「ミンツクグル」とも言う。「ツクグル」は「(ふくろう)」の事で、また、冥土(めいど)使者(ししゃ)とされる。

マユンガナシ
 神「真世神司(まゆんがなし)」「真世加那志(まゆんがなし)(など)とも表記する。琉球沖縄の石垣島(いしがきじま)川平(かびら)来訪神(らいほうしん)として有名。節祭(シチ)の際に異郷から神が来訪し、簑笠(みのがさ/さりつ)姿で、家々を訪問し、家族繁栄(はんえい)五穀豊穣(ごこくほうじょう)祝福(しゅくふく)する祝詞(のりと)を唱える。

マンジー
 八重山(やえやま)諸島などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

マンジャー
 八重山(やえやま)諸島、特に小浜島などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

マンジャースー
 八重山(やえやま)諸島、特に小浜島などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

マンダー
 八重山(やえやま)諸島などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

マンダーピス
 マンダー参照。

ミシゲーマジムン
 妖怪。器物の怪。飯笥マジムン(みしげーまじむん)。本来、飯笥(いいけ)とは飯を盛る器の事で、しゃもじ(※(おも)御飯(ごはん)などをすくうのに用いる道具)は杓文字の字を当てるが、琉球沖縄でミシゲーとはしゃもじの事で飯笥の字を当てる。妖怪のミシゲーマジムンは飯笥(しゃもじ)が古くなって妖怪に変化(へんげ)したもの。沖縄に多い器物(きぶつ)の妖怪のひとつ。この飯笥(しゃもじ)が化けたミシゲーマジムンに対して、鍋笥(なびけー)杓子(なびげー/しゃくし)(※(おも)に、(しる)などをすくったりする道具)の場合は、ナビゲーマジムン(鍋笥まじむん)という。ある家で、夜中に戸を(たた)くものがいるので開けてみると、一本の飯笥(しゃもじ)があるだけだったという話が伝わっている。他に、夜中にごみ捨て場から三線(さんしん・蛇味線)太鼓(たいこ)の音がするのは、捨てられた楽器(がっき)器物(きぶつ)毛遊び(もうあそび・もうあしび)(※夜、野外(やがい)で若い男女が遊ぶ、昔からの伝統の集まり)しているからだという。またある話では、ある夜中に三線(さんしん)(にぎ)やかな音が聞こえてきたため、ある男は頬被(ほおかぶ)りしてその集まりに仲間入りした。散々(さんざん)、飲んだり(おど)ったりしているうちに()が明けた。一人、二人と去っていって、みんないなくなったが、男は疲れてそのままそこで寝込(ねこ)んでしまった。目が覚めるとそこは床下で、(あた)一面(いちめん)飯笥(しゃもじ)杓子(なびげー/しゃくし)(はし)などが散乱(さんらん)していたという。またこんな話も伝わる。ある農民が夜中、道で(うずくま)っている一頭の牛を見つけた。そのままにしておくこともできないと考え、明日にでも持ち主を探そうと連れ帰って自分の牛小屋に入れ、砂糖黍(さとうきび)を与えたところ、実によく食べたという。翌朝、牛小屋を(のぞ)いて見るとそこには牛の姿がなく、(うずたか)く積み上げられた(きび)の上に、一本の飯笥(しゃもじ)があるだけだったという。この(たぐい)怪異(かいい)が琉球沖縄では昔からたくさん語り()がれてきた。それは、古くなった杓文字(しゃもじ)杓子(なびげー/しゃくし)といった器物(きぶつ)はごみとして捨ててはいけない大切に使う物とされ、廃棄する場合は供養してきた。ナビゲーマジムン、マジムン参照。

ミチバタ
 道端(みちばた)。キジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

ミヅシカミ
 ミヅシ神(みづしかみ)。奄美の徳之島(トクノしま)伊仙町(イセンちょう)地方でいう水神(すいじん)

