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~琉球沖縄に伝わる民話~
新・口碑伝説民話集録
『琉球民話集』より、第11話
鬼餅の由来
旧暦十二月八日は、餅寒といって、鬼餅を作って、厄払いをする日です。
『琉球國由来記』巻一に、次のように書かれています。
俗に、餅という。
上古の時代、鬼が人間に害を及ぼして、それはそれは困っていました。
そこである人が、鉄で餅を作り、米で作った餅に混ぜて食べている振りをしていると、案の定、鬼がやって来て、言うことには、
「俺にも食べさせてくれ。」と。
そうせがまれて、鉄の餅をやると、鬼は勢いよく食べようとしました。その堅さに驚き仰天した鬼の横で、人間はなにごともなく餅をうまそうに次々と食べていきます。それを見た鬼は人間を恐れ、山に逃げ込み、それから二度と、人家に近寄らなくなりました。
その後、十二月八日には餅を作って、お嶽で祭りをする風習が始まりました。
なお、鬼餅については、同じく『琉球國由来記』巻十二に、次のような話も出ています。
首里の金城に、ある兄妹がおりました。
やがて兄は鬼になって大里の洞穴に住み着き、俗に大里鬼と呼ばれて、付近の人々から、とても恐れられるようになりました。
そんなある日、妹は意を決して、恐る恐る兄の様子を見に行ったのでした。
すると聞いていた噂に違わず、そこにあった鍋の中に炊かれた人骨や人肉があるのを見て、それはもう魂消たのは言うまでもありません。
一方で、兄の方はというと、訪ねてきた妹を食らおうと、包丁を研ぎ始めたのでした。それを察した妹は、驚いて直ぐさま逃げ帰りました。
「たとえ血肉を分けた兄妹であっても、世の中の害である鬼は、一刻も早く殺さなければならない。」と妹は思い、心に強く誓いを立てたのでした。
そこで、首里の金城の家に兄がやって来た際、言葉巧みに景色がいいからと崖の端まで兄を誘い出しました。そして兄妹は、向かい合って座りました。
妹が言うことには、
「美味しい、お餅を持ってきました。どうぞ、召し上がって下さい。」と。
妹は兄に餅を勧め、二人は仲よく食べ始めたのでした。
そのうちに、兄は妹の女の密所に気づいてそれは何かと尋ねました。すると妹は、何食わぬ顔で落ち着き払って言うことには、
「女には、餅を食べる口と、鬼を食べる口の、二つがあるのを知らないのですか。」と。
この答えに奴肝を抜かれて飛び上がらんばかりに驚いた鬼は、立ち上がってその場から逃げ出そうとしたところ、あまりに慌てて足がもつれ、そのまま崖の上から真っ逆さまに落ちて死んでしまいました。
それからその日を、鬼払いの日と呼ぶようになり、餅を炊いた煮汁を戸ロの周囲にかけたり、また鬼の足を焦がす力がある餅の葉を十字形に戸ロにぶら下げたりする、鬼を追い払う呪いをするようになりました。
そしてこの風習はいつしか、年中行事の厄払いとして広まりました。
※注や解説
【餅】~餅の沖縄方言が「ムーチー」。月桃の葉で包むことから「かーさ餅」と呼ぶ。他に「師走ムーチー」「鬼ムッチー」「ムーチー折目」等とも。月桃の葉で包んだ餅菓子を作り、火の神、仏壇、軒先、戸ロ等にお供えする行事。
那覇市首里金城町の、金城の石畳近くにある「内金城ヌ小嶽(※別名、ホーハイ御嶽。うぶな娘はきっと顔を赤くする、の意)」が有名。この御嶽には、餅の霊力とオナリの性器がもつ呪力で、兄の大里鬼を退治したという伝説「鬼餅由来伝説」があり、「鬼餅発祥の地」としてよく知られている。
なお、「ムーチービーサー」は、季節を表す言葉で、餅の時期は、よく寒波がやって来て急激に冷え込んだりするのでこの言葉が生まれた。旧暦と気候が合っていることが実感できる。
餅は、餅粉をこねて、白糖や黒糖で味付けを行い、月桃やクバの葉に包んで紐で縛り、蒸しあげた菓子。具体的な作り方は、餅粉と黒砂糖をよく混ぜ、水を加えて、よくこねる。耳たぶ程度の堅さになったら三十分程度ねかせ、それを小分けにして月桃の葉に巻き、せいろで蒸す。月桃でくるむ理由は、月桃の葉には強い生命力があり、その強い匂いが邪気払いに効くとされているため。(※クバの場合はクバが「神の宿る木」とされているため。)
餅の風習を行う理由は、話に出てくる崖から落ちて死んだ鬼が、餅の匂いがすると食べたくてたまらず、化けて現れるとされているため。そこで人々は、鬼がやって来た時に家に入らないようにと、鬼の足を焼く方法を考え出した。それは、鬼の足を作って家の四隅に置き、餅の茹で汁を、呪いをかけながらその足にかける。呪いの言葉の典型は、「鬼の足焼き焼き、鬼の足焼き焼き、鬼の足焼き焼き、鬼の足焼き焼き(※鬼の足を火傷させて追い払おう、という意)」。近年では、「鬼の足、焼こうねぇ」「鬼の足だよ」「捨てようねぇ」等、伝統と異なったかなり個性的な言い方が増えたものの、いずれにしても唱えながら熱い熱湯の茹で汁をこぼす風習を行う家は、未だに少なくない。それは、鬼がやって来た場合にそれを見て退散すると信じられているため。なお、この呪いいをしなかった場合、鬼が餅に触った瞬間、餅が腐って食べられなくなるのでわかるという。また人の形をした鬼は呪いをしないで食べるため、呪いをせず食べている人が鬼であるとすぐわかるという。
話にもあるように、鬼を退治したのが旧暦の十二月八日のため、その日を厄払いの日とし、この日に鬼餅を食べると、一年間、健康に過ごせると信じられるようになり、作って食べる慣習が生まれた。また、その年に子どもが生まれた家では、その子どもの健康を願って、通常の餅より大きい「力餅」を作って食べたり、生まれた子どもの「初餅」として親戚や近所に餅を配って歩く場合もある。なお、子どもがいる家では、厄払いのため、子どもの年の数だけ、餅を軒下に紐で縛って縦に並べて吊し、毎日一つずつそれを食べる風習「下げ餅」は今も根強く残っている。
なお、「鬼餅の由来」「餅の由来」の話は、琉球列島の中において、沖縄本島とその周辺の島々だけに語り継がれた伝説であり、奄美や宮古、八重山諸島には存在しない。近年になって広域にまで普及した。つまり、宮古や八重山には鬼餅の由来の伝承はなく、鬼が登場する話に「餅」や「下の口」は出てこない。
なお、餅の話は、『琉球國由来記』『球陽』『遺老説伝』『琉球神道記』はじめ、色々な書物に登場する。
【お嶽】~お嶽や御嶽は、村にある祈願する場所で、「いび」「拝所」「おがん」等とも言う。「御嶽」は、元々「お嶽」からきたとされる。
【首里】~首里の以前の発音は「しゅい/すい」など。例えば首里城はかつて「すいぐすぃく」と呼んだ。
【金城】~金城の以前の発音は「かなぐすぃく/かなぐしく」など。文献には「首里金城」とあり、「すいかなぐすぃく」と読むのが、本来の読み方。
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