野嵩の山は龍 ~琉球沖縄の伝説

2011年06月14日

Posted by 横浜のトシ(爲井) at 20:20│Comments(0)琉球沖縄の伝説・沖縄本島編

みんなで楽しもう!
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第158話。


野嵩(のだけ)(やま)(りゅう)



 むかし(むかし)野嵩(のだけ/ぬだき)(むら)(まわ)りには、(おお)きな山々(やまやま)があって、(とお)くの(やま)から()ると、まるで(りゅう)(かたち)になっていたそうです。
 (りゅう)のような山々(やまやま)(あいだ)に、野嵩(のだけ/ぬだき)(はさ)まれるようにあったせいか、(むら)では、この(むら)から()ていって成功(せいこう)した(もの)がいないという迷信(めいしん)根強(ねづよ)くあって、事実(じじつ)この(むら)から(そと)()ていって出世(しゅっせ)した(もの)がいませんでした。遊女(ジュリ)でさえも、後々(のちのち)()(のこ)すような(もの)がいなかったといいます。この(むら)人々(ひとびと)は、ある(とき)、この山々(やまやま)のせいに(ちが)いないと(かんが)えました。そして相談(そうだん)(うえ)(やま)(みっ)つに()ろうということになったそうです。
 そして(みっ)つに()ったのが(いま)(みち)だそうです。(りゅう)(あたま)(ほう)(ひと)つ、(くび)(ほう)(ひと)つ、そして背中(せなか)(ほう)(ひと)つずつ(みち)(つく)られて、(りゅう)(かたち)をした山々(やまやま)()られ、やがて、尻尾(しっぽ)(ほう)()られたそうです。
 それまでは(やま)()えなければ(そと)()られなかった野嵩(のだけ/ぬだき)(むら)に、(みち)出来(でき)たお(かげ)かは()かりませんが、よい人材(じんざい)()るようになったそうです。また、何時(いつの)時代(じだい)(いくさ)でも、野嵩(のだけ/ぬだき)(むら)民家(みんか)()けることはなく、(ほとん)どが(なが)(のこ)りました。太平洋戦争(たいへいようせんそう)(とき)も、(むら)(いえ)空襲(くうしゅう)(まぬが)れて(のこ)ったため、戦後(せんご)収容所(しゅうようじょ)になったそうな。

 
※この話の参考とした話
沖縄本島・伝承地沖縄県宜野湾市野嵩~『宜野湾市史』第五巻資料編四 民俗


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●伝承地
沖縄本島・伝承地沖縄県宜野湾市野嵩
 野嵩の村の周囲には大きな山があってですね、竜の形になっていたんだ。この竜(山)の間に野嵩が挟まれていたから、そこからは成功する人は出ていないって。それが証拠にこの村からはいいのは出ていない。例えば、頭のいい人や有名な人なんかね、それから、ジュリ(遊女)なんかでもいいジュリは出ていないって。それで、昔の人は、「この山のせいだから、この山を三つに切ろう。」と言って、三つに切ったのが今の道だって。竜の頭の方から一つ、首の方からも一つ、そして背中の方からも一つに切られている。しっぽの方からも。今は、いい人も出ていますがね。そのおかげだかどうか知りませんけど、戦争中は野嵩部落の民家のほとんどが焼けずに残っていたというよ。そして、あとから収容所になったという話なんんですよね。
(『宜野湾市史』第五巻資料編四 民俗)


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