「沖縄 は、昔 、琉球 って言 ったんだよ」
という話 を耳 にしたり、本 で見 かけることが、よくあります。
本当 のところは、どうなのでしょうか。
「琉球」や「沖縄」とはそもそも、なんでしょうか。
まず沖縄県の一部分、例えば沖縄本島のごく一部分だけが沖縄の筈 もなく、それなのにそう思っている沖縄人 以外 の人間が、あまりに世の中には多過 ぎます。もしも軽々 しく、沖縄に行ったとか、沖縄を知っていると言ってしまうと、少し突 っ込 んだ質問に対して答えられずに大恥 をかく事になります。もちろん、それがいけないと言っているわけではありません。
また、沖縄生まれ、沖縄育ちという事と、沖縄を知っていたり理解している事では大変な違いがあります。これもまた、いけない云々 という問題ではそもそもありません。
ただ個人的に沖縄や奄美を旅しながらあれこれを考えるうちに、少しでも沖縄や奄美を理解しようという思いが個人的に強くなり、このブログを書き始めて随分 経 ちましたが、なぜ私のようにもっとみんなも沖縄や奄美の島々を回らないのか、不思議に思うようになりました。とにかく沖縄や奄美の島々の自然や海、そして民話は、みんな異なっていて、それぞれが素晴らしいのですから。
それにつけても、今回の問いに対する答えを出すのは私にとって、決して簡単ではありませんでした。
基本に立ち返って、今回の話題は「琉球 」と「沖縄 」についての原点に関わるテーマです。
今 でも沖縄県 では、「琉球 」と「沖縄 」、どちらの言葉 も色々 な場所 で使 われています。
タイトルに、琉球 と沖縄 の、どちらが正 しいのかと書 いてみたものの、個人的 にその答 えはとっくに出 ていて、それは「どちらも正 しい」というのが個人的 な見解 です。もちろん、何 がどう正 しいのか、その根拠 が最 も肝心 です。
共 に正 しいと考 える理由 は、「琉球 」も「沖縄 」も、大変に古 い時代から使 われてきた歴史 ある言葉 だからというのが私 の考 えの根拠 です。
確 かに近 い歴史 では、戦後 から1972年(昭和47年)5月15日の日本復帰 まで、占領 したアメリカ軍により「琉球 」という言葉 が使 わされました。
またその前後 の時代 は、「沖縄 県」という表記 が使 われます。
それよりもっと前を考えると、明治 12年の琉球処分 以前 は長 い琉球國 の時代 で、国名のため公文書 では圧倒的 に「琉球 」が多 く使 われたものの、「沖縄」も使われたからこそ今に残ってきたのです。
琉球國 の時代 は、公的 には「琉球 」が、一般社会 では「沖縄 」が、より多 く使 われる傾向 が強 かったとも言われていますが、よくわかっていません。個人的にその意見は怪しいと考えます。それでも二つが共 に使用 されていたのは間違いないところです(但 し、古くからその時代までは、沖縄本島だけを沖縄と呼びました。沖縄本島以外の琉球からみて、沖縄本島だけが沖縄でした)。例えば「うちなー」という言葉は「おきなわ」が変化した言葉で、同じものです。琉球國 の時代 にも使われましたが、その時代から前は、あくまで沖縄本島だけを指 しました。
「琉球」と「沖縄」の、二つの言葉 の発生 を辿 ると、琉球國 が成立 するよりも遙 か前 であり、もっともっと昔から、二つの言葉は使われていた事がわかっています。
以上 を踏 まえて個人的に、このブログでは歴史ある二つの表記を合わせた「琉球沖縄 」という表記 を考え出して使ってきました(※今後、考えが変わって変更する事はあり得ます)。指す範囲は、現在 の奄美 諸島 から琉球 諸島 (今の沖縄県 )まで、つまり琉球國 時代 の最大 だった範囲 として使用 しています。
ところで、実際 に琉球國時代 の公文書 の言葉についてですが、中国語 だけが使用 されていたわけではなく、日本 の平仮名 のひとつである草書体 /候文 もよく使 われていたことが知 られています。
