検福穴八幡 ~琉球沖縄の伝説
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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第182話。
検福穴八幡
むかし昔の琉球国時代、薩摩国の島津藩の支配下にあった時代の、徳之島のお話です。
検福の村から一キロ余り北に行ったところに洞穴があります。入口の高さは約三メートル、幅は五メートル、長さがほぼ二百メートルある鍾乳洞で、夏でも涼しく、洞窟の中には地下水の河が流れています。
百メートルばかり入って行くと、左側に石段があり、そこに鍾乳石で自然に出来た碑が立っています。ここは検福穴八幡様と呼ばれ、検福や周辺の人々から氏神として祀られて来ました。
ある時、島津の代官所の役人が、女神である穴八幡の石碑の前に、戯れに 男根を型どった花瓶に狂歌を書き島の者に命令して奉納しました。
その歌には、こう書かれていたそうです。
世の中はよきことのみと神かけて
松茸どののなりのおかしさ
女の神さまはそれを酷く怒り、帰国の際、昔から難所でよく知られる七島灘で船をひっくり返したため、神の怒りに触れた島津の役人は命が果てたと伝えられています。また神は、役人の命で、直接奉納した人物の子孫にも神罰を下して検福穴八幡に二度と参拝出来ないようにしたそうな。
※この話の参考とした話
①奄美・鹿児島県大島郡伊仙町検福~『伊仙町誌』
②奄美・鹿児島県大島郡伊仙町検福~『史談徳之島の伝説』
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●伝承地
①奄美・鹿児島県大島郡伊仙町検福~検福の部落から一キロメートル余り北の方に行ったところに洞穴がある。入口の高さは約三メ~トル幅五メートルばかり、穴の深さはほぼ二〇〇メートルの鍾乳洞で、洞内は地下水が流れ、夏でもひんやりする暗河である。一〇〇メートルばかり行くと左側に石段があって、そこに鍾乳石の碑が立っている。ここが検福穴八幡様といわれるところで、検福およびその周辺の人々の氏神となっている。以前は石碑の前に男根を型どった花瓶があって、
世の中はよきことのみと神かけて
松茸とののなりのおかしさ
と、狂歌が記されていた。昔の島詰めの役人がたわむれに奉納したものという。この神は女神なので、その役人は神の怒りにふれ、帰国の際遭難して命はてたと伝えられている。これを奉納するようにことづかった人の子孫も神罰をうけて、二度と参詣できなくなったという。(『伊仙町誌』)
②奄美・鹿児島県大島郡伊仙町検福~昔、徳之島代官所の役人が穴八幡のある石碑の前に男性陰部を型どった花びんに狂歌を書いてあるのを供えた。穴八幡の神は女神でこの献納物を怒り、その役人が鹿児島に帰る時、七島灘で船をひっくり返した。また、直接花びんを献納したものの子孫はここに参拝することができないようにしたという。(『史談徳之島の伝説』)
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