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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第174話。
むかし
「あなたには
そう
「いくら、お
すると、
「
こうして、
いよいよ、
「
あなたがあの
そこで
その
すると、その
ところで
ある
なお、
なおその
さて、いよいよ、その
その
ところが、あろうことか
それからというもの、その
さて
なお
それから
※この話の参考とした話
①沖縄本島・沖縄県島尻郡南風原町神里~「ふるさとの民話 南風原町」第一集
②沖縄本島・沖縄県うるま市(旧・具志川市)~『具志川市誌』
◆腓城の場所◆~首里城を取り巻く道と、赤マルソウ通りが交差する三叉路の周辺に、むかし慈悲院の井戸(でーふぃんがー)があり、この周辺は首里城の下のため「ぐしくぬしちゃー」とも呼ばれ、その首里城の城壁あたりが腓城(くんだぐしく/くんだぐすく)だといわれる。
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●伝承地
①○沖縄本島・沖縄県島尻郡南風原町神里~王様が、武芸の試合させてね。首里の配下で、一番強い者は誰かという真剣勝負させようとしたら、片方は、兄弟も多かったが、片方は、一人息子だった。その母親が、「あなた方は兄弟も多いが、私達は、これ一人。真剣勝負というからまかり間違えば、死ななければならない。何とかあなたが負けてくれないか」と頼んだ。そしたらね、「だったら、私に死ねというのですか」と言ったらしいね。「そうではないがね、どうにかして負けたふりをしてくれないか」と、そう言われたもんだから、強い親の願いにいやとも言えないで、「それじゃあ、そうしましょう」と言ってね。今度は、王様の前で真剣勝負をしたそうです。始まったばかりのときに、「しまった」と言ってね、負けたふりをしたそうです。そしたら、王様は、相手の男を勝ちと言ってね、それが首里で一番強い人ということになった。そして、もう一人の負けた人には、怒って、「今まで立派ないい手を持っているのに、傷一つもないのにね、負けたということがあるか」って言ってね、この男を指南役から外したらしい。その王様の王女は、この男が好きでたまらない。男も王女が好きだったわけ。これを聞いた王女も、「なぜ、あんたがあんなに負けたか、今まで、あんたが負けることは絶対ないのに」って言うたらね、「いや、こうこうわけでね、向こうのお母さんが、私に、『ぜひ、あんた、負けてくれ』と言うもんだから、向こうは一人息子なので、どうすることもできなくて、私はこういうふうになった」って言ってね。こういうふうに話して、首里城のお堀の赤木のたくさんあるところで、密通したらしいんですよ。それで、そういうふうに話し合いするのを、夜回りに見られてね、「あの夜回りから王様にこれを告げ口されたら、わしらはたいへんだ。打ち首だから」とその夜回りを斬ってしまったらしい。それから、首里の城内では、夜回りが殺されたと、大騒ぎになって、取り調べになってね。その晩、男が家に帰ったら、妻だったか、お母さんだったか、はっきりわからないが、「昨夜、首里でこういうふうな話があって、城内は非常に騒いでおるが、まさかあんたは、そんなことやらなかったでしょうねえ」と言ったって。「いや、私は何も、何もやりませんでした」そして、奥さんかお母さんかわからないが、羽織袴を畳もうとしたらね、この間に指輪が入ってるような気がした。これ出してみたらね、王女の髪にする花染の手拭いだったらしい。それを見て、「あんたはもうたいへんだ。そんな大変なことをあんたがやったかねえ。やがて、向こうから取り調べに来る」と言った。そのことを、私は、一番強いと認められたという相手の男が、またこの男をけなそうとして、告げ口したらしいなあ。「確かにあれがやった」とかなんとか。そして、向こうから調べに来て、花染め手拭いのあるのを見て、「これはもう、この人にまちがいない」と言って。そしてねえ、南風原高校の向こうに首里城の人が馬のけいこする馬場で、識名馬イーという所がありますよね。あそこで、男は処刑されることになった。そして、識名の馬場で死刑にする男を槍で突こうとするときの合図に、首里城の城壁からは、識名馬場に向かってね、時間を決めて旗を立てた。この旗が倒れたら処刑してもいい。まだ立っていたら、処刑してはいけないと。この旗持ちは、この王女だったらしいですよ。あっちで槍を向けてね、やろうかとするときに、王女がまちがってつまついてね、倒れたらしいですよ。それで、旗は倒れた。倒れたから、向こうから刺された。それで、王女は、「あっ、しまった」と言って、すぐ城壁から落ちて王女も死んでしまった。この王女のなきがらは、城壁の途中の赤木の枝にぶらさがっていたのを、犬が喰ってしまったので、足のふくらはぎ(クンダ)だけが残っておったって。で、向こうは腓城(クンダグシク)という。(「ふるさとの民話 南風原町」第一集)