対外的 に公文書 は、中国 に対して中国語 が使われ、日本に対しては日本語が使われました。琉球國 は表向 きには独立国家 であるものの、現実 には早 い時期 から島津氏 の薩摩藩 の支配下 、つまり日本の幕藩 体制下 にあったのですから、それも当然 に思えますが、実はそれより遥か以前から、日本語の流れをくむ琉球語が話されて来た事が既に判明しております。
ただ近年、琉球國 というと中国との「冊封 」関係ばかりが強調される偏 った説明があまりに増 えてしまい、浅すぎる平面的かつ画一的 理解がすっかり広 がってしまって心配です。特に、幕藩 体制下 の「江戸上 り」の説明が極端 に少 ないのです。両方が大切なのであり、そのバランス感覚を長年保 つ舵取 りを上手 に継続 し続けた琉球國の底力が見損 なわれてしまっています。琉球國は日本と中国に翻弄 されながらも、それに甘 んじることなく、アジア各地にまで出掛かけていって様々な交易を実現しているのです。
なお、琉球の国王が代わると、中国に対して国家としての臣下 の礼 をとる「冊封 」という国家的な大行事が執 り行 われました。具体的には、琉球國から中国に使節団 が送られ、それを受けて中国の冊封使 の使節団が琉球國にやって来て、中国の皇帝 に代 わって国王を任命 する大々的国家行事「冊封 」は確かに行われました。
しかし同時に、薩摩の支配下に入ってからの琉球國は、江戸幕府に対しても国王として認めてもらうための国家的な大行事を欠かさず執 り行 いました。具体的には、琉球國から江戸幕府に使節団 が送られたのです。それを「江戸上 り」といいます。それだけでなく実際には、徳川将軍の代替 わりには慶賀使 を、国王の即位 の時は謝恩使 を、江戸に派遣 することが定められていて、長年、実行しています。
ですから、中国の皇帝が代わった時、日本の将軍や国王が代わった時、琉球國は使節団をそれぞれにきちんと派遣 していたのです。
ただ、そもそも琉球國時代の中期には薩摩藩の支配下にあるため、公文書 のやりとりは薩摩に対する物が圧倒的 に増え、必然的 に日本語の方が中国語より遥 かに多くなっていきます。繰り返しますが、それ以前から、琉球語はそもそも日本語の一つであって、琉球語や日本語が琉球ではずっと使われてきました。中国語はあくまで特殊なごく一部でしか使われていません。
さて、統一国家 として生まれた琉球國 の時代は、「第1 尚氏 王統 」と「第2 尚氏 王統 」の二つを合わせた450年間 です。建国 が1429年で、消滅 が1879年ですから、450年間 という大変な長期 の国家 のように誤解 されがちです。
ところが厳密 には、1429年の建国 から180年後に、琉球國 は薩摩 に攻め落とされて支配下 に入 り、実質は独立国ではなくなりました。それからの270年間は、表向 きは独立国を装 って対外貿易を行うことを強 いられつつ、実際には薩摩 の支配下 で日本の幕藩 体制に組み込 まれます。
琉球國 450年間 を、薩摩 の琉球侵攻 の1609年で前後を切って考えると、前が180年間で、後ろが270年間です。独立国 だったのは最初 の180年間、つまり全体の40%で、残りの60%は薩摩の支配下にあるのです(第二尚氏王統 だけで考えると独立していたのは35%で、残りの65%が薩摩の支配下です。なお琉球侵攻 が1609年で、奄美諸島割譲 が1611年です)。
繰 り返しになりますが、それでも450年間という長い琉球國 の時代より、遥 か以前 から、琉球沖縄では日本語 の一つである「琉球語」が使 われていました(そのため古い日本語が琉球沖縄の島々に、消えずに残りました)。そもそも琉球語 は、古 い日本語 から分 かれた言語 であり、そこから独自 に進化 した言語 です。そして更 に琉球語は、長い年月をかけて様々 な地域地域の言葉に分かれました。その中で、「琉球 」と「沖縄 」という二つの言葉 は、共 に今日 まで連綿 と使用 され続 けてきた歴史があります。
