登武那覇嶽の由来~新『球陽外卷・遺老說傳』第49話

横浜のトシ

2014年08月17日 08:20


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~琉球沖縄に伝わる民話~

新訳球陽外卷(きゅうようがいかん)遺老(いろうせつでん)』第49話

登武那覇嶽(とんなはうたき)由来(ゆらい)



 (むかし)久米島(くめじま)登武那覇(とんなは/とぅんなは)()に、笠末若茶良(がさしわかちゃら/かさしわかちゃら)という(ひと)がおりました。
 この(ひと)伊敷索(いしきなは/ちはな/いしきなわ)按司あじ/あんじ/あず()第四子(だいよんし)でありました。
 その生来(せいらい)人格(じんかく)というと、人徳(じんとく)(ひろ)く、また、(ふか)くて、普段(ふだん)()()()いが普通(ふつう)とは(こと)なり、それに(くわ)えて、彼を()(もの)はみな仁義(じんぎ)(あつ)い人だと賞賛し、(まった)乱暴(らんぼう)(おこな)いがない人物でした。
 したがって、君真物(きみまもの)(かみ)が、(とき)出現(しゅつげん)することがあった時に、(ふか)くその(おこな)いを()しとして()(たた)えました。
 ところがその(ちち)はこの様子(ようす)()て面白くなく、(こころ)嫉妬(しっと)(いだ)いて、人知(ひとし)れず(わる)いはかりごとを(くわだ)てて、彼を(とが)めて(ころ)そうとしたのでした。
 するとその(つま)がこれを(いさ)めて()うことには、
 「()どもには(すこ)しも(つみ)がないというのに、どうしてこれを(ころ)そうとするのですか。」と。
 そう言って、たびたびきつく(いさ)めたのでした。
 すると伊敷索(いしきなは)按司(あじ)(おお)いに(いか)り、即座(そくざ)(つま)故郷(こきょう)粟国島(あぐにじま)()(かえ)してしまったのでした。そしてすぐに、伊敷索(いしきなは)自分(じぶん)(みずか)大軍(たいぐん)(ひき)いて、梶山門(かぢさんもん)()()みました。
 若茶良(わかちゃら)は、その予期(よき)せぬ事態(じたい)(そと)()てみたところ、(まった)()()すにはもはや不可能(ふかのう)状況(じょうきょう)であり、(かたな)()()して(てき)をふせいで(たたか)い、そして(てき)陣営(じんえい)敵兵(てきへい)(ころ)しながら向かってくる者を退(しりぞ)けながら(そと)()()()そうとしました。
 若茶良(わかちゃら)(ちち)は、自分(じぶん)軍勢(ぐんぜい)大敗(たいはい)するのを()てとると、(うま)()()って()()し、もう(すこ)しで平良原(テーバル)()ぎるという場所で、突然(とつぜん)(みず)かさが()した水田(すいでん)(なか)()ちてしまうと、あわてて(たて)(かお)(おお)って(かく)れたのでした。
 すると()ってきた若茶良(わかちゃら)(うま)から()り、(ちち)(もと)(いそ)いで()()ると、自分(じぶん)(ほう)から(ちち)()()って(どろ)(なか)から(たす)()し、()ぐに(みず)()んだおけを(かた)(かつ)いで()ると、自分(じぶん)(ちち)(からだ)(あら)ったのでした。
 その(とき)(ちち)()かって()うことには、
 「(ちち)は、()(ころ)したいと(おも)ったとしても、()は、いうまでもなく(ちち)(ころ)(かんが)えはありません。
 今回(こんかい)私が、(おお)(へい)(ころ)すことになったのは、ただただ(かたな)(ふせ)ぐためであります。」と。
