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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第25話。
ヲナリとヰ ヒリ
むかし
天の神さまが、七人の
その中の、一人の兄と、一人の妹は、
二人は夫婦になったものの、まだ夫婦の夜の
ある時に二人は、いつものように
するとそこで、二匹の
これが
※この話の参考とした話
①奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町阿多地~『瀬戸内町誌』民俗編
②奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町蘇刈~『瀬戸内町誌』
③同上~同上
④奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内清水~同上
⑤奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町諸鈍~同上
⑥奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町阿鉄~同上
⑦奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町池地~同上
⑧奄美・鹿児島県大島郡名瀬市小湊~「奄美民俗ノート」1
⑨奄美・鹿児島県大島郡笠利町宇宿~『笠利町誌』
⑩奄美・鹿児島県大島郡笠利町同上~『薩南諸島の総合的研究』
⑪奄美・鹿児島県大島郡郡笠利町用安~同上
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●伝承地
①奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町阿多地~その昔、天の神様が七人の兄弟姉妹を地上に送り届けて、村造り、国造りをするようにと言った。その中の一人の兄と一人の妹は夫婦になった。夫婦になった兄妹は、村造りを始めた。小屋を造り開墾をして住みつくようになった。まだほんとうの夫婦のいとなみについては何も知らなかった。だから子どもを産む術も知らないでいた。いつものように精を出して働いていた二人は、水を飲みに近くの泉に出かけた。そこで二匹のソーディモリ(いもり〉がつるんでいるのをみた。ソーディモリでさえ交尾して子どもを産むことができる。私たちもそのようにすれば、子どもができるのではないかとどちらからともなく考えるようになった。そして二人ははじめて夫婦になった。やがて子どもができた。これが村の先祖の始まりだという。(『瀬戸内町誌』民俗編)
②奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町蘇刈~知之浦の薩川よりの辺鄙(へんぴ)な作場へ、ヲナリ・ヰヒリが田植えに行った。田には水がなく、二人は浜辺で泣いていた。そこへ白髪の老人とおぼしき神が現われ、お前たち二人が夫婦になれば雨が降るといった。二人が夫婦になると雨が降り、田植えができた。二人はそこに住みついた。その浜をトジュトバマ(夫婦浜)と呼んでいる。(『瀬戸内町誌』)③同上~二人の兄妹が、遠い昔、山の中で夫婦の交わりをする時の褥(じょく・にく/※柔らかい敷物)にツワブキの葉を敷(し)いた。だからツワブキの葉をまるめると、葉柄(ようへい)につながる葉身(ようしん)の裂け目(さけめ)が、女の性器ににているという。(同上)
④奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内清水~大昔、ヲナリとヰヒリが夫婦になった。子どもは北に向って(向かって)うまれた。それで人は死ぬ時(、)北枕にする。(同上)
⑤奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町諸鈍~昔、兄妹が夫婦でいた。兄は仕事をしないで酒ばかり飲んでいた。妹は、どこからか酒を持ってきた。それは床下(よかした)のつぼであったが兄が発見した。妹はそれを恥(は)じて、掘り起(こ)し、山の尾根づたいに馳(か)けのぼり、対岸(たいがん)の皆津という字のみえるアヤフジャという禿山(はげやま)に埋(う)めた。このつぼをアヤガメという。(同上)
⑥奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町阿鉄~喜界島から霊威(れいい)高い人が兄とともにやってきて、阿鉄の村をつくったという。(同上)
⑦奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町池地~妹と兄が池地の浜のようなところで、世の中の儀式をしようとツワブキの青葉を前においた。兄がツワブキの葉をつらぬいて夫婦になった。(同上)
⑧奄美・鹿児島県大島郡名瀬市小湊~昔、イイマランコラという王子と王女の兄妹が夫婦関係になったので、水のもれない箱に入れて流した。この二人が流れ着いたのが小湊のイソビラという海岸であった。王子は大石をかつぎ、王女は小石をかつぎ山道をのぼって頂上に行き、部落をみて真中をきめて、ここで暮らした。(「奄美民俗ノート」1)