「琉球 と沖縄 の表記 の、どちらが正 しい言 い方 か」という問 いに対する答えは、琉球國時代まで遡 っても出せないのであり、更 にもっと昔まで遡 って考えないと、まったく見当違 いの答えを出すことになってしまいます。
「琉球」と「沖縄」を理解するには、実はそれぞれの言葉が、文字 になって記 された表記 の歴史 、つまり、変遷 を辿 るのが最も近道になります。
「流求」~「留仇」~「留求」~「流梂」~「流虬」~「流鬼」~「瑠求」~「琉球 」~「瑠球」~「琉求」~「流球」~「竜宮」
「阿児奈波」~「おきなは」~「おきなわ・おきにや」~「倭急拿 」~「倭的拿 」~「屋其惹 」~「惡鬼納 」~「於喜耶・宇喜耶・倭急耶 」~「沖那波」~「浮縄」~「沖縄 」
「琉球 」の最初 の表記 「流求」は、「636年」に、『隋書 』という中国 の書物 に現 れます。(※『隋書』の東夷伝 (636年)には、「『流求』という化外 の国 あり」と記 され、福建省 の東海上 にある事 や、自然風俗等 が記 されている。また、隋 の煬帝 が2度 に渡 って遠征軍 を送 ったが従 わない国 があり、遠征軍 の持 ち帰 った鎧 を遣隋使 の小野妹子 一行 に見 せたところ、「『夷邪久 (掖久)国 の人 が用 いるもの』と教 えてくれた」という内容 がある。ただ、どの地域 までを指 すのかはじめ、よくわかっていない部分 も多 い。)
「沖縄 」の最初 の表記 「阿児奈波」は、「779年」に、『唐大和上東征伝 』という日本 の書物 、鑑真 の伝記 に現 れます。(※鑑真 以前 では、『日本書紀 』や『続日本紀 』に「南島 」と称 される化外 の地 が登場 する。ただそれが、どの地域 を指 すのかはじめ、よくわかっていない。)
文字 として現 れたということは、それより前 からこれらの言葉 は既 に存在 し、使 われていたのだろうと容易 に想像 できます。
大昔 、琉球沖縄 の島々 に住 んでいた人々 は、発音 する言葉 、つまり、音声言語 を先 に使 い始 めていたものの、文字 を最初はもっていなかったと言われています(その方面 の詳 しい研究 が待 たれているところです)。
そして後 の636年と779年、つまり奈良時代 に入 る前後 という大変 に古 い時代 に、文字 として、「琉球 」「沖縄 」という二 つの漢字表記 が、中国や日本、つまり琉球沖縄から離れた他 の地域 に現 れました。
但 し、注意 しなければならない点 があります。この時代 、これらの言葉 が指 す地域 がどこなのか、つまり現在 でいう鹿児島県 の奄美諸島 から、琉球諸島 、さらに台湾周辺 までの、どこからどこまでを指 したのかは、専門家 でも意見 が分 かれています。
なお、一 つの国家 として琉球國 ができあがる前 の時代は、琉球沖縄 のあちこちで、力 をもった小国 が生 まれては消 えていました。そんな時代 や、それ以前 の時代から、中国 や日本を初めとする近隣 の諸外国 に対して、ある地域 の人々 は、大なり小なりの交易 を行なっていました。
琉球沖縄 が、大 きな一 つの国家 になったのは、1429年の琉球國(第一 尚氏 王統 )の誕生 からです。ご存 じの方も多いと思いますが、「尚巴志 」という人物 が、それまで三 つの勢力 に分 かれていた沖縄本島 を統一 することによって、大きな琉球國 が形成 され始 めます。丁度 それは、室町時代 の頃 でした。
琉球國の建国が1429年で、それより遙 か以前 である、636年や779年には、すでに漢字 の「琉球 」も「沖縄 」も存在 していました。それぞれの表記 の原型 は、琉球國 誕生より、ずっと前 なのです。それほど二 つの言葉 の歴史 は長 いのです。
さてここで、話 が少 し逸 れますが、みなさんに質問 をしてみたいと思 います。答 えをご存知 の方々 も多 いと思 いますが。
なぜ、沖縄 を「うちなー」と言 うのでしょうか?
