アーヤマト甕壼 ~琉球沖縄の伝説
琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話
全190話・完結! ~最終回~
みんなで楽しもう!
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第190話・最終回。
アーヤマト甕壼
沖永良部島の知名町瀬利覚の栗尾家に、内側も外側も同じ面をした立派な甕壼があり、それは家宝として、代々大切に受け継がれてきたそうです。そしてこの甕壼にまつわる物語もまた、一緒に伝わってきました。
むかし昔、瀬利覚の植田家の祖先に、アーヤマトという、それはそれは大変力が強い大男がいたそうです。
島の方言で、東を「あがり」、西を「い」、南を「ヘー」、北を「にし」と呼び、北を見張る、上城と下城と新城の三つの村を合わせた地域を島では西目と呼び、この西目にアーヤマトの恋人がいたため、毎晩通い続けていました。
或る夜の事です。大山の入口を通り掛かったところ、山の中に牛盗人らがいて、調度牛をつぶしている最中でした。木蔭からそれを見たアーヤマトでしたが、やがて大声で「なーいだれか」と叫びました。
盗人達は、突然の大声に腰を抜かすほど驚ろいたのは言うまでもありません。声の方を見てみると、大男のアーヤマトが大きな体を左右に揺さぶりながら、こちらに迫ってきます。泥棒達は慌てふためき、我先きにと逃げ出しました。するとアーヤマトはそれを止め、穏やかな言葉で言うことには、
「そんなに慌てて逃げなくてもよい。」と。
それから、散り散りの泥棒達を優しく手招きして呼び集めると、どんなに牛泥棒が善くない事かを懇々と言い聞かせ、二度としないと約束させると、許してあげたそうです。
その翌日の事です。この牛泥棒達が、肉を詰め込んだ甕壼一つを、アーヤマトの家まで運んで来て、自分達は改心したと告げたそうです。
それから後に、アーヤマトはその甕壼を、栗尾家に嫁いだ妹にあげたため、栗尾家では、祖先から代々伝わる、丸い帯と平たい帯のそれぞれ一本ずつと共に、甕壼もまた、代々大切に受け継がれてきたそうな。
※この話の参考とした話
①奄美・鹿児島県大島郡知名町瀬里覚~『ふるさと知名町』
Copyright (C) 横浜のtoshi All Rights Reserved.
●伝承地
①奄美・鹿児島県大島郡知名町瀬里覚~瀬利覚の栗尾家に、内側も外側も同じ面をした立派な甕壼(かめつぼ)があり、栗尾家では家宝として代々引継がれ、今だに保存されているが、その甕壼にまつわるこんな伝説があります。昔、瀬利覚のウイザト(植田家)の祖先にアーヤマトという、大変力の強い大男の士がいました。アーヤマトは西目に相愛の仲の恋人がいましたが、毎晩のように西目に通いつづけていました。或夜の事でした。大山の入口の東山崎を通りかかると、山の中で牛盗人たちが盗んだ牛をつぶして扱っていました。そのことを木蔭の合間から見たアーヤマトは、大声で、「ナーイダレカ」と呼びました。牛盗人たちは突然の大声にびっくりして顔を向けると、大男のアーヤマトが、ドシン、ドシンと大きな体をゆさぶりながら、此処へやってくるではありませんか。それを見るなり、あわてふためいて取るのも取りあえず我先にとひた走り逃げようとしました。アーヤマトは、今度はやさしい言葉で、
「逃げんでもよい、逃げんでもよい」といって、手まねきして呼び止めました。そして、懇々として言いきかせて許してやりました。ところが、その翌日この牛盗人たちが、肉を詰めこんだ甕壺一個をアーヤマトの宅まで運んできて差上げ、昨日のことを平謝りにあやまりました。アーヤマトはその肉の入った甕壺を自分の妹(栗尾家)の祖先にくれました。その甕壼が、今伝え残っている甕壺だそうです。栗尾家にはその外に祖先代々つたわる丸い帯と平たい帯が各々一本ずつ保存されています。専門家の鑑定を待っているとのことです。(『ふるさと知名町』)
関連記事