⑨奄美・鹿児島県大島郡笠利町宇宿~昔、宇宿で戦争があり、部落の人はほとんど死に、男の子と女の子の二人だけが、田のなかに入って鍋(なべ)をかぶっていたために助かった。この二人が生んだのがこの部落の子孫であるという。(『笠利町誌』)
⑩奄美・鹿児島県大島郡笠利町同上~昔、人殺しがきて、皆殺しにされた。兄妹二人が田の中に穴を掘り、鍋をかぶり生き残った。あとで二人が結婚し、子孫ができた。(『薩南諸島の総合的研究』)
⑪奄美・鹿児島県大島郡郡笠利町用安~昔、大波がでて、アデツ(地名)の兄妹は大波がくるのを人々に知らせ、山にのぼって助かり、二人で用安を作った。(同上)
①奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町阿多地~その昔、天の神様が七人の兄弟姉妹を地上に送り届けて、村造り、国造りをするようにと言った。その中の一人の兄と一人の妹は夫婦になった。夫婦になった兄妹は、村造りを始めた。小屋を造り開墾をして住みつくようになった。まだほんとうの夫婦のいとなみについては何も知らなかった。だから子どもを産む術も知らないでいた。いつものように精を出して働いていた二人は、水を飲みに近くの泉に出かけた。そこで二匹のソーディモリ(いもり〉がつるんでいるのをみた。ソーディモリでさえ交尾して子どもを産むことができる。私たちもそのようにすれば、子どもができるのではないかとどちらからともなく考えるようになった。そして二人ははじめて夫婦になった。やがて子どもができた。これが村の先祖の始まりだという。(『瀬戸内町誌』民俗編)
②奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町蘇刈~知之浦の薩川よりの辺鄙(へんぴ)な作場へ、ヲナリ・ヰヒリが田植えに行った。田には水がなく、二人は浜辺で泣いていた。そこへ白髪の老人とおぼしき神が現われ、お前たち二人が夫婦になれば雨が降るといった。二人が夫婦になると雨が降り、田植えができた。二人はそこに住みついた。その浜をトジュトバマ(夫婦浜)と呼んでいる。(『瀬戸内町誌』)③同上~二人の兄妹が、遠い昔、山の中で夫婦の交わりをする時の褥(じょく・にく/※柔らかい敷物)にツワブキの葉を敷(し)いた。だからツワブキの葉をまるめると、葉柄(ようへい)につながる葉身(ようしん)の裂け目(さけめ)が、女の性器ににているという。(同上)
④奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内清水~大昔、ヲナリとヰヒリが夫婦になった。子どもは北に向って(向かって)うまれた。それで人は死ぬ時(、)北枕にする。(同上)
⑤奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町諸鈍~昔、兄妹が夫婦でいた。兄は仕事をしないで酒ばかり飲んでいた。妹は、どこからか酒を持ってきた。それは床下(よかした)のつぼであったが兄が発見した。妹はそれを恥(は)じて、掘り起(こ)し、山の尾根づたいに馳(か)けのぼり、対岸(たいがん)の皆津という字のみえるアヤフジャという禿山(はげやま)に埋(う)めた。このつぼをアヤガメという。(同上)
⑥奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町阿鉄~喜界島から霊威(れいい)高い人が兄とともにやってきて、阿鉄の村をつくったという。(同上)
⑦奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町池地~妹と兄が池地の浜のようなところで、世の中の儀式をしようとツワブキの青葉を前においた。兄がツワブキの葉をつらぬいて夫婦になった。(同上)
⑧奄美・鹿児島県大島郡名瀬市小湊~昔、イイマランコラという王子と王女の兄妹が夫婦関係になったので、水のもれない箱に入れて流した。この二人が流れ着いたのが小湊のイソビラという海岸であった。王子は大石をかつぎ、王女は小石をかつぎ山道をのぼって頂上に行き、部落をみて真中をきめて、ここで暮らした。(「奄美民俗ノート」1)
⑨奄美・鹿児島県大島郡笠利町宇宿~昔、宇宿で戦争があり、部落の人はほとんど死に、男の子と女の子の二人だけが、田のなかに入って鍋(なべ)をかぶっていたために助かった。この二人が生んだのがこの部落の子孫であるという。(『笠利町誌』)
⑩奄美・鹿児島県大島郡笠利町同上~昔、人殺しがきて、皆殺しにされた。兄妹二人が田の中に穴を掘り、鍋をかぶり生き残った。あとで二人が結婚し、子孫ができた。(『薩南諸島の総合的研究』)
⑪奄美・鹿児島県大島郡郡笠利町用安~昔、大波がでて、アデツ(地名)の兄妹は大波がくるのを人々に知らせ、山にのぼって助かり、二人で用安を作った。(同上)
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