②○沖縄本島・沖縄県うるま市(旧・具志川市)~第一尚氏の尚徳王は、酒女にふけり久高祝女との愛に溺れたために二九歳の年に安里親方に滅ぼされた。そのとき王妃と乳母は、王子を抱いて城を脱出し真玉城に隠れたが見つけられて殺され、首里城の崖の下に葬られた。その後、そこは何事も願いを叶えるということで信仰された。あるとき、真壁間切真栄平村の謝名の家の出の者で、金城という男が奉公先で事務上の手違いを起こし、処罰されることになった。それで、その王妃の骨を葬る崖下に行って、「死罪だけは免れますように。もし願いが叶いましたら自分の出身地で手厚く葬ります」とお祈りした。その後で、軽微な処置で済んだ男は、王妃の遺骸を祈願した通りに自分の村に移して、手厚く葬った。しかし、狼狽のためか、腓骨の一本がそこに残ってしまった。後世の人達は、腓骨を拝むようになり、この場所をクンダ城と称するようになった。(『具志川市誌』)
①○沖縄本島・沖縄県島尻郡南風原町神里~王様が、武芸の試合させてね。首里の配下で、一番強い者は誰かという真剣勝負させようとしたら、片方は、兄弟も多かったが、片方は、一人息子だった。その母親が、「あなた方は兄弟も多いが、私達は、これ一人。真剣勝負というからまかり間違えば、死ななければならない。何とかあなたが負けてくれないか」と頼んだ。そしたらね、「だったら、私に死ねというのですか」と言ったらしいね。「そうではないがね、どうにかして負けたふりをしてくれないか」と、そう言われたもんだから、強い親の願いにいやとも言えないで、「それじゃあ、そうしましょう」と言ってね。今度は、王様の前で真剣勝負をしたそうです。始まったばかりのときに、「しまった」と言ってね、負けたふりをしたそうです。そしたら、王様は、相手の男を勝ちと言ってね、それが首里で一番強い人ということになった。そして、もう一人の負けた人には、怒って、「今まで立派ないい手を持っているのに、傷一つもないのにね、負けたということがあるか」って言ってね、この男を指南役から外したらしい。その王様の王女は、この男が好きでたまらない。男も王女が好きだったわけ。これを聞いた王女も、「なぜ、あんたがあんなに負けたか、今まで、あんたが負けることは絶対ないのに」って言うたらね、「いや、こうこうわけでね、向こうのお母さんが、私に、『ぜひ、あんた、負けてくれ』と言うもんだから、向こうは一人息子なので、どうすることもできなくて、私はこういうふうになった」って言ってね。こういうふうに話して、首里城のお堀の赤木のたくさんあるところで、密通したらしいんですよ。それで、そういうふうに話し合いするのを、夜回りに見られてね、「あの夜回りから王様にこれを告げ口されたら、わしらはたいへんだ。打ち首だから」とその夜回りを斬ってしまったらしい。それから、首里の城内では、夜回りが殺されたと、大騒ぎになって、取り調べになってね。その晩、男が家に帰ったら、妻だったか、お母さんだったか、はっきりわからないが、「昨夜、首里でこういうふうな話があって、城内は非常に騒いでおるが、まさかあんたは、そんなことやらなかったでしょうねえ」と言ったって。「いや、私は何も、何もやりませんでした」そして、奥さんかお母さんかわからないが、羽織袴を畳もうとしたらね、この間に指輪が入ってるような気がした。これ出してみたらね、王女の髪にする花染の手拭いだったらしい。それを見て、「あんたはもうたいへんだ。そんな大変なことをあんたがやったかねえ。やがて、向こうから取り調べに来る」と言った。そのことを、私は、一番強いと認められたという相手の男が、またこの男をけなそうとして、告げ口したらしいなあ。「確かにあれがやった」とかなんとか。そして、向こうから調べに来て、花染め手拭いのあるのを見て、「これはもう、この人にまちがいない」と言って。そしてねえ、南風原高校の向こうに首里城の人が馬のけいこする馬場で、識名馬イーという所がありますよね。あそこで、男は処刑されることになった。そして、識名の馬場で死刑にする男を槍で突こうとするときの合図に、首里城の城壁からは、識名馬場に向かってね、時間を決めて旗を立てた。この旗が倒れたら処刑してもいい。まだ立っていたら、処刑してはいけないと。この旗持ちは、この王女だったらしいですよ。あっちで槍を向けてね、やろうかとするときに、王女がまちがってつまついてね、倒れたらしいですよ。それで、旗は倒れた。倒れたから、向こうから刺された。それで、王女は、「あっ、しまった」と言って、すぐ城壁から落ちて王女も死んでしまった。この王女のなきがらは、城壁の途中の赤木の枝にぶらさがっていたのを、犬が喰ってしまったので、足のふくらはぎ(クンダ)だけが残っておったって。で、向こうは腓城(クンダグシク)という。(「ふるさとの民話 南風原町」第一集)
