無名寺 ~琉球沖縄の伝説
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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第180話。
無名寺
与論島の琴平神社の、同じ境内の中に、ヤブニッケイの森があります。その中に、二坪位の無名の小さな寺があります。この寺の由来についてのお話です。
むかし昔のこと、何時の時代からか、沖縄本島と与論島の中間辺りの海に、夜になると篝火が点る場所があり、実際にそれは篝火より光り輝いていたそうです。
琉球の王は、毎晩海に灯る火の話を不思議がって、ある日のこと、船頭に命じてその火を調べてくるよう、探索させました。それを命じられた船頭は、その光を求めて船を進め、遂に光り輝く場所に辿り着いてそれを見てみたところ、真っ白な髑髏が、波の間に間に浮かんでいたのでした。それを確認したで船頭は船を引き返し、王にその様子を詳しく報告しました。
すると王が言う事には、
「髑髏が浮く筈がない。もう一度行って、それをよく調べてきなさい。」と命じたのでした。
それでやむなく船頭は再び出掛け、今度は髑髏を拾い上げたところ、歯と歯の間に、一枚の字が書かれた紙を加えていました。しかしながら船頭は文盲だったため、そのまま持ち帰って王に渡したのでした。すると王は紙を読み、船頭に尋ねることには、
「この髑髏が浮いていた場所からは、琉球の方が近かったか。それとも与論の方が近かったか。」と。
すると船頭は、与論の方が近かったと答えました。すると王は、直ぐさま命じて言うことには、
「この髑髏を持って、与論島の高い所で、沖縄本島に最も近い所に、祀ってきなさい。それから、その一切の祭事は、自分一人でするように。」と。
そう命じられて、与論に着いた船頭は、髑髏を王の命令通りに一人で、琴平の境内に小さな寺をつくって、祀ったのでした。そしてこの寺は、それ以後、その船頭一族によって祀られる様になりました。
なお髑髏がくわえていた紙には、こう書いてありました。「私は、キーターラシビという者で、海賊の首長だった。我が髑髏を見付けた者は、最も近い島の高台に祀って欲しい。もしも我が願いを叶えてくれたならば、子々孫々、そして我が目の届く限り、海難を免れることであろう。」という様な内容が書かれてあったのでした。
それからというもの、人々は旅をする前に、そこにお参りするようになりました。又、海難事故に遭遇した人の中で三人だけが助かった事がありますが、全てキータラシビを祀った船頭の子孫だったそうです。
琉球沖縄で海難に遭った時には、「キーターラシビの神さま、どうぞお守り下さい。」と祈祷すれば、助かると信じられてきたそうな。
※この話の参考とした話
①奄美・鹿児島県大島郡与論町~「奄美民俗」3号
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●伝承地
①奄美・鹿児島県大島郡与論町~与論の琴平神社の同じ境内の中に、ヤブニッケイの森がある。その中に二坪位の無名の小さな寺があるが、この寺の由来について書いてみます。いつの時代からの事か沖縄と与論の中間に夜になったらカガリビが毎晩ついていた。それはカガリビというより輝かしいものであったという。琉球王がこの毎晩ついている火を不思議がって、ある日船頭に命じてその探索をさせた。命じられた船頭は、その光を求めて船を進めた。そして、とうとうたどりついて火を灯してみたところ、白いシャリコウベが波にもてあそばれていた。それで船を引返し、王様にその結果を報告したところ、
「ガイコツが浮くはずはない。もう一度引返して、そのガイコツを調べてこい。」と命ぜられた。それでやむなく又引返しそのシャリコウベを拾いあげたら、歯と歯の間に一枚の紙をくわえていた。その船頭は文盲であったのでそのまま持帰って王様にみせると、王様はその文を読んでその船頭にたずねた。
「このシャリコウベは琉球の方が近かったか与論の方が近かったか」と。船頭は答えて
「与論の方が近うございました。」王様は早速船頭に次の様に命じた。
「このシャリコウベを持って与論の高い所で沖縄に近い所に祭れ。そしてその一切の祭事は自分でするように」と。その船頭は与論に来てそのシャリコウベを琴平の境内に祭った。この寺はそれ以後その船頭によって祭られる様になった。シャリコウベがくわえていた紙には「私はキーターラシビという者で海賊の首長であるが、このシャリコウベをみつけた人は一番近い島の高台に祭って下さい。そしたら子孫代々海難を免れるでしょう。」という様な内容が書かれてあった様です。今でもある人々は旅行する前にそこにお参りしている。又戦争中海難にあった人が三人共助かった。それが全部キータラシビを祭った船頭の子孫だったという。それで海難にあった時には「キーターラシビの神、お守り下さい。」と祈祷すれば助かると言われている。(「奄美民俗」3号)
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