「しーやーぷー」とは?
はいさい、今日拝なびら。
ご訪問、ありがとうございます。
むかし、
沖縄の方からこんな質問を受けて、
わからないので調べてから返事する、
そう言ったままになっていた、話題です。
ご質問した方、すみません。
質問の内容は、
「『しーやーぷー』って、
どういう意味ですか。」です。
その後、色々と調べてみたものの、
いまだに意味が分からない、
というのが現在の私の答えです。
しかも、
この質問を受けてから、
気づいたのですが、
みんな分かっていないだけに、
「しーやーぷー」の部分でする動作が、
まちまち、
みんな違う気がするのです。
今まで調べてわかったところでは、
「しーやーぷー」の意味には、
次の2つがありました。(※根拠や出典は曖昧)
①漢字を当てると「西安布」であるという説。
②弥勒菩薩の梵語「しーやんぷ」からきたという説。
とは言うものの、
①も②も、調べてみたものの、
根拠や出典など見つけきれないまま、
今日にいたっております。
どちらかというと、
②の説明の方が説得力はあるものの、
①の漢字も、伝わる以上は、
何らかの意味があるような気が、
しないでもありません。
ただ改めまして、
私には珍しく「わからない」と、
お答えしておきます。
ところで、沖縄の方々に、
「しーやーぷー」の説明は、
いまさら必要ないと思いますが、
沖縄以外の方も、
このページを読まれるかも知れず、
念のために、
少しだけ整理しておきたいと思います。
「赤田首里殿内」という、那覇市首里赤田において琉球王朝時代から石川家を中心に行われてきた祭礼「弥勒迎け」の歌が、やがて沖縄各地で歌われる童歌として広まったようです。
ただし、「弥勒迎け」の祭礼は昭和初期に途絶え、赤田の人々を中心に1994年(平成6年)に復興されました。
この祭事で歌われる唄の、節が終わるごとに、囃子詞が毎回ついて、それと同時に、振りがつきます。
歌詞はこうです。
しーやーぷー、しーやーぷー
みーみんめー、みーみんめー。
ふぃーじんとぅー、ふぃーじんとぅー。
ゐーゆぅみー、ゐーゆぅみー。
まさに、
謎の言葉「しーやーぷー」が、
ここに登場するわけです。
琉球王府の時代、政治は男性によって成され、神事に関する一切の祭事は女性神官が司りました。
その最高位は「聞得大君」で、多くは王の姉妹が就きました。「をなり神」信仰によるものです。
そして、首里城城下には、赤田殿内、儀保殿内、真壁殿内の「三殿内」が置かれて、直轄のもと「祝女殿内」(※=女神官の館)が設置され、祭事が円滑に執行されました。
なお「赤田首里殿内」という言葉ですが、「赤田村」の「首里殿内」という意味です。「赤田」「首里」「殿内」と切ってしまうと、首里より前に赤田村があるのは、おかしいことになります。
「弥勒迎け」は、毎年、旧盆の頃に沖縄各地で行われますが、弥勒さまに扮する人選は決して無差別ではありません。昔の場合は、その集落の中でも人品卑しからず、健康で、見るからに福々しくなければならないと、そう伝わってきました。またひとたび、弥勒の役目をこなすと、村人から大いに尊敬されたともいわれます。
行列は、弥勒さまを先頭に、村中を練り歩きます。
後に従うのは、聡明かつ利発で元気な者とされ、その上、容貌がよい十歳前後の男児が多く選ばれて行列します。もちろん、「赤田首里殿内」を歌い、振りをつけながらの行列です。
なお、子ども達のことを、特別に「弥勒ん子(※弥勒さまの子、の意)」といいます。
行列は、高張提灯一対を先頭に、警護役に続いて、弥勒さま。そして、弥勒ん子、楽方、鳴り物方(※銅鑼、鉦鼓)、楽法螺などに続いて、踊り方、村人、の順に集落を練り歩きます(※構成〜弥勒、露払い、お供、提灯持ち、つおな/ガク、カニ、ウスデーク/小太鼓、チャンチャン、ミルクングァー)。