 そう言ってから伊敷索(いしきなは)(いえ)(おく)(とど)けました。
 それから一日(いちにち)()つと若茶良(わかちゃら)母親(ははおや)のご機嫌(きげん)(うかが)いをしたいと希望(きぼう)し、()ぐに小舟(こぶね)()って粟国島(あぐにじま)()かいました。
 海路(かいろ)(なか)ほどまで()()いた(とき)(きゅう)逆風(ぎゃくふう)()って拝崎(オガミサキ)漂着(ひょうちゃく)し、(ふね)難破(なんぱ)してしまいました。
 それから(ひく)土地(とち)移動(いどう)すると(しばら)くそこで()(なが)らえていました。
 すると宮平(みやひら)村民(そんみん)が、これを()てお(かゆ)(はこ)んで(いのち)(すく)ったのでした。
 この(とき)に、平度比屋(ヘドノヒヤ)という(もの)がおりました。
 この人物(じんぶつ)性格(せいかく)()まれつき(わる)くひねくれ、悪事(あくじ)をやめる(こと)など(かんが)えたことがない(ひと)でした。
 若茶良(わかちゃら)座礁(ざしょう)して(ふね)転覆(てんぷく)し、(しばら)(ひく)土地(とち)()んでいると()くと、()ぐに自分(じぶん)(ちち)()げて()うことには、
 「(いま)若茶良(わかちゃら)には、まさに死期(しき)(せま)っている。
 どうしてこの絶好(ぜっこう)機会(きかい)(じょう)じて若茶良(わかちゃら)(ころ)してしまわないないのか。(いや、(ころ)すべきだ。)」と。
 それを()くと(ちち)である按司(あじ)(おお)いに(よろこ)び、(いそ)いで精鋭(せいえい)兵士(へいし)出発(しゅっぱつ)させて、若茶良(わかちゃら)()らえようとしました。
 若茶良(わかちゃら)は、(ふたた)(てき)(あい)まみえ、兵士(へいし)(ころ)()くすこと、その(かず)際限(さいげん)がありませんでした。
 若茶良(わかちゃら)は、結果的(けっかてき)には(たたか)いには()ったものの、(からだ)には(すく)なからず刀傷(かたなきず)()ってしまい、まったく(おも)(どお)りにゆかないことが心残(こころのこ)りでなりませんでした。
 そして(てん)(あお)いで(おお)きく(なげ)きながら(さけ)ぶことには、
 「()(いのち)(すく)った(もの)宮平村(みやひらそん)(ひと)である。
 そして(わたし)(ころ)そうとした(もの)平度比屋(ヘドノヒヤ)である。
 どうか天地(てんち)(おさ)める神々(かみがみ)よ、この二人(ふたり)(こころ)()らし()わせて、善悪(ぜんあく)(むく)いを(くだ)して(いただ)けるなら、たとえ()()()てようとも、もはや()いはございません。」と。
 そう願うと自分(じぶん)(みずか)(くび)()ねて()んでしまったのでした。
 その(のち)、悪い心の二人(ふたり)子孫(しそん)には、(あん)(じょう)明確(めいかく)な罰が(かみ)から(くだ)されたのでした。
 その一方で宮平村(みやひらそん)(ひと)子孫繁栄(しそんはんえい)し、逆に平度比屋(ヘドノヒヤ)一族(いちぞく)や子孫は(なか)から(とき)疫痢(えきり)などの病気(びょうき)(かか)ったり、毒蛇(どくへび)()まれたりして(いのち)()とす(ひと)がたくさん出ました。
 そのために村人(むらびと)は、若茶良(わかちゃら)不思議(ふしぎ)(ちから)をもつ(ほね)を、登武那覇(とんなは)()(ほうむ)り、大切に拝んだのでした。すると後世(こうせい)になるとこの場所は、霊験(れいげん)がますます(あらた)かになりました。