②○沖縄本島・沖縄県うるま市(旧・具志川市)~第一尚氏の尚徳王は、酒女にふけり久高祝女との愛に溺れたために二九歳の年に安里親方に滅ぼされた。そのとき王妃と乳母は、王子を抱いて城を脱出し真玉城に隠れたが見つけられて殺され、首里城の崖の下に葬られた。その後、そこは何事も願いを叶えるということで信仰された。あるとき、真壁間切真栄平村の謝名の家の出の者で、金城という男が奉公先で事務上の手違いを起こし、処罰されることになった。それで、その王妃の骨を葬る崖下に行って、「死罪だけは免れますように。もし願いが叶いましたら自分の出身地で手厚く葬ります」とお祈りした。その後で、軽微な処置で済んだ男は、王妃の遺骸を祈願した通りに自分の村に移して、手厚く葬った。しかし、狼狽のためか、腓骨の一本がそこに残ってしまった。後世の人達は、腓骨を拝むようになり、この場所をクンダ城と称するようになった。(『具志川市誌』)
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予想外どころか、予想外ばっかりの展開で、
僕の場合は、そこでコケるかぁ・・・・・・ってな感じで、
怒りを通り越して、呆れました~。
普通でも、かなり大切な時でも、コケても、
女性であれば、笑えたりすると思うんです。
でも、人の命がかかっているとなれば、真剣さや冷静さが必要。
この王女には、そういったものが、残念ながら、なかったのでしょう。
ただ、武士には妻がいて、
民主主義ではない時代の事にせよ、妻に隠し事をしているので、
武士も王女も、あまり、共感を得られないストーリーになっています。
よく練られた作品でないだけに、なかなか面白い民話と感じました。
では。
Posted by 横浜のtoshi
at 2011年08月07日 07:26

Posted by ルミ at 2011年08月06日 22:31
ちゅらら観光大志の、横浜のtoshiです。
名前ばっかりで、このところ貢献してないし、セコムの散歩にも行ってない。反省。
★☆★☆★西口賢治8月遊書in沖縄★☆★☆★
8月13日(土曜日)旧盆ナカヌヒー : 午後1時~午後8時
「楽茶陶房ちゅらら~西口賢治・遊書ライブ」
那覇市首里当蔵町1丁目14 098-886-5188
※もちろん全面的に、お手伝いしま~す。
★☆★☆★定例8月・楽茶陶房ちゅららライブ★☆★☆★
8月27日(土曜日) PM8:00~
「楽茶陶房ちゅらら~定例第4土曜日・音楽ライブ
那覇市首里当蔵町1丁目14 098-886-5188
※もちろん、宮古島から、駆けつけま~す。
クンダグスクの話は、長文なので、何日もかかってしまいました。
前半の話は、あまり沖縄では、知られていない話だと思います。
クンダグスクは、そもそも資料が少ない上、謎も多いんです。
クンダグスクは、首里城の「京の内」の、外壁の下あたりの森の中にある、
聖域(グスク)で、古い墓らしい石積みがあるそうです。
前に、森に入ろうとして、うっそうとしていて止めました。
今は台風の後だから、草がなくて、チャンスかも(笑)。
話は悲劇的なんだけれども、逆に、クンダグスクは霊験あらたかで、
願いがとっても叶う拝所(うがんじゅ)なんですよ~。
クンダグスクに向かって、今度、うーとーとぅーしてみて下さいね~。
では。
Posted by 横浜のtoshi at 2011年08月06日 19:08
長文打ち込みお疲れさまでした。
セコムの散歩でいつも通り首里城の城壁通り
不思議と深夜薄暗くても怖くないんですよね。
でも、このお話しを思い出しながら散歩をすると少し怖くなるかも知れませんね(汗)
ほろ酔いで一人で守礼門のも行ったりします。
が…すぐ忘れてまた行きそうですよ。
Posted by セコム at 2011年08月06日 14:55
コメント以外の目的が急増し、承認後、受け付ける設定に変更致しました。今しばらくお待ち下さい。
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