てぃーだブログ › 琉球沖縄を学びながら、いろいろ考えていきたいな~ › 琉球民話『球陽外巻・遺老説伝』のご紹介(旧版) › 90鉄匠の始め(てっしょうのはじめ) ~琉球沖縄の民話

~琉球沖縄に伝わる民話~

『球陽外巻・遺老説伝』より、第90話。


鉄匠の始め(てっしょうのはじめ)


 むかし、沖縄には鉄工(てっこう)がいませんでした。
 上志喜屋村(知念村)に、免之大親(みんのうふや)という人がいました。
 この人は、密かに七回も支那(しな)貿易をしましたが、兵乱(へいらん)のために七ヵ年も支那に滞在(たいざい)している間に、鉄匠(鍛冶屋)を学んで来たといわれています。


※註
~『琉球国由来記』には、鍛冶(かじ)は天孫氏時代からあると書かれているが、その初めの年代は不明である。尚質王時代(十七世紀)に、泊村出身の新垣親雲上が、王の命を受けて薩摩で習い、錫細工(すずざいく)は同時代に伊差川筑親雲上が支那で教えられ、曳物師も同時代に若狭町村外間仁也が、薩摩に三ヵ年滞在して稽古(けいこ)して帰国し主取りになったと、いずれも家譜(かふ)に書かれている。
 
※注
【鉄工】(てっこう)ここでの意は、鉄の製錬、鉄器の製造などに従事する工員の意。
沖縄では、金銀を扱う金具師(ちんぐし)は黄金細工(くがにぜーく)とも呼ばれ、錫細工(しるかにぜーく)といい、銅や真鍮の細工を兼ねたとも。金属細工の職人は、鉄を扱う鍛冶や琉球漆器を生み出す技術職と同時期の16世紀後半には登場する。金銀錫銅をあつかう金属細工職人は、鉄をあつかう鍛冶職とは異なる技術の認識が古琉球期から確立され、琉球王府の中で技術職として組織化されていた。沖縄文化の金属技術は、古琉球期から近代まで脈々と生きていた



Posted by 横浜のtoshi





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