てぃーだブログ › 琉球沖縄を学びながら、いろいろ考えていきたいな~ › 琉球沖縄(初期長編) › 麗(うるわ)しき4つの城が、生き残りをかけて・・・・・・
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yukuru mamaサン、
はいさい、こんにちは。

沖縄に移住をして2年半ですか。

僕も最初は、随分、苦労しました。
聞いても、答えが分からないことが多く、
結局、自分で勉強しちゃいました~。

ただ、
ウチナーグチや、ウチナーヤマトグチは、
ブログの「ゆぐりはいから」師匠に1年も習っているのに、
覚えても、使わないので、
すぐに忘れてしまいま~す(師匠には、ナイショ)。

どうぞ、こちらこそ、よろしくお願い致します。

また、僕でよければ、何なりと聞いて下さいね。
では。

コメントありがとうございました。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2009年11月16日 12:26


横浜のtoshiさん

初めまして、m(_ _)m
足跡からお邪魔させて頂きました。

沖縄に移住をして2年半が過ぎましたが、沖縄の歴史には疎くて…(-o-;)

色々とお勉強をさせて
頂きました。o(^-^)o

民族学がお好きとか?
やはり視点が違いますね。
どうもありがとうございました。

これからもよろしくお願い致します。
Posted by yukuru mama at 2009年11月16日 10:54


ふりむんサン、こんにちは。

私のブログで、勉強する気が沸き立ちましたか?
恐縮です。

いやはや私の方は、
なかなか仕事が忙しく、
また手を抜けるような仕事ではないため、
自分の勉強、そして、研究不足はいなめず、
稚拙なことしか書けず、お恥ずかしい限りです。

ただ、
時間を作って、研究書や本だけは、
数多く、自分勝手にですが読んできました。

そんな私ですが、
どうぞ宜しくお願い致します。

記録物が曖昧過ぎる点を研究なさっているんですね。
それは、やり甲斐のある研究だと思います。

また、記録物にしても資料にしても、
常に新たな視点や角度からの見方や発見がなされていかなければ、
そもそも、意味がないというものです。

お互い、頑張っていきましょう。
コメントありがとうございました。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2009年11月13日 19:12


こちらこそ勉強する気を沸き立たせて頂き多いに感謝しています。また「現地大陸」に渡った際に更に詳しい書物を見聞して「現在の記録物の曖昧過ぎる点」を研究してきます(勿論一つのテーマとしてですが)
よろしくお願い申し上げます。
Posted by ふりむん at 2009年11月13日 10:43


ふりむんサン、こんにちは。
コメント、ありがとうございます。

書いて頂いた全ては知らないんですが、
まったくあなたのおっしゃる通りです。

特に、
「長期に亘って断続的に関与は不可能」は、同感です。
「整合性も全くない」も同感です。

それから、
もっと色々な考え方があっていい筈だと、
個人的には思います
(もちろん勝手な意見という意味ではありません)。

それに、
都会では何もかもが、同じだったりしますが、
沖縄の海など、見ていますと、
1日に何度も、色が変わって、同じ海などありません。
という事は、人によって、見え方や感じ方も違う筈だと、
中城で海を見下ろしながら、感じました。

それから机上の空論だけで(もちろん、それは大切な事ですが)、
様々な情報だけ、つぎはぎして考えてばかりの風潮は、
自分の反省も含めて、よくない気がしています。

「琉球と日本水軍の力で
中国大陸中心部まで官軍を倒しながら
侵攻する戦力など考えられません」、は、
そこまで考えていなかったので、
確かに、と思いました。その通りだと私も思います。
勉強になります。
感謝です。

引き続き、どうぞ宜しくお願い致します。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2009年11月13日 07:15


横浜のtoshiさん
同感です。「倭寇」の括りに矛盾を感じてなりません、長らく「大陸が主張していた倭寇」の時代背景自体かなり曖昧過ぎますね。九州系水軍説にしても、平家系北山武士流れ説にしても、南走平家説にしても、宮古与那国池間与那覇原系海賊説にしても、台湾海賊(小琉球海賊)説にしても、どれを取ってもこのような「長期に亘って断続的に関与」は不可能ですし、整合性も全くありませんね。
むしろ「大陸系謀叛海賊」が大多数であったであろう話が「全て琉球や大和方向」つまり「倭方向から攻めて来た」からと言って「すべて当時の琉球人や日本人の犯行」とは有り得ない話だと思い、疑問だらけです、何らかの形で「便利な与勝半島や山原地域や伊平屋諸島近辺で」補給活動」していたかも知れませんが、イコールして「琉球、日本人が首謀者ですべて画策された」など「全く有り得ない話」ですね。
大体からして「琉球と日本水軍の力で中国大陸中心部まで官軍を倒しながら侵攻」する「戦力」など考えられません。
「倭寇関連書物」を見る度に疑問だらけになりますね。
Posted by ふりむん at 2009年11月12日 20:16