ミミチリボージ
 幽霊。耳切り坊主(みみちりぼーじ/みみちりぼーぢ)。沖縄本島の首里の大村御殿(うふむらうどぅん)誅殺(ちゅうさつ)された琉球時代の伝説の怪僧。沖縄本島の波之上(ナミノウエ)にある寺に、身体(からだ)が大きく肌の色が黒いため、世間(せけん)から黒金座主(くるがにざーしー)と呼ばれた、秘法(ひほう)(おさ)めた天台宗の僧がいた。その読経(どきょう)の声は大きく、説教(せっきょう)が大変に上手(じょうず)であったという。また、囲碁(いご)の腕前は琉球で(いち)()を争う名人(めいじん)だったという。ところが、幻術(げんじゅつ)を使って次々と女性を(たぶら)かして()のままにしていたことが次第(しだい)に明るみに出て(うわさ)となり、北谷(ちゃたん)王子により成敗(せいばい)された。殺される(さい)に、一方(いっぽう)の耳を切り落とされて、もう一方の耳が切り落とされる時に、首を深々と()りつけられて死んだ。そしてその怨霊(おんりょう)耳切り坊主(ミミチリボージ)になった。琉球沖縄の、子守唄(こもりうた)としての耳切り坊主(ミミチリボージ)大村御殿(うふむらうどぅん)とも呼ばれ、(かま)小刀(こがたな・しょうとう)を持ち、泣いている子どもの耳を切る()(もの)として長く歌い()がれてきた。ただ本来は、耳切り坊主(ミミチリボージ)成敗(せいばい)した北谷(ちゃたん)王子の屋敷(やしき)大村御殿(うふむらうどぅん)なのであり(※場所は、首里の龍潭(りゅうたん)池の向かいの旧博物館(あと)の脇)子守唄(こもりうた)によると、ここに耳切り坊主(ミミチリボージ)()(もの)が、3、4(たい)、立っていると唄われる。

ミミチリボーヂ
 ミミチリボージ参照。

ミンキラウヮー
 妖怪。怪異。精霊。奄美大島の村里のマイナムン。耳無豚(みんきらうゎー)。カタキラウヮ、ユナワとも。夕方から夜の間、一人で道を歩いていると、向こうから耳がない仔豚(こぶた)のようなものがやってきて、しきりに、人の(また)(くぐ)ろうとする。ついしゃがんだりしてこれに(また)(くぐ)られると、命を取られるか、性器を駄目(だめ)にされてしまう。これを()けるには、とっさに足を交差(こうさ)させて立てばよい。もしもその状態で(また)(くぐ)られた場合は何の(わざわ)いもないという。ミンキラウヮーが出没(しゅつぼつ)する場所は、大体(だいたい)決まっていたといわれ、名瀬(なぜ)市内だけでも三、四箇所はあったという。一匹の時もあれば複数で現れる時もあり、出現する時には、クレゾールのような(にお)いがしたともいわれている。なお、ミンキラウヮーには、影がないとされている。カタキラウヮ、ユナワ参照。

ミンツクグル
 マヤーツクグル参照。

ムーティ
 ナナイロムーティ参照

ムィティチゴロ
 妖怪。奄美の徳之島(トクノしま)阿布木名(アブキナ)に伝わる妖怪。ある場所を夜に通ると、一つ目の豚に出会うという。これがムィティチゴロであり、しきりに人の(また)(くぐ)ろうとし、潜られた人は死ぬ。そのため、昔の人はこれと出会った場合、足を斜交(はすか)いにして歩いたという。ムィティチゴロは「目一(めひと)五郎(ごろう)」のことと思われる。九州で、目一つ五郎といえば、大きな一つ目小僧のような妖怪を()すが、徳之島では豚の妖怪。

ムヌ
 妖怪。怪異。形は漠然としていて定まらない。妖怪を「ヤナムヌ(嫌なモノの意)」ともいう。突然、人が行方不明になる神隠しを「ムヌニ・ムタリユン(ムヌに持たれる)」といい、また迷子になることを「ムヌ・マイー(物迷い)」というのはムヌからきている。別に、奄美の与論島だけにいる妖怪「ハタパギ」を「ムヌ」ともいう。ハタパギ参照

