てぃーだブログ › 琉球沖縄を学びながら、いろいろ考えていきたいな~ › 琉球沖縄の伝説・沖縄本島編 › 大蛇クチフラチャー退治 ~琉球沖縄の伝説

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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第91話。


大蛇(おろち/だいじゃ)クチフラチャー退治(たいじ)



 喜瀬武原(きせんばる)()(みち)途中(とちゅう)に、双樹(そうじゅ)()ばれている(ところ)があります。
 その(ちか)くの三叉路(さんさろ)に、(むかし)、双樹のクチフラチャーと()ばれる、大蛇(おろち/だいじゃ)がいたそうです。
 その(くち)は、恩納(おんな/旧:うんな)(そん)安富祖(あふそ/旧:あふす)名嘉真(なかま)(ほう)()かっていて、尻尾(しっぽ)金武(きん/旧:ちん)(みさき)(まで)あったそうです。そして、巨大(きょだい)(くち)()けて、「安富祖(あふそ)()うぞ。」「名嘉真(なかま)()うぞ。」と、安富祖(あふそ)名嘉真(なかま)(むら)(かお)()けながら、しばしば()えていたそうです。
 そのせいでしょうか、安富祖(あふそ)名嘉真(なかま)は、毎年(まいとし)(こめ)(つく)っても、(いも)()えても、(まった)不作(ふさく)でした。反対(はんたい)に、クチフラチャーの()()かっている金武(きん)(むら)では、毎年(まいとし)豊作(ほうさく)(つづ)いて、(よろこ)んでいました。
 安富祖(あふそ)名嘉真(なかま)(むら)人達(ひとたち)が、ある(とき)(あつ)まって、何故(なぜ)毎年(まいとし)不作(ふさく)(つづ)くのかを、一緒(いっしょ)(かんが)えました。そして、きっとクチフラチャーが「安富祖(あふそ)()うぞ。」「名嘉真(なかま)()うぞ。」と()くからに(ちが)いないという(はなし)になり、クチフラチャーを(ころ)そうと()まりました。しかし、二つの村の男達(おとこたち)は、毎日(まいにち)のように(ころ)しに出掛(でか)けるものの、(そば)まで()(こと)出来(でき)ても、(おそ)ろしくて、(みな)()(かえ)って()ました。一方(いっぽう)、そのクチフラチャー(ごろ)しの(はなし)()いてからというもの、金武(きん)(むら)人達(ひとたち)は、クチフラチャーが(ころ)されませんようにと、(いの)っていました。
 大蛇(おろち)クチフラチャーの(はなし)()いた、金武(きん)のある青年(せいねん)は、ある()のこと、こっそり(ひと)りでクチフラチャーを仕留(しと)めに、出掛(でか)けました。そして弓矢(ゆみや)(のど)めがけて()たところ、(もの)見事(みごと)(のど)()()さり、そこから()がほとばしって、クチフラチャーは息絶(いきた)えました。
 (なお)、そのクチフラチャーの(くち)(おお)きく(ひら)くと、(きば)のような四本の歯()がありましたが、()ぬとそれは()けてしまいました。(さら)に、あちこち()がりくねった背中(せなか)には木々(きぎ)()え、(いま)でも()金武(きん)(みさき)(まで)(つな)がっていますが、(いま)となっては(だれ)もクチフラチャーに気付(きづ)いていないそうな。


※この話の参考とした話
柳田~「蛇ケ淵」
沖縄本島・沖縄県国頭郡金武町金武~『沖縄の昔話』
沖縄本島・沖縄県国頭郡大宜味村津波~『大宜味のむかし話』
沖縄本島・沖縄県国頭郡大宜味村喜如嘉~同上
沖縄本島・沖縄県中頭郡勝連町津堅島~『沖縄の昔話』
沖縄本島・沖縄県島尻郡佐敷町新里~同上


