みんなで楽しもう!
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第30話。


伊平屋の始まり



 むかしむかし、大昔のお話です。昔は、そういうことが、よくあったようです。
 今帰仁(なきじん)から、その周辺(しゅうへん)の島々まで、その地域(ちいき)を支配していた今帰仁(なきじん)按司(あじ)がおりました。
 この今帰仁王(なきじんおう)が、伊平屋(いへや)の島を占領(せんりょう)すべく、やって来ました。
 その(とき)(しま)人々(ひとびと)には()げる場所(ばしょ)がありませんでした。またその当時(とうじ)は、人が多かったといういうことです。そのため人々は、クマヤという洞窟(どうくつ)()()んだり、ヤヘーの高石に逃げました。ヤヘーの高石というのは、海の真ん(まんなか)に高く大きな石があり、人々はその下に石を()んで石垣(いしがき)を造ったりして、そこに大きな(なべ)(かま)などを()()んで、湯を()かして生活したということです。
 また、その湯に(かま)(はい)を入れたりして、それを(てき)にあびせたりして、今帰仁軍(なきじんぐん)に対抗しようとしましたが、やはり今帰仁軍の武器(ぶき)装備(そうび)には(かな)いませんでした。クマヤにいた人々も、ただ()げていって防衛(ぼうえい)しかできずにすべて滅び、またヤへ石にいた人々も全滅(ぜんめつ)してしまいました。
 ところが、ある兄妹(きょうだい)二人だけが、(じつ)()(のこ)っていました。
 村の崎に、ミルクミヌンジョーと()ばれる、小さい(みち)(ふた)をしたかような水路(すいろ)があって、この中に兄妹二人は(かく)れて()き残(のこ)ったのでした。
 この兄妹二人だけが生き残って、やがて夫婦になり、それからこの伊平屋はまた、人の生活が始まり、子孫が増えて、広がっていったそうな。


 
※この話の参考とした話
①伝承地~沖縄県島尻郡伊平屋村字田名~「昭和五七年度 沖縄国際大学口承文芸研究会伊平屋村調査草稿」
②島尻郡伊平麗村田名~『伊平屋村史』
③島尻郡伊平屋村田名~「じーる」4号
④沖縄県中頭郡勝連町津堅島~『遺老説伝』


Copyright (C) 横浜のtoshi All Rights Reserved.


●伝承地
①伝承地~沖縄県島尻郡伊平屋村字田名~あれは大昔ですね、やっぱ昔はそういうことがよくあったんですからね。今帰仁から何処そこという島を按司や按司が占領するというふうな意味でですね。今帰仁王がこの島を占領してやっぱ来たらしいんですよ。そのときに部落民は逃げるところがなくて、その当時は昔でも人口が多かったそうですよ。そしてあのクマヤという洞窟にですねみんな集まったり、それから追われてヤヘーの高石、海のまん中に高い大きな石がありますがね、あの石の方にみな石垣を下の方に積んだりして、むこうで鍋とか、大きな鍋とか釜を持って来て、そして湯を沸かしてですね、それで、その湯に竃の灰を入れたりして、下から攻め登ってくるのにお湯をひっかけたりいろんなことで防いだが、それでもやっぱ武器にはかなしませんでしょう。人間がクマヤにいた人も、防衛の意味でヤへ石にいた人も、それで全部全滅した。
それで残ったのが兄妹二人らしいんです。その兄妹がこの部落の崎にミルクミヌンジョー言うてですね、小さい道に暗渠かかっているところがあったんです。この下に兄妹二人の女の子と男の子とが橋の下に隠れてですね。兄妹二人残って、それで、この人がとうとう夫婦になって、それで、この部落はまた人間の始まりがこの二人の中からできて、また広がっていったというふうな話ですよ。(「昭和五七年度 沖縄国際大学口承文芸研究会伊平屋村調査草稿」)
②島尻郡伊平麗村田名~上古の乱世に、田名村にも敵軍が上陸したので、住民は籠穴(ふすや)に避難したが、ある兄妹は村の東方の、排水溝に隠れていた。敵に捕われた兄妹の知らせで、籠穴の住民は皆殺しにされたが、二人は命を助けられ、ついに夫婦となって、再び村は繁昌したという。(『伊平屋村史』)
③島尻郡伊平屋村田名~田名のイナという所に石橋がある。
その石橋の下に兄妹が隠れた。戦いが終ってから、生き残った二人は結婚したという。(「奄美・沖縄民間文芸研究」第十一号)○名護市~天から、二人で国を作れと兄妹が降ろされた。二人は伊平屋の洞穴に降り、そこから人間が広がった。(「じーる」4号)
④沖縄県中頭郡勝連町津堅島~往古の世、中頭郡喜舎場村に、喜舎場子なる者有り。一日、喜舎場岳に登り、以て遊観を為すの間、東海に一洲有るを見る。乃ち其の妹真志良代を招き、之れに吩嘱して曰く、我れ彼の海中の一洲を見るに、即ち人の住居すべきの所なり。後年必ず村邑を建つべし。早く汝と共に彼の洲に航し、始めて住居を為すは如何と、遂に約相窮め、一七日を期して斎戒沫浴し、二人相共に舟を泛べて彼の洲を求め、以て住居を為す。今に至るまで子孫綿々として以て繁衍を致し、遂に一島と為る。即ち今の津堅島是れなり。(『遺老説伝』)


