隠された真実 〜琉球の秘密〜

2017年08月02日

Posted by 横浜のトシ(爲井) at 12:35│Comments(0)伝説・歴史・雑学・言い伝え等


隠された真実

〜琉球の秘密〜



 琉球(りゅうきゅう)の歴史とは何か。
 琉球を学ぶ者にとって、やはり琉球國(りゅうきゅうこく)の正しい歴史()きに、それを理解(りかい)することはあり()ません。

 ところが琉球國(りゅうきゅうこく)の歴史の基本が(うそ)(いつわ)りにまみれ、しかも公然(こうぜん)とその(うそ)(いつわ)りが今でもまかり通っていたりします。ただ真実の歴史とは、そういうものなのかも知れません。

 ただ琉球時代の昔ならともかく、今でもそうなのは、一体、(だれ)責任(せきにん)でしょうか。

 琉球(リュウキュウ)本島(ほんとう)を、歴史上、唯一(ゆいいつ)(はじ)めて統一(とういつ)する偉業(いぎょう)()()げて琉球王朝(りゅうきゅうおうちょう)建国(けんこく)したのは、尚思紹(ショウ・シショウ)尚巴志(ショウ・ハシ)親子(おやこ)です。したがって当然、琉球(りゅうきゅう)の歴史上、偉業(いぎょう)()()げた最も有名で重要な人物であるはずです。

 ところが現在の沖縄や奄美の人々でさえ、尚巴志(ショウ・ハシ)という名なら聞いたことがあるという程度の(あつか)いなのは、何故(なぜ)なのでしょうか。本来なら、誰もが知っていなければならない人物(はず)です。

 まさにここにこそ、琉球沖縄の(かく)された真実(しんじつ)大嘘(おおうそ)、琉球最大の秘密(ひみつ)があるわけです。

 「琉球國」(琉球語では「ルーチュークク」「ドゥーチュークク」)・琉球王朝の建国は1429年の事で、1879年(まで)の450年間が琉球國時代です。

 ただ実際には、1429〜1462の33年間の第1(だいいち)尚氏(しょうし)王統(おうとう)、1462〜1879の417年間の第2(だいに)尚氏(しょうし)王統(おうとう)、合わせたものです。

 第1(だいいち)尚氏(しょうし)王統(おうとう)第2(だいに)尚氏(しょうし)王統(おうとう)は、基本的に(えん)もゆかりもありません。あくまで第1(だいいち)尚氏(しょうし)王統(おうとう)第2(だいに)尚氏(しょうし)王統(おうとう)という区別は、ずっと後世(こうせい)の時代になって便宜的(べんぎてき)に分けるためのものです。

 (おう)血筋(ちすじ)無縁(むえん)金丸(かなまる)という重臣(じゅうしん)の一人が、受けた(おん)を忘れ、異常(いじょう)出世欲(しゅっせよく)()き動かされて、まさに長年の(うそ)(いつわ)りによるクーデターで王座(おうざ)(うば)い取りました。つまり舌先三寸(したさきさんずん)で国そのものを乗っ取ってしまったのです。とてつもなく悪知恵(わるぢえ)が働くとんでもない人間だったことは誰にでも理解できますが、乗っ取るや(いな)()ぐさま第1(だいいち)尚氏(しょうし)王統(おうとう)ゆかりの者たちの抹殺(まっさつ)(はか)ります。実際には、尚円王(尚圓王)となった金丸はその後かなり苦難(くなん)の道を死ぬまで歩みますが、第1(だいいち)尚氏(しょうし)王統(おうとう)ゆかりの者たちを根絶(ねだ)やし出来たことが、結果的に第2(だいに)尚氏(しょうし)王統(おうとう)存続(そんぞく)(つな)がり、それだけが金丸の実績(じっせき)といえます。

 第2尚氏王統による、第1尚氏王統の抹殺(まっさつ)計画を受け、それまでの王の遺骨(いこつ)などは家臣によって方々(ほうぼう)に隠されることになります。

 そして、第2(だいに)尚氏(しょうし)王統(おうとう)がそれからずっと続いたために、それまでの琉球の歴史()じ曲げられ第2(だいに)尚氏(しょうし)王統(おうとう)向きの歴史が書かれました。(当然の成り行きで、自分の政府につごうよく書くのは当たり前です。)

 ただ(うそ)はどこまでいっても(うそ)です。そしてなにより問題なのは、今もなお、第1(だいいち)尚氏(しょうし)王統(おうとう)に歴史的スポットが当てられることが少ない点です。それはあまりに極端(きょくたん)すぎます。

 沖縄の人間であるにも関わらず、地元の者でさえ、琉球國の建国(けんこく)(ちち)たる尚思紹(ショウ・シショウ)尚巴志(ショウ・ハシ)親子の墓行ったことがない、場所すら知らない、そんな歴史的に異常な状況が今も続いています。この原因は沖縄の人にあるのではなく、(ゆが)められた歴史にあるのであり、歴史を教える者たちや地元の行政により責任がある気がします。もちろん責任を追及しているのではなく、一刻も早く、本当の琉球の歴史を自分たちの子孫に受け継ぐ事が何よりも大切なはずなのです。

 少なくとも沖縄内外の琉球のほんとうの歴史にせまりたいと考えたいなら、まず首里城(しゅりじょう/スイグスク)(おとず)れ、早いうちに尚巴志(ショウ・ハシ)王の墓を訪れて初めて、本当の琉球國の歴史理解の第一歩をあゆみ出せると私は考えます。

 少し大げさですが、いかがなものでしょうか?




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