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●伝承地
柳田~「蛇ケ淵」
沖縄本島・沖縄県国頭郡金武町金武~喜瀬武原へ行く道の途中に、双樹と呼ばれている所があるよ。そこの近くの三叉路には、昔、双樹のクチフラチャーと呼ばれていた大蛇がいたそうだ。それの口は、恩納村の安富祖と名嘉真の方へ向かっていて、尾は金武の岬まであって、そして、とても大きな口を開けて、「安富祖喰うぞ」「名嘉真喰うぞ」と言って安富祖の部落と名嘉真の部落の方へ顔を向けてほえていたそうだ。そのせいか安富祖と名嘉真は、毎年毎年米を作ってもまた芋を植えても全く不作だったそうだ。しかしそのクチフラチャーの尾が向かっている金武の村では、毎年とても豊作なので喜んでいたそうだ。
 毎年毎年あまりに不作だからと言って、安富祖の部落の人たちと名嘉真の部落の人たちがいっしょに集まってどうしたらあんなに不作なのかと考えたそうだ。そうしたら、あのクチフラチャーが「安富祖喰うぞ」「名嘉真喰うそ」と泣くからだと話がまとまって、それではクチフラチャーを殺そうということで話が決まったという。その話を聞いて、金武の人たちはとても反対したけれど、安富祖と名嘉真の男たちは、毎日そのクチフラチャーを殺しにと言って、そばまで行くが、それに喰われはしないかと、恐ろしくて逃げてしまうということだった。
 その話を聞いた金武のどこかの青年か知らないが、一人でクチフラチャーを射止めに行ったそうだ。そして、弓矢をそれの喉めがけて飛ばしたら、まっすぐ喉に当たって、血がだらだらと落ちたという。そして、クチフラチャーは死んで、今でも口は大きく開いて、それの歯は牙みたいに四つあったが、これも今では欠けてしまって背中には木が生えて、あっちに曲がりこっちに曲がりしながら、尾は金武の岬までつながっているそうだ。(『沖縄の昔話』)
沖縄本島・沖縄県国頭郡大宜味村津波~今からおよそ二百年前のこと。津波城の山に大蛇がいて、道行く人に害を与えていた。このことを、十三歳の時に大和に修業しに行っていろいろな修業をつんで、六〇歳の時に帰ってきたお坊さんが、大蛇の話を聞き、それを退治してやろうと小坊主を供にして津波部落にやってきた。そして部落の頭に会って、大蛇のいる所を案内してもらい、お経を唱えその大蛇を退治した。部落にもどり、みんなでお祝いをしたそうである。(『大宜味のむかし話』)
沖縄本島・沖縄県国頭郡大宜味村喜如嘉~喜如嘉の山奥に老夫婦と娘三名が暮らしていたが、娘二人が次々にいなくなった。老夫婦は心配の余り神に祈った。神が現れると、老夫婦は娘二名が居なくなったことを話した。神は老夫婦に、「八つの桶に酒を入れて置くように」と教えた。夜中になるとどこからか八つの頭を持った八岐大蛇が現れた。八岐大蛇は、そこにあった八つの桶に頭を突っ込んで桶から酒を飲み、やがて伸びてしまった。老夫婦は娘を取り返し、その後仲良く幸せに暮らしたという。(同上)
沖縄本島・沖縄県中頭郡勝連町津堅島~昔、海から首が七つある大蛇が上がってきた。この島には、六人の子を持つ人がいたそうで、この子たちはマータンコーの日になると、大蛇が上がって来ては、一人一人のところに行って喰い喰いしてね、一人だけは残って五人は全部食べられてしまった。そこに偉い人が現れて、いわば神様だったんでしょうね。この人が「だったら、それが上がって来る海の波打ちぎわに、大壼を七つ置いてね、その七つの壺に酒を入れなさい」と言ったので、そのとおり置いたらね、大蛇も七つ首があるから、それだけの酒を全部飲んでここに酔っぱらって倒れたわけだよ。そして、それを切り殺したって、それからこの島のマータンコーは始まったって。(『沖縄の昔話』)
沖縄本島・沖縄県島尻郡佐敷町新里~上之川原に鯖の口に良く似た石がある。その石は、勝連に向かって口を開けていた。ある時、勝連のある部落が段々衰えていった。そのため、そこの村人達がやって来て、下顎を叩き落とした。以来その部落は栄えるようになった。(『佐敷町史』)
沖縄本島・沖縄県島尻郡佐敷町~昔、何処からともなく飛んで来た獅子が、西原町の我謝部落をにらみつけて座った。そして真夜中になると、「我謝を食おう」と言って鳴き吠えた。それで、我謝部落では、悪い出来事が重なった。村人が神人の家を訪ねて聞いた所、原因はその獅子にあるとして、我謝のつわものに下顎を叩き割られてしまった。以来、我謝部落では何も起こらなくなったという。(同上)


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す〜み〜☆さんへ。

当然、僕も、地図や、ネットの地図で、
360度回転させたり、色々やったんだけれども、
どうやっても、ヘビに、見えませんでした~(笑)

でも、結構、行ってみたら、目の前の峰が大蛇に見えたりして~

コメントありがとうございます。では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2011年02月07日 21:48


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