あくまで個人的推測 の答えと独自の解説なので、それをまず断 っておきます。
日本語 の50音図 は、縦 が「行 」、横 が「段 」です。
「段 」には、ア段・イ段・ウ段・エ段・オ段の、「5つの段 」があります。
琉球沖縄 の言葉 の方 はア段・イ段・ウ段の「3つの段 」が基本 です。そこでその文法にのっとって考えてみます。
「琉球 」=「りゅ・う・きゅ・う」の母音 をそれぞれみてみると、すべてア~ウ段 の3段 の中 に入 っていることに気 づきます。ですから、昔 も今 も、発音 は、そう変 わっていないと考 えられます。
一方 で、沖縄 =「お・き・な・は 」ですが、「お」だけがア行オ段で、ア~ウ段 に入 っていません。
琉球沖縄 では、ア〜ウ段はそのままで、エ段 はその行 のイ段 に、オ段はその行 のウ段 に変換 されるのが基本 です。
ですから、「お」を「う」に変換 すると、「おきなは 」は「うきなは 」になります。
その「うきなは 」という発音 が、やがて「うちなー」に変化 したのだろうというのが私の想像 です。
(※さまざまな文書に、「沖縄語はア~ウの3段からなる」とありながら、上記のように、ある行のエ段がその行のイ段に、オ段がその行のウ段に対応するとはほとんど明記されておらず、よって私見です。行において、エ段がイ段、オ段ウ段に対応する結果、ア・イ・ウ・エ・オが、ア・イ・ウ・イ・ウの3母音になっているのが沖縄語の変化の基本といえるが、エ段やオ段がないわけではない。伸ばすエ段やオ段はそれなりに存在する。例えば「テーゲー(大概 )」等 。また行が異なる「キ」が「チ」に変化する口蓋化現象 の場合もある。例えば「チム(肝 )」等 。また、日本語のハ行は、奈良時代以前はP音であり、P音が残 っている場合がある。例えば、沖縄では「花」を「バナ/バナー」と発音する以外に、「パナ/パナー」と沖縄本島北部や宮古島等では発音し、古代日本語が伝わって来て定着したまま残存 した形といえる。)
話をもどして、いずれにせよ、先 の「沖縄」という言葉の変遷 は、正しい裏付 けある資料 からのものであるのは言うまでもありません。
また、沖縄の言葉が、古い時代の日本語の流れをくむものである事は、誰の目にも明 らかです。
余談 ですが、琉球沖縄 の人々 は、いつの頃 からなのかはっきりしないものの、かなり昔から自分たちを「沖縄人 」と呼 び、日本 の本島 の人 を「倭の人 」と呼 んできました。他 には、軽蔑 したり蔑 んだり馬鹿 にする時 の言 い方 に、「内地の人 」という呼 び方 もあり、今でも使われます。つまり琉球沖縄 ではかつて、中国、つまり支那 のことを唐、沖縄県外、つまり内地を倭 、欧米を、オランダとか切支丹 と昭和初期 まで呼 んでいたようです。ですから、今でも使う人がいるのはそのためです。
そろそろ記事のテーマのまとめに入っていきましょう。
いずれにせよ、琉球 も、沖縄 も、文字 表記 として記 された最初 は、遠 い昔 の、琉球沖縄ではない異国 の地でのことです。しかもそれ以前から、琉球 と沖縄 という言葉は、琉球沖縄に存在していた可能性が高いわけです。
異国 の人 が先 に言 い始 めたり書 き始 めたのか。あるいは、琉球沖縄 の人 が先 に発音 していた言葉 を、異国 の人 が聞 いて、発音 に文字 を当 てたのか、今 となってはわかりません。
けれども確実 なのは、「琉球 」も「沖縄 」も、どちらも大変 に古 くから使 われてきた言葉 であり、時代 や歴史 に耐 えて残 ってきた大切 な言葉 であるという事 だけは間違 いないと私は考 えます。
どちらの言葉 も、そんな、でーじ 、じょーとー な歴史ある言葉です。それだけに、どちらを使うかは選びがたく、琉球沖縄 と個人的に使 ってきた理由は、以上を読んで頂いた方々には理解して頂けると思います。現在までの個人的 な考 えであり、今後、変更するかもしれませんが、これからも使いたいという思い もあるわけです。
