沖縄は、
もともと日本か中国か?
について


ご訪問、ありがとうございます。

「沖縄は、元々、
日本ですか? 中国ですか?」という、
質問を受けたので、お答えします。

ずっと大昔から、沖縄は、
日本です。

それは、
図書館に行って調べれば、
すぐにわかる事です。

くれぐれも、
沖縄、あるいは琉球が、
むかしは中国の一部だったなんて、
根も葉もない、
滅茶苦茶な根拠ない言葉に、
耳を傾けては、いけません。

なお、
調べなくてもそんな事はわかる筈で、
琉球の精神の根底に古くから流れる、
琉球神道が、
日本神道の流れなのは、
言うまでもない事実なので、
それだけで証明は事たります。


またそれ以上に、
沖縄の言葉は遥か遠い昔から日本語で、
正確に言い直すと、
日本語の流れを引いたもので、
琉球の人々が、日々の日常、
中国語を話していた事など、
ありません。

それこそ、
時代がずっと下がって、
琉球國時代ともなれば、
具体的には三山時代からですが、
明の国に臣下の礼をとった時代があり、
その時代以降、常に、
中国語を話せる人がいたのは確かです。
国交や貿易のためです。
中国から帰化した外来人もいました。
しかしそれは、
特殊な上に、
琉求人全体からすれば、
本のごく少数の一握りの人間です。
中国から、
しかも渡来人が琉球にやって来たのは、
歴史的にみて、更に、
ずっと後になってからの事です。

日本の歴史で言うところの、
室町時代以降の事です。

特に忘れてはならない点は、
琉球の人々が日々使用した言語は、
日本語の流れを汲む琉球語だったこと。

琉球の人々が、
日常で中国語を使った時代など、
聞いたことがありませんし、
それを裏付ける史実はありません。

現存する古い文献の、
中国語、あるいは漢文で書かれた物は、
琉球國の公文書だけです。

それより前の他国の文書に、
琉球が登場した、
古い時代の話を例となると、
『隋書』巻八一「東夷伝」に、
流求国という名が出てきます。

大業三(607)、煬帝の命により、
羽騎尉の朱寛という人物が、
海師の何蛮(蠻)と共に、
流求国に行った、
と、この文献に記載されています。

そして言葉が通じなかったため、
1人をさらって帰国したと、
書かれています。

その翌年、煬帝は再び、
朱寛に命じて流求国へ行かせ、
隋に従うように交渉したものの、
流求国は、従わなかったとあります。
そして甲胄を持ち帰ります。

さて、
お気づきの方も多いと思いますが、
言葉が通じなかった」という、
記載があります。
しかも海師の何蛮はじめ、
交渉しに行く以上は、
それなりに言葉がわかる者を、
同行するのが普通ですが、
見つけられなかったようです。

言葉が通じなかったのは、
当時の日本や琉球では、
中国語を話していなかった、
つまり、
琉球語を話していたからで、
そもそも、
流求国が隋に従わなかった理由は、
言葉が通じなかったからだとも、
考えられます。

いやむしろ、
言葉が通じないのですから、
流求国側には、
交渉内容さえ理解できなかった、
そう考えるのが、
自然な解釈ではないでしょうか。

※なお、
こういった古い時代に出てくる、
流求国が指す国や地域が、
今で言うところの、
沖縄や奄美や日本、台湾やアジアの
どこからどこまでを指しているのかは、
現在のところ、よく分かっていない事を、
付け加えておきます。

なおこの史実は、
日本の本土の飛鳥時代の話で、
つまり推古天皇の時代であり、
流求国の存在を日本は、
知っていた事がわかっています。
なお、ここに言うところの流求国ですが、
統一国家としての琉球国誕生よりも、
もっともっと古い時代ですから、
どの豪族の国を指すのか、わかっていません。
また、言語学的に、
それより古い時代に、
琉球に古い日本語が伝わって、
その派生語として、
琉球語が生まれた事はよく知られています。



沖縄が、昔、中国の一部だったという、
根拠がない大嘘を言いふらす、
頭がおかしい人が、
一部の沖縄の人や、
それ以外にもいるようですが、
沖縄人として、
日本人としては恥さらしです。
それ以上に、
歴史や学問を軽視する、
その態度と低能さに対して、
そして先祖の冒とくに、
憤りを感じざるを得ません。

では。


※琉球への中国文化の流入というと、洪武帝の勅命により琉球国に下賜されて伝わったとする学者も少なくない。しかも「久米三十六姓」と称する中国人によって中国文化が伝わったと言うが、本当だろうか。個人的にそれは誤りだと考える。その理由は、『明史』巻三二三の琉球の条に記載されているように、「三十六姓」達とは「閩中舟工」、つまり福建省地方の舟大工であって、移住したのだから一緒に中国文化が伝わるにせよ、彼らの移動で中国文化が潮のようにたくさん琉球に流れ込んだという説明は、まったく非論理的で理解しがたい。そしてまた、中国の、明朝十三代の皇帝に関する細かい実録が記載された『大明実録』(『皇明実録』、『明実録』とも。 3058巻)には、三十六姓の勅命による下賜の表記はまったくない。つまり三十六姓の琉球渡来に関する、経緯と時期と過程がまず誤りであり、もっと長い時間を掛けて中国文化の色々が琉球文化に溶け込んだと考えられる。何れにせよ、誤りは正しく検証されるべきだと考える。なお、琉球における中国文化やその他の文化の流入については軽視すべきではない。ただその理由は、琉球固有の文化の研究を進めるには欠かせないと考えるからである。ただそれでも、琉球への中国文化の流入を挙げて琉球がもともと中国だったなどという嘘に引っ掛かってはならない。それは琉球固有の文化の否定に繋がり、 琉球の歴史と先祖の否定にほかならないのだから。


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