沖縄の旧盆、ウンケー、ナカヌヒー、ウークイ

横浜のtoshi

2014年08月07日 20:20

旧盆(ウンケー、ナカノヒー、ウークイ)


 沖縄本島でいうところの、お(ぼん)の、ウンケーとは「お(むか)え」、ナカヌヒーは「(なか)の日」、ウークイは「お見送(みおく)り」です。

 お盆を、沖縄本島ではシチグヮチ、宮古ではストゥガツ、石垣ではソーロン/ンカイピー(など)と呼んで、(おも)旧暦(きゅうれき)7月13日、14日、15日の3日間に渡って行われます。ただし、沖縄本島の南部には16日までの4日間、宮古では17日までの5日間、行う地域等もあります。

 元々、沖縄や奄美のお(ぼん)琉球神道(りゅうきゅうしんとう)からなり、先祖の霊である精霊(せいれい)を家に(まね)いて、その年の豊作(ほうさく)に対する感謝し、 翌年もまた豊作(ほうさく)であるようにと祈願(きがん)する行事がその起源(きげん)とされます。

 沖縄や奄美は中国の影響を受けてきたため、お盆もまた中国の文化が伝わったと勘違(かんちが)いされがちですが、それは明らかな誤りです。先祖がお盆に帰って来るという考えそのものが日本独特のものだからです。仏壇は日本経由で伝来した仏教の影響を受けながら、位牌は中国の儒教の影響を受けている沖縄の独特の特徴は様々なところに確かに見てとれます。しかしながらそもそも日本のお盆は、祖先の霊を(まつ)る一連の行事を指し、日本古来の祖霊信仰と仏教が融合した行事です。

 お(ぼん)の行事は、各地域により(こと)なっていて、その方法や、仏壇への(そな)(もの)はじめ、かなり違いがあります。

 一例(いちれい)()げると、まず旧暦の7月7日(七夕の日)に先祖(せんぞ)の霊をお迎えするために墓の大掃除を行い、 焼香(しょうこう)して、花をいけかえます。特に琉球神道においては、死後7代になると、死者の(まぶい)子孫(しそん)守護神(しゅごしん)になるという考えが信仰(しんこう)されてきました。

 死者が死ぬと行くとされる、琉球でいうところの、あの()ニライカナイ(儀来河内)」は死者が祖霊神(それいしん)として生まれ変わる(せい)なる場所であり、その場所から先祖の霊が旧盆(きゅうぼん)に子孫の元に(もど)って来ます。子孫が絶えれば霊は(もど)る所を失うため、血のつながりが重要視されます。

 旧暦(きゅうれき)13日は、先祖の霊をお(むか)えする日です。その意味(いみ)の、沖縄本島ではウンケー、宮古はンカイ、石垣はシキルヒー/ンカイピー(など)が行われて、みんなで、先祖の霊を、お迎えします。

 位牌(いはい)を清め、香炉(いはい)をきれいにし、仏壇に花(まさき、大まき(など))を()け、提灯(ちょうちん)を飾ります。

 そして、仏壇(ぶつだん)の両脇に、六(しな)、あるいは七品の(そな)(もの)(なら)べます。

 スイカ、アダンの実(近年はパイナップル)、サトウキビ(七節のついたもの)を両側に一本ずつを計二本と(長いキビはグーサンウージという「精霊の(つえ)」)、18本の小さく切ったものを(たば)にして左右に一束(ひとたば)ずつで、、竜眼(りゅうがん)(植物の実/近年では葡萄(ぶどう))、茗荷(みょうが)、グーガー(ナシカズラ/植物の()、最近では果物の(なし))、蜜柑(みかん)生姜(しょうが)団子(だんご)、野菜類、里芋(さといも)、麦粉、米、キビなど(これはミンヌク「水の子」の供養(くよう)に供えられるもの)、切り刻んで仏壇の(わき)や外の(たな)等に置く(特に石垣(など)で行われる)、芭蕉(ばしょう)()(バナナ)。

 ()り返しますが、あくまで供え物は、地域によって異なっているのが普通です。(沖縄本島では、よくジューシーもお供えします。これをウンケージューシーと言います。ちなみに最近、炊き込みご飯をジューシーと言うように変わりましたが、本来ジューシーは「雑炊」です。沖縄ではお米が貴重品だったため、戦前まで口にするのはお盆のように特別な日でした。そこで貴重なお米を水で増やし、雑炊にしていたわけです。ちなみに現在の沖縄のお盆形式、つまり家の仏壇を飾り付けてご先祖様を迎える形式の歴史は浅く、琉球國時代にはありませんでした。琉球國時代は当時の日本本土と同じで、お盆は各家ではなく寺でするものでした。またエイサーのルーツは日本の念仏踊りという説がありますが、明らかな誤りと考えます。理由は簡単で、エイサーも琉球國時代にはない歴史が浅いもののためです。琉球國時代の尚寧王の時代の1603年、袋中という浄土宗の日本の僧が琉球に渡来し、お経を那覇で説いたのが念仏の始まりと『琉球國由来記』(1733年)に書いてあります。エイサーは、日本の盆踊りなどと同様に念仏踊りの一種ですが、袋中説いたの念仏が起源とする根拠はありません。『琉球國由来記』に、エイサーの起源が念仏だとは書かれていませんし、だいいちその時代、というより琉球國時代においてエイサーはありませんでした。なお現在の、沖縄のお盆形式の急速な広がりは、沖縄戦後のアメリカ統治の影響です。)

 13日の夕刻に、門の両側に、精霊の目印になるように松明(たいまつ)を燃やし、 人々は地面にひれ伏し、代表者が「ウンケーサビラ(お迎えいたします)、「メンソーレー(ようこそいらっしゃいました)」(など)と言って、先祖の霊である精霊(せいれい)をお迎えします。

 松明を()く代わりに、藁火(わらび)線香(せんこう)の地域もあります。

 こうして先祖の霊がやって来ると、この精霊(たち)に、13日から15日の3日間、3度3度の食事をお供えします。

 旧暦14日は、中の日、の意の、沖縄本島のナカノヒー、宮古のナカビ、石垣のナカヌヒーです。

 本家や分家など、親戚を回って、線香を上げたりします。
 波照間島のムシャーマは、この中の日に、祖先を供養(くよう)して豊作と島民の安全を祈願する、(しま)最大の行事です。

 旧暦13日は、お迎えの意の、沖縄本島のウークイ、宮古のウフーユー、石垣のウクルピーです。

 3日間の祖霊(それい)供養(くよう)が終わると、旧暦15日は、いよいよ精霊とお別れし、送り出す日です。

 必ず、(ばん)(おそ)い時間から行われます(早い時間にすると、祖霊を追い立てるとされるため)。

 大きな(うつわ)などに水をもって、その上でウチカビ(紙銭)を燃やしたり、供え物や香炉(こうろ)を外に出して、松明(たいまつ)や線香を()きます。

 また、様々な供え物の中から、一切れずつを取って、仏壇の花と共に、紙銭を焼いた器に入れて門口(かどぐち)に置きます。

 それから西に向って、例えば 「ヤーンメンソーチクミソーリー(来年もいらっしゃってください)」等と言って、 先祖の霊の精霊を送り出し、無事、盆の行事が終わります。

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