てぃーだブログ › 琉球沖縄を学びながら、いろいろ考えていきたいな~ › 琉球沖縄(初期長編) › 新・「琉球と沖縄」、どちらが正しい言い方でしょうか?
 「沖縄(おきなわ)は、(むかし)琉球(りゅうきゅう)って()ったんだよ
という(はなし)(みみ)にしたり、(ほん)()かけることが、よくあります。

 本当(ほんとう)のところは、どうなのでしょうか。

 「琉球」や「沖縄」とはそもそも、なんでしょうか。

 まず沖縄県の一部分、例えば沖縄本島のごく一部分だけが沖縄の(はず)もなく、それなのにそう思っている沖縄人(うちなーんちゅ)以外(いがい)の人間が、あまりに世の中には多過(おおす)ぎます。もしも軽々(かるがる)しく、沖縄に行ったとか、沖縄を知っていると言ってしまうと、少し()()んだ質問に対して答えられずに大恥(おおはじ)をかく事になります。もちろん、それがいけないと言っているわけではありません。

 また、沖縄生まれ、沖縄育ちという事と、沖縄を知っていたり理解している事では大変な違いがあります。これもまた、いけない云々(うんぬん)という問題ではそもそもありません。

 ただ個人的に沖縄や奄美を旅しながらあれこれを考えるうちに、少しでも沖縄や奄美を理解しようという思いが個人的に強くなり、このブログを書き始めて随分(ずいぶん)()ちましたが、なぜ私のようにもっとみんなも沖縄や奄美の島々を回らないのか、不思議に思うようになりました。とにかく沖縄や奄美の島々の自然や海、そして民話は、みんな異なっていて、それぞれが素晴らしいのですから。

 それにつけても、今回の問いに対する答えを出すのは私にとって、決して簡単ではありませんでした。

 基本に立ち返って、今回の話題は琉球(りゅうきゅう)」と「沖縄(おきなわ)」についての原点に関わるテーマです。

 (いま)でも沖縄県(おきなわけん)では、「琉球(りゅうきゅう)」と「沖縄(おきなわ)」、どちらの言葉(ことば)色々(いろいろ)場所(ばしょ)使(つか)われています。

 タイトルに、琉球(りゅうきゅう)沖縄(おきなわ)の、どちらが(ただ)しいのか()いてみたものの、個人的(こじんてき)にその(こた)えはとっくに()ていて、それは「どちらも(ただ)しい」というのが個人的(こじんてき)見解(けんかい)です。もちろん、(なに)がどう(ただ)しいのか、その根拠(こんきょ)(もっと)肝心(かんじん)です。

 (とも)(ただ)しいと(かんが)える理由(りゆう)は、「琉球(りゅうきゅう)」も「沖縄(おきなわ)」も、大変に(ふる)い時代から使(つか)われてきた歴史(れきし)ある言葉(ことば)だからというのが(わたくし)(かんが)えの根拠(こんきょ)です。

 (たし)かに(ちか)歴史(れきし)では、戦後(せんご)から1972年(昭和47年)5月15日の日本復帰(にほんふっき)まで、占領(せんりょう)したアメリカ軍により「琉球(りゅうきゅう)」という言葉(ことば)使(つか)わされました。

 またその前後(ぜんご)時代(じだい)は、「沖縄(おきなわ)県」という表記(ひょうき)使(つか)われます。

 それよりもっと前を考えると、明治(めいじ)12年の琉球処分(りゅうきゅうしょぶん)以前(いぜん)(なが)琉球國(りゅうきゅうこく)時代(じだい)で、国名のため公文書(こうぶんしょ)では圧倒的(あっとうてき)に「琉球(りゅうきゅう)」が(おお)使(つか)われたものの、「沖縄」も使われたからこそ今に残ってきたのです。

