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~琉球沖縄に伝わる民話~
新訳『球陽外卷・遺老說傳』第49話
登武那覇嶽の由来
昔、久米島の登武那覇の地に、笠末若茶良という人がおりました。
この人は伊敷索按司の第四子でありました。
その生来の人格というと、人徳が広く、また、深くて、普段の立ち振る舞いが普通とは異なり、それに加えて、彼を知る者はみな仁義に厚い人だと賞賛し、全く乱暴な行いがない人物でした。
したがって、君真物の神が、時に出現することがあった時に、深くその行いを善しとして褒め称えました。
ところがその父はこの様子を見て面白くなく、心に嫉妬を抱いて、人知れず悪いはかりごとを企てて、彼を咎めて殺そうとしたのでした。
するとその妻がこれを諫めて言うことには、
「子どもには少しも罪がないというのに、どうしてこれを殺そうとするのですか。」と。
そう言って、たびたびきつく諫めたのでした。
すると伊敷索按司は大いに怒り、即座に妻を故郷の粟国島に追い返してしまったのでした。そしてすぐに、伊敷索は自分自ら大軍を率いて、梶山門に攻め込みました。
若茶良は、その予期せぬ事態に外に出てみたところ、全く逃げ出すにはもはや不可能な状況であり、刀を持ち出して敵をふせいで戦い、そして敵の陣営で敵兵を殺しながら向かってくる者を退けながら外に出て逃げ出そうとしました。
若茶良の父は、自分の軍勢が大敗するのを見てとると、馬に飛び乗って逃げ出し、もう少しで平良原を過ぎるという場所で、突然、水かさが増した水田の中に落ちてしまうと、あわてて楯で顔を覆って隠れたのでした。
すると追ってきた若茶良は馬から降り、父の元に急いで駆け寄ると、自分の方から父の手を取って泥の中から助け出し、直ぐに水を汲んだおけを肩に担いで来ると、自分の父の体を洗ったのでした。
その時父に向かって言うことには、
「父は、子を殺したいと思ったとしても、子は、いうまでもなく父を殺す考えはありません。
今回私が、多く兵を殺すことになったのは、ただただ刀を防ぐためであります。」と。
そう言ってから伊敷索の家に送り届けました。
それから一日経つと若茶良は母親のご機嫌伺いをしたいと希望し、直ぐに小舟に乗って粟国島に向かいました。
海路の中ほどまで行き着いた時、急に逆風に遭って拝崎に漂着し、船は難破してしまいました。
それから低い土地に移動すると暫くそこで生き長らえていました。
すると宮平の村民が、これを見てお粥を運んで命を救ったのでした。
この時に、平度比屋という者がおりました。
この人物は性格が生まれつき悪くひねくれ、悪事をやめる事など考えたことがない人でした。
若茶良が座礁して舟が転覆し、暫く低い土地に住んでいると聞くと、直ぐに自分の父に告げて言うことには、
「今、若茶良には、まさに死期が迫っている。
どうしてこの絶好の機会に乗じて若茶良を殺してしまわないないのか。(いや、殺すべきだ。)」と。
それを聞くと父である按司は大いに喜び、急いで精鋭の兵士を出発させて、若茶良を捕らえようとしました。
若茶良は、再び敵と相まみえ、兵士を殺し尽くすこと、その数に際限がありませんでした。
若茶良は、結果的には戦いには勝ったものの、体には少なからず刀傷を負ってしまい、まったく思い通りにゆかないことが心残りでなりませんでした。
そして天を仰いで大きく嘆きながら叫ぶことには、
「我が命を救った者は宮平村の人である。
そして私を殺そうとした者は平度比屋である。
どうか天地を治める神々よ、この二人の心を照らし合わせて、善悪の報いを下して頂けるなら、たとえ我が身が果てようとも、もはや悔いはございません。」と。
そう願うと自分自ら首を刎ねて死んでしまったのでした。
その後、悪い心の二人の子孫には、案の定、明確な罰が神から下されたのでした。
