~琉球沖縄に伝わる民話~

『球陽外巻・遺老説伝』より、第83話。


沐浴する英雄(もくよくするえいゆう)


 宮古島に、むかし目黒盛(めぐろもり)という人がいました。性質はいたって雄々(おお)しく、武勇(ぶゆう)に優(すぐ)れ、誰一人として並(なら)ぶ者がおりませんでした。
 幼(おさな)い時に両親を失(うしな)い、まだ小さかった彼は一人で暮らしてゆくことが出来(でき)ず、姉(あね)がいるのを幸(さいわ)いに、姉が嫁(とつ)いでいた先の、義兄(ぎけい)であった下地邑主(しもじむらぬし)を、頼(たの)みにすることになりました。それから暫(しばら)くは、そこで暮らしていました。
 月日と共(とも)に段々(だんだん)と背(せ)が伸(の)びてゆく弟、目黒盛(めぐろもり)を見た姉(あね)は、ある日のこと、弟を物陰(ものかげ)に密(ひそ)かに呼(よ)んで言うことに、
 「私の夫は、とてもではありませんが、まともな人とはいえません。実はあの人の心は邪(よこしま)で、悪い心の持ち主(ぬし)です。長い間、お前がここにいれば、やがてあの人はお前の武勇(ぶゆう)を妬(ねた)んで、必ず亡(な)き者にしようとするに違いありません。あの人ならそれぐらいのことは、しかねないのです。ですからあなたは、一刻(いっこく)も早くここから立ち退(の)きなさい。
 それから、その後のことですが、亡(な)くなった父の田地(でんち)は、私達の伯母(おば)様の嫁(とつ)ぎ先、糸数大按司(いとかずおおあじ)が預(あず)かって下さっています。家に帰ったら、その足で直(す)ぐに伯母様の家に行き、田地を返して頂(いただ)くとよいでしょう。そして田畑(でんぱた)に、力を尽(つく)しなさい。」と。
 それを聞き終わった目黒盛は、余(あま)り話の内容に、大層(たいそう)(おどろ)きました。そして姉弟(きょうだい)は、手に手を取り合って、別れを泣き悲しむのでした。
 しかし何時(いつ)までも、そうしたままではいられません。流れる涙(なみだ)を隠(かく)しつつ、目黒盛は姉の家を後(あと)にしました。そして暫(しばら)くは、平良(ひらら)の外(はず)れの地に隠(かく)れ住んでいましたが、やがて姉の言葉通り、大按司の家に出掛(でか)けてゆきました。
 大按司に会い、まず丁寧(ていねい)に挨拶(あいさつ)を述べながら、また土地を預(あず)かって頂(いただ)いた感謝(かんしゃ)を述(の)べた後(のち)、言葉を選びながら、穏(おだ)やかに田地を返してくれるよう、頼(たの)み始めました。
 ところが大按司は、黙(だま)り込(こ)んだまま、一言(ひとこと)もこたえません。しかもその眼には、目黒盛を殺してしまおうという気配(けはい)が漂(ただよ)っています。
 直(す)ぐそれに気付(きづ)いた目黒盛でしたが、少しも恐れた様子(ようす)を見せず、言葉を次第(しだい)に強めながら、二度、三度と、田地を返すよう、頼みました。そしてようやく大按司が口を開いて言うことには、
 「その田地は、私一人に預(あず)けられたものではない。我々(われわれ)七人の兄弟に預(あず)けられたものだ。だからもしお前が、どうしてもその田地を返して欲(ほ)しいと思うなら、我々七人の兄弟と相談した上で、返して貰(もら)うのが筋(すじ)だ。」と。
 そこで今度(こんど)、目黒盛は、七人の兄弟に田地を返すように頼(たの)んで回りました。しかし七人とも、突(つ)き詰(つ)めれば結局、異句同音(いくどうおん)に言うのでした。
 「それでは、我々兄弟は一緒(いっしょ)に行くので、その土地で我々とお前が戦(たたか)い、その勝敗によって、土地の所有者(しょゆうしゃ)を決めるしか方法がない。しかし、もしもお前が負けたら、生憎(あいにく)だが田地を返す訳には、もう、いかなくなってしまうんだぞ。」と。