 そしてそこは(つい)登武那覇(とんなは)御嶽(うたき)となって、人々(ひとびと)はみな(たっと)(しん)じるようになったのでした。



※注や解説

登武那覇(とんなは/とぅんなは)】~地名(ちめい)
笠末若茶良(がさしわかちゃら/がさすわかちゃら/かさしわかちゃら)】~人名(じんめい)
伊敷索(いしきなは/ちはな/いしきなわ)按司(あじ)】~伝承(でんしょう)では、英祖(えいそ)王統(おうとう)代目(だいめ)玉城(たまぐすく)按司(あじ)(めかけ)()とされ、久米島(くめじま)()(あた)えられてこのグスクを(きづ)いたとされる。仲城(なかぐすく・)按司(あじ)長男(ちょうなん)(つた)わるがここでは第二子(だいにし)とあり、明国(みんこく)留学(りゅうがく)した兼城(かねぐすく)大屋子(おおやこ)第一子(だいいっし)か。なお、()(かん)しては資料(しりょう)により(おお)きく二つに()かれ不明(ふめい)(てん)(おお)い。『具志川間切旧記』(一七〇三年)によると、長男(ちょうなん)は仲城(仲里城)按司、次男(じなん)は具志川按司、長女(ちょうじょ)は兼城大屋子の(つま)次女(じじょ)は照真の(つま)腹違(はらちが)いの三男(さんなん)は笠末若茶良で、(はは)は粟国島出身(しゅっしん)とある。また『琉球国由来記』(1713年)では、伊敷索按司には四子があり、それぞれが兼城村の屋敷、宇江城、具志川城・登武那覇城を拠点(きょてん)として各地(かくち)統治(とうち)していたが、尚真王(しょうしんのう)による久米島征伐(くめじませいばつ)(ほろ)ぼされたとある。
()(ひと)()りや】~(おも)に、その生来(せいらい)人格(じんかく)性質(せいしつ)(からだ)つき。
器量(きりょう)】~ある(こと)をするのに相応(ふさわ)しい能力(のうりょく)。その(ひと)才徳(さいとく)(たい)して世間(せけん)(あた)える評価(ひょうか)人徳(じんとく)人望(じんぼう)面目(めんぼく)顔立(かおだ)ち。容貌(ようぼう)名人(めいじん)
宏深(こうしん)】~宏=広、意は、規模(きぼ)度量(どりょう)(だい)きい。(ひろ)い。(ひろ)げる。
居動(きょどう)】~普段(ふだん)()()()い。
(しこう/しか)して】~「(しかく)して」「(しか)して」から(てん)じたもの。漢文(かんぶん)訓読(くんどく)(もち)いられた()。そうして、それに(くわ)えて、の()
(したが)ひ】~()まりに(したが/rt>)う。よる。あちこちとめぐる。
(あえ)て】~(あと)打消(うちけし)()(ともな)って、(かなら)ずしも、の()や、打消(うちけし)(つよ)めて、(すこ)しも、(まった)く、の()
乱行(らんぎょう)】~乱暴(らんぼう)(おこな)い。また、ふしだらな()()い。
(ゆえ)に】~よって。したがって。
君真物(きみまもの/きんまむん/きんまもん)】~諸神(しょしん)女人(にょにん)にことよせて託宣(たくせん)託遊(たくゆう)することを君真物(きみまもの)出現(しゅつげん)という。君手摺(きみてず)り、天帝(てんてい)とも。
(よみ)す】~よしとして()(たた)える。
嫌嫉(けんしつ)】~「嫌」は、いやがる。きらう。(うたが)う。「嫉」は、ねたむ。そねむ。
(いだ)き】~いだく。
(ひそ)かに】~(くら)い。(やみ)(くろ)っぽい。道理(どうり)がわからない。人知(ひとし)れず。
奸計(かんけい)】~姦計(かんけい)とも。(わる)いはかりごと。悪巧(わるだく)み。
誅殺(ちゅうさつ)】~(つみ)(とが)めて(ころ)すこと。
