てぃーだブログ › 琉球沖縄を学びながら、いろいろ考えていきたいな~ › 琉球民話『球陽外巻・遺老説伝』のご紹介(旧版) › 86妓女と子馬(あそびめとこうま) ~琉球沖縄の民話

~琉球沖縄に伝わる民話~

『球陽外巻・遺老説伝』より、第86話。


妓女と子馬(あそびめとこうま)


 むかし、越来(ごえく)に、四、五人の少年が、妓女(あそびめ)を連れて、お宝瀬の地(おたからせのち)に行きました。そこで面白(おもしろ)く遊んでいると、ほど遠からぬ草むらの中から、子馬が、いななくのが聞こえてきます。しかもその声は物悲(ものがな)しく、そして救いを求めるように聞こえたので、早速(さっそく)行ってみました。すると、生まれて間もないと思われる、一頭の子馬がいます。
 可哀(かわ)いそうに、母を探して鳴いているんだなと思った少年達は、広い野原を手分けして、あちこち母親を探し回って、お乳を飲ませてやろうとしました。
 しかし、母馬は、一向(いっこう)に見つかりません。
 これはどうしたことか。もしかすると、母親がいない子馬なのかもしれない。どうしたものかと、途方(とほう)に暮(く)れました。
 折角(せっかく)の遊びも、このことでにふいになってしまい、母馬も見つからずに、骨折り損(ぞん)のくたびれ儲(もう)けになってしまったと少年達は考え、幼(おさ)な心にありがちな残忍(ざんにん)な考えが湧(わ)き起こりました。
 「いっそ、いたづらの限りを尽(つ)くして、この馬をなぶり殺してしまうのも面白い。」と、一人の少年が言い出すと、皆、それに賛成(さんせい)するのでした。
 その時、妓女(あそびめ)がそれを止めて、
 「いいえ、それだけは、絶対にいけません。この小馬は、世にも稀(まれ)な駿馬(しゅんめ)です。鳴き声を聞いてごらんなさい。それに、その顔立ちもよく見てみなさい。並(なみ)の馬とは違うではありませんか。これ程(ほど)の名馬を殺してしまおうなんて、なんて惜(お)しいことを考えるのでしょう。」と。
 強い調子でそう言い切り、子馬を庇(かば)ったために、そこにいた少年達は、殺すのを諦(あきら)めるしかありませんでした。
 あくる日、上地村(うえちそん)の儀保という人が、たまたまその話を聞いて、飛んでやって来ました。そしてその子馬を見てみると、成程(なるほど)、普通の馬とは違っています。
 しかしながら、体が非常に疲(つか)れているせいでしょうか。まったく草を食べようとしません。
 そこで儀保は、その子馬を家に連れて帰り、毎日毎日、ご飯を食べさせ、大事に養いました。
 子馬は、日に日に肥(こ)え太り、体も大きくなってゆき、草もよく食べるようになりました。
 そんなある日のことです。
 村人達の馬と同じように、広い野原に繋(つな)いで勝手に草を食べさせていると、誰かの過(あやま)ちから、野原が火事になってしまいました。折からの風に煽(あお)られて、辺(あた)りはみるみる火の海になり、野原一杯に火事が拡(ひろ)がり、繋がれていた馬たちは逃げるに逃げられず、とうとう猛火に包まれ焼け死(やけし)んでしまいました。
 ところが不思議なことに、彼の子馬の周囲(しゅうい)だけはまったく焼けず、馬も元気で威勢(いせい)よく、いなないているではありませんか。
 駆け付けた村の人達は、この有様(ありさま)を見て、ただただ、呆気(あっけ)にとられるばかりでした。
 周囲が焼け、この馬のいた場所だけが焼け残ったため、その場所を今でも「焼け廻地」と呼んでいます。
 その後、この馬は、思ったように、走る時は、まるで空を飛ぶように、駿馬(しゅんめ)「御宝瀬馬」(おたからせうま)として、もてはやされ、その馬の歌まで出来ました。
 野国馬(名馬)の後に、この馬あり
 御宝瀬馬の前に飛鳥なし
 さて、御宝瀬馬の生(お)い立ちについては、もう一つの話が、伝わっています。
 越来邑に、一人の若いお母さんがいました。
 生まれたばかりの大事な大事な一人っ子を亡くし、悲しみのあまり気が狂わんばかりだったそうです。そして、家の中に引きこもってばかりいて、昼となく、夜となく泣き暮らしていました。
 ある日のこと、その日は何となく死んだ子の面影が眼の前にちらつき、何かに誘(さそ)われるように家を出て、御宝瀬の野に行きました。
 そこへ、一人の農夫が子馬を引いてやって来て、柔らかそうな若草の生えている処を選んで、なだめたり、すかしたりしながら、しきりに子馬に、草を食べさせようとしています。
 しかしその馬は痩(や)せて元気がなく、よろよろとよろめいて、歩くのさえ難儀(なんぎ)そうな子馬でした。
 悲しみに打ち沈んでいた若い母ですが、農夫に近づいて言うことには、
 「いったい、その馬は、どうしたんですか。」と。
 そう聞かれて、農夫がこたえて言うことには、
 「母馬が、これを生んで四、五日すると、急に死んでしまったのです。私は、母馬に代わってこの子馬を育てなければと思って、色々と手を尽くしていますが、何分にも肝心(かんじん)のお乳がありません。ご覧の通り、日に日に、痩(や)せ衰(おとろ)えて、この通りの有様で、今日は、若草でも食べはしないかと、連れて出してきたところなのです。」と。
 これを聞いた、若いお母さんは、可哀想(かわいそう)で可哀想(かわいそう)で、たまりません。
 「どうかお願いです。この子馬を私に下さい。家に連れて帰って、夜、昼となく、私のお乳で育てて見ることにしましょう。」と。
 子馬を育て始めて、幾年かの後、骨ね組も、体付(からだつ)きも非凡になって、走る様子はまるで飛鳥のような駿馬(しゅんめ)に育ちました。
 この馬が御宝瀬馬と申します。
 御宝瀬馬の生い立ちについては、以上の二つの伝え話がありますが、随分と昔の話ですから、どちらが本当なのかは解かっていません。


※注
【越来】(ごえく)以前の発音では「ぐぃーく」など。
【御宝瀬馬】「御宝瀬(グフジ)馬」
【上地村】(うえちそん)越来間切上地村。以前の発音では「うぃーち」など。


Posted by 横浜のtoshi





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mamaこんにちは。

一応、昨日で、仕事にきりがつき、今日から夏休み。

ところが、早朝から2時間続きの授業が、3つ。休憩は10分。

ある意味で、いつもより、きついです~。
しかも、給料、大幅カットだしなあ~。やる気が起きません。

といっても、結局は、手を抜かずに、やるんですが・・・・・・。トホホ。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年07月21日 16:31


横浜のtoshiさん

こんにちは~o(^-^)o

良いお話ですね!

読んでいて気持ちがやさしくなれます。

そちらは連日の猛暑の
ようですが、バテていませんか?(笑)

もう夏休みですよね?
でも、夏休み返上くらいの忙しさなんですよね!

体調管理に気をつけて
頑張って下さいね!o(^-^)o
Posted by yukuru mama at 2010年07月21日 14:49


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