古宇利島始祖 ~琉球沖縄の伝説

2010年11月09日

Posted by 横浜のトシ(爲井) at 20:20│Comments(6)琉球沖縄の伝説・沖縄本島編

みんなで楽しもう!
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第28話。


古宇利島(こうりじま)始祖(しそ)



 むかし(むかし)古宇利島(こうりじま)に、男と女の神がいたそうです。
 この(ころ)は、まだ着物(きもの)()につけずに、二人は(はだか)()らしておりました。
 また、一日(いちにち)三度(さんど)御飯(ごはん)として、(てん)から(もち)()まって()ってきたのでそれを食べていましたが、(とき)に二人は、食べきれない餅をそのまま()てて粗末(そまつ)にしていたそうです。
 そうしているうちに、二人は段々(だんだん)(かしこ)くなって、(とし)(かさ)ねるうちに、色々(いろいろ)と頭を(はたら)かせるようになっていきました。そして()