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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第19話。
島の始まりの話
むかしむかしの
とっても
ある日のこと、
ところがどうしたものか、ある場所まで
こんな海の
兄は、
ところがそこは
兄のフナキーは、
そして兄は妹に向かって、「妹よ。これは、よい島だと思わないか」と
すると妹は島を見ながら、兄に向かって、「よい島かどうかより、二人で、よい島にしましょう」と答えました。
兄のフナキーは、二人で
ある日のことです。
空を飛んでいた、二羽の大きな白い鳥が、フナキーたちの
鳥たちを見ながら、
なおこの島は、
※この話の参考とした話
①奄美・鹿児島県大島郡与論町麦屋西区~『奄美大島与論島の民俗語彙と昔話』
②奄美・鹿児島県郡与諭町東区~『与論のしまがたり』
③奄美・鹿児島県郡与論町茶花~『与論島の生活と伝承』
④同上~同上
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●伝承地
①奄美・鹿児島県大島郡与論町麦屋西区~ムッカーシ、ムッカーシ、ウームカシ、ヌ、フトゥ(むかし、むかし、大昔、の、こと)。 仲のよいフナキー(兄と妹、または姉と弟、夫婦にも使う)がいました。兄と妹と二人の乗った小舟は、広い広い海の上を進んでいました。風のない日でありましたから、海は油を流したように、ないでいました。小舟は、海の上をすべるように進んでいました。ところが、どうしたものか、小舟のハジ(かじ)がひっかかってしまいました。こんな海の真ん中にハジがひっかかるとは不思議なことでした。兄は、チマラキ(着物のすそをまくりあげる)して小舟からおりました。すると、そこは瀬になっていました。ところが、しばらくして、海水は、左、右、前、後にひいてしまい、瀬はみるみるうちに大きな浅瀬になりました。浅瀬は、たちまち高くなって島になりました。フナキーはテントーさま(おてんと)を仰いで
「ヒットートゥ、ヒットートゥ、ユカシマウマラチ、タバーチ、トートーゥガナシ、ティンヌ、カミサマヒットートゥガナシ(おてんとうさま、おてんとうさま、良い島をお産み、くださり感謝します。天の神様、感謝します)」といって拝みました。兄は、妹に、
「ユカ・ジマ、エビュイ(よい、島で、ございます)」といいました。妹は、兄に 「ユカシマ、シヤ、ビラン(よい島、にしましょう)」と答えました。
フナキーは、二人で住む島ができたので、たいそう喜びました。それから家を建てて、そこを国垣(くにがき)とよびました。ある日のこと、天を飛んでいた二羽のホートィ(白鳥)が、フナキーの目の前に舞いおりてきました。
そして夫婦のちぎりを結びました。フナキーはたいへん驚きました。それから、フナキーは、白鳥を見まねて仲むつまじく暮しているうち、たくさんの子どもが生まれました。島は、海のものがたくさんとれ、畑のものがたくさんみのりましたので、その子孫は島いっぱいになり、盛になったということです。(『奄美大島与論島の民俗語彙と昔話』)
②奄美・鹿児島県郡与諭町東区~大昔、仲の良い兄妹が小舟にのって南の広い海の上を進んでいた。海のまん中で舟の舵がひっかかってしまった。そこは浅瀬で海水がひき、陸になった。天の神が黄金の島を下さったと大へん喜び、国垣と呼び、家、屋敷を構えて住んだ。かもめの夫婦のちぎりみて、子孫を生んだ。(『与論のしまがたり』)
③奄美・鹿児島県郡与論町茶花~大昔、アマミク・シニグクの神が魚取りをしようとして、舟にのって遠いところへ行っていると、舟の舵が浅瀬にかかって、舟が止った。浅瀬におりてみると、瀬が盛り上ってきた。アマミクの神がシニグクの神に良い島でございますというと、シニグクの神は良い島にしましょうといったということだ。(『与論島の生活と伝承』)