ムヌニムタリユン
 ムヌ参照。

ムンバ
 奄美の徳之島、伊仙町地方でいう妖怪。洞穴(どうけつ)()れ木にいるといわれる。

ムヌマイー
 モノマヨイ参照。

メリマツノカワラ
 目利真角嘉和良(めりまのつのかわら)。沖縄の宮古島の神。天仁屋大司(あまにやおおつかさ)という女神と、目取真按司(めどるまあんじ)の間に生まれた男子で、14歳になると目利真山から天に昇ったが、たびたび地上に降りてきては人々を助け、霊験をお示しになったため、人々は目利真山を御嶽として崇めるようになったとされる。

モーフンコクシ
 幽霊。矇雲國師(もううんこくし)とも。術使い(ジチチケー)(そう)であったという話もある。琉球國に統一される前の三山時代、海賊の(かしら)にモーフンコクシと呼ばれていた者がいて、沖縄じゅうを荒らし回り、略奪(りゃくだつ)の限りを()くしていたが、ついに捕まって刑に(しょ)された。その処刑方法は、八重瀬岳(やえせだけ)のメカル石と呼ばれていた巨石をくり抜き、(しば)って中に入れ、そのまま巨石を逆さにひっくり返すもので、窒息死か、餓死するしかないものだった。それからしばらくして、琉球が天変地異や異常気象に度々見舞われ、それがモーフンコクシを残虐(ざんぎゃく)に殺したからだというユタが現れた。反対する者たちを押し切って、メカル石はひっくり返されたが、世にも恐ろしい無敵となった巨大なモーフンコクシが出現し、体から黒々とした煙を立ち上らせながら次々と人々を襲い、琉球は大混乱に(おちい)った。それを聞いた、後に中山王(ちゅうざんおう)となる舜天(しゅんてん)は、直ぐさま軍勢を引き連れてモーフンコクシを成敗(せいばい)したという。

モトブノイングヮーマブイ
 本部(もとぶ)のイングヮーマブイ。「イングヮー」とは犬。イングヮーマブイ参照。

モノマヨイ
 怪異。物迷い。夕方になると子どもをさらって行く怪。琉球沖縄でいう神隠(かみかく)しのこと。モノに(まよ)わされるの意。

ヤエセダケノモーフンコクシ
 モーフンコクシ参照。

ヤギマジムン
 妖怪。動物の怪。山羊(やぎ)変化(へんげ)山羊マジムン(やぎまじむん)(ヒツギ)の板が化けた山羊(ヤギ)の化け物。名護(なご)羽地(はねじ)(そん)真喜屋(マキヤ/マジャー)のある男が、深夜、真っ白い山羊を見つけて、稲嶺(いなみね)の浜に追い()めて(つか)まえ、(しば)ってから帰宅した。家に帰った夫は妻にそのことを語るが、話し終えた途端(とたん)に発熱して死亡してしまう。不審(ふしん)に思った妻が翌朝、稲嶺の浜に行ってみたところ、山羊(ヤギ)の代わりに、奇怪な(ヒツギ)の板きれが(しば)られていたという。なお、(ヒツギ)ではなく、骨壺(こつつぼ)山羊(ヤギ)が化けて害をなす話も沖縄にはよくある。この他に、ピーシャーヤナムン、ピンザマズモノという山羊(ヤギ)の妖怪もいるが、よくわかっていない。(ヒツギ)ノマジムン、マジムン参照。

ヤギノマジムン
 ヤギマジムン参照。

ヤチバー
 沖縄本島中部、勝連(カツレン)半島と周辺の離島などでのキジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

ヤナムヌ
 ムヌ参照。

ヤマワロ
 水蝹(ヤマワロ)。「水蝹」は様々な読み方がある。奄美の妖怪。ケンモンの別名、ないしは似た妖怪。ケンモン参照。

ヤマンカミ
 妖怪。怪異。精霊。奄美大島の山のマイナムン。

ヤマンボ
 妖怪。怪異。精霊。奄美大島の山のマイナムン。山中に入った人が「ウーイ」と連れの者を呼ぶと、()ぐ近くで「ウーイ」という人の声ではない返事が返ってくることがあり、ヤマンボの仕業(しわざ)だという。ヤマンボは幼い子どものようであり、いつもは大木の根元に座っているが、人が近寄ると隠れて姿を見せないという。もしも大木の木の実を拾う時は、全部拾わずにヤマンボのために少し残しておくものだと言われ、もしもそれをしないと迷わされて森から出られなくなるという。なお奄美大島では、山のこだま(木霊)やまびこ(山彦)もヤマンボと呼んでいる。ウバ、ウバトウイ参照。

