無名寺 ~琉球沖縄の伝説

横浜のtoshi

2011年08月19日 20:20


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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第180話。


無名寺(むめいでら)



 与論島(よろんじま)琴平神社(ことひらじんじゃ)の、(おな)境内(けいだい)(なか)に、ヤブニッケイの(もり)があります。その(なか)に、二坪(ふたつぼ)(ぐらい)無名(むめい)(ちい)さな(てら)があります。この(てら)由来(ゆらい)についてのお(はなし)です。
 むかし(むかし)のこと、何時(いつ)時代(じだい)からか、沖縄本島(おきなわほんとう)与論島(よろんじま)中間(ちゅうかん)(あた)りの(うみ)に、(よる)になると篝火(かがりび)(とも)場所(ばしょ)があり、実際(じっさい)にそれは篝火(かがりび)より(ひか)(かがや)いていたそうです。
 琉球(りゅうきゅう)(おう)は、毎晩(まいばん)(うみ)(とも)()(はなし)不思議(ふしぎ)がって、ある()のこと、船頭(ふながしら)(めい)じてその()調(しら)べてくるよう、探索(たんさく)させました。それを(めい)じられた船頭(ふながしら)は、その(ひかり)(もと)めて(ふね)(すす)め、(つい)(ひか)(かがや)場所(ばしょ)辿(ただ)()いてそれを()てみたところ、()(しろ)髑髏(しゃれこうべ)が、(なみ)()()()かんでいたのでした。それを確認(かくにん)したで船頭(ふながしら)(ふね)()(かえ)し、(おう)にその様子(ようす)(くわ)しく報告(ほうこく)しました。
 すると(おう)()(こと)には、
 「髑髏(しゃれこうべ)()(はず)がない。もう一度(いちど)()って、それをよく調(しら)べてきなさい。」と(めい)じたのでした。
 それでやむなく船頭(ふながしら)(ふたた)出掛(でか)け、今度(こんど)髑髏(しゃれこうべ)(ひろ)()げたところ、()()(あいだ)に、一枚(いちまい)()()かれた(かみ)(くわ)えていました。しかしながら船頭(ふながしら)文盲(ぶんもう)だったため、そのまま()(かえ)って(おう)(わた)したのでした。すると(おう)(かみ)()み、船頭(ふながしら)(たず)ねることには、
 「この髑髏(しゃれこうべ)()いていた場所(ばしょ)からは、琉球(りゅうきゅう)(ほう)(ちか)かったか。それとも与論(よろん)(ほう)(ちか)かったか。」と。
 すると船頭(ふながしら)は、与論(よろん)(ほう)(ちか)かったと(こた)えました。すると(おう)は、()ぐさま(めい)じて()うことには、
 「この髑髏(しゃれこうべ)()って、与論島(よろんじま)(たか)(ところ)で、沖縄本島(おきなわほんとう)(もっと)(ちか)(ところ)に、(まつ)ってきなさい。それから、その一切(いっさい)祭事(さいじ)は、自分(じぶん)一人(ひとり)でするように。」と。
 そう(めい)じられて、与論(よろん)()いた船頭(ふながしら)は、髑髏(しゃれこうべ)(おう)命令通(めいれいどう)りに一人(ひとり)で、琴平(ことひら)境内(けいだい)(ちい)さな(てら)をつくって、(まつ)ったのでした。そしてこの(てら)は、それ以後(いご)、その船頭(せんどう)一族(いちぞく)によって(まつ)られる(よう)になりました。
 なお髑髏(しゃれこうべ)がくわえていた(かみ)には、こう()いてありました。「(わたくし)は、キーターラシビという(もの)で、海賊(かいぞく)首長(しゅちょう)だった。()髑髏(しゃれこうべ)見付(みつ)けた(もの)は、(もっと)(ちか)(しま)高台(たかだい)(まつ)って()しい。もしも()(ねが)いを(かな)えてくれたならば、子々孫々(ししそんそん)、そして()()(とど)(かぎ)り、海難(かいなん)(のが)れることであろう。」という(よう)内容(ないよう)()かれてあったのでした。
 それからというもの、人々(ひとびと)(たび)をする(まえ)に、そこにお(まい)りするようになりました。(また)海難(かいなん)事故(じこ)遭遇(そうぐう)した(ひと)(なか)三人(さんにん)だけが(たす)かった(こと)がありますが、(すべ)てキータラシビを(まつ)った船頭(ふながしら)子孫(しそん)だったそうです。
 琉球沖縄(りゅうきゅうおきなわ)海難(かいなん)()った(とき)には、「キーターラシビの(かみ)さま、どうぞお(まも)(くだ)さい。」と祈祷(きとう)すれば、(たす)かると(しん)じられてきたそうな。



 
※この話の参考とした話
奄美・鹿児島県大島郡与論町~「奄美民俗」3号


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●伝承地
奄美・鹿児島県大島郡与論町~与論の琴平神社の同じ境内の中に、ヤブニッケイの森がある。その中に二坪位の無名の小さな寺があるが、この寺の由来について書いてみます。いつの時代からの事か沖縄と与論の中間に夜になったらカガリビが毎晩ついていた。それはカガリビというより輝かしいものであったという。琉球王がこの毎晩ついている火を不思議がって、ある日船頭に命じてその探索をさせた。命じられた船頭は、その光を求めて船を進めた。そして、とうとうたどりついて火を灯してみたところ、白いシャリコウベが波にもてあそばれていた。それで船を引返し、王様にその結果を報告したところ、
 「ガイコツが浮くはずはない。もう一度引返して、そのガイコツを調べてこい。」と命ぜられた。それでやむなく又引返しそのシャリコウベを拾いあげたら、歯と歯の間に一枚の紙をくわえていた。その船頭は文盲であったのでそのまま持帰って王様にみせると、王様はその文を読んでその船頭にたずねた。
 「このシャリコウベは琉球の方が近かったか与論の方が近かったか」と。船頭は答えて
 「与論の方が近うございました。」王様は早速船頭に次の様に命じた。
 「このシャリコウベを持って与論の高い所で沖縄に近い所に祭れ。そしてその一切の祭事は自分でするように」と。その船頭は与論に来てそのシャリコウベを琴平の境内に祭った。この寺はそれ以後その船頭によって祭られる様になった。シャリコウベがくわえていた紙には「私はキーターラシビという者で海賊の首長であるが、このシャリコウベをみつけた人は一番近い島の高台に祭って下さい。そしたら子孫代々海難を免れるでしょう。」という様な内容が書かれてあった様です。今でもある人々は旅行する前にそこにお参りしている。又戦争中海難にあった人が三人共助かった。それが全部キータラシビを祭った船頭の子孫だったという。それで海難にあった時には「キーターラシビの神、お守り下さい。」と祈祷すれば助かると言われている。(「奄美民俗」3号)

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