④同右~大昔、与論島は、波の上の方へ浮き上って、ゆれ動いていた。アマミクとシニグクの両神がタカマガハラからおりてきて、三本の柱を打ちこみ島が動かないようにした。鶴の鳥が交尾するのをみて、子孫を生んだ。(同右)
①奄美・鹿児島県大島郡与論町麦屋西区~ムッカーシ、ムッカーシ、ウームカシ、ヌ、フトゥ(むかし、むかし、大昔、の、こと)。 仲のよいフナキー(兄と妹、または姉と弟、夫婦にも使う)がいました。兄と妹と二人の乗った小舟は、広い広い海の上を進んでいました。風のない日でありましたから、海は油を流したように、ないでいました。小舟は、海の上をすべるように進んでいました。ところが、どうしたものか、小舟のハジ(かじ)がひっかかってしまいました。こんな海の真ん中にハジがひっかかるとは不思議なことでした。兄は、チマラキ(着物のすそをまくりあげる)して小舟からおりました。すると、そこは瀬になっていました。ところが、しばらくして、海水は、左、右、前、後にひいてしまい、瀬はみるみるうちに大きな浅瀬になりました。浅瀬は、たちまち高くなって島になりました。フナキーはテントーさま(おてんと)を仰いで
「ヒットートゥ、ヒットートゥ、ユカシマウマラチ、タバーチ、トートーゥガナシ、ティンヌ、カミサマヒットートゥガナシ(おてんとうさま、おてんとうさま、良い島をお産み、くださり感謝します。天の神様、感謝します)」といって拝みました。兄は、妹に、
「ユカ・ジマ、エビュイ(よい、島で、ございます)」といいました。妹は、兄に 「ユカシマ、シヤ、ビラン(よい島、にしましょう)」と答えました。
フナキーは、二人で住む島ができたので、たいそう喜びました。それから家を建てて、そこを国垣(くにがき)とよびました。ある日のこと、天を飛んでいた二羽のホートィ(白鳥)が、フナキーの目の前に舞いおりてきました。
そして夫婦のちぎりを結びました。フナキーはたいへん驚きました。それから、フナキーは、白鳥を見まねて仲むつまじく暮しているうち、たくさんの子どもが生まれました。島は、海のものがたくさんとれ、畑のものがたくさんみのりましたので、その子孫は島いっぱいになり、盛になったということです。(『奄美大島与論島の民俗語彙と昔話』)
②奄美・鹿児島県郡与諭町東区~大昔、仲の良い兄妹が小舟にのって南の広い海の上を進んでいた。海のまん中で舟の舵がひっかかってしまった。そこは浅瀬で海水がひき、陸になった。天の神が黄金の島を下さったと大へん喜び、国垣と呼び、家、屋敷を構えて住んだ。かもめの夫婦のちぎりみて、子孫を生んだ。(『与論のしまがたり』)
③奄美・鹿児島県郡与論町茶花~大昔、アマミク・シニグクの神が魚取りをしようとして、舟にのって遠いところへ行っていると、舟の舵が浅瀬にかかって、舟が止った。浅瀬におりてみると、瀬が盛り上ってきた。アマミクの神がシニグクの神に良い島でございますというと、シニグクの神は良い島にしましょうといったということだ。(『与論島の生活と伝承』)
④同右~大昔、与論島は、波の上の方へ浮き上って、ゆれ動いていた。アマミクとシニグクの両神がタカマガハラからおりてきて、三本の柱を打ちこみ島が動かないようにした。鶴の鳥が交尾するのをみて、子孫を生んだ。(同右)
この記事へのコメント・感想・ゆんたくはじめ、お気軽にお書き下さい。承認後アップされます。
ハニさん。こんにちは。
ヨロンに住んでいる方から、書き込みを頂くなんて、
光栄です。
そして、嬉しいです。
行ってみたい島の一つです。
本だけは、読んでいるんですが。
一般的な人だと、
与論島は、
「ヨロントウ」と発音したりしますが、
本当は「ヨロンジマ」なんだなあと、僕も知ったばかりです。
御時間がある時に、読んでいただけると、光栄です。