 琉球國(りゅうきゅうこく)時代(じだい)は、公的(こうてき)には「琉球(りゅうきゅう)」が、一般社会(いっぱんしゃかい)では「沖縄(おきなわ)」が、より(おお)使(つか)われる傾向(けいこう)(つよ)かったとも言われていますが、よくわかっていません。個人的にその意見は怪しいと考えます。それでも二つが(とも)使用(しよう)されていたのは間違いないところです(ただ)し、古くからその時代までは、沖縄本島だけを沖縄と呼びました。沖縄本島以外の琉球からみて、沖縄本島だけが沖縄でした)。例えば「うちなー」という言葉は「おきなわ」が変化した言葉で、同じものです。琉球國(りゅうきゅうこく)時代(じだい)にも使われましたが、その時代から前は、あくまで沖縄本島だけを()しました。

 「琉球」と「沖縄」の、二つの言葉(ことば)発生(はっせい)辿(たど)ると、琉球國(りゅうきゅうこく)成立(せいりつ)するよりも(はる)(まえ)であり、もっともっと昔から、二つの言葉は使われていた事がわかっています。

 以上(いじょう)()まえて個人的に、このブログでは歴史ある二つの表記を合わせた「琉球沖縄(りゅうきゅうおきなわ)」という表記(ひょうき)を考え出して使ってきました(※今後、考えが変わって変更する事はあり得ます)。指す範囲は、現在(げんざい)奄美(あまみ)諸島(しょとう)から琉球(りゅうきゅう)諸島(しょとう)(今の沖縄県(おきなわけん)まで、つまり琉球國(りゅうきゅうこく)時代(じだい)最大(さいだい)だった範囲(はんい)として使用(しよう)しています。

 ところで、実際(じっさい)琉球國時代(りゅうきゅうこくじだい)公文書(こうぶんしょ)の言葉についてですが、中国語(ちゅうごくご)だけが使用(しよう)されていたわけではなく、日本(にほん)平仮名(ひらがな)のひとつである草書体(そうしょたい)/候文(そうろうぶん)もよく使(つか)われていたことが()られています。

 対外的(たいがいてき)公文書(こうぶんしょ)は、中国(ちゅうごく)に対して中国語(ちゅうごくご)が使われ、日本に対しては日本語が使われました。琉球國(りゅうきゅうこく)表向(おもてむ)きには独立国家(どくりつこっか)であるものの、現実(げんじつ)には(はや)時期(じき)から島津氏(しまづし)薩摩藩(さつまはん)支配下(しはいか)、つまり日本の幕藩(ばくはん)体制()にあったのですから、それも当然(とうぜん)に思えますが、実はそれより遥か以前から、日本語の流れをくむ琉球語が話されて来た事が既に判明しております。

 ただ近年、琉球國(りゅうきゅうこく)というと中国との「冊封(さくほう)」関係ばかりが強調される(かたよ)った説明があまりに()えてしまい、浅すぎる平面的かつ画一的(かくいつてき)理解がすっかり(ひろ)がってしまって心配です。特に、幕藩(ばくはん)体制()の「江戸上(えどのぼ)り」の説明が極端(きょくたん)(すく)ないのです。両方が大切なのであり、そのバランス感覚を長年(たも)舵取(かじと)りを上手(じょうず)継続(けいぞく)し続けた琉球國の底力が見損(みそこ)なわれてしまっています。琉球國は日本と中国に翻弄(ほんろう)されながらも、それに(あま)んじることなく、アジア各地にまで出掛かけていって様々な交易を実現しているのです。

 なお、琉球の国王が代わると、中国に対して国家としての臣下(しんか)(れい)をとる「冊封(さくほう)」という国家的な大行事が()(おこな)われました。具体的には、琉球國から中国に使節団(しせつだん)が送られ、それを受けて中国の冊封使(さくほうし/さっぽうし)の使節団が琉球國にやって来て、中国の皇帝(こうてい)()わって国王を任命(にんめい)する大々的国家行事「冊封(さくほう)」は確かに行われました。