以上、お読み頂きまして、ありがとうございました 。
もしも、お時間 が許 す時 にでも、引き続き、のんびり琉球沖縄 を学 ぶ旅 を、ご一緒 して頂 けると幸 いです。
という
「琉球」や「沖縄」とはそもそも、なんでしょうか。
まず沖縄県の一部分、例えば沖縄本島のごく一部分だけが沖縄の
また、沖縄生まれ、沖縄育ちという事と、沖縄を知っていたり理解している事では大変な違いがあります。これもまた、いけない
ただ個人的に沖縄や奄美を旅しながらあれこれを考えるうちに、少しでも沖縄や奄美を理解しようという思いが個人的に強くなり、このブログを書き始めて
それにつけても、今回の問いに対する答えを出すのは私にとって、決して簡単ではありませんでした。
基本に立ち返って、今回の話題は「
タイトルに、
またその
それよりもっと前を考えると、
「琉球」と「沖縄」の、二つの
ところで、
ただ近年、
なお、琉球の国王が代わると、中国に対して国家としての
しかし同時に、薩摩の支配下に入ってからの琉球國は、江戸幕府に対しても国王として認めてもらうための国家的な大行事を欠かさず
ですから、中国の皇帝が代わった時、日本の将軍や国王が代わった時、琉球國は使節団をそれぞれにきちんと
ただ、そもそも琉球國時代の中期には薩摩藩の支配下にあるため、
さて、
ところが
「
「琉球」と「沖縄」を理解するには、実はそれぞれの言葉が、
【『琉球 』という呼 び名 の歴史 】
「流求」~「留仇」~「留求」~「流梂」~「流虬」~「流鬼」~「瑠求」~「
【『沖縄 』という呼 び名 の歴史 】
「阿児奈波」~「おきなは」~「おきなわ・おきにや」~「
(参照~『琉球と沖縄』小玉正任)
「
「
そして
なお、
琉球國の建国が1429年で、それより
さてここで、
なぜ、
あくまで個人的
「
「
ですから、「お」を「う」に
その「うきな
(※さまざまな文書に、「沖縄語はア~ウの3段からなる」とありながら、上記のように、ある行のエ段がその行のイ段に、オ段がその行のウ段に対応するとはほとんど明記されておらず、よって私見です。行において、エ段がイ段、オ段ウ段に対応する結果、ア・イ・ウ・エ・オが、ア・イ・ウ・イ・ウの3母音になっているのが沖縄語の変化の基本といえるが、エ段やオ段がないわけではない。伸ばすエ段やオ段はそれなりに存在する。例えば「テーゲー(
話をもどして、いずれにせよ、
また、沖縄の言葉が、古い時代の日本語の流れをくむものである事は、誰の目にも
そろそろ記事のテーマのまとめに入っていきましょう。
いずれにせよ、
けれども
どちらの
以上、お読み頂きまして、
もしも、お
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えいふちゃん、こんにちは。
ちょっと先週は、バタバタして忙しく、お返事がすっかり遅れてしまいました。
申し訳ございません。
少し違うかも知れませんが、
アメリカ軍人の中には、「日本」や「沖縄」は知らなくて、
「嘉手納」や「横須賀」なら知っているという人も、
けっこういると、アメリカの軍人さんから聞いた事があります。
琉球と沖縄の区別が、ついていない人は、
沖縄の人間にとどまらず、多いと思います。
中国との、からみで考える際、
琉球という表現には、とても注意が必要です。
琉球は琉球国を表して、
長年、
自分達の国の一部だという意味を含んでいるわけですから、
非常に危険です。
今の沖縄を旅する中国人の多くは、
外国を旅しているのではなく、
自分の国を、旅してると思って、闊歩しているのです。
日本が、琉球という自分たちの国の土地を、占領していると、
