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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第184話。


普天間権現(ふてんまごんげん)



 むかし(むかし)の、ある大晦日(おおみそか)のことです。
 読谷山(ゆんたんざ/ゆんたんじゃ)(ひと)が、(いも)野菜(やさい)()るために、(うま)()いて首里(しゅり/しゅい/すい)まで()ったそうです。そして、(かえ)(ころ)には、もうすっかり()()れて、その(よる)(なに)()えないほどの真暗闇(まっくらやみ)で、(いえ)無事(ぶじ)辿(たど)()くのは不可能(ふかのう)だと(おも)われました。
 そこへ権現様(ごんげんさま)がやって()()うことには、
 「どうか(うま)()せてくれませんか。」と。
 そこで()せてあげて、普天間(ふてんま)のお(みや)洞窟(どうくつ)(まえ)まで()ました。
 すると権現様(ごんげんさま)権現洞(ごんげんどう)(なか)(はい)って()(まえ)()うことには、
 「ここで()ろして(くだ)さい。
 ところであなたは、これから(いえ)まで(かえ)(あいだ)(あか)るく()らされて()くのと、(なに)()しい(もの)()(はい)るのと、もしも(ねが)いが(かな)うなら、どちらを(えら)びますか。」と。
 読谷山(ゆんたんざ)(ひと)が、
今晩(こんばん)(あま)りに(くら)くて、(なに)()えず、(ある)(こと)すらままなりません。やはり(あか)るいのが一番(いちばん)です。」と。
 そう()って(わか)れたそうです。それから権現様(ごんげんさま)は、読谷山(ゆんたんざ)(いえ)辿(たど)()くまで、(みち)(あか)るく()らし()して(くだ)さったそうです。
 その(こと)があってからというもの、この読谷山(ゆんたんざ)(ひと)は、九月(くがつ)になると、いつも(うま)(くら)だけをのせて、普天間(ふてんま)まで(おが)みに()ったそうです。
 そしてまた、読谷山(ゆんたんざ)人々(ひとびと)は、(うま)神様(かみさま)()(もの)として大切(たいせつ)にするようになり、(けっ)して()べたりしなくなったそうな。



 
※この話の参考とした話
沖縄本島・沖縄県宜野湾市野嵩~『宜野湾市史』第五巻資料編四 民俗
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村喜名~『喜名の民話』読谷村民話資料2
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村宇座~『宇座の民話』読谷村民話資料6
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村伊良皆~『伊良皆の民話』読谷村民話資料1
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村儀間~『儀間の民話』読谷村民話資料5
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村渡慶次~渡嘉敷村史別冊『とかしきの民話』


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●伝承地
沖縄本島・沖縄県宜野湾市野嵩~大晦日にね、読谷の人が芋や野菜を売るために馬を引いて首里に行ったって。そうして、この人が帰るころにはもう日も暮れて、真暗闇でなんにも見えなくなったって。そこへ権現様がやってきて、「馬に乗せてくれ」と言ったらしい。で乗せてやって、お宮の洞窟の前まできたって。そしたら、「ここでおろしてくれ」と言って、この人は、権現洞の中に入って行ったって。そのときに、権現様が、「あんたはね、お家に帰るまで明るく照らされていくのがいいか。それとも何か欲しいのがあったら言ってくれ」と言ったんで、読谷の人は、「もう今晩は暗くてなんにも見えない、歩くこともできないから、明るくしてくれるのが一番いい」と願ったらしいよ。そしたらね、もう、この人が読谷に帰り着くまで明るくしてあったって。そのあとから、読谷の人は九月になったら、いつも空馬に鞍をおいて普天間まで拝みに来よったって。そしてね、読谷の人は絶対に馬を殺して食べたりしなかったって。(『宜野湾市史』第五巻資料編四 民俗)
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村喜名~ある侍に顔を見られてしまった娘は、落胆して芭蕉糸を持ったまま普天間の洞窟に入って行った。妹がその糸を辿って行ったが、とうとう姉を捜し出すことは出来なかった。(『喜名の民話』読谷村民話資料2)
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村宇座~ある娘が、侍と恋仲になった。親にそれを反対された娘は、その侍に、「私は芭蕉の糸を引いて家を出ますから、それを辿って来てください」と言って、普天間の洞窟に行ったということだ。(『宇座の民話』読谷村民話資料6)
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村伊良皆~布売りに顔を見られた娘は、笊(ざる)にためておいた芭蕉糸の先を口にくわえて、普天間宮の洞窟へ一目散に走って行った。すると、たちまち笊一杯の芭蕉糸が全部無くなった。(『伊良皆の民話』読谷村民話資料1)
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村儀間~普天間の穴の中へ逃げて行った娘に、親は家に戻るよう説得した。しかし、娘は、自分は貴女の腹を借りただけで、普通の家庭にいるべき者ではない」と言った。その道理から普天問権現が建てられた。(『儀間の民話』読谷村民話資料5)
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村渡慶次~洞窟の中で姿を消した娘は、壕の神になったということで、信仰するようになった。(『渡慶次の民話』読谷村民話資料7)○沖縄本島・沖縄県島尻郡渡嘉敷村阿波連~家に閉じ籠もっていた娘が、油売りに顔を見られてしまったので、紡いでいた糸を引いたまま、普天間の洞窟に行った。その道中、草は全部おじぎしたけれど、松とクバはそれをしなかったので、若返らないという話がある。(渡嘉敷村史別冊『とかしきの民話』)


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骨格調整ビーイングさん、はいさい、今日(ちゅう)拝(うが)なびら。

そうですか。
学生の時に、読谷の民話の編集アルバイトを、されたんですか。
そのお蔭で、僕はこうして、ブログを書けることに繋がったわけですねえ。
感謝。

実は、この夏休みの8月に、読谷の民話資料15巻全部を、一気に全て、手に入れて買いました。

今までは、他の資料の中の文末で、しばしば、読谷の民話資料第○巻などと見かけてきただけで、
8月の上旬に、読谷の図書館で、初めて民話資料15巻を、目で見ました。
その後、読谷の、民俗資料館で、偶然、全巻を手に入れました。

ご存じの通り、民話の資料が作られている地域があります。
ただ、民話だけに限ると、だいたい一冊が多く、多くて三冊です。

その中で読谷は、
民話だけでも、桁違いの十五冊で、
他になかなか、ここまで資料を徹底して残した地域は、ないのではないでしょうか。
もしかすると、沖縄どころか、日本一かもしれません。

そして骨格調整ビーイングさんは、その一端を担ったわけですねぇ~。

次回もまた、普天間の話です。
では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2011年09月02日 20:47


toshiさん

相変わらす地元の人間なのに・・・・・・(ノ_-。)状態です。
学生の頃、読谷の民話の編集アルバイトをホンの少しだけやったことがあります。
すっかり忘れてしまい、とても懐かしく感じます。
Posted by 骨格調整ビーイング骨格調整ビーイング at 2011年09月02日 17:23


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