その一方で宮平村の人は子孫繁栄し、逆に平度比屋の一族や子孫は中から時に疫痢などの病気に罹ったり、毒蛇に噛まれたりして命を落とす人がたくさん出ました。
そのために村人は、若茶良の不思議な力をもつ骨を、登武那覇の地に葬り、大切に拝んだのでした。すると後世になるとこの場所は、霊験がますます灼かになりました。
そしてそこは遂に登武那覇御嶽となって、人々はみな尊び信じるようになったのでした。
※注や解説
【登武那覇】~地名。
【笠末若茶良】~人名。
【伊敷索按司】~伝承では、英祖王統四代目の玉城按司の妾の子とされ、久米島の地を与えられてこのグスクを築いたとされる。仲城按司が長男と伝わるがここでは第二子とあり、明国に留学した兼城大屋子が第一子か。なお、子に関しては資料により大きく二つに分かれ不明な点が多い。『具志川間切旧記』(一七〇三年)によると、長男は仲城(仲里城)按司、次男は具志川按司、長女は兼城大屋子の妻、次女は照真の妻、腹違いの三男は笠末若茶良で、母は粟国島出身とある。また『琉球国由来記』(1713年)では、伊敷索按司には四子があり、それぞれが兼城村の屋敷、宇江城、具志川城・登武那覇城を拠点として各地を統治していたが、尚真王による久米島征伐で滅ぼされたとある。
【其の人と為りや】~主に、その生来の人格や性質は体つき。
【器量】~ある事をするのに相応しい能力。その人の才徳に対して世間が与える評価。人徳や人望。面目。顔立ち。容貌。名人。
【宏深】~宏=広、意は、規模や度量が大きい。広い。広げる。
【居動】~普段の立ち振る舞い。
【而して】~「而して」「而して」から転じたもの。漢文訓読に用いられた語。そうして、それに加えて、の意。
【循ひ】~決まりに従う。よる。あちこちとめぐる。
【敢て】~後に打消の語を伴って、必ずしも、の意や、打消を強めて、少しも、全く、の意。
【乱行】~乱暴な行い。また、ふしだらな振る舞い。
【故に】~よって。したがって。
【君真物】~諸神が女人にことよせて託宣、託遊することを君真物の出現という。君手摺り、天帝とも。
【嘉す】~よしとして褒め称える。
【嫌嫉】~「嫌」は、いやがる。きらう。疑う。「嫉」は、ねたむ。そねむ。
【懐き】~いだく。
【暗かに】~暗い。闇。黒っぽい。道理がわからない。人知れず。
【奸計】~姦計とも。悪いはかりごと。悪巧み。
【誅殺】~罪を咎めて殺すこと。
【児子】~子供。
【既に】~「已に」に同じ。以前に。前に。もはや。とっくに。どう見ても。現に。すっかり。まったく。もう少しで。今にも。「已に/既に」の場合は、もう少しで、ある好ましくない事態になりそうなさま。すんでのこと。すんでのところ。
【害す】~傷つける。損なう。妨げる。殺害する。殺す。
【屢次】~たび重なること。たびたび。しばしば。
【粟国島に逐ふ】~『由来記』に「古郷粟国島へ被追放」とある。「逐」は、後を追う。追い払う。順を追って進む。
【親ら】~自ら。
【衆軍】~大軍。「衆」は多いの意。
【梶山門】~地名か。「山門」には大本山の意がある。
【誠に】~まちがいなくある事態であるさま。実に。本当に。
【以て】~(漢文における「以」や「式」の訓読から生じた語)。そして。(それ)によって。(それ)について。(それ)をもちいて。(多く「・をもって」の形で格助詞のように使用して)・・・・・・て。・・・・・・で。・・・・・・でもって。・・・・・・によって。・・・・・・の理由で。・・・・・・により。・・・・・・に。・・・・・・の上に。・・・・・・に加えて。・・・・・・の上に。・・・・・・かつ。・・・・・・しながら。
【提げて】~手にさげて持つ。差し出す。持ち出す。先に立って引き連れる。
【拒戦】~距戦とも。ふせぎ戦う。