 しかし同時に、薩摩の支配下に入ってからの琉球國は、江戸幕府に対しても国王として認めてもらうための国家的な大行事を欠かさず()(おこな)いました。具体的には、琉球國から江戸幕府に使節団(しせつだん)が送られたのです。それを「江戸上(えどのぼ)り」といいます。それだけでなく実際には、徳川将軍の代替(よが)わりには慶賀使(けいがし)を、国王の即位(そくい)の時は謝恩使(しゃおんし)を、江戸に派遣(はけん)することが定められていて、長年、実行しています。

 ですから、中国の皇帝が代わった時、日本の将軍や国王が代わった時、琉球國は使節団をそれぞれにきちんと派遣(はけん)していたのです。

 ただ、そもそも琉球國時代の中期には薩摩藩の支配下にあるため、公文書(こうぶんしょ)のやりとりは薩摩に対する物が圧倒的(あっとうてき)に増え、必然的(ひつぜんてき)に日本語の方が中国語より(はる)かに多くなっていきます。繰り返しますが、それ以前から、琉球語はそもそも日本語の一つであって、琉球語や日本語が琉球ではずっと使われてきました。中国語はあくまで特殊なごく一部でしか使われていません。

 さて、統一国家(とういつこっか)として生まれた琉球國(りゅうきゅうこく)の時代は、「第1(だいいち)尚氏(しょうし)王統(おうとう)」と「第2(だいに)尚氏(しょうし)王統(おうとう)」の二つを合わせた450年間(ねんかん)です。建国(けんこく)が1429年で、消滅(しょうめつ)が1879年ですから、450年間(ねんかん)という大変な長期(ちょうき)国家(こっか)のように誤解(ごかい)されがちです。

 ところが厳密(げんみつ)には、1429年の建国(けんこく)から180年後に、琉球國(りゅうきゅうこく)薩摩(さつま)に攻め落とされて支配下(しはいか)(はい)り、実質は独立国ではなくなりました。それからの270年間は、表向(おもてむ)きは独立国を(よそお)って対外貿易を行うことを()いられつつ、実際には薩摩(さつま)支配下(しはいか)で日本の幕藩(ばくはん)体制に組み()まれます。

 琉球國(りゅうきゅうこく)450年間(ねんかん)を、薩摩(さつま)の琉球侵攻(しんこう)の1609年で前後を切って考えると、前が180年間で、後ろが270年間です。独立国(どくりつこく)だったのは最初(さいしょ)の180年間、つまり全体の40%で、残りの60%は薩摩の支配下にあるのです第二尚氏王統(だいにしょうしおうとう)だけで考えると独立していたのは35%で、残りの65%が薩摩の支配下です。なお琉球侵攻(しんこう)が1609年で、奄美諸島割譲(かつじょう)が1611年です)

 ()り返しになりますが、それでも450年間という長い琉球國(りゅうきゅうこく)の時代より、(はる)以前(いぜん)から、琉球沖縄では日本語(にほんご)の一つである「琉球語」が使(つか)われていました(そのため古い日本語が琉球沖縄の島々に、消えずに残りました)。そもそも琉球語(りゅうきゅうご)は、(ふる)日本語(にほんご)から()かれた言語(げんご)であり、そこから独自(どくじ)進化(しんか)した言語(げんご)です。そして(さら)に琉球語は、長い年月をかけて様々(さまざま)な地域地域の言葉に分かれました。その中で、「琉球(りゅうきゅう)」と「沖縄(おきなわ)」という二つの言葉(ことば)は、(とも)今日(こんにち)まで連綿(れんめん)使用(しよう)され(つづ)けてきた歴史があります。

 「琉球(りゅうきゅう)沖縄(おきなわ)表記(ひょうき)の、どちらが(ただ)しい()(かた)」という()いに対する答えは、琉球國時代まで(さかのぼ)っても出せないのであり、(さら)にもっと昔まで(さかのぼ)って考えないと、まったく見当違(けんとうちが)いの答えを出すことになってしまいます。