ふりむんサン。

こちらこそ、
興味深く、コメントを読ませて頂きました。感謝です。

初めて聞く話ばかりなもので、
これからのんびり、検討し、考えていきたいと思っています。

ただ、護佐丸と阿麻和利の背後に何かしらあるというのは、
同意見です。
いや、だからこそ面白いともいえますが。

何しろ、同じ時代に、
他の城が見えるところに城をつくる、
あるいは、それを許すということは、考えにくいことです。

中城は、ゼロから作り上げた城ではなく、
元、あったものを、
名城づくりにたけた護佐丸が、さらに手を加えて、
あそこまでの城にしたことは知られています。

ただ、座喜味城と中城城も、
同じ人物がつくったにしては、違うなと感じた所があるものの、
疑いだしたら、きりがないところです。

阿麻和利にしても、護佐丸にしても、
並はずれた人物であったことは、
城のつくりを見ただけでわかりますが、
歴史的評価が低い感じが、どうしても、してなりません。

倭寇に関しては、
個人的には、これまた、くせ者だと考えております。

つまり、
時代や各集団によって、それぞれが違うのに、
それを、まるで一つのように書かれた文献には、
違和感を覚えてしまいます。

そもそも「倭寇」というひと言で、
一緒くたにするのは、無理があると考えています。

色々と刺激になりました。感謝です。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2009年11月10日 19:14


興味深く拝見させていただきました。
阿麻和利の攻め落とした居城「勝連城」は元々は「茂知附(望月)按司」と言う大和系の倭寇の扇動者で「屋慶名」等の港に倭寇の拠点を築いていたそうです。
そのせいか、与勝半島周辺には明白に「内地系?と思われる苗字」が多数存在します。阿麻和利も倭寇の血を引いているとの説もあり、実際屋慶名から海上道路経由で渡った対岸の平安座島で県内最後までマーラン船の回船問屋をやっていた「木下家」も系図上では茂知附按司時代頃には「沖縄に居た」のが判っています。
また王府も倭寇が人質でさらってきた「朝鮮人」を金銭で身受けした後に厚遇して「朝鮮本国に手土産付きで送還して朝鮮国王から返礼を受けていた」のが李氏朝鮮国史書「李朝実録」にも記載があります。この護佐丸と阿麻和利の背後には何かしらあるとは思われますが、定かではありませんね。
ただ歴史背景を考察する程度しか、現在では出来ない深い謎ですね。
Posted by ふりむん at 2009年11月10日 18:37


仲本勝男様
身に余るお言葉を頂戴し、有り難うございます。
また、身に余るお褒めの言葉を頂き、
気が引き締まる思いでございます。
月に1度の、
つれづれの、つたない言の葉が並ぶ稚拙なブログではありますが、
自分らしく、頑張っていきたいと、改めて思いました。
どうぞ、宜しく御願い致します。

なお、お気づきの事などございましたら、
是非、ご意見など頂戴いただければ幸いです。

また、
仲本さんの素適なブログを毎朝、開いては、
沖縄の海と、仲本さんのチムから、パワーと癒しを頂いております。
ただただ、感謝です。
では。
Posted by 横浜のtoshi at 2009年10月27日 06:51


横浜のtoshi さん!

映画を見ているようで,いっきに読ませていただきました。いつの世にも人間の模様がありますね。改めて護佐丸・阿麻和利・尚泰久の
心の動きを知り勉強になりました。
これからも沖縄の歴史物語を臨場感ある
お話をお願いいたします。
いつも、ありがとうございます。
お会いしたかったです。
Posted by 仲本勝男仲本勝男 at 2009年10月26日 19:45


知念さゆりサン。

お忙しい中、コメント、ありがとうございます。

こちらこそ、
いつも、さゆりサンのブログやラジオ放送から、
毎日、沖縄の風が運ばれてきて、
癒されています。

にふぇーでーびる。

いちまでぃん、ゆたしく、うにげぇ~さびら~
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2009年10月22日 16:00


沖縄大好きな横浜のとしさん☆
ご紹介ありがとうございます。
早速BLOGを拝見させていただきました。

としさんには、いつも感謝しています。

本当にありがとうございます☆”
これからもどうぞ宜しくお願いします。
Posted by さゆり at 2009年10月22日 13:00


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