ヤラムルチノジャー
 屋良(やら)ムルチのジャー。ジャー参照

ヤンパサカ
 ヤンバサカー参照。

ヤンバサカー
 沖縄本島北部、屋我地島周辺での呼び名。キジムナーのような妖怪。キジムナー参照。

ユーリー
 幽霊。沖縄本島の山原(ヤンバル)地方のあるユーリーは、白い着物を着た人間のような姿で、長い毛髪が顔を(おお)っており、()(たけ)は高いものの、自由自在に低くも高くもなるという。今帰仁村(ナキジンそん)天底(あめそこ)の馬場付近に現れたユーリーは、天に届くほど背が高かったという。出会った場合、「シータカ、シータカ」と言ってユーリーの背を高くし、次に「シーヒク、シーヒク」と言って低くしておいてから、(むち)小枝(こえだ)などで打ちのめす。打ちのめされたユーリーは、蛍火(ほたるび)のような青い光を四方(しほう)散乱(さんらん)させる。また、背が高く顔だけが真っ赤で、木にぶら下がっていて足がないユーリーを見た人がいるという。またユーリーは、歩くのに足音がなく、足跡もないという。なお那覇周辺でユーリーという場合、幽霊以外に、単に人の死霊(しりょう)の意の場合がある。ユーリーは幽霊であって元は人間であり、元は神だった妖怪やマジムンとは明確に異なる。夜に口笛を吹くとユーリーが出ると伝わる。また、多くは四辻(よつじ)っに出現する。石垣に向かっていたり、無印の提灯を持っているのがユーリーの特徴とされた。夜、自分の名を呼ばれても、三度聞かれないうちは返事をしてはいけないとされたのは、二度までは幽霊でも呼ぶ力があるとされたためである。

ユウレイ
 幽霊(ゆうれい)。琉球國時代の昔から様々な幽霊の話が伝わる。幽霊と書いてユーリーと発音されてきた。ユーリー参照。

ユイヌミーマジムン
 妖怪。(ふるい)の化け物。ユイとは篩のこと。知恵者がラッキョウになれと念じたところそうなり、人々に食べられた。

ユイピィトヌマイ
 ユピトゥンガナシ参照。

ユイピトゥガナシ
 ユピトゥンガナシ参照。

ユガラドリ
 ゆがら鳥。正直(しょうじき)な鳥で正しい人間を助ける。陰口(かげぐち)悪口(わるぐち)告げ口(つげぐち)する人がいると夜明けに鳴くという。ほかに女遊びが起こる日は夕方から鳴き始める。家が焼けたり災いが起こる時は、夜中にそれを告げる。また隣り同士が喧嘩をする際に言葉を(つつし)むようにと鳴く。村と村が争うような時は昼間から暴れながら飛び回るという。

ユサンリ
 アコークロー参照。

ユシトゥンガナシ
 ユピトゥンガナシ参照。

ユナーメー
 妖怪。髪の毛がぼうぼうの妖怪。那覇上泉町(きゅう)湧田村、(げん)泉崎)地蔵前の石川家が所蔵し保管してきた木(めん)の事とも言われ、この面をつけて「メーメー、ワーワー」と(おど)すと()泣きしている子どもがマブイ()を落とさずに夜泣きの(くせ)(なお)ったという。

