ピンギヤマ ~琉球沖縄の伝説

横浜のトシ

2011年07月31日 20:20


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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第171話。


ピンギヤマ



 (ふる)琉球(りゅうきゅう)では、()まった洞窟(どうくつ)山林(さんりん)後生(グソー/グショウ)()ばれる聖域(せいいき)遺体(いたい)安置(あんち)し、そこを共同(きょうどう)墓所(ぼしょ)にする風葬(ふうそう)(ひろ)まっていきました。そしてやがて、亀甲墓(かめこうばか/きっこうばか/かみぬくーばか)破風墓(はふうばか)遺体(いたい)安置(あんち)し、風化(ふうか)した(ほね)(のち)親族(しんぞく)洗骨(せんこつ)して骨壺(こつつぼ)(おさ)める風葬(ふうそう)()まれ、(さら)地域(ちいき)によって独特(どくとく)風習(ふうしゅう)変化(へんか)()げていきました。
 風葬(ふうそう)時代(じだい)(つく)られた(はか)与論島(よろんじま)のスーマ納骨洞(ジシ)は、()(にわ)という()風葬墓(ふうそうばか)です。この(はか)(うえ)は、()()った断崖絶壁(だんがいぜっぺき)で、その中腹(ちゅうふく)洞穴(どうけつ)があり、そこへの(のぼ)()りは大変(たいへん)困難(こんなん)(きわ)めます。むかし(むかし)のこと、この(あな)を、ピンギヤマが()()としていたという(はなし)が、(いま)(つた)わっています。何故(なぜ)そこにピンギヤマが(ひと)()みついたのかは、(いま)となっては()るよしもありません。
 ピンギヤマは、()()れて(よる)になると、(ちか)くの集落(しゅうらく)(ぬす)みを(はた)らいていました。そのため(しま)人々(ひとびと)は、とても(こま)っていたそうです。しかしながら、ピンギヤマが()場所(ばしょ)(だれ)ひとり()らなかったので、どうする(こと)出来(でき)ずにいました。
 ()()のこと、ある漁夫(ぎょふ)が、ハミゴーの(きし)(ちか)くを(ふね)航行(こうこう)していた(とき)断崖(だんがい)中腹(ちゅうふく)にある洞穴(ほらあな)と、そこから(つな)()()がっているのを見付(みつ)けました。洞穴(どうけつ)には、きっとピンギヤマが()んでいるに(ちが)いないと(おも)い、漁師(りょうし)(ふね)から()りて上陸(じょうりく)し、(なん)とかその(つな)()()(こと)成功(せいこう)したのでした。ピンギヤマは、()(すべ)もなく、()()である洞穴(どうけつ)(はか)になって、そこで最期(さいご)()げたのでした。それは風葬(ふうそう)時代(じだい)以前(いぜん)(こと)のようです。
 (のち)に、(しま)()(もの)洞穴(どうけつ)(はい)ってみると、()(つた)(とお)(あな)(なか)には、ピンギヤマのものらしき(ほね)残骸(ざんがい)がありました。そしてその(とき)にこの洞穴(ほらあな)が、風葬(ふうそう)には最適(さいてき)である(こと)気付(きづ)いたのでした。
 こうして、ピンギヤマが()たこの洞穴(どうけつ)は、人々(ひとびと)共同墓(きょうどうばか)として使(つか)われるようになったものの、断崖(だんがい)依然(いぜん)として(けわ)しく、また洞穴(ほらあな)(なか)通路(つうろ)(せま)く、遺骸(いがい)(はこ)ぶには(つね)危険(きけん)(ともな)いました。そのため、(あやま)って(した)にあったシミー(ばか)に、(かん)もろとも(ひと)()ちる(こと)度々(たびたび)でした。そのためいつしか千人(せんにん)洞穴(イヨー)()ばれるようになったそうな。

 
※この話の参考とした話
奄美・鹿児島県大島郡与論町~『与論島民話集』


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●伝承地
奄美・鹿児島県大島郡与論町~昔、風葬時代造られた墓、スーマ納骨洞(ジシ)が死庭と言う風葬墓である。墓の上は断崖絶壁で、其の中腹に洞穴があり、乗降難なところで、昔、ピンギヤマが住居としたと伝わっている。ピンギヤマは、その洞穴を根拠として夜になると、集落に窃盗(ヌスミ)を働らき島民は至極悩まされていました。けれど、誰独りとして、ピンギヤマの住居を知る者はいなかったので、どうする事も出来なく集落民は苦しんでいました。或日、漁夫がハミゴーの岸近くを航行中断崖につり下っている、ロープを見て泥棒のピンギヤマの住居に間違いないと、舟から降りてその命綱を断ち切りました。泥棒のピンギヤマは、どうすることもでぎなく、自分の住居である洞穴を後生(グショウ)の墓として人生の最期を遂げたと伝わっている。風葬時代のことで、或人が洞穴を発見して、洞穴にある人骨は、伝説にある如くピンギヤマの残骸であるとみなされ、この洞穴は、風葬墓として最適であるとして初められたという。ピンギヤマの居た洞穴の墓は、死体の棺を運ぶ時通路が狭い上、危険も甚だしいため間違って下のシミー墓に、棺と共に人が落ちる事が度々あった事から、千人洞穴(イヨー)と呼ばれている。(『与論島民話集』)

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