教え込まれて、きたのですから。
ちょっと先週は、バタバタして忙しく、お返事がすっかり遅れてしまいました。
申し訳ございません。
少し違うかも知れませんが、
アメリカ軍人の中には、「日本」や「沖縄」は知らなくて、
「嘉手納」や「横須賀」なら知っているという人も、
けっこういると、アメリカの軍人さんから聞いた事があります。
琉球と沖縄の区別が、ついていない人は、
沖縄の人間にとどまらず、多いと思います。
中国との、からみで考える際、
琉球という表現には、とても注意が必要です。
琉球は琉球国を表して、
長年、
自分達の国の一部だという意味を含んでいるわけですから、
非常に危険です。
今の沖縄を旅する中国人の多くは、
外国を旅しているのではなく、
自分の国を、旅してると思って、闊歩しているのです。
日本が、琉球という自分たちの国の土地を、占領していると、
教え込まれて、きたのですから。
Posted by 横浜のトシ(toshi) at 2017年10月02日 07:18
琉球と沖縄ホントにちょっと考えてしまいます。
十何年前によく香港まで商用で台北経由で行き来していたころ
帰りの飛行機乗り換えの時どんなに探しても沖縄行きが見当たらず
困った事がありましたが、表示が琉球とあったときは、
カルチャーショックを受けたことを思い出しました。
香港や台湾の方が琉球と言うとよく知っていることに驚いたものです。
それに、日本人より琉球人が好きとはどういう意味なのか
沖縄人として歴史を知らず恥ずかしい想いをしました。
十何年前によく香港まで商用で台北経由で行き来していたころ
帰りの飛行機乗り換えの時どんなに探しても沖縄行きが見当たらず
困った事がありましたが、表示が琉球とあったときは、
カルチャーショックを受けたことを思い出しました。
香港や台湾の方が琉球と言うとよく知っていることに驚いたものです。
それに、日本人より琉球人が好きとはどういう意味なのか
沖縄人として歴史を知らず恥ずかしい想いをしました。
Posted by えいふちゃん at 2017年09月26日 10:16
ルミさん、こんにちは。はいさい今日拝なびら。
文献で確認できる「琉球」の最も古い文字表記「流求」は636年。琉球國の成立より、2つの言葉は遥かに古いんです。
文献で確認できる「琉球」の最も古い文字表記「流求」は636年。なんと推古天皇の次の舒明天皇の時代、飛鳥時代の前(で弥生時代の後)の古墳時代です。おそらくもっと古くから琉球という言葉はあったと想像できます。浮縄という表記は、表記の変遷の中では比較的新しいものであるといえます。音声に漢字を当てたと思われますが、浮縄がオキナワの語源でない事は明らかです。
沖縄の由来は、伊波普猷の説、「沖あいの漁場」を意味する「おき(沖)な(魚)は(場)」と、東恩納寛惇の説、「沖にある場所」「遠い場所」を意味する「おき(沖・遠い)なは(場所)」の説があります。私は、どちらもしっくりこないと思っています。
コメント、にふぇーでーびる。
文献で確認できる「琉球」の最も古い文字表記「流求」は636年。琉球國の成立より、2つの言葉は遥かに古いんです。
文献で確認できる「琉球」の最も古い文字表記「流求」は636年。なんと推古天皇の次の舒明天皇の時代、飛鳥時代の前(で弥生時代の後)の古墳時代です。おそらくもっと古くから琉球という言葉はあったと想像できます。浮縄という表記は、表記の変遷の中では比較的新しいものであるといえます。音声に漢字を当てたと思われますが、浮縄がオキナワの語源でない事は明らかです。
沖縄の由来は、伊波普猷の説、「沖あいの漁場」を意味する「おき(沖)な(魚)は(場)」と、東恩納寛惇の説、「沖にある場所」「遠い場所」を意味する「おき(沖・遠い)なは(場所)」の説があります。私は、どちらもしっくりこないと思っています。