児子(じし)】~子供(こども)
(すで)に】~「(すで)に」に(おな)じ。以前(いぜん)に。(まえ)に。もはや。とっくに。どう()ても。(げん)に。すっかり。まったく。もう(すこ)しで。(いま)にも。「(すんで)に/(すんで)に」の場合(ばあい)は、もう(すこ)しで、ある(この)ましくない事態(じたい)になりそうなさま。すんでのこと。すんでのところ。
(がい)す】~(きず)つける。(そこ)なう。(さまた)げる。殺害(さつがい)する。(ころ)す。
屢次(るじ)】~たび重なること。たびたび。しばしば。
粟国島(あぐにじま)()ふ】~『由来記』に「古郷粟国島へ被追放」とある。「逐」は、(あと)()う。()(はら)う。(じゅん)()って(すす)む。
(みづか)ら】~(みずか)ら。
衆軍(しゅうぐん)】~大軍(たいぐん)。「衆」は(おお)いの意。
梶山門(かぢさんもん)】~地名(ちめい)か。「山門」には大本山(だいほんざん)の意がある。
(まこと)に】~まちがいなくある事態(じたい)であるさま。(じつ)に。本当(ほんとう)に。
(もっ)て】~漢文(かんぶん)における「以」や「式」の訓読(くんどく)から(しょう)じた())。そして。(それ)によって。(それ)について。(それ)をもちいて。(おお)く「・をもって」の(かたち)格助詞(かくじょし)のように使用(しよう)して)・・・・・・て。・・・・・・で。・・・・・・でもって。・・・・・・によって。・・・・・・の理由(りゆう)で。・・・・・・により。・・・・・・に。・・・・・・の(うえ)に。・・・・・・に(くわ)えて。・・・・・・の(うえ)に。・・・・・・かつ。・・・・・・しながら。
()げて】~()にさげて()つ。()()す。()()す。(さき)()って()()れる。
拒戦(きょせん)】~距戦(きょせん)とも。ふせぎ(たたか)う。
一陣(いちじん)】~「陣」は、軍隊(ぐんたい)配置(はいち)して(そな)えること。陣立(じんだ)て。軍隊(ぐんえい)集結(しゅうけつ)している(ところ)兵営(へいえい)陣地(じんち)陣営(じんえい)集団(しゅうだん)。いくさ。たたかい。合戦(かっせん)
殺退(さつたい)し】~「退」は、(うし)ろに()がる。しりぞく。しりぞける。()()いていた場所(ばしょ)地位(ちい)から()る。(いきお)いが(よわ)まり(おとろ)える。
兵勢(へいせい)】~軍隊(ぐんたい)威勢(いせい)軍勢(ぐんぜい)
敗績(はいせき)】~大敗(たいはい)大敗(たいはい)して(いま)までの功績(こうせき)(うしな)うこと。
跑走(だくそう)】~(はし)る。()げる。逃走(とうそう)する。
(すんで)に】~以前(いぜん)に。(まえ)に。もはや。とっくに。どう()ても。(げん)に。すっかり。まったく。もう(すこ)しで。(いま)にも。「(すんで)に/(すんで)に」の場合(ばあい)は、もう(すこ)しで、ある(この)ましくない事態(じたい)になりそうなさま。すんでのこと。すんでのところ。
平良原(テーバル)】~地名(ちめい)
(たちま)ち】~()ぐ。即刻(そっこく)(またた)()(にわか)に。(きゅう)に。(おお)くが「たちまちに」の(かたち)で)(げん)に。(たし)かに。まさに。ただ(いま)。「()()ち」の()から派生(はせい)した()
立増(りつぞう)】~(みず)かさが()したの意か。
(おちい)る】~()()る、とも。()ちて(なか)(はい)る。はまる。(のぞ)ましくない状態(じょうたい)になる。計略(けいりゃく)にかかる。()()とされる。陥落(かんらく)する。()ぬ。(いき)()()る。(ふか)くくぼむ。へこむ。