 「琉球」と「沖縄」を理解するには、実はそれぞれの言葉が、文字(もじ)になって(しる)された表記(ひょうき)歴史(れきし)、つまり、変遷(へんせん)辿(たど)るのが最も近道になります。


【『琉球(りゅうきゅう)』という()()歴史(れきし)

「流求」~「留仇」~「留求」~「流梂」~「流虬」~「流鬼」~「瑠求」~「琉球(りゅうきゅう)」~「瑠球」~「琉求」~「流球」~「竜宮」


【『沖縄(おきなわ)』という()()歴史(れきし)

「阿児奈波」~「おきなは」~「おきなわ・おきにや」~「倭急拿(うちな)」~「倭的拿(うちな)」~「屋其惹(うちな)」~「惡鬼納(おきな)」~「於喜耶・宇喜耶・倭急耶(うちな)」~「沖那波」~「浮縄」~「沖縄(おきなわ)
(参照~『琉球と沖縄』小玉正任)



 「琉球(りゅうきゅう)」の最初(さいしょ)表記(ひょうき)「流求」は、「636年」に、隋書(ずいしょ)という中国(ちゅうごく)書物(しょもつ)(あらわ)れます。(※『隋書』の東夷伝(とういでん)(636年)には、「『流求』という化外(けがい)(くに)あり」と(しる)され、福建省(ふっけんしょう)東海上(とうかいじょう)にある(こと)や、自然風俗等(しぜんふうぞくなど)(しる)されている。また、(ずい)煬帝(ようてい)が2()(わた)って遠征軍(えんせいぐん)(おく)ったが(したが)わない(くに)があり、遠征軍(えんせいぐん)()(かえ)った(よろい)遣隋使(けんずいし)小野妹子(おののいもこ)一行(いっこう)()せたところ、「『夷邪久(いやく)(掖久)(こく)(ひと)(もち)いるもの』と(おし)えてくれた」という内容(ないよう)がある。ただ、どの地域(ちいき)までを()すのかはじめ、よくわかっていない部分(ぶぶん)(おお)い。)

 沖縄(おきなわ)」の最初(さいしょ)表記(ひょうき)「阿児奈波」は、「779年」に、唐大和上東征伝(とうだいわじょうとうせいでん)という日本(にほん)書物(しょもつ)鑑真(がんじん)伝記(でんき)(あらわ)れます。(※鑑真(がんじん)以前(いぜん)では、『日本書紀(にほんしょき)』や『続日本紀(しょくにほんぎ)』に「南島(なんとう)」と(しょう)される化外(けがい)()登場(とうじょう)する。ただそれが、どの地域(ちいき)()すのかはじめ、よくわかっていない。)

 文字(もじ)として(あらわ)れたということは、それより(まえ)からこれらの言葉(ことば)(すで)存在(そんざい)し、使(つか)われていたのだろう容易(ようい)想像(そうぞう)できます。

 大昔(おおむかし)琉球沖縄(りゅうきゅうおきなわ)島々(しまじま)()んでいた人々(ひとびと)は、発音(はつおん)する言葉(ことば)、つまり、音声言語(おんせいげんご)(さき)使(つか)(はじ)めていたものの、文字(もじ)を最初はもっていなかったと言われています(その方面(ほうめん)(くわ)しい研究(けんきゅう)()たれているところです)

 そして(のち)636年779年、つまり奈良時代(ならじだい)(はい)前後(ぜんご)という大変(たいへん)(ふる)時代(じだい)に、文字(もじ)として、「琉球(りゅうきゅう)」「沖縄(おきなわ)」という(ふた)つの漢字表記(かんじひょうき)が、中国や日本、つまり琉球沖縄から離れた()地域(ちいき)(あらわ)れました。

