アーニマガヤ ~琉球沖縄の伝説

横浜のtoshi

2011年07月17日 20:20


みんなで楽しもう!
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第169話。


アーニマガヤ



 むかし(むかし)沖永良部島(おきのえらぶじま)に、イチという(おとこ)と、ナビグワという(おんな)の、それはそれは、とても(なか)がよい夫婦(ふうふ)がおりました。野良仕事(のらしごと)()(とき)もいつも一緒(いっしょ)で、二人(ふたり)(はな)(ばな)れでいる(こと)(けっ)してありませんでした。とても仲睦(なかむつ)まじい夫婦(ふうふ)だったので、人々(ひとびと)からは夫婦(ふうふ)(かがみ)とされ、また羨望(せんぼう)(まと)でした。(あい)()()ぎる男女(だんじょ)()どもは出来(でき)ないといわれたりもしますが、偶々(たまたま)(わか)二人(ふたり)には()ぐに()どもが出来(でき)ませんでした。
 ()()のこと、ナビグワは風邪(かぜ)(かか)りましたが、余病(よびょう)併発(へいはつ)して重体(じゅうたい)(おちい)りました。()うまでもなくイチは、それこそ必死(ひっし)看病(かんびょう)余念(よねん)なく、昼夜(ちゅうや)()わず、(あい)するナビグワの(そば)片時(かたとき)(はな)れませんでした。
 ナビグワが、イチに()かって()うことには、
 「今度(こんど)という今度(こんど)は、(わたくし)本当(ほんとう)(たす)かるのかしら。二人(ふたり)して、うんと(はたら)いて、(ひと)(うらや)家庭(かてい)(きづ)きたいと(おも)っていましたのに、こんな(こと)になってしまって、ごめんなさい。」と。
 「(なに)馬鹿(ばか)(こと)()うでない。(たす)からない(こと)などあるものか。お(まえ)には(わたし)がついている。どんな(こと)があっても(わたし)(ちから)(なお)してみせるから、弱音(よわね)など()いてはいけないよ。」と。
 イチはナビグワに、情愛(じょうあい)(ゆた)かな言葉(ことば)(やさ)しく()(つづ)けて(なぐさ)めるのでした。またイチは、(あさ)(ゆう)に、ナビグワの(やまい)(なお)るようにと(かみ)(いの)(つづ)けました。しかし(いの)りは(てん)(つう)じず、()()未明(みめい)、いつものようにナビグワはイチの()をしっかりと(にぎ)()めたまま、この()未練(みれん)(のこ)しながら(いき)()()りました。
 イチの(かな)しみようはこの(うえ)なく、()()(いた)ましいのは()うまでもありません。イチは(だま)ったままナビグワの遺骸(いがい)から(けっ)して(はな)れず、(よる)()()しました。翌日(よくじつ)(かん)()れる(さい)には、(はな)れないイチをみんなで(しず)めるのが大変(たいへん)でした。
 ナビグワが(ほうむ)られた場所(ばしょ)は、アーニマガヤという(ところ)のトールバカでした。
 イチはみんなと野辺(のべ)(おく)りを()ませてから、一旦(いったん)(いえ)(もど)りましたが、ナビグワのことが(わす)れられず、またナビグワが(ひと)りっきりでは可哀想(かわいそう)だと(おも)って、夕暮(ゆうぐ)れにまた一人(ひとり)でアーニマガヤに()きました。
 そして()()けるのも(わす)れて()いていると、何処(どこ)からともなくナビグワが(あら)われました。二人(ふたり)()()って(よろこ)び、(うれ)(なみだ)(なが)しながら、(たの)しかった日々(ひび)(かた)()かし、またどんなに(たが)いを(あい)しているかを確認(かくにん)()ったのでした。やがてイチは安心(あんしん)したのと、(いま)までの(つか)れもあってか、寝入(ねい)ってしまいました。翌朝(よくあさ)目覚(めざ)めた(とき)に、イチは墓石(はかいし)()いていたそうです。
 その()、イチはトールバカに(かよ)(つづ)けたそうです。
 その一方(いっぽう)人々(ひとびと)は、トールバカには(ちか)づかなくなったそうな。

 
※この話の参考とした話
奄美・鹿児島県大島郡知名町~『ふるさと知名町』


Copyright (C) 横浜のtoshi All Rights Reserved.
●伝承地
奄美・鹿児島県大島郡知名町~昔、イチ(男)、ナビグワ(女)という大変仲のよい夫婦がありました。野良に仕事に行くときも、いつも一緒で決して二人が離れ離れに歩くことはありませんでした。余り仲のよい夫婦でしたので他の人の羨望のまとでありました。或日ふとしたことから、ナビグワは風邪にかかり、余病まで併発して大病患者になり、重体が続きました。イチはそれこそ必死になって看病に余念がなく、昼夜ナビグワの側を離れたことはありませんでした。ナビグワは、イチに向って、
 「今度という今度は、私ほんとに助かるでしょうか、今から二人してうんと働いて、人の羨む家庭を築きたいと思っていましたのに、申訳ありません」
 「馬鹿をいうな、助からぬことがあるものか、どんなことがあっても、自分の力でなおしてみせる。弱音をはくな」と自信と情愛豊かな言葉をかけて慰めるのでした。或日の未明、ナビグワは夫のイチに、手をしかと握り締めながら、限りないイチの哀願も天に通ぜず、とうとうこの世に未練を残しながら、息を引取ってしまいました。イチの悲歎この上なく失心そのもので、外の見る目も痛ましく、ナビグワの遺骸に抱きついて離れませんでした。入棺するときも駄々をこね、回りの人々もイチを取り鎮めるのに大変なことでした。ナビグワが葬られたところは、アーニマガヤのトールバカでありました。一旦家に返りましたものの、イチはナビグワのことが忘れられず、夕暮になって、また独りでアーニマガヤに行くのでした。そして夜の更るのも忘れて泣き歎いていると。何処からとなく、ナビグワが現われ、ほんとだろうかと二人はよろこびあい、その夜は語り明かし、イチは安心し切ったのか、今までの疲れもあって、寝入ってしまいました。翌朝イチが目覚めたときは、イチは墓石を抱いていたということです。その後もイチはトールバカに通うて何回となく亡霊と話し続けるのでありました。こんな話が絶えてからも、終戦前まではよく道を迷わされる人がいたりしてこわがられていました。(『ふるさと知名町』)

関連記事