 筋(すじ)が通らない七人兄弟の、その申(もう)し出(で)に、目黒盛は気が進まないものの、仕方(しかた)なく戦いを承諾(しょうだく)するよりほかに、土地を取り戻(もど)す方法がありません。戦うことを承諾(しょうだく)しました。
 そして、その日がやって来ました。
 七人を向こうに廻(まわ)しての戦いですが、生れつき武勇(ぶゆう)に秀(ひい)でた男であった目黒盛にとっては、たとえ相手が多人数(たにんずう)であっても、少しも恐ろしいことはありません。しかしながら、義理とはいえ、相手は近い兄弟のため、戦いは、ややもすれば情(なさけ)にほだされること、しばしばで、最初はなかなか、決着(けっちゃく)がつきません。
 けれども、いよいよ戦いは、殺すか殺されるかの分れ目を迎(むか)えました。相手の殺意が全く消えないため、遂(つい)に目黒盛は、勇気(ゆうき)を奮(ふる)い立てて心を決め、相手を斬(き)って斬って斬りまくり始めました。そして遂(つい)に七人を打(う)ち倒(たお)しました。
 戦いに勝ち、田地が自分に戻(もど)ったため、目黒盛はそのまま白川に帰り、武器を井戸の上に挿(さ)し立てて、井戸の水を汲(く)み、沐浴(もくよく)して、身を清(きよ)めました。
 ところで、丁度(ちょうど)その頃、白金白殿(しらかねしろどん)という人物が、川辺(かわべ)に住んでおりました。
 そして此(こ)の人には一人娘(ひとりむすめ)がいて、才智(さいち)が遙(はる)かに人より勝(すぐ)れているばかりか、容姿容貌(ようしようぼう)がまた、ずば抜(ぬ)けて美しく、それはそれは類(たぐ)い稀(まれ)なる佳人(かじん)でした。
 この娘は、目黒盛が自分の家の前を通ると、早速(さっそく)、父の所へ行って言うことには、
 「今、川上にいる人が、家の前を通りました。世に勝(すぐ)れた風貌(ふうぼう)を見ると、決して只人(ただびと)とは思えません。やがてきっと、幸福に島を治(おさ)める主(あるじ)となるに違いありません。」と。
 娘が、余(あま)りにも大袈裟(おおげさ)に、しかも突然(とつぜん)知らない男を褒(ほ)め出すので、白殿(しろどん)は思わず外(そと)に出て、一体(いったい)どんな男だろうと、目黒盛を見たのでした。すると果(はた)して娘の言葉通り、男は世に又(また)とない、勝(すぐ)れて雄々(おお)しい男です。人を見る目がある白殿(しろどん)は、一目(ひとめ)で彼を見抜(みぬ)き、感心(かんしん)し、自分から礼(れい)を尽(つ)くして声を掛(か)け、目黒盛を、家の中に招(まね)き入れて、四方山(よもやま)話を、し始めました。
 白殿(しろどん)は、目黒盛から、七人を倒して父の土地取り返した話を聞いて、その武勇(ぶゆう)と正義(せいぎ)を心から褒(ほ)め称(たた)えました。そして、色々と、もてなしながら、娘を嫁(よめ)として貰(もら)ってくれまいかとまで、申(もう)し入(い)れました。
 目黒盛もまた、その志(こころざし)に厚(あつ)く礼(れい)をもってこたえ、快(こころよ)く、承諾(しょうだく)しました。それから二人は、吉日(きちじつ)を選び、諸々(もろもろ)の仕度(したく)を整え、いよいよ結婚の式を挙(あ)げる日が近づいてきた時のことです。目黒盛は、意外(いがい)なことを言い出しました。
 「私は、七人の兄弟を斬(き)ったので、身に汚(けが)れを受けているといえます。その汚れを清(きよ)めるため、どうぞ白い器(うつわ)で婚礼(こんれい)を挙(あ)げさせて下さい。」と。
 そして白い器を作り、目出度(めでた)く夫婦の盃(さかずき)を交(か)わしました。
 それからというもの、夫婦の子孫(しそん)は繁栄(はんえい)し、又(また)、娘の予言(よげん)(どお)り目黒盛は、宮古島の主となって島を治(おさ)め、富(と)み栄(さか)えてゆきました。
 なお、今でも婚礼(こんれい)の式の際(さい)に、必ず白い器にお神酒(みき)を盛(も)るのは、この時から始まったということです。