【一陣】~「陣」は、軍隊を配置して備えること。陣立て。軍隊の集結している所。兵営。陣地。陣営。集団。いくさ。たたかい。合戦。
【殺退し】~「退」は、後ろに下がる。しりぞく。しりぞける。身を置いていた場所や地位から去る。勢いが弱まり衰える。
【兵勢】~軍隊の威勢。軍勢。
【敗績】~大敗。大敗して今までの功績を失うこと。
【跑走】~走る。逃げる。逃走する。
【已に】~以前に。前に。もはや。とっくに。どう見ても。現に。すっかり。まったく。もう少しで。今にも。「已に/既に」の場合は、もう少しで、ある好ましくない事態になりそうなさま。すんでのこと。すんでのところ。
【平良原】~地名。
【忽ち】~直ぐ。即刻。瞬く間。俄に。急に。(多くが「たちまちに」の形で)、現に。確かに。まさに。ただ今。「立ち待ち」の意から派生した語。
【立増】~水かさが増したの意か。
【陥る】~落ち入る、とも。落ちて中に入る。はまる。望ましくない状態になる。計略にかかる。攻め落とされる。陥落する。死ぬ。息を引き取る。深くくぼむ。へこむ。
【隠居す】~静かに暮らすこと。俗世を離れて、山野に隠れ住むこと。また、その人。
【担ひ】~肩に担ぐ。責任などを引き受ける
【沐浴】~髪や体を洗うこと。また、清めること。恩恵などを受けること。
【乃ち】~「即ち、則ち」とも。現代仮名遣いでは「すなわち」。言いかえれば。つまり。とりもなおさず。まさしく。その時は。そうすれば。その時。昔。あの頃。当時。直ぐに。たちまち。もう。既に。
【雖も】~とはいうものの。といっても。
【素より】~もとから。昔から。初めから。以前から。いうまでもなく。もともと。元来。
【害す】~傷つける。損なう。妨げる。殺害する。殺す。
【衆卒】~「衆」は多くの意。「卒」は兵士の意。
【只只】~「ただ」を強めていう語。ひたすら。専ら。
【鋒】~刃物の先端。矛先。軍隊の先陣。物事の鋭い勢い。刀。剣。
【起居を問候】~ご機嫌伺いをする。
【駕し】~「駕す」は、車や馬などに乗る。他を凌ぐ。他より優位に立つ。
【赴く】~趣く、とも。ある場所や方角に向かって行く。物事がある方向や状態に向かう。従う。同意する。
【中洋】~「洋」は海。
【抵る】~あたる。到る。
【陡かに】~俄かに、とも。急に。
【拝崎】~地名。
【漂至】~漂着する。
【船隻】~船舶。
【擱破】~「擱」の意は、乗り上げる。下に置いてとどめる。置く。
【降口】~階段や山道などの下りようとするとっつきの所。乗り物の出口。駅などでそこを通って外へ出る所。
【栖る】~住む。生活する。
【平度比屋】~人名。
【賦性】~天賦の性質。生まれつき。天性。
【奸険】~心が悪くひねくれている。
【忌む無し】~悪事をなんとも思わない。
【爰に】~此処に、是に、茲に、とも。副詞の場合は主に、この時。この場所で、の意。接続詞の場合は主に、それで。このように。さて。ところで、の意。
【衝礁】~暗礁に衝突。座礁。
【覆舟】~舟が転覆する。
【精兵】~選りすぐった強い兵士。弓を引く力の強いことやその者。
【擒擄】~「擒」は、捕らえる。生け捕りにする、の意。「擄」は、無理やり連れ去る、さらう、拉致する。
【捷勝を獲る】~戦いに勝つ。戦さで勝利をえる。
【小しく】~少し。少しばかり。いささか。わずかに。
【刀傷】~刀で切られた傷。また、その傷痕。
【愧慚】~慚愧、慙愧。自分の見苦しさや過ちを反省して、心に深く恥じること。思い通りにゆかず心残りで残念である。
【歎】~嘆く。ため息をつく。感心して褒める。
【性命】~生まれながら天から授かった性質と運命。命。生命。
【愿はくは】~愿=願。願うところは。望むことは。どうか。
【皇天后土】~天を治める神と、地を支配する神。天神地祇。
【鑑み】~先例や規範に照らし合わせる。他を参考にして考える。
【善悪の報】~善悪の報い。
【九泉の下】~草葉の陰。あの世。死後の世界。
