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~琉球沖縄に伝わる民話~
新・口碑伝説民話集録
『琉球民話集』より、第27話
稲穂渡来の伝説
大昔の世、一羽の鶴が、稲穂を口に銜えて飛んでいた時、暴風に遭って玉城間切のオカハというところに落ちて、そのまま死んでしまいました。
口に銜えていたその稲穂が芽を出したところ、阿摩美久がそれを見て受水・走水の水田に移して代えて、植え直しました。
すると稲は、ぐんぐんと伸びてやがて実り、みごとに茂りました。
なお、この時の稲穂が三本だったところから、三穂田と呼ばれるようになりました。
また、オカハの、鶴が落ちた場所は、霊泉、霊田として、後々の世まで、拝所として崇められることになったそうです。
※注や解説
【オカハ】~他の史料の中には、カラウカハとある。稲穂を銜えた鶴が暴風に遭い、新原村の「カラウカハ」に落ちて死んだという伝説は多い。
※【沖縄の七大御獄】~沖縄の七大御獄の一つに、薮薩御獄がある(※七大御獄・・・・・・辺戸の「安須森の御嶽(※辺戸御嶽/アフリ嶽とも。「安須森」の読みは、本来、「あしむり」が正しいようだが、他に「あしはい」「あすもり」「あすむい」「あすむぃ」と色々。)・今帰仁の「クボウ御嶽」・知念の「斎場御嶽」・百名の藪薩御嶽・玉城グスク内の「天つぎあまつぎの御嶽」・久高島の「クボー御嶽」・首里城内にかつてあった真玉森御嶽」)。なお、沖縄の現地の方言で「薮薩」は「やぶさち」など言う。なお「薮薩御嶽」は、薮薩御嶽そのものを指す場合と、「ヤハラヅカサ」や「浜川御嶽」を含んだ周辺の総称の場合があるが、一般的に民話の場合は後者が多い。なお「ヤハラヅカサ」は、百名ビーチの、海の中に入った所に立ち、満潮の時はじめ季節によっては海の下に沈み、干潮の時だけ全容を現わす珍しい石碑の御嶽。ビーチに入る森の中に浜川御嶽がある。また、「ヤハラヅカサ」や「浜川御嶽」の上に「薮薩御嶽」がある(※稲を加えた鶴をマークにしたCafeやぶさちの、奥の駐車場の右に、遊歩道の入り口があり、進んで直ぐ左に入った所にある)。琉球開闢の神「アマミキヨ」が、ニライカナイからヤハヅカサに上陸して、浜川御嶽でしばらくの間、仮り住まいしたという話も伝わっている。またかつて、「ヤハラヅカサ」と「浜川御嶽」は、琉球の国王や聞得大君が、四月の稲穂祭のため参拝した。なお、飛んできた鶴が稲穂を落とし、芽を出したとされる所は「米地」といわれる。田に実った稲穂が三本だったので、その田は、三穂田と呼ばれるようになったと言われている。「鶴」とは、ツル目・ツル科(※学名:Gruidae)に分類される鳥の総称。どの種類も長いくちばし、首、足をもつ大型の水鳥である。稲穂渡来の伝説の中には、白い鳥という表記のものもあるが、多くは色について書かれていない。また、定住型ではなく渡り鳥がこの話の場合に想定される鳥。すると琉球沖縄の場合、先ず、ツル目のクイナ科の鳥はこの話に該当しない。ペリカン目のサギ科、ペリカン目トキ科、チドリ目の鳥たちが該当するだろうと考えられる。ただ、そもそも鶴は、琉球沖縄より日本の民話や昔話によく登場する神聖な鳥である。
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