隠居(いんきょ)す】~(しず)かに()らすこと。俗世(ぞくせ)(はな)れて、山野(さんや)(かく)()むこと。また、その(ひと)
(にな)ひ】~(かた)(かつ)ぐ。責任(せきにん)などを()()ける
沐浴(もくよく)】~(かみ)(からだ)(あら)うこと。また、(きよ)めること。恩恵(おんけい)などを()けること。
(すなは)ち】~「(すなは)ち、(すなは)ち」とも。現代仮名遣(げんだいかなづか)いでは「すなわち」。()いかえれば。つまり。とりもなおさず。まさしく。その(とき)は。そうすれば。その(とき)(むかし)。あの(ころ)当時(とうじ)()ぐに。たちまち。もう。(すで)に。
(いへど)も】~とはいうものの。といっても。
(もと)より】~もとから。(むかし)から。(はじ)めから。以前(いぜん)から。いうまでもなく。もともと。元来(がんらい)
(がい)す】~(きず)つける。(そこ)なう。(さまた)げる。殺害(さつがい)する。(ころ)す。
衆卒(しゅうそつ)】~「衆」は(おお)くの意。「卒」は兵士(へいし)の意。
只只(ただただ)】~「ただ」を(つよ)めていう()。ひたすら。(もっぱ)ら。
(ほこ)】~刃物(はもの)先端(せんたん)矛先(ほこさき)軍隊(ぐんたい)先陣(せんじん)物事(ものごと)(するど)(いきお)い。(かたな)(つるぎ)
起居(ききょ)問候(とひさうらふ)】~ご機嫌(きげん)(うかが)いをする。
()し】~「()す」は、(くるま)(うま)などに()る。()(しの)ぐ。(ほか)より優位(ゆうい)()つ。
(おもむ)く】~(おもむ)く、とも。ある場所(ばしょ)方角(ほうがく)()かって()く。物事(ものごと)がある方向(ほうこう)状態(じょうたい)()かう。(したが)う。同意(どうい)する。
中洋(ちゅうよう)】~「洋」は(うみ)
(あた)る】~あたる。(いた)る。
(にわ)かに】~(にわ)かに、とも。(きゅう)に。
拝崎(オガミサキ)】~地名(ちめい)
漂至(ひょうし)】~漂着(ひょうちゃく)する。
船隻(せんせき)】~船舶(せんぱく)
擱破(かくは)】~「擱」の意は、()()げる。(した)()いてとどめる。()く。
降口(こうこう)】~階段(かいだん)山道(やまみち)などの()りようとするとっつきの(ところ)()(もの)出口(でぐち)(えき)などでそこを(かよ)って(そと)()(ところ)
()る】~()む。生活(せいかつ)する。
平度比屋(ヘドノヒヤ)】~人名(じんめい)
賦性(ふしょう)】~天賦(てんぶ)性質(せいしつ)()まれつき。天性(てんせい)
奸険(かんけん)】~(こころ)(わる)くひねくれている。
()()し】~悪事(あくじ)をなんとも(おも)わない。
(ここ)に】~此処(ここ)に、(ここ)に、(ここ)に、とも。副詞(ふくし)場合(ばあい)(おも)に、この(とき)。この場所(ばしょ)で、の()接続詞(せつぞくし)場合(ばあい)(おも)に、それで。このように。さて。ところで、の()
衝礁(しょうしょう)】~暗礁(あんしょう)衝突(しょうとつ)座礁(ざしょう)
覆舟(ふくしゅう)】~(ふね)転覆(てんぷく)する。
精兵(せいへい/せいびょう)】~()りすぐった(つよ)兵士(へいし)(ゆみ)()(ちから)(つよ)いことやその(もの)
擒擄(きんろ)】~「擒」は、()らえる。()()りにする、の()。「擄」は、無理(むり)やり()()る、さらう、拉致(らち)する。