【遺恨】~忘れがたい深い恨み。宿怨。残念に思うこと。
【有ること無し】~無い。
【遂に】~「竟に」「終に」とも。ついに。とうとう。しまいに。結局。最後に。終わりに。また(「終ぞ」に同じで)、今までに一度も。未だ嘗て。
【自刎】~自分自ら首を刎ねて死ぬこと。自剄
【亡ぶ】~ 存在していたものがなくなる。死ぬ。その場から逃げて姿を隠す。
【果たして】~予想していた通りであるさま。思った通り。案の定。やはり。
【明験】~「明」の意は、明らかな。「験」の意は、証拠によって確かめる。試す。ある事を行ったことによる効き目や効果。仏道修行を積んだしるし。特に修験者の行う加持祈祷の効き目。縁起。前兆。
【繁衍】~蕃衍とも。繁り蔓延ること。増え広がること。
【或は】~副詞の場合は、もしかすると、ひょっとしたら、一方では、場合により、の意。接続詞の場合は、または、もしくは、でなければ、または、もしくは、の意。
【痢症】~疫痢などの病気。
【染み】~色を染み込ませる。染める。色がつく。染み込む。影響を受ける。感染する。
【遭ふ】~思いがけず出会う。巡り会う。遭遇。
【霊骨】~不思議な力や働きをもつ骨。
【霊験】~人の祈請に応じて神仏などが示す霊妙の不可思議な力の現れ。利益。霊験灼か(「灼か」=著しいこと)。キリスト教でいうところの奇跡を日本では古くから霊験と使ってきた。
【神嶽】~ここでは「トンナハ御嶽」。琉球信仰における聖域。琉球國、第二尚氏王統が制定した、琉球の信仰における聖域の総称。制定以前は、色々な呼び名が各地方にあった。「御嶽」という表記の読みは、「おたけ」以外に、主に沖縄本島とその周辺の島々では「うたき」、宮古地方では「すく」、八重山地方では「おん」等。近年は「御嶽」という発音への傾倒がみられる。「御嶽」という表記以外、かつては「腰当森」、「拝み山」等といった様々な言葉があった。御嶽は、琉球の神が存在する、あるいは来訪する場所という意味と、祖先神を祀る場所という意味の、二つの意味がある。御嶽は地域の祭祀の中心施設として大変に重要で、今もなお、地域を守護する聖域として信仰を集め、大切にされている場所が多い。なお、琉球の信仰においては主に神に仕えるのは女性のため、琉球國の時代、御嶽の内部は男子禁制だった。現在でもその多くが、一定区域までしか男性は入ってはいけない場合が少なくない。
【崇信】~尊び信じること。
【原文】~昔久米島登武那覇地有笠末若茶良者此乃伊敷索按司第四子也其爲人也器量宏深居動異常而其所爲者皆循仁義不敢亂行也故君眞物神時有出現深嘉其行其父見之心懷嫌嫉暗謀奸計欲誅殺之其妻諫之曰兒子既無罪何欲害之耶屡次固諫伊敷索大怒即遂妻于粟國島而伊敷索親率衆軍前往登武那覇攻入梶山門焉若茶良以其事出于意外誠難逃去提刀拒戰要以殺退一陣出外逃去其父見兵勢敗績撥馬跑走已過平良原忽陷于立增田中以楯覆顔而隠居焉若茶良下馬急來自把父手扶出泥中即擔水來沐浴其父乃向父曰雖父欲殺子子素無害父之意今所殺衆卒只爲防其鋒也而送至伊敷索一日若茶良欲問候母親起居已駕小舟赴粟國島往抵中洋陡遭逆風漂至拜崎擱破船隻即到降口地而暫栖焉宮平村民見之送粥救命當此之時又有平度比屋者此人賦性奸險爲惡無忌爰聞若茶良衝礁覆舟暫住降口地乃告其父曰今若茶良死期已至矣何不乘此時而殺之父按司大喜急發精兵欲擒擄之若茶良復與他相戰殺盡兵卒不知其數若茶良雖已獲捷勝身以小受刀傷深致愧慚乃仰天發歎曰救我性命者宮平村人也使我致死者平度比屋也愿皇天后土實鑑二人之心賜善惡之報吾身雖至于九泉之下無有遺恨矣遂自刎而亡後二人子孫果有明驗而宮平邑人子孫繁衍平度比屋一族或染痢症或遭毒蛇焉故村人以若茶良靈骨葬于登武那霸至于後世靈驗屡現遂爲神嶽人皆崇信焉
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