花熟みー田ー ~琉球沖縄の伝説

横浜のトシ

2011年08月08日 21:50


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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第176話。


花熟(はなう)みー(だー)



 むかし(むかし)のお(はなし)です。
 奄美(あまみ)喜界島(きかいじま)花良冶(けらじ)に、花熟(はなう)みー(だー)(はなし)があります。
 ある田圃(たんぼ)があり、その()()(ぬし)(おとこ)()()夕方(ゆうがた)()見廻(みまわ)って、(あぜ)()っていたところ、イサンニョウから()()いた()(たま)()んで()て、()(ちか)くの(もり)(なか)(はい)って()きました。そして()もなく(もり)(なか)から(はな)(ごえ)()こえました。
 「今晩(こんばん)(うみ)()かないか」と。
 するともう(ひと)つの(こえ)()こえました。
 「(わたし)()がとても(いた)むので()かれません。」と。
 これで(はなし)(ごえ)(とだ)えるや(いな)や、(もり)から(あらわ)れた(れい)()(たま)は、そのまま()(うみ)(ほう)()かって()んで()きました。(おとこ)(なん)とも不思議(ふしぎ)場面(ばめん)遭遇(そうぐう)し、それから(いえ)(かえ)りましたが、(はな)したところで(しん)じて(もら)えないだろうと(おも)って家族(かぞく)にも()げず、その(ばん)はいつものように(ねむ)りにつきました。
 翌日(よくじつ)になって、いつものように田圃(たんぼ)見廻(みまわ)った(あと)(つい)でに(れい)(もり)(なか)(はい)ってみて(こし)()かしました。というのも、そこには(ひと)(ほね)()した遺骸(いがい)蔓草(つるくさ)()かれて(よこ)たわっていたためです。しかもよく(かお)をよく()ると、()(なか)蔓草(つるくさ)()()ろしています。
 (おとこ)は、昨日(さくじつ)()いた会話(かいわ)(おも)()しので、もしかすると()(いた)むので(うみ)()かれないと()った(こえ)(ぬし)のものだった()がして、早速(さっそく)頭蓋骨(ずがいこつ)(まわ)りの蔓草(つるくさ)をすっかり()()って綺麗(きれい)にしてあげました。
 その(のち)田圃(たんぼ)()ると、時々(ときどき)(もり)(なか)から見えるよう、見えるよう」という(こえ)(きこ)えてきました。
 やがてその(とし)(あき)がやって()ました。見渡(みわた)(かぎ)り、一面(いちめん)田圃(たんぼ)黄金色(こがねいろ)一色(いっしょく)(みの)り、(いね)秋風(あきかぜ)(なび)季節(きせつ)です。例年(れいねん)のように、代官所(だいかんじょ)から、今年(ことし)年貢(ねんぐ)()める下調(したしら)べのための役人(やくにん)がやって()ました。(ほとん)どの田圃(たんぼ)()()れるまでに成長(せいちょう)している(なか)(おとこ)()(いね)だけは青々(あおあお)としたままです。役人(やくにん)調(しら)べた(うえ)で、この()からは収穫(しゅうかく)見込(みこ)みがなく、年貢(ねんぐ)(おさ)める(こと)不可能(ふかのう)であると判断(はんだん)されたのでした。
 その()(おとこ)畦道(あぜみち)から田圃(たんぼ)見下(みお)ろし、呆然(ぼうぜん)としながら()()くしていたそうです。
 すると(れい)(もり)(なか)から、
 「花熟(はなう)み、花熟(はなう)み。」と()(あや)しげな(こえ)()こえて()ました。
 (なん)(こと)だろうと(おも)いながらも、(おとこ)帰宅(きたく)してから田圃(たんぼ)をどうするか家族(かぞく)(はな)()いました。そして明日(あす)田圃(たんぼ)から青々(あおあお)とした(いね)()()って(うま)(えさ)にでもしようという(こと)になりました。
 翌日(よくじつ)は、家族総出(かぞくそうで)田圃(たんぼ)出掛(でか)けました。(あお)いままの(いね)を刈
()
()(はじ)めて(おも)みに(おどろ)きました。(あわ)てて(あお)稲穂(いなほ)(なか)()てみると、上出来(じょうでき)(いね)ではありませんか。家族(かぞく)(よろこ)(いさ)んで、(いね)(すべ)()()ったのでした。
 そして(かえ)ろうとすると、またもや(もり)(なか)から、「花熟(はなう)み、花熟(はなう)み。」という(こえ)()こえたのでした。
 (いえ)(かえ)ってから、より(くわ)しく(もみ)調(しら)べてみたところ、(いま)までにないほど立派(りっぱ)(こめ)(みの)っていた(うえ)に、年貢を納めなくてよいというのですから、どれほど家族(かぞく)者達(ものたち)(よろこ)んだかは、今更(いまさら)()うまでもありません。
 それ以来(いらい)家族(かぞく)()()花熟(はなう)みー(だー)()んで大切(たいせつ)にしたそうな。



 
※この話の参考とした話
奄美・鹿児島県大島郡喜界町花良治~『喜界島古今物語』


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●伝承地
奄美・鹿児島県大島郡喜界町花良治~花良治にハナウミーダーというのがある。河野の祖先が、ある夕方田圃を見廻って畔に立っていると、イサンニヨウから尾を引いた火玉が近くの森へ飛んで来た、と思うと、さっそく森の中から、次のような話声が聞えた。
 「今夜海へ行こう」
 「わたしは目が痛むので行けない」
 話声が絶えたと思ったら、例の火玉は又すぐ海へ飛んでいった。畔に立って、その会話をきいていた彼は、あやしく、且つ、驚いて帰ったが、家人にも告げず、何心なく寝につくことができた。翌日、また田圃を見廻って、ついでに、例の森の中に行ってみてびっくりした。そこには、人体の死骸が蔓草に巻かれて横たわっており、その目かどのところに、つる草の根がさしこんでいるではないか。
 「目が痛むので海へ行けない」という、昨日の怪しい声は、このことだったのか、と思い当り、頭蓋骨のまわりのつる草をすっかり刈り取って、きれいにさらえてやった。その後、時々、田圃に出ると森の中から、
 「目よう、目よう」という声が聞えてきた。その年の秋だった。一面に黄金色を帯びて秋風になびいている田袋を、代官所から上納米の下調べに役人がやって来た。驚いたことには、他の田はみんな調査をおえて刈り取れるようになったのに、河野の祖先の田だけが、まだ青々として鎌をいれることができない。役人も、これは収穫の見込みなし、とあきらめて引きあげた。その後、しばらくして、主がしょうぜんとして畔に立っていると、例の森の中から、
 「ハナウミ ハナウミ」という怪しげな声がきこえて来た。
 「変だなあ」と思いながら、帰宅して家族のものと話合って、明日は、あの田を、すっかり刈取ってしまおうということにきめた。翌日、家族打連れて出掛け、その、青ままの稲を、すっかり刈り取ってしまった。ところが、なんと驚いたことに、収穫の見込みないとあきらめていた稲穂が、すっかり上出来の重みではないか。
一同が刈り終って帰りかけようとすると、森の中から、またもや
「ハナウミハナウミ」という声がしてきた。うちへ帰って調製してみると例年より豊作の充実した籾だったので家人はほくほく顔。以来、此の田を「ハナウミーダー」と称して今日に至っているとのことである。(『喜界島古今物語』)

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