歌詞と訳は、以下の通り。
一、
赤田首里殿内 黄金灯籠提げてぃ
(※訳~首里赤田村の首里殿内に 黄金に輝く灯籠を提げて)
うりが灯がりば 弥勒御迎え
(※それが明るく灯ったらば 弥勒様をお迎えしよう)
(囃子)
しーやーぷー、しーやーぷー。
みーみんめー、みーみんめー。
ふぃーじんとぅー、ふぃーじんとぅー。
ゐーゆぅみー、ゐーゆぅみー。
二、
東明がりば 墨習いが行きよん
(※日が昇ったら 習いに参ります)
頭結てぃ給り 我親がなし
(※髪を結って下さい 私の親御さま)
(囃子)
しーやーぷー、しーやーぷー。
みーみんめー、みーみんめー。
ふぃーじんとぅー、ふぃーじんとぅー。
ゐーゆぅみー、ゐーゆぅみー。
三、
だいこくの弥勒 我が島に往もち
(※だいこくの弥勒さま 私の島にもおいで下さい)
御拡きぼせみそうり 弥勒世果報
(※そして広めて下さい 弥勒の太平の世「ゆがふ」を)
(囃子)
しーやーぷー、しーやーぷー。
みーみんめー、みーみんめー。
ふぃーじんとぅー、ふぃーじんとぅー。
ゐーゆぅみー、ゐーゆぅみー。
四、
道々の巷 唄歌てぃ遊ぶ
(※道々のそこかしこで みんなが唄を口ずさんで遊ぶ(平和な世の中))
弥勒世の世果報 近くなたさ
(※弥勒の「ゆがふ」が 近くなったようだよ)
(囃子)
しーやーぷー、しーやーぷー。
みーみんめー、みーみんめー。
ふぃーじんとぅー、ふぃーじんとぅー。
ゐーゆぅみー、ゐーゆぅみー。。
なお、動作ですが、
「しーやーぷー」は、
頬を膨らませて首を振りながら両手を体の脇前で動かしたり、お腹をさすったり、さまざま。(※弥勒菩薩の容姿の表現と考えられる。)
「みーみんめー」は、
両手で耳を軽く引っ張って、左右に振る。(※福耳にあやかって長寿を願う。)
「ふぃーじんとう」は、
体の前で肘を曲げ、左右交互に肘で掌を突いたり、さすったりする。(※精気。生気。命の勢気を表現する。)
「ゐーゆうみー」は、
幼児が左の手のひらに右の指を指して頂戴とねだる格好。本来は、両方の掌を重ね合わせて、物を戴く格好をする。(※弥勒菩薩から、福や徳を戴く、あるいは、授かる事の歓びを表現する。)
なお「ゐーゆぅみー」は、「ゐーゆーみー」、「いーゆぬみー」 「いゆぬみー」などとも歌われます。
本来は、「ゐーゆうみー」で、つまり「ゐーゆん」という意味。「ゐーゆん」とは、物を貰う、頂戴するということ。 従って、神さまや仏さまから、福や徳を頂戴するという意味。
他に、時々ですが、 「いーゆぬみー」を「いゆ、ぬ、みー」と、大変な勘違いをして、 「魚の目」と、変に訳しているのをよく見かけますが、ご注意を。つまり「いゆ=魚」「ぬ=の」「みー=目」から、「いーゆぬみー」を「魚の目」と勘違いしているわけですが、そもそもそれでは前後の歌詞の意味が通りません。誰が言い出したにせよ誤解だと思います。
最後に、
「赤田の弥勒」の由来として、次の四つをご紹介致します。
①今から三百年前、首里殿地から大国に派遣された求道長老は皇帝に会い、琉球の教育や信仰の問題について話した。すると皇帝は「釈迦」「孔子」「弥勒」の中から選択するように言い、求道長老が平和を祈願する「弥勒」の掛け軸を持ち帰ったことに由来する。
②西来院の北谷長老(※勝連長老)から大石川の先祖がみるくの掛け軸を頂いたことに由来する。
③寺屋敷にある寺の愚トゥ長老から、大石川の先祖がみるくの掛け軸を頂いたことに由来する。
④首里勤めの隠淳長老から、大石川の先祖がみるくの掛け軸を頂いたことに由来する。
なお「弥勒(ミロク)」は、梵語「マイトレア」の写音とされています。
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