捷勝(しょうしょう)()る】~(たたか)いに()つ。(いく)さで勝利(しょうり)をえる。
(すこ)しく】~(すこ)し。(すこ)しばかり。いささか。わずかに。
刀傷(かたなきず/とうしょう)】~(かたな)()られた(きず)。また、その傷痕(きずあと)
愧慚(きざん)】~慚愧(ざんき)慙愧(ざんき)自分(じぶん)見苦(みぐる)しさや(あやま)ちを反省(はんせい)して、(こころ)(ふか)()じること。(おも)(どお)りにゆかず心残(こころのこ)りで残念(ざんねん)である。
(たん)】~(なげ)く。ため(いき)をつく。感心(かんしん)して()める。
性命(せいめい)】~()まれながら(てん)から(さず)かった性質(せいしつ)運命(うんめい)(いのち)生命(せいめい)
(ねが)はくは】~愿=願。(ねが)うところは。(のぞ)むことは。どうか。
皇天后土(こうてんこうど)】~(てん)(おさ)める(かみ)と、()支配(しはい)する(かみ)天神地祇(てんしんちぎ)
(かんが)み】~先例(せんれい)規範(きはん)()らし()わせる。()参考(さんこう)にして(かんが)える。
善悪(ぜんあく)(ほう)】~善悪(ぜんあく)(むく)い。
九泉(きゅうせん)(した)】~草葉(くさば)(かげ)。あの()死後(しご)世界(せかい)
遺恨(いこん)】~(わす)れがたい(ふか)(うら)み。宿怨(しゅくえん)残念(ざんねん)(おも)うこと。
()ること()し】~()い。
(つい)に】~「(つい)に」「(つい)に」とも。ついに。とうとう。しまいに。結局(けっきょく)最後(さいご)に。()わりに。また(「(つい)ぞ」に(おな)じで)、(いま)までに一度(いちど)も。(いま)(かつ)て。
自刎(じふん)】~自分(じぶん)(みずか/rt>)(くび)()ねて()ぬこと。自剄(じけい)
(ほろ)ぶ】~ 存在(そんざい)していたものがなくなる。()ぬ。その()から()げて姿(すがた)(かく)す。
()たして】~予想(よそう)していた(とお)りであるさま。(おも)った(とお)り。(あん)(じょう)。やはり。
明験(めいげん)】~「明」の()は、(あき)らかな。「験」の()は、証拠(しょうこ)によって(たし)かめる。(ため)す。ある(こと)(おこな)ったことによる()()効果(こうか)仏道修行(ぶつどう)()んだしるし。(とく)修験者(しゅげんじゃ)(おこな)加持祈祷(かじきとう)()()縁起(えんぎ)前兆(ぜんちょう)
繁衍(はんえん)】~蕃衍(はんえん)とも。(しげ)蔓延(はびこ)ること。()(ひろ)がること。
(あるい)は】~副詞(ふくし)場合(ばあい)は、もしかすると、ひょっとしたら、一方(いっぽう)では、場合(ばあい)により、の()接続詞(せつぞくし)場合(ばあい)は、または、もしくは、でなければ、または、もしくは、の()
痢症(りしょう)】~疫痢(えきり)などの病気(びょうき)
()み】~(いろ)()()ませる。()める。(いろ)がつく。()()む。影響(えいきょう)()ける。感染(かんせん)する。
()ふ】~(おも)いがけず出会(であ)う。(めぐ)()う。遭遇(そうぐう)
霊骨(れいこつ)】~不思議(ふしぎ)(ちから)(はたら)きをもつ(ほね)
霊験(れいげん)】~(ひと)祈請(きせい)(おう)じて神仏(しんぶつ)などが(しめ)霊妙(れいみょう)不可思議(ふかしぎ)(ちから)(あらわ)れ。利益(りやく)霊験(れいげん)(あらた)か(「(あらた)か」=(いちじる)しいこと)。キリスト(きょう)でいうところの奇跡(きせき)日本(にほん)では(ふる)くから霊験(れいげん)使(つか)ってきた。
