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~琉球沖縄に伝わる民話~
新訳『球陽外卷・遺老說傳』第47話
伊敷索嶽の由来
遠い昔の時代、伊敷索按司という名の者がおりました。
どういった人の子孫であるかは、よくわかっておりません。
以前は、久米島の長でした。
そして按司には、四人の子が生まれ育ったと言われております。
長男は、名を兼城大屋子と言い、以前から地を兼城村に占い定めて住んでいました。今の久米島御蔵の地です。
次男は、名を仲城按司と言い、以前から仲里城を住居としていました。
三男は、名を具志川按司と言い、具志川城主でした。
四男は、名を笠末若茶良と言い、そして登武那覇の地に住んでいました。
その子ども達の父、伊敷索按司は、中山國が久米島を征伐した時、結局官軍によって滅されてしまいました。そして按司は、伊敷索山に葬られました。
後世の人は、この山を尊んで信仰し、神嶽としました。
なお、この御嶽には、三柱の神がおいでになります。
一柱は、久米島世主伊部と、一柱は、阿武来指笠伊部と、一柱は、豊添之君伊部と申します。
※注や解説
【往昔】~過ぎ去った昔。大昔。往古。昔々。遙か昔。古。
【伊敷索按司】~伝承では、英祖王統四代目の玉城按司の妾の子とされ、久米島の地を与えられてこのグスクを築いたとされる。仲城按司が長男と伝わるがここでは第二子とあり、明国に留学した兼城大屋子が第一子か。なお、子に関しては資料により大きく二つに分かれ不明な点が多い。『具志川間切旧記』(一七〇三年)によると、長男は仲城(仲里城)按司、次男は具志川按司、長女は兼城大屋子の妻、次女は照真の妻、腹違いの三男は笠末若茶良で、母は粟国島出身とある。また『琉球国由来記』(一七一三年)では、伊敷索按司には四子があり、それぞれが兼城村の屋敷、宇江城、具志川城・登武那覇城を拠点として各地を統治していたが、尚眞王による久米島征伐で滅ぼされたとある。
【伊敷索】~「イシキナヮ」。いちちなは、いしちなは、等とも。
【按司】~琉球國における称号や位階の一つ。王族にあっては、第二尚氏の時代には、王族のうち、王子の次の位となり、実際のところ、王子や、按司の家を継ぐ長男(嗣子)がなり、従って按司家は国王家の分家に相当した。その他に「按司」は、王妃、未婚の王女、王子妃などに「加那志」という敬称も一緒について「按司加那志」等とも呼ばれた。またそれ以前の時代は、王の称号として用いられたり、また古くからの王家の重臣にも按司がよく用いられた。琉球國が成立するより前では、地方を治める王や、その王族の男子、また重臣の称号として按司が用いられ、また王に対する諸侯の意としても用いられた。「按司」は、「アジ、アンジ、アズ」等と発音され、琉球諸島の各地の方言に従って変化した。例えば、沖縄本島の南部の発音は「アジ」で、先島地方では「アズ」。なお、「アジ」は「主」からの転訛であるとされ(伊波普猷説)、よって漢字「按司」は当て字とされる。
【何人】~「なにびと」が音変化したもの。いかなる人、どういう人、何者、の意。
【後裔】~子孫。後胤。
【嘗て】~昔。以前。前に。
【長】~多くの人の上に立って統率する人。頭。
【而して】~「而して」「而して」から転じたもの。漢文訓読に用いられた語。そうして、それに加えて、の意。
【兼城】~人名。
【大屋子】~「第42話」の注を参照。
【兼城村】~久米島、具志川間切、兼城村。「兼城」の以前の発音は、「かにぐすぃく」「かにぐすく」など。
【卜して】~占って、占って定めて、判断して定めて、の意。
【栖居】~住む。「栖」も「居」も、住む、の意。
【即ち】~「則ち」、「乃ち」とも。現代仮名遣いでは「すなわち」。言いかえれば。つまり。とりもなおさず。まさしく。その時は。そうすれば。その時。昔。あの頃。当時。直ぐに。たちまち。もう。既に。
【久米島御蔵】~久米島の蔵元のこと。蔵元とは、沖縄本島の番所にあたるもので、地方行政を司る役所。
【仲城按司】~人名。久米仲城按司とも。伊敷索按司の長男で、琉球で最も高い場所に宇江城を築いたが、尚眞王に滅ぼされた。
【仲里城】~十五から十七世紀の中頃までは「久米の中城」と呼ばれ、『由来記』には、康煕六年(一六六七)に、中城城を仲里城(宇江城城)に改称したとあり、また間切名も同時に改称したとある。
【具志川按司】~人名。
【笠末若茶良】~「ガサスワカチャラ」人名。
【登武那覇】~地名。
【中山】~三山時代の国の一つ。
【竟に】~「遂に」「終に」とも。とうとう。しまいに。結局。また(「終ぞ」に同じ)、今まで一度も。未だ嘗て。未までに一度も。
【官軍】~君主に属する正規の軍のこと。大和においては天皇・朝廷・政府側の軍隊を指す。
【伊敷索山】~山の名。
【後人】~後の人。後世の人。
【尊信】~尊んで信頼すること。また、尊んで信仰すること。
【神嶽】~「第20話」の注を参照。
【嶽】~「御嶽」、「神嶽」に同じ。
【神】~神。なお神の数え方は「柱」。
【久米島世主伊部】~「クメノヨノヌシイベ」。神名。
【阿武来指笠伊部】~「アフライサスカサイベ」。神名。
【豊添之君伊部】~「トヨムスノキミイベ」。神名。
【原文】~往昔之世有伊敷索按司者不知何人後裔也嘗爲久米島長而生育四子長名曰兼城大屋子嘗卜地兼城村而栖居焉即今久米島御藏之地也次名曰仲城按司嘗築仲里城而住居焉三名曰具志川按司嘗爲具志川城主也四名曰笠未若茶良嘗住居于登武那覇地其父伊敷索按司者中山征伐久米島時竟爲官軍所滅而葬之于伊敷索山後人尊信之爲神嶽嶽有三神一曰久米世主伊部一曰阿武來指笠伊部一曰豐添之君伊部
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