てぃーだブログ › 琉球沖縄を学びながら、いろいろ考えていきたいな~ › 琉球民話『球陽外巻・遺老説伝』のご紹介(旧版) › 124引物細工(フィチイムンジヱーク) ~琉球沖縄の民話

~琉球沖縄に伝わる民話~

『球陽外巻・遺老説伝』より、第124話。


引物(ヒチイムン)細工(ジヱーク)


 むかし、大隅(おおすみ)国分(こくぶ)に鮫島六良兵衛という人がいて、鹿児島に舟で行く途中(とちゅう)暴風(ぼうふう)に遭って、琉球に流れ着きました。
 しばらく親見世にいましたが、数年の月日が流れ、宮古島の女を(めと)り、一人の男子が生まれたので、妻子と共に琉球で暮らすことに決めました。
 そこで、カタカシラ(片髪/欹髻/片髻)()い、服装を大和のものから琉球のものに改め、安里(あさと)(うっち)と名前を改名して帰化(キカ)しました。
 初めは久茂地に家を(かま)え、後に若狭町に移り、引物を家業(かぎょう)とし、国中の希望する者にも教えてあげました。琉球の引物は、この人を始祖(しそ)として広まったということです。


※注
【引物】ひきもの。挽物。「引物/挽物」は「フィチイムン/フィチムン/ヒチイムン/ヒチムン」等の琉球発音がある。轆轤鉋(ろくろがんな)で木等をひいて器具を製作する細工の事を引物細工と言い、木の皿や椀や盆等を作った。かなり古くからある工芸の技術の一つで、轆轤(ろくろ)を横置きにしたような物に木材を取り付けて、回しながら鉋(かんな)等を使って削り、日用品から工芸品まで幅広く品々が作られた、大きな轆轤鉋(ろくろがな)で作った物。またその器具。
【大隅の国分】(おおすみのこくぶ)今の鹿児島県霧島市国分。
【親見世】親見世とは、那覇四町(西・東・若狭・泉崎)の一つ、東村(ひがしそん/東村の以前の発音は「ふぃがし」など)にあった。その昔、那覇東村の大門前通りには王府時代の「親見世」や「天使館」「那覇里主所」「下天妃宮」などが建ち並んでいたという。
【カタカシラ】(かたかしら/片髪/片髻/欹髻)。琉髪(からじ)の一つ。髷(まげ)。琉球沖縄の男の一般的な髪形。由来は、舜天王(しゅんてんおう)が、頭の左側にあるこぶを隠すため、左耳の上に髷を結い上げ、家臣がそれを真似たと伝わっている。「片結(かたゆ)い」。17世紀の後半になってから、髷を中央に結ぶようになった。元々は、琉球沖縄の士族の男が、元服して結う髪型であり、15歳に「カタカシラ結い」の儀式を行なって役所に届け出た。一般の人は10歳前後で結った。また、カンプーは、本来この男性の髷を総称したものだったのが、近年、女性の結髪をいうようになった。カタカシラは、小さく結うほど上品とされ、髪の量を減らすため「中ぞり」した。頭頂部より4cmほど後ろに元結い(ムーティー)をし、髪を時計回りに巻きつけてアーチを作り、ピンで止める。残りの毛先を小さめに巻きつけ、ネットで全体を包み、前後から簪(ジーファ)を差す 。17世紀の後半より前の琉球芝居の場合、「片結(かたゆ)い」が正しいのだが、まずほとんどが間違っている。17世紀の後半の時点で、女性は手に琉球独特の黥(いれずみ)「ハジチ/針刺」をし、男子の成人前の髪は、頭頂部に角のように髻(もとどり)を作ってそのまま後ろに垂らしていた。
【若狭町】(わかさまち)若狭町村(そん)。那覇四町の一つ。


Posted by 横浜のtoshi





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