 (ただ)し、注意(ちゅうい)しなければならない(てん)があります。この時代(じだい)、これらの言葉(ことば)()地域(ちいき)がどこなのか、つまり現在(げんざい)でいう鹿児島県(かごしまけん)奄美諸島(あまみしょとう)から、琉球諸島(りゅうきゅうしょとう)、さらに台湾周辺(たいわんしゅうへん)までの、どこからどこまでを()したのかは、専門家(せんもんか)でも意見(いけん)()かれています。

 なお、(ひと)つの国家(こっか)として琉球國(りゅうきゅうこく)ができあがる(まえ)の時代は、琉球沖縄(りゅうきゅうおきなわ)のあちこちで、(ちから)をもった小国(しょうこく)()まれては()えていました。そんな時代(じだい)や、それ以前(いぜん)の時代から、中国(ちゅうごく)や日本を初めとする近隣(きんりん)諸外国(しょがいこく)に対して、ある地域(ちいき)人々(ひとびと)は、大なり小なりの交易(こうえき)を行なっていました。

 琉球沖縄(りゅうきゅうおきなわ)が、(おお)きな(ひと)つの国家(こっか)になったのは、1429年の琉球國第一(だいいち)尚氏(しょうし)王統(おうとう)誕生(たんじょう)からです。ご(ぞん)じの方も多いと思いますが、「尚巴志(しょうはし)」という人物(じんぶつ)が、それまで(みっ)つの勢力(せいりょく)()かれていた沖縄本島(おきなわほんとう)統一(とういつ)することによって、大きな琉球國(りゅうきゅうこく)形成(けいせい)され(はじ)めます。丁度(ちょうど)それは、室町時代(むろまちじだい)(ころ)でした。

 琉球國の建国が1429年で、それより(はる)以前(いぜん)である、636年や779年には、すでに漢字(かんじ)の「琉球(りゅうきゅう)」も「沖縄(おきなわ)」も存在(そんざい)していました。それぞれの表記(ひょうき)原型(げんけい)は、琉球國(りゅうきゅうこく)誕生より、ずっと(まえ)なのです。それほど(ふた)つの言葉(ことば)歴史(れきし)(なが)いのです。

 さてここで、(はなし)(すこ)()れますが、みなさんに質問(しつもん)をしてみたいと(おも)います。(こた)えをご存知(ぞんじ)方々(かたがた)(おお)いと(おも)いますが。

 なぜ、沖縄(おきなわ)を「うちなー」と()うのでしょうか?

 あくまで個人的推測(すいそく)の答えと独自の解説なので、それをまず(ことわ)っておきます。

 日本語(にほんご)の50音図(おんず)は、(たて)が「(ぎょう)」、(よこ)が「(だん)」です。
 「(だん)」には、段・段・段・段・段の、「5つの(だん)」があります。

 琉球沖縄(りゅうきゅうおきなわ)言葉(ことば)(ほう)段・段・段の「3つの(だん)」が基本(きほん)です。そこでその文法にのっとって考えてみます。

 「琉球(りゅうきゅう)」=「りゅ・う・きゅ・う」の母音(ぼいん)をそれぞれみてみると、すべてア~ウ(だん)の3(だん)(なか)(はい)っていることに()づきます。ですから、(むかし)(いま)も、発音(はつおん)は、そう()わっていないと(かんが)えられます。

 一方(いっぽう)で、沖縄(おきなわ)=「お・き・な・()」ですが、「お」だけがア行段で、ア~ウ(だん)(はい)っていません。

 琉球沖縄(りゅうきゅうおきなわ)では、ア〜ウ段はそのままで、(だん)はその(ぎょう)(だん)に、オ段はその(ぎょう)(だん)変換(へんかん)されるのが基本(きほん)です。