コメント、にふぇーでーびる。
Posted by 横浜のトシ(toshi) at 2017年05月23日 15:58
横浜のtoshiさん、こんにちは♪ そうだったんですね。
スッキリしました。
琉球国というので、以前は琉球だったのかと思ったりしていました。浮縄から沖縄 は 聞いた事はありますが更に更にいろいろとあったんですね。
ありがとうございました。
スッキリしました。
琉球国というので、以前は琉球だったのかと思ったりしていました。浮縄から沖縄 は 聞いた事はありますが更に更にいろいろとあったんですね。
ありがとうございました。
Posted by ルミ at 2017年05月22日 15:42
仲本勝男さん、はいさい、今日(ちゅー)拝(うが)なびら。
畑の、草取り整備で、汗流していらっしゃるとは、お疲れさまでございます。
実は、その言葉で思い出したことがあります。
この土・日、十文字学園大学で、
母校の國學院大学の時からの、教育の研究会がありました。
田嶋一先生に見せて頂いた、先生の先生である大田堯(おおたたかし)先生のDVDの中で、
「どんなに勉強や学問をして、知識を頭に詰め込んでも、
実学を積んできたきた者には、かなわないと思いました」とおっしゃっている部分がありました。
やはり、人間は、額に汗して労働しないと、いけないなあと、
勝手ですが個人的に思っていました。
なお、それでも太るのは、僕も同じです(笑)。
僕は、豆腐をたくさん食べて、他の量を減らして、満腹感を維持してます。では。
畑の、草取り整備で、汗流していらっしゃるとは、お疲れさまでございます。
実は、その言葉で思い出したことがあります。
この土・日、十文字学園大学で、
母校の國學院大学の時からの、教育の研究会がありました。
田嶋一先生に見せて頂いた、先生の先生である大田堯(おおたたかし)先生のDVDの中で、
「どんなに勉強や学問をして、知識を頭に詰め込んでも、
実学を積んできたきた者には、かなわないと思いました」とおっしゃっている部分がありました。
やはり、人間は、額に汗して労働しないと、いけないなあと、
勝手ですが個人的に思っていました。
なお、それでも太るのは、僕も同じです(笑)。
僕は、豆腐をたくさん食べて、他の量を減らして、満腹感を維持してます。では。
Posted by 横浜のtoshi at 2011年10月31日 11:05
Posted by 仲本勝男 at 2011年10月30日 08:38
仲本様、はいさい、今日(ちゅー)拝(うが)なびら。
コザ市という名称は、僕も好きでした。
沖縄市は、明らかに失敗です。
何故なら、飛行機に乗っていると、okinawaと地図に出てしまい、
知らない人からすれば、沖縄県と、とても紛らわしいです。
ただ僕が思うに、
戦争はおろか、それより遥か以前の、
その土地その土地の、呼び名や民話や、地域の範囲の移り変わりはじめ、
その土地の人々には、決して忘れて欲しくはありません。
要らぬ事ではありませんし、浅はかどころか、いつもたくさん勉強させて頂いて、感謝しております。
ありがとうございました。では。
コザ市という名称は、僕も好きでした。
沖縄市は、明らかに失敗です。
何故なら、飛行機に乗っていると、okinawaと地図に出てしまい、
知らない人からすれば、沖縄県と、とても紛らわしいです。
ただ僕が思うに、
戦争はおろか、それより遥か以前の、
その土地その土地の、呼び名や民話や、地域の範囲の移り変わりはじめ、
その土地の人々には、決して忘れて欲しくはありません。
要らぬ事ではありませんし、浅はかどころか、いつもたくさん勉強させて頂いて、感謝しております。
ありがとうございました。では。
Posted by 横浜のtoshi at 2011年10月29日 21:34
横浜のtoshi さん!