ユナバル・ヤージー
 ユナバルヤージーの、ユナバルは地名の与那原で、ヤージーは苗字の屋宜である。男の怪物だという。

ユナバルヤージー
 ユナバル・ヤージー参照。

ユナワ
 妖怪。奄美の徳之島の妖怪。夜、群れをなして歩く豚の妖怪で、人の股をしきりに(もぐ)ろうとする。潜られた人は死ぬ。名は「夜なウヮー」からきたとされ、「夜の豚」の意。茂野幽考『南西諸島の伝説 上』によれば、名前は出てこないが徳之島の子豚の妖怪が紹介されている。母間(ぼま)花徳(かとく)の間に陸川という小さな川があり、夜間にその川を渡る時に口笛を吹くと、必ず豚の子どもが飛び出してくるといわれていた。ある夜のこと、花徳(かとく)の農民が川海老をとりに出掛けたが、その夜に限って川海老が一匹もとれなかった。そこで農民は退屈(たいくつ)(まぎ)れに口笛をピーッと吹いた。すると、川上から一匹の豚の子が流れてきたので、(あみ)を張って生け捕りにしようとした。次の瞬間、豚の子は網目(あみめ)から幾千(いくせん)にも小さく千切(ちぎ)れた豚になって飛び出したため、農民は腰を抜かして驚き無我夢中(むがむちゅう)で自分の家まで走っていって逃げ()んだという。しかし群れをなして追いかけてきた豚の子は、ついに家の中にまで入ってきた。とうとう逃げ場を失った農民が豚小屋に逃げ込んで、寝ていた大きな豚の(かたわ)らに()せて隠れていたところ、豚の子の一群はやがてその場を引き()げていったという。カタキラウヮ、ミンキラウヮー参照。

ユピトゥンガナシ
 結人加那志(ゆぴとぅんがなし)寄人加那志(ゆぴとぅんがなし)。神。山の神、野の神、家の神。竹富島、黒島、石垣島、西表島はじめ八重山諸島の神。時には小人(こびと)聖霊(せいれい)で、山から材木を運んで家造りの手伝いをしてくれるとされる。石垣島川平で行われる建物の落成式では「ユイピトゥカエシ」と呼ばれる儀礼が執り行われる。ジンピカレー参照。

ヨーガラサー
 夜鳥(ヨーガラサー)。怪異。伊平屋島では、夜鳥(ヨーガラサー)がたくさん鳴く時はそれほど恐れないが、一羽で鳴く時は、後生(グソー)(※あの世)からお迎えが来たとして、人が死ぬ予兆とする。

ヨーレ
 幽霊。幽霊を奄美ではヨーレという。ユーリー参照。

ヨナバルヤージー
 ユナバルヤージー参照。

ヨハシト
 夜半人(よはしと)。幽霊。奄美大島の幽霊。(さむらい)の幽霊が首無し馬に乗って夜半(やはん)に現れる。クイナがその先触(さきぶ)れをする。家にあかりが(とも)っていると家の中まで入って来るが、(つめ)を隠していると助かるという。

ワーウー
 妖怪。(単に醜いの意の場合も。)恐ろしい面相(めんそう)をした怪。醜い妖怪。怖い顔つきの妖怪。実態はよくわかっていない。妖怪を意味する児童語ともいう。なお鬼面を刻んだ「ワーウー石敢当(いしがんとう)」や、魔除けのために屋根に置く「シーサー・ワーウー」のワーウーは、この妖怪からきているとされる。なおワーウーには、単に、醜男や醜女の意味もある。

ワカサノナカニシヘーイ
 ナカニシヘーイ参照。

ワニ
 神。海の神。海の神の使い。琉球民話にも出てくるワニとは(さめ)のことで、古くから日本中でそう呼ばれてきた。(さめ)は古語で「和爾(わに)」。場合により大きい魚のことをいう。




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明治時代中期の沖縄の風俗

2022年10月11日

Posted by 横浜のトシ(爲井) at 09:59 Comments( 0 ) その他

「明治時代中期の沖縄の風俗」


ご訪問、ありがとうございます。

『沖縄風俗圖繪』
(風俗画報臨時増刊/明治29・1896年/琉球史料研究会発行)

を手に入れました。

※中身の最初の挿絵(さしえ)はこちら↓
https://img03.ti-da.net/usr/t/o/t/totoro820/0004ss1.jpg


※なお琉球では一般の庶民(しょみん)
つまり平民(へいみん)一般を、
「百姓」と書いて、「ひゃくせい」と発音しました
(※つまり農民も含むものの農民という意味ではありませんので注意)

読むのが楽しみです。

では。

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沖縄奄美の、すべての、もののけ大集合! 2022.8版

2022年08月18日

新しい記事として、アップしました。
https://totoro820.ti-da.net/e12445033.html



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