稲の始まり ~琉球沖縄の伝説

横浜のトシ

2010年11月20日 20:20


みんなで楽しもう!
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第39話。


稲の始まり



 むかし(むかし)の、お(はなし)です。
 奄美大島(あまみおおしま)瀬戸内(せとうち)町、於斉(おさい)のウフヤマの砂糖圧搾(あっさく)場ぐらいの広さの場所(ばしょ)に、餅稲(もちいね)()()(みの)っていたそうです。
 それを()た人は大層(たいそう)(おどろ)いて、その餅稲(もちいね)()()って持って帰ろうか(まよ)いました。()()えず一度(いちど)村に帰ることにして、その(こと)を村の長老(ちょうろう)相談(そうだん)しました。
 長老が言うことには、
 「それは果報(かふ/かほう)な物に(ちが)いない。(はや)()って()って来なさい。」と。
 そう()われて(あわ)てて(とも)()れてそこへ行って見たところ、其処(そこ)にはもう先程(さきほど)の、()()(みの)った餅稲(もちいね)はありませんでした。
 (むかし)から()われるように、(はじ)めに()た人にだけ果報(かふ/かほう)()いてくるもので、友達(ともだち)()れて()ったために、その人の果報(かふ/かほう)はきっと()げてしまったに違いありません。
 なお、六月のアラマツリやウフンムェの時などに神事で使われる神扇(かみおうぎ)には、(わし)の大きさの鳥の絵が描かれていますが、その大きな鳥が稲の種子(たね/しゅし)をくわえて来たそうな。


  
※この話の参考とした話
【神扇】(かみおうぎ/テロギ/テルコ扇/太陽扇/ミガキ)~ノロ(祝女)が持つ大きく美しい絵がかかれた扇。ノロ神事で使用。ノロは神事の際、両手で前に捧げ持って、ノロと周囲とを隔絶する神垣として使用。つまり、神の世界と俗界を分ける神垣を作り出す道具。テルコは太陽。ミガキは扇のホネに磨きをかけた末広がりの意。
 
※この話の参考とした話
奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町於斉~南島昔話叢書1『瀬戸内町の昔話』
奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町古仁屋~南島昔話叢書1『瀬戸内町の昔話』
奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町蘇刈~『瀬戸内町誌』
奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町諸鈍~同上
奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町於斉~同上
奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町嘉徳~同上
奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町節子~同上
奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町久慈~『薩南諸島の総合的研究』
奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町蘇刈、伊須、網野子、嘉鉄、篠川、花天、薩川、池地、請阿室、竜郷町竜郷~同上
沖縄本島・沖縄県国頭郡国頭村比地~『国頭村史』
沖縄先島・沖縄県八重山郡竹富町波照間島~『ばがー島 八重山の民話』


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●伝承地
奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町於斉~於斉のウフヤマの砂糖圧搾場ぐらいの広さの所に、餅稲が真っ赤に稔っていたそうです。それを見た人はびっくりして、刈り取って帰っていいのか迷ったそうです。それで、一度は村へ帰って、その事を村の長老に話すと、
 「それは果報物だから、早く行って刈ってこい」と言われたそうです。すると、友達を連れてまたそこへ行って見たけれども、そこには、もう、その真っ赤に稔った餅稲はなかったそうです。初め見た人にだけ、果報は付いているものだから、友達を連れて行ったため、その果報が逃げたそうです。六月のアラマツリやウフンムェのときにノロ神様が使う、ミガキの扇には、鷲の大きさの鳥の絵が描かれてありますが、その大きな鳥が稲の種子をくわえてきたそうです。(南島昔話叢書1『瀬戸内町の昔話』)
奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町古仁屋~アガレンハルカナはどこからか稲霊(いなだま)を盗んできたので、稲が良くできた。盗んでぎたので、良くない噂がたった。両親は死ぬことをすすめ、七川七谷の川の水を汲んできて、体を清め、粢水を作り、口、腹を清めてアガレンハルカナは死んで稲霊の神になった。(南島昔話叢書1『瀬戸内町の昔話』)
奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町蘇刈~タカンマ(小字名)の先のイヒャドリという場所の尾根に稲がたわわに稔っていたので刈りとってきた。(『瀬戸内町誌』)
奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町諸鈍~昔、秋徳の村で、百姓が山へ椎の実を拾いに行った。途中、山の中で稲が金色に稔っているのに出会ったので、下山して、村の長老に聞くと山幸だから見捨ててはいけないといわれて、再び行ってみたがなにもなかった。(同上)
奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町於斉~於斉のウフヤづ、(深山)に餅稲が稔っていた。それをみた人がびっくりして、村へ帰り、村の長老からそれは果報な物種だから、早く行って刈り取ってこいと教えられた。友だちと行ってみたがなかった。(同上)
奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町嘉徳~昔、山へ行ってみると、稲が満作に稔っていた。それを親に話すとイナダマガナシだというので、急いでひき返したが、その姿はなかった。(同上)
奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町節子~老婆が浜の大岩の近くで稲の稔っているのをみつけ、弟を連れて行ってみるとなかった。(同上)
奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町久慈~ある人が山に行ったら、三株ほど米がみのっていた。一握り刈って昼寝した。すると神がでてきてお祝いしろといわれた。お祝いして、その米を囲炉裏のまわりに播いたら、その家の米櫃は一杯になった。これをイナダマという。(『薩南諸島の総合的研究』)
奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町蘇刈、伊須、網野子、嘉鉄、篠川、花天、薩川、池地、請阿室、竜郷町竜郷~山中で稲を発見する(同上)
沖縄本島・沖縄県国頭郡国頭村比地~昔、ある老人が子や孫を連れて畠回りをしていると、どこからともなく天人が現れて、老人に年齢を聞いたので、百二十歳と答えた。次に子や孫が繁昌しているかと聞いたので、孫や曾孫までできていると答えた。天人は、美しい心根の人だとほめて、稲の作り方を教えて、村人にも伝えよと言って去った。老人は喜んで帰り、教えの通り稲作をすると、すばらしい米ができた。現在の比地川の上手、中の宮に近い右岸山麓に、ミルク田というのがその跡で、ここが稲作の始まりの田で、一年越しの豊年祭には、この田を拝んで始まる。(『国頭村史』)
沖縄先島・沖縄県八重山郡竹富町波照間島~昔、波照間の豪家の保多盛家の人が海へ漁に出たところ、フルマルのパースクチイで、網に俵一つがかかった。中には見たこともない種物がいっぱい入っていたので、持ち帰って籾をすって食べてみると、たいへんうまいものであった。これは神さまのお授け物だと、この種を水瓶のそばの水溜に植えてみると、芽を出しぐんぐん伸びて、みごとな稲穂となった。そこで、今度は井戸の前の土地を耕し、水を入れて田圃を作ると、たいへんな豊作となった。これが波照間の稲作の始まりで、その最初の田を井戸田(ケーマシイ)と呼んでいる。(『ばがー島 八重山の民話』)

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