同じカテゴリー(琉球沖縄の伝説・沖縄本島編)の記事

この記事へのコメント・感想・ゆんたくはじめ、お気軽にお書き下さい。承認後アップされます。
くがなーサン、はいさい、今日(ちゅう)拝(うが)なびら。

伊平屋・伊是名も、是非、行きたい島です。
クマヤ洞窟信仰ですが、
沖縄の人々の意識の中で、今でも強い気がします。

具志川島については、ほとんど知識が無く、
楽しく読ませて頂きました。
にふぇーでーびる。

コメント、いつもありがとうございます。
では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年11月14日 10:13


伊平屋諸島の旧伊平屋村の有人島だったのは伊平屋島と伊是名村に分村した伊是名島と現在無人島の具志川島です、具志川島は江戸末期くらいから伊平屋、伊是名からの移民で作られた村があったそうです。具志川島出身の北谷桑江のよし八の大将の前川さん曰く「島民は伊平屋と伊是名どちらとも行き来していたので、伊平屋と伊是名の風習や言葉が混ざっていたそうです。
クマヤ洞窟信仰が強い島だったとか。
早い話が天孫氏信仰です、昭和23年頃の(前川さんの聞いた記憶がやや曖昧)東京の禰宜や宮内庁の連中による岩戸開き儀式の上のクマヤ洞窟からの神器などの持ち去り事件はどうしても許せない事件だそうです。
本当にクマヤ洞窟は琉球版「天岩戸」だったようですね。
Posted by くがなー at 2010年11月13日 23:23


くがなーサン、こんにちは。

ヤヘヱ岩の俗説や惠平屋は、聞いた事がありましたが、
「ゑへや」以下は、知りませんでした。

沖縄本島近くでは、まだキャロットアイランド/津堅島と、
伊是名と伊平屋にも、まだ行っておりません。

近々、行こうと思っているところです。
やはり、
本を読むだけでなく、実際に、その地を訪れたいと思っているので。

冬は沖縄本島で、過ごす予定です。

コメントありがとうございます。
では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年11月12日 06:58


伊平屋島関連ですが「伊平屋(いへや、イヒャ)」の地名の由来が「ヤヘヱ岩から来ている」との俗伝もあります、伊平屋の旧表記は「惠平屋」ですつまり「ゑへや」です、この伊平屋が神高い島故に神高い岩の「ヤヘヱ岩」を島の名前にしようとしたが、畏れ多過ぎて逆さまにして「ヱヘヤ」と決まり後に当て字され「惠平屋嶋」になり、さらに文字が改められて「伊平屋島」となった。というものです。また伊平屋諸島は神謡の宝庫です。伊平屋島の「田名のウムイ」「田名の大城グェンノー」「田名のティルクグチ」、「田名のウシデークのチャンクラの節、天川節、ションガネ節」伊是名島(旧伊平屋間切)の「仲田のティルクグチ」、「諸見のティルクグチ」、「伊是名のティルクグチ」、「勢理客のティルクグチ」、「勢理客のイルチャヨー」などなど多数存在しますよ。伊平屋諸島からは「第一尚氏初代尚思紹王(君志真物)」と「第二尚氏初代尚円王(金丸按司添末)」の出身地ですからね。
Posted by くがなー at 2010年11月11日 20:47


コメント以外の目的が急増し、承認後、受け付ける設定に変更致しました。今しばらくお待ち下さい。

※TI-DAのURLを記入していただくと、ブログのプロフィール画像が出ます。もしよろしければ、ご利用下さい。(詳細はこの下線部クリックして「コメ★プロ!」をご覧下さい。)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。
琉球沖縄の伝説・沖縄本島編」 新着20件  → 目次(サイトマップ)       設置方法