 ですから、「お」を「う」に変換(へんかん)すると、「きな()」は「きな()」になります。
 その「うきな()」という発音(はつおん)が、やがて「うちなー」に変化(へんか)したのだろうというのが私の想像(そうぞう)です。
 (※さまざまな文書に、「沖縄語はア~ウの3段からなる」とありながら、上記のように、ある行のエ段がその行のイ段に、オ段がその行のウ段に対応するとはほとんど明記されておらず、よって私見です。行において、エ段がイ段、オ段ウ段に対応する結果、ア・イ・ウ・エ・オが、ア・イ・ウ・イ・ウの3母音になっているのが沖縄語の変化の基本といえるが、エ段やオ段がないわけではない。伸ばすエ段やオ段はそれなりに存在する。例えば「テーゲー(大概(たいがい))」(など)。また行が異なる「キ」が「チ」に変化する口蓋化現象(こうがいかげんしょう)の場合もある。例えば「チム((きも))」(など)。また、日本語のハ行は、奈良時代以前はP音であり、P音が(のこ)っている場合がある。例えば、沖縄では「花」を「バナ/バナー」と発音する以外に、「パナ/パナー」と沖縄本島北部や宮古島等では発音し、古代日本語が伝わって来て定着したまま残存(ざんぞん)した形といえる。)

 話をもどして、いずれにせよ、(さき)の「沖縄」という言葉の変遷(へんせん)は、正しい裏付(うらづ)けある資料(しりょう)からのものであるのは言うまでもありません。

 また、沖縄の言葉が、古い時代の日本語の流れをくむものである事は、誰の目にも(あき)らかです。

 余談(よだん)ですが、琉球沖縄(りゅうきゅうおきなわ)人々(ひとびと)は、いつの(ころ)からなのかはっきりしないものの、かなり昔から自分たちを「沖縄人(うちなんちゅ)」と()び、日本(にほん)本島(ほんとう)(ひと)を「倭の人(やまとんちゅう)」と()んできました。(ほか)には、軽蔑(けいべつ)したり(さげす)んだり馬鹿(ばか)にする(とき)()(かた)に、「内地の人(ないちゃー)」という()(かた)もあり、今でも使われます。つまり琉球沖縄(りゅうきゅうおきなわ)ではかつて、中国、つまり支那(しな)のことを唐、沖縄県外、つまり内地を(やまと)、欧米を、オランダとか切支丹(キリシタン)昭和初期(しょうわしょき)まで()んでいたようです。ですから、今でも使う人がいるのはそのためです。

 そろそろ記事のテーマのまとめに入っていきましょう。

 いずれにせよ、琉球(りゅうきゅう)も、沖縄(おきなわ)も、文字(もじ)表記(ひょうき)として(しる)された最初(さいしょ)は、(とお)(むかし)の、琉球沖縄ではない異国(いこく)の地でのことです。しかもそれ以前から、琉球(りゅうきゅう)沖縄(おきなわ)という言葉は、琉球沖縄に存在していた可能性が高いわけです。

 異国(いこく)(ひと)(さき)()(はじ)めたり()(はじ)めたのか。あるいは、琉球沖縄(りゅうきゅうおきなわ)(ひと)(さき)発音(はつおん)していた言葉(ことば)を、異国(いこく)(ひと)()いて、発音(はつおん)文字(もじ)()てたのか、(いま)となってはわかりません。

 けれども確実(かくじつ)なのは、「琉球(りゅうきゅう)」も「沖縄(おきなわ)」も、どちらも大変(たいへん)(ふる)くから使(つか)われてきた言葉(ことば)であり、時代(じだい)歴史(れきし)()えて(のこ)ってきた大切(たいせつ)言葉(ことば)であるという(こと)だけは間違(まちが)いないと私は(かんが)えます。

 どちらの言葉(ことば)も、そんな、でーじ(とても)じょーとー(上等)な歴史ある言葉です。それだけに、どちらを使うかは選びがたく、琉球沖縄(りゅうきゅうおきなわ)と個人的に使(つか)ってきた理由は、以上を読んで頂いた方々には理解して頂けると思います。現在までの個人的(こじんてき)(かんが)えであり、今後、変更するかもしれませんが、これからも使いたいという思い(うむい)もあるわけです。