神嶽(かみだけ/かみたけ/しんごく)】~ここでは「トンナハ御嶽(うたき)」。琉球(りゅうきゅう)信仰(しんこう)における聖域(せいいき)琉球國(りゅうきゅうこく・るーちゅーくく)第二(だいに)尚氏(しょうし)王統(おうとう)制定(せいてい)した、琉球(りゅうきゅう)信仰(しんこう)における聖域(せいいき)総称(そうしょう)制定(せいてい)以前(いぜん)は、色々(いろいろ)()()(かく)地方(ちほう)にあった。「御嶽」という表記(ひょうき)()みは、「おたけ」以外(いがい)に、(おも)沖縄本島(おきなわほんとう)とその周辺(しゅうへん)島々(しまじま)では「うたき」、宮古(みやこ)地方(ちほう)では「すく」、八重山(やえやま)地方(ちほう)では「おん」(など)近年(きんねん)は「御嶽(うたき)」という発音(はつおん)への傾倒(けいとう)がみられる。「御嶽」という表記(ひょうき)以外(いがい)、かつては「腰当森(くさてむい)」、「(おが・うが)(やま)(など)といった様々(さまざま)言葉(ことば)があった。御嶽(うたき)は、琉球(りゅうきゅう)(かみ)存在(そんざい)する、あるいは来訪(らいほう)する場所(ばしょ)という意味(いみ)と、祖先神(そせんしん)(まつ)場所(ばしょ)という意味(いみ)の、(ふた)つの意味(いみ)がある。御嶽(うたき)地域(ちいき)祭祀(さいし)中心(ちゅうしん)施設(しせつ)として大変(たいへん)重要(じゅうよう)で、(いま)もなお、地域(ちいき)守護(しゅご)する聖域(せいいき)として信仰(しんこう)(あつ)め、大切(たいせつ)にされている場所(ばしょ)(おお)い。なお、琉球(りゅうきゅう)信仰(しんこう)においては(おも)(かみ)(つか)えるのは女性(じょせい)のため、琉球國(りゅうきゅうこく)時代(じだい)御嶽(うたき)内部(ないぶ)男子禁制(だんしきんせい)だった。現在(げんざい)でもその(おお)くが、一定区域(いっていくいき)までしか男性(だんせい)(はい)ってはいけない場合(ばあい)(すく)なくない。
崇信(すうしん)】~(たっと/とうと)(しん)じること。
【原文】~昔久米島登武那覇地有笠末若茶良者此乃伊敷索按司第四子也其爲人也器量宏深居動異常而其所爲者皆循仁義不敢亂行也故君眞物神時有出現深嘉其行其父見之心懷嫌嫉暗謀奸計欲誅殺之其妻諫之曰兒子既無罪何欲害之耶屡次固諫伊敷索大怒即遂妻于粟國島而伊敷索親率衆軍前往登武那覇攻入梶山門焉若茶良以其事出于意外誠難逃去提刀拒戰要以殺退一陣出外逃去其父見兵勢敗績撥馬跑走已過平良原忽陷于立增田中以楯覆顔而隠居焉若茶良下馬急來自把父手扶出泥中即擔水來沐浴其父乃向父曰雖父欲殺子子素無害父之意今所殺衆卒只爲防其鋒也而送至伊敷索一日若茶良欲問候母親起居已駕小舟赴粟國島往抵中洋陡遭逆風漂至拜崎擱破船隻即到降口地而暫栖焉宮平村民見之送粥救命當此之時又有平度比屋者此人賦性奸險爲惡無忌爰聞若茶良衝礁覆舟暫住降口地乃告其父曰今若茶良死期已至矣何不乘此時而殺之父按司大喜急發精兵欲擒擄之若茶良復與他相戰殺盡兵卒不知其數若茶良雖已獲捷勝身以小受刀傷深致愧慚乃仰天發歎曰救我性命者宮平村人也使我致死者平度比屋也愿皇天后土實鑑二人之心賜善惡之報吾身雖至于九泉之下無有遺恨矣遂自刎而亡後二人子孫果有明驗而宮平邑人子孫繁衍平度比屋一族或染痢症或遭毒蛇焉故村人以若茶良靈骨葬于登武那霸至于後世靈驗屡現遂爲神嶽人皆崇信焉


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