あくまで僕も、勉強中なので、
ここに書きながら、頭を少しずつ、整理していきたいと思っています。
コメントありがとうございました。
では。
ヨロンに住んでいる方から、書き込みを頂くなんて、
光栄です。
そして、嬉しいです。
行ってみたい島の一つです。
本だけは、読んでいるんですが。
一般的な人だと、
与論島は、
「ヨロントウ」と発音したりしますが、
本当は「ヨロンジマ」なんだなあと、僕も知ったばかりです。
御時間がある時に、読んでいただけると、光栄です。
あくまで僕も、勉強中なので、
ここに書きながら、頭を少しずつ、整理していきたいと思っています。
コメントありがとうございました。
では。
Posted by 横浜のtoshi at 2010年11月06日 10:30
Posted by ハニ at 2010年11月06日 07:17
うみうたサン、
こんにちは。
実は僕も、
昨日まで忙しく、
アップする時間を決めている僕の場合は、
このところ、
アップするのが、数分前、数秒前なんです。
そんなですから、
みなさんのブログを見る時間が無くて、もうしわけなく思っております。
僕も、与論島には、行っておりません。
もちろん、行きたい島の一つです。
辺土岬には、何度も行っているので、
与論島は、何度も、見ているのですが・・・・・・。
「与論」は昔、「ユンヌ」と呼ばれていたそうです。
行って、昔を感じてみたいなぁ~。
与論島には、
有名な、
干潮時に、海の上で姿を現す砂浜「百合ケ浜」があると聞いています。
ですから、
僕はこの話を初めて読んだ時、あまり違和感を感じませんでした。
コメントありがとうございま~す。
では。
こんにちは。
実は僕も、
昨日まで忙しく、
アップする時間を決めている僕の場合は、
このところ、
アップするのが、数分前、数秒前なんです。
そんなですから、
みなさんのブログを見る時間が無くて、もうしわけなく思っております。
僕も、与論島には、行っておりません。
もちろん、行きたい島の一つです。
辺土岬には、何度も行っているので、
与論島は、何度も、見ているのですが・・・・・・。
「与論」は昔、「ユンヌ」と呼ばれていたそうです。
行って、昔を感じてみたいなぁ~。
与論島には、
有名な、
干潮時に、海の上で姿を現す砂浜「百合ケ浜」があると聞いています。
ですから、
僕はこの話を初めて読んだ時、あまり違和感を感じませんでした。
コメントありがとうございま~す。
では。
Posted by 横浜のtoshi at 2010年11月01日 14:04
こんばんは。
長いことコメントご無沙汰しておりましたm(_ _)m
ちょっと忙しいのが終わり、いい秋です。笑
さて、与論は行ったことがないのですよ。
行ってみたいですね〜。
物事のはじまりのお話って、なんだかいいですね。
「よい島かどうかより、二人でよい島にしましょう」
という言葉。
何事でもそうですよね。
ポジティブに考え生きていくことがいかに大切か!
また遊びにきますね(*^_^*)
長いことコメントご無沙汰しておりましたm(_ _)m
ちょっと忙しいのが終わり、いい秋です。笑
さて、与論は行ったことがないのですよ。
行ってみたいですね〜。
物事のはじまりのお話って、なんだかいいですね。
「よい島かどうかより、二人でよい島にしましょう」
という言葉。
何事でもそうですよね。
ポジティブに考え生きていくことがいかに大切か!
また遊びにきますね(*^_^*)
Posted by うみうた at 2010年10月31日 22:42
コメント以外の目的が急増し、承認後、受け付ける設定に変更致しました。今しばらくお待ち下さい。
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