 以上、お読み頂きまして、ありがとうございました(にふぇーでーびる)

 もしも、お時間(じかん)(ゆる)(とき)にでも、引き続き、のんびり琉球沖縄(りゅうきゅうおきなわ)(まな)(たび)を、ご一緒(いっしょ)して(いただ)けると(さいわ)いです。


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えいふちゃん、こんにちは。

ちょっと先週は、バタバタして忙しく、お返事がすっかり遅れてしまいました。
申し訳ございません。

少し違うかも知れませんが、
アメリカ軍人の中には、「日本」や「沖縄」は知らなくて、
「嘉手納」や「横須賀」なら知っているという人も、
けっこういると、アメリカの軍人さんから聞いた事があります。

琉球と沖縄の区別が、ついていない人は、
沖縄の人間にとどまらず、多いと思います。

中国との、からみで考える際、
琉球という表現には、とても注意が必要です。
琉球は琉球国を表して、
長年、
自分達の国の一部だという意味を含んでいるわけですから、
非常に危険です。

今の沖縄を旅する中国人の多くは、
外国を旅しているのではなく、
自分の国を、旅してると思って、闊歩しているのです。
日本が、琉球という自分たちの国の土地を、占領していると、
教え込まれて、きたのですから。
Posted by 横浜のトシ(toshi)横浜のトシ(toshi) at 2017年10月02日 07:18


琉球と沖縄ホントにちょっと考えてしまいます。
十何年前によく香港まで商用で台北経由で行き来していたころ
帰りの飛行機乗り換えの時どんなに探しても沖縄行きが見当たらず
困った事がありましたが、表示が琉球とあったときは、
カルチャーショックを受けたことを思い出しました。
香港や台湾の方が琉球と言うとよく知っていることに驚いたものです。
それに、日本人より琉球人が好きとはどういう意味なのか
沖縄人として歴史を知らず恥ずかしい想いをしました。
Posted by えいふちゃんえいふちゃん at 2017年09月26日 10:16


ルミさん、こんにちは。はいさい今日拝なびら。

文献で確認できる「琉球」の最も古い文字表記「流求」は636年。琉球國の成立より、2つの言葉は遥かに古いんです。
文献で確認できる「琉球」の最も古い文字表記「流求」は636年。なんと推古天皇の次の舒明天皇の時代、飛鳥時代の前(で弥生時代の後)の古墳時代です。おそらくもっと古くから琉球という言葉はあったと想像できます。浮縄という表記は、表記の変遷の中では比較的新しいものであるといえます。音声に漢字を当てたと思われますが、浮縄がオキナワの語源でない事は明らかです。

沖縄の由来は、伊波普猷の説、「沖あいの漁場」を意味する「おき(沖)な(魚)は(場)」と、東恩納寛惇の説、「沖にある場所」「遠い場所」を意味する「おき(沖・遠い)なは(場所)」の説があります。私は、どちらもしっくりこないと思っています。

コメント、にふぇーでーびる。
Posted by 横浜のトシ(toshi)横浜のトシ(toshi) at 2017年05月23日 15:58


横浜のtoshiさん、こんにちは♪ そうだったんですね。
スッキリしました。
琉球国というので、以前は琉球だったのかと思ったりしていました。浮縄から沖縄 は 聞いた事はありますが更に更にいろいろとあったんですね。

ありがとうございました。
Posted by ルミルミ at 2017年05月22日 15:42


仲本勝男さん、はいさい、今日(ちゅー)拝(うが)なびら。

畑の、草取り整備で、汗流していらっしゃるとは、お疲れさまでございます。

実は、その言葉で思い出したことがあります。
この土・日、十文字学園大学で、
母校の國學院大学の時からの、教育の研究会がありました。

田嶋一先生に見せて頂いた、先生の先生である大田堯(おおたたかし)先生のDVDの中で、
「どんなに勉強や学問をして、知識を頭に詰め込んでも、
実学を積んできたきた者には、かなわないと思いました」とおっしゃっている部分がありました。

やはり、人間は、額に汗して労働しないと、いけないなあと、
勝手ですが個人的に思っていました。

なお、それでも太るのは、僕も同じです(笑)。
僕は、豆腐をたくさん食べて、他の量を減らして、満腹感を維持してます。では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2011年10月31日 11:05


横浜のtoshi さん
優しいコメントに感じ入って嬉しくなりました。
最近は畑の草取り整備で汗流しております。
それでも太るのです(笑)
ありがとうございました。
Posted by 仲本勝男仲本勝男 at 2011年10月30日 08:38


仲本様、はいさい、今日(ちゅー)拝(うが)なびら。

コザ市という名称は、僕も好きでした。
沖縄市は、明らかに失敗です。
何故なら、飛行機に乗っていると、okinawaと地図に出てしまい、
知らない人からすれば、沖縄県と、とても紛らわしいです。

ただ僕が思うに、
戦争はおろか、それより遥か以前の、
その土地その土地の、呼び名や民話や、地域の範囲の移り変わりはじめ、
その土地の人々には、決して忘れて欲しくはありません。

要らぬ事ではありませんし、浅はかどころか、いつもたくさん勉強させて頂いて、感謝しております。
ありがとうございました。では。
Posted by 横浜のtoshi at 2011年10月29日 21:34


横浜のtoshi さん!
よくお調べくらさりありがとうございます。
小学生の時は琉球が一般的でした。
琉球沖縄と呼んで下さり感謝申し上げます。
私は琉球派ですが、沖縄も好きです。コザ市が沖縄市になり、大変迷惑している方々がおります。沖縄市が中心で沖縄県で発展するものと夢を託したつもりが、やはりコザ市でよかったと思っているのを見るにつけ琉球県になってほしいです。
要らぬ事を書いてしまいました。浅はかな者ですからお許し下さい。
Posted by 仲本勝男仲本勝男 at 2011年10月29日 21:15


だいすけサン、こんにちは。

僕も、結局は個人的な意見なので、
コメントをとても面白く読ませて頂きました。

先島では、本島のことを「うくな」って呼ぶんですねえ。知りませんでした。

「うふく」は、聞いた事があるような、ないような。
でも、思い出せないんです。
いい加減で、すみません。

「うふ」は確かに、ある地域の方言で「大きい」という意味がありますね。
「大家」を「うふやー」なんて、言ったりしますから。

「く」も「な」も、国や地域を指すとは、知りませんでした。
言われてみれば、思い当たるフシが色々あります。

ウチナーは、沖縄周辺で一番大きな島という意というのは、よく聞く話で、
浮くの意とともに、実際に書物で、よく目にします。

そういえば、沖縄の地名の本、前に買って、すぐに飽きて読んでないのがあったのを、
お陰様で、思い出しました。

読んでみま~す。

コメント、ありがとうございます。感謝!
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2011年10月26日 05:30


はじめまして。
ちょっと興味深かったので、お邪魔します。

「うちなー」の意味についての個人的な見解を。
先島では、本島のことを「うくな」と呼びます。
また奄美や山原の離島では「うふく」です。

「うふく」の「うふ」は、大きいという意味ですね。
「く」は、兼久(かにく)や我如古(がにく)などと同じで、国・地域を表します。
多分、「区」のことだと思います。
「な」は那、これも地域のことですね。

ウチナーは「うふくな」、ひらたく言えば「大島」「本島」って意味だと思います。
沖縄の地名は当て字のせいで解り難くなってますけど、素朴で面白いですよ。一冊でいいんで、沖縄の地名の本を読んでみてください。

長々と失礼しました。では!
Posted by だいすけ at 2011年10月24日 21:27


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