よくお調べくらさりありがとうございます。
小学生の時は琉球が一般的でした。
琉球沖縄と呼んで下さり感謝申し上げます。
私は琉球派ですが、沖縄も好きです。コザ市が沖縄市になり、大変迷惑している方々がおります。沖縄市が中心で沖縄県で発展するものと夢を託したつもりが、やはりコザ市でよかったと思っているのを見るにつけ琉球県になってほしいです。
要らぬ事を書いてしまいました。浅はかな者ですからお許し下さい。
よくお調べくらさりありがとうございます。
小学生の時は琉球が一般的でした。
琉球沖縄と呼んで下さり感謝申し上げます。
私は琉球派ですが、沖縄も好きです。コザ市が沖縄市になり、大変迷惑している方々がおります。沖縄市が中心で沖縄県で発展するものと夢を託したつもりが、やはりコザ市でよかったと思っているのを見るにつけ琉球県になってほしいです。
要らぬ事を書いてしまいました。浅はかな者ですからお許し下さい。
Posted by 仲本勝男 at 2011年10月29日 21:15
だいすけサン、こんにちは。
僕も、結局は個人的な意見なので、
コメントをとても面白く読ませて頂きました。
先島では、本島のことを「うくな」って呼ぶんですねえ。知りませんでした。
「うふく」は、聞いた事があるような、ないような。
でも、思い出せないんです。
いい加減で、すみません。
「うふ」は確かに、ある地域の方言で「大きい」という意味がありますね。
「大家」を「うふやー」なんて、言ったりしますから。
「く」も「な」も、国や地域を指すとは、知りませんでした。
言われてみれば、思い当たるフシが色々あります。
ウチナーは、沖縄周辺で一番大きな島という意というのは、よく聞く話で、
浮くの意とともに、実際に書物で、よく目にします。
そういえば、沖縄の地名の本、前に買って、すぐに飽きて読んでないのがあったのを、
お陰様で、思い出しました。
読んでみま~す。
コメント、ありがとうございます。感謝!
僕も、結局は個人的な意見なので、
コメントをとても面白く読ませて頂きました。
先島では、本島のことを「うくな」って呼ぶんですねえ。知りませんでした。
「うふく」は、聞いた事があるような、ないような。
でも、思い出せないんです。
いい加減で、すみません。
「うふ」は確かに、ある地域の方言で「大きい」という意味がありますね。
「大家」を「うふやー」なんて、言ったりしますから。
「く」も「な」も、国や地域を指すとは、知りませんでした。
言われてみれば、思い当たるフシが色々あります。
ウチナーは、沖縄周辺で一番大きな島という意というのは、よく聞く話で、
浮くの意とともに、実際に書物で、よく目にします。
そういえば、沖縄の地名の本、前に買って、すぐに飽きて読んでないのがあったのを、
お陰様で、思い出しました。
読んでみま~す。
コメント、ありがとうございます。感謝!
Posted by 横浜のtoshi at 2011年10月26日 05:30
はじめまして。
ちょっと興味深かったので、お邪魔します。
「うちなー」の意味についての個人的な見解を。
先島では、本島のことを「うくな」と呼びます。
また奄美や山原の離島では「うふく」です。
「うふく」の「うふ」は、大きいという意味ですね。
「く」は、兼久(かにく)や我如古(がにく)などと同じで、国・地域を表します。
多分、「区」のことだと思います。
「な」は那、これも地域のことですね。
ウチナーは「うふくな」、ひらたく言えば「大島」「本島」って意味だと思います。
沖縄の地名は当て字のせいで解り難くなってますけど、素朴で面白いですよ。一冊でいいんで、沖縄の地名の本を読んでみてください。
長々と失礼しました。では!
ちょっと興味深かったので、お邪魔します。
「うちなー」の意味についての個人的な見解を。
先島では、本島のことを「うくな」と呼びます。
また奄美や山原の離島では「うふく」です。
「うふく」の「うふ」は、大きいという意味ですね。
「く」は、兼久(かにく)や我如古(がにく)などと同じで、国・地域を表します。
多分、「区」のことだと思います。
「な」は那、これも地域のことですね。
ウチナーは「うふくな」、ひらたく言えば「大島」「本島」って意味だと思います。
沖縄の地名は当て字のせいで解り難くなってますけど、素朴で面白いですよ。一冊でいいんで、沖縄の地名の本を読んでみてください。
長々と失礼しました。では!
Posted by だいすけ at 2011年10月24日 21:27
コメント以外の目的が急増し、承認後、受け付ける設定に変更致しました。今しばらくお待ち下さい。
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