※注
【沐浴】(もくよく)髪やからだを洗うこと。この場合は、水を浴(あ)びてからだを清めること。但(ただ)し、古くは他の地域でも同じであるものの、琉球沖縄の環境にあって、水はより貴重(きちょう)であるとともに、聖(せい)なるものである点に注目しなければならない。
【雄々しい】(おおしい)男らしいさま。勇(いさ)ましさ。
【武勇】(ぶゆう)武術に優(すぐ)れ、勇気があること。強くて勇(いさ)ましいこと。
【才智】(さいち)知=智。才能と知恵。
【容姿容貌】(ようしようぼう)容姿は、顔だちと体つき。姿かたち。容貌は、顔かたち。顔つき。
【佳人】(かじん)美しい女性。美人。
【風貌】(ふうぼう)風采(ふうさい)と容貌。身なりや顔つきなど、外から見たその人の様子(ようす)


Posted by 横浜のtoshi





この記事へのコメント・感想・ゆんたくはじめ、お気軽にお書き下さい。承認後アップされます。
yukuru mama、はいさい、今日(ちゅう)拝(うが)なびら。

昨日は出勤でしたが、
このところ忙しすぎて、
昨日、仕事をし終えた時、過労死しそうと本当に思ったほどです。

ブログの方は、
時間がある時に、数日分、先を書きためているんですが、
それも、仕事が忙しくて、直ぐ貯金がなくなる毎日です。
とにかく、きつくてきつくて。

それでも、僕の性質上、
めんどくさい、疲れたと、
手を抜き始めればキリがないので、
無理矢理、頑張っています(笑)。

横浜は、猛暑です(笑)。
でも暑いんだったら、やっぱり、沖縄がいいです~。

『球陽外巻・遺老説伝』ですが、
実は、全部で何話なのか、よくわからず、
途中から、番号を振り始めてみました。
たぶん半分ちょっとは、書いたみたいですが、
数えると挫折しそうなので、
とにかく、目の前の文章を書く事に徹しています。

mamaにはいつも、元気を頂いております。ありがとうございます。
mamaも、頑張って下さいね。
では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年07月18日 08:01


横浜のtoshiさん

こんにちは~o(^-^)o

そちらも梅雨明けして
今日は猛暑みたいですね~(笑)

toshiさんの民話、楽しみに拝読させて頂いてますよ~(笑)

でも、沢山あるものですね。o(^-^)o

今日はお仕事お休みですか~
夏バテをしない様に
気をつけて下さいね~o(^-^)o
Posted by yukuru mama at 2010年07月17日 16:27


コメント以外の目的が急増し、承認後、受け付ける設定に変更致しました。今しばらくお待ち下さい。

※TI-DAのURLを記入していただくと、ブログのプロフィール画像が出ます。もしよろしければ、ご利用下さい。(詳細はこの下線部クリックして「コメ★プロ!」をご覧下さい。)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。
琉球民話『球陽外巻・遺老説伝』のご紹介(旧版)」 新着20件  → 目次(サイトマップ)       設置方法