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~琉球沖縄に伝わる民話~
新訳『球陽外卷・遺老說傳』第32話
牡馬の祟り
遠い古の昔、具志川郡宇竪村に、多真利という者がいました。
一頭の雄の馬を飼い、気を配って肥え太らせ、正月の肴にするために準備しようとしました。
十二月二十八日になると、多真利は、手に斧を携え、その雄の馬を連れ出し、広々とした野原に向かおうとしました。
雄の馬は、一本道の道すがら何度も何度もいななき、その声の調子はとてももの哀しいものでした。
そして現に目的の野原に到着した時のことです。
多真利は斧を手に取って近づき、今にも殺そうとしました。
即座にその馬は、四方に向かって高らかにいななき、それから前の両脚を曲げると、恰も人がするように跪いて命乞いするのでした。
また叶わぬと知ると東の方に向かって、高らかに三度いななくなり、深く頭を垂れるとそれぞれの前脚で、自分の両目を覆い隠したのでした。
遂に馬は斧を受けて自分の非運を甘じて受へ入れたのでした。
その後、多真利の妻や子が、急に重い病に罹って、悉くみな亡くなってしまいました。
そして今のこの世になって、多真利本人以外の子孫はすでに死に絶えて、もはや生きている親族がいるのかいないのか分わからないほどだそうです。
この事があってから後、宇竪村の人が、雄の馬を飼うと、即座に馬は死んでしまいます。
こういう理由でこの村の人は、いまだに敢えて雄の馬を飼ってまで養わないのだとそう伝わっています。
※注や解説
【往古】~古くは「おうご」とも。往昔。往昔過ぎ去った昔。大昔。遙か昔。昔々。古。
【具志川郡宇竪村】~具志川間切宇竪村。「邑」は「村」に同じ。
【多真利】~人の名。
【牡馬/雄馬】~雄の馬。おすうま。雌の馬は牝馬。
【養う】~食物を与えて飼う。
【留心】~心を留めること。よく気をつけること。注意を払う。留意。
【肥満】~体が普通以上に肥え太ること。
【正月】~旧暦の正月。古く、旧暦の睦月/一月を、「しゃうぐゎつ/しゃうぐゎち」と発音し、そのまま琉球にも伝わって残ったと考えられる。近年は「正」の発音を「しょう/しょー/そう/そー」などと表記するが、琉球では「しゃうぐゎち」「しゃーぐゎち」と言ってきたのではないだろうかと考えられる。
【餚】~「餚」=「肴」。飯や酒に添える副食物の総称。おかず。鳥獣の肉、魚介、野菜など。
【臘月】~ 陰暦十二月の異称
【斧刃】~小型の手斧に対して大型の斧。
【牽】~「引く/曳く/牽く」。(引き綱をとって)連れ出す。
【曠野/広野/昿野】~広々とした野原。
【一路】~一筋に続く道。
【屡々/屡ゝ/屢々/屢ゝ】~何度も何度も。度々。しょっちゅう。しきりに。
【嘶く】~馬が声高く鳴く。いななく。
【声音】~ 「声音」が、声の意なのに対して、「声音」は、声の調子、こわいろの意。
【既/已に】~以前に。前に。もはや。とっくに。どう見ても。現に。すっかり。まったく。もう少しで。今にも。「既/已に」の場合は、もう少しで、ある好ましくない事態になりそうなさま。すんでのこと。すんでのところ。
【将に・・・・・・せんとす】~今にも・・・・・・しようとする、なろうとする。
【傷ふ】~甚振るの意か。
【即/則/乃/便/就ち(すなわち)】~現代仮名遣いでは「すなわち」。言いかえれば。つまり。とりもなおさず。まさしく。その時は。そうすれば。その時。昔。あの頃。当時。即座に。直ぐに。たちまち。もう。既に。
【四方】~ 東西南北、または、前後左右の四つの方向。
【而して】~「而して」「而して」から転じたもの。漢文訓読に用いられた語。そうして、それに加えて、の意。
【双足】~両脚。
【恰も】~まるで。
【跪座】~跪くこと。
【揜う】~「覆う」に同じ。
【蔵す】~中に含むように覆う。
【遂に】~「竟に」「終に」とも。ついに。とうとう。しまいに。結局。最後に。終わりに。また(「終ぞ」に同じで)、今までに一度も。未だ嘗て。
【死地に赴く】~この場合は死や非運などを甘受するの意。
【厥の】~「厥」は「其」に同じ。
【倏然】~急であるさま。俄な様子、さま。
【悉く】~残らず。すべて。みな。
【棄つ】~捨てる。
【今世】~今の時代。今のこの世。この世。現世。現代。あくまでこの文が書かれた琉球時代における「今世」。
【他】~自分以外。
【斃る】~死ぬ。
【是れに由りて】~「此れに由りて」とも。(漢文訓読語で接続詞的に用いる。)このことによって。こういう訳わけだから。こういう理由で。
【肯て】~「敢えて」に同じ。
【しか云う】~文末に置いて、上述通りという意を表す。
【原文】往古之時具志川郡宇堅邑有多眞利者養一牡馬留心肥滿要備正月之餚臘月二十八日多眞利手携斧刀牽其牡馬要至曠野牡馬一路屡嘶聲音甚哀已至其野多眞利執斧近來將傷牡馬即其馬轉向四方而高嘶而曲前雙足恰如跪坐亦向東方高嘶三聲深垂頭腦以其兩足揜藏其兩眼遂受斧斤而就死地焉厥後多眞利妻子倏忽深病悉皆棄世至于今世他子孫已絶已無有世在矣自此之後宇堅邑人收養牡馬即刻馬斃由是其邑之人未肯養牡馬云爾
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