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琉球沖縄の地名(ちめい)姓名(せいめい)の謎




 沖縄や奄美の人にとってはごく普通(ふつう)であっても、それ以外の人々が最初に戸惑(とまど)のが、「沖縄や奄美地名や姓名(せいめい)苗字(みょうじ)名前(なまえ)」の「発音(はつおん)」、つまり「()み方」です。

 琉球沖縄の地名(ちめい)姓名(せいめい)については、現在までたくさんの書物が出版されていますから、(くわ)しくはそれを参照(さんしょう)するのが()いと思います。

 調べれば調べるほど、琉球の言葉の多様性(たようせい)()かれること、間違(まちが)いなしです。

 今回は、個人的に興味を持ってきた中から、特に沖縄の方々には特に興味をもって(いただ)けるかもしれないほんの少しを、ここで取り上げてみることにします。
※旧字体は表記できないものも多いため、新字体で表記。




万葉仮名(まんようがな)=万葉仮名からきているもの

〜安仁屋(あにや)、宇久(うく)、伊是名(いぜな)、喜友名(きゆな)、屋比久(やびく)‥‥‥



重箱(じゅうばこ)読み】=上の字が(オン)読み、下の字が(くん)読み。

〜謝花(ジャばな)、祝嶺(シュクみね)‥‥‥



【発音(琉球語方言)に文字を()てたもの】
=変化の過程(かてい)で、また色々な漢字が当てられた。

◯東(ひがし)→(転化)ひじゃ(転化)ひが(当て字)比嘉(ひが)
上里(かみさと)(他の漢字の当て字)神里(かみさと)(発音の転化)→神里(かみざと/かんざと
◯下里(しもさと)→(発音の転化)→下里(しんざと)→(他の漢字の当て字)新里(しんざと)‥‥‥



【名前に「朝・盛・馬」が付く】
=琉球國時代からの王族・士族の流れを()む人の場合、苗字(みょうじ)が一族を表すほかに、名前(なまえ)の方にも特徴がある。


名前に「朝」が付く
(しょう)侯爵(こうしゃく)家一族の後裔(こうえい)で、源為朝(みなもとのためとも)から「朝」を使用。
名前に「盛」が付く
護佐丸(ごさまる)後裔(こうえい)の、毛氏(もううじ)または翁氏(おううじ)一族。
名前に「馬」が付く
馬氏(ばうじ)一族



【薩摩の琉球侵攻後の変更】
=十分に徹底はされなかったものの、(おも)に薩摩藩からの指示で変えさせられもので、日本本土の地名や苗字との重複が()けられた典型(てんけい)(逆に考えると、薩摩藩に支配される前までは、元の表記だったと考えられる。1624年「大和めきたる名字の禁止」)。


〜徳山→渡久山、徳川→徳久川、迫田→佐久田、迫川→佐久川、横田→與古田(与古田)/與久田(与久田)、奥田→宇久田、清村→慶世村、福村→譜久村、福原→譜久原、中本→仲本、中元→名嘉元、中村→仲村、中田→仲田、国上→国頭、船越→富名腰、前田→真栄田‥‥‥




 以上から、ある時代に表記や発音が変わったという事は、それ以前から琉球沖縄には和文字(わもじ)が定着していた事がわかる点にも、注目して欲しいと思います。

 それにしても、たったこれだけ見ただけでも、いかに琉球の文字や言葉多様性(たようせい)()んでいるかが、おわかり(いただ)けると思います。



 次に、中国から琉球沖縄に伝わった「石敢當」(いしがんとう/いしがんどう)について少し()れておきます。

 すべて(オン)読み発音が、伝わった時点での本来の正しい発音だった可能性が高く、「石」の音読みは「セキ」です。

 その発音がいつの時代からかわかりませんが、琉球沖縄においては「いしガントウ/いしガンドウ」という発音に変化したようです。

 ちなみに鹿児島では、元の形「セキ」が音便化(おんびんか)した「せっかんとう」と発音します。

 島津(しまづ)薩摩(さつま)藩が琉球國を()めた時期までに(すで)に琉球沖縄では「いし」と変化していたのか、その後に変化したのかはよくわかりません。

 島津氏の琉球侵攻(しんこう)後、奄美は薩摩藩の領地(りょうち)となったため、奄美は「せっかんとう」に(もど)ったのではないかと推測しています。

 沖縄における「石敢當」の発音の変遷(へんせん)には謎もまだまだ多く、色々な想像や仮説を立ててみると実に面白いと考えます。

 いずれにせよ、言語学的には「せきがんとう」または「せっかんとう」と、伝来当初は発音していたものが、変化するその過程(かてい)の中に、琉球沖縄文化の多様性(たようせい)とその素晴らしさを垣間(かいま)見ることができます。


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※追記
「琉球の五大姓(ごだいせい)

 〜琉球王府で王に仕えた五大(ごだい)名門門中(もんちゅう)
 王家の本家「尚氏(しょうし)」に対して(王と王子たち)、王家の分家である「向氏(こううじ)」、琉球王府の高官を多数輩出(はいしゅつ)した「毛氏(もううじ)池城(いけぐすく)毛氏(もううじ)豊見城(とみぐすく)翁氏(おううじ)馬氏(ばうじ)」を特に「五大(せい)、五大(うじ)、五大名門」と呼びます(毛氏池城、毛氏豊見城を合わせて一つとし、四大名門とも言う場合あり)。王族には「御殿(うどぅん)」、士族には「殿内(とぅんち/どぅんち)」という尊称がつきます(御殿と殿内を一括して御殿殿内(うどぅんとぅんち)と呼び、また大名方とも呼ばれた)


参考(一例)
向氏具志川御殿(うどぅん)〜第二尚氏(しょうし)王統(おうとう)第三代国王「尚眞王(しょうしんおう)」の三男「尚韶威(しょうしょうい)」を()とする琉球王の流れを汲む家系の士族。
向氏嘉味田殿内(どぅんち)〜第二尚氏王統第三代国王「尚眞王」の四男「尚龍徳(しょうりゅうとく)」を祖とする琉球王の流れを汲む家系の士族。
毛氏豊見城殿内護佐丸(ごさまる)を祖とする士族の家系。
毛氏池城殿内新城(あらぐすく)親方(うぇーかた)安基(あんき)が祖の士族の家系。新城安基は、尚眞王が今帰仁巡察の折にみそめた神女との間に生まれたという伝承がある、三司官を務た政治家。
翁氏永山殿内〜国頭親方盛順(せいじゅん)を祖とする士族の家系。
翁氏伊舎堂殿内〜翁氏永山殿内の分家にして総地頭の家系。
馬氏小禄殿内〜浦添親方良憲(りょうけん)を祖とする士族の家系。

※「王家の分家」とは、王子たちが「尚」なのに対して、王を継がなかった王子の子孫が分家であり、「尚」より二画を欠いた「向」を名乗る。
※「殿内」も「御殿」は元来、邸宅を指す言葉であったのが、尊称として使われるようになったという説もある。濁音化してドゥンチと発音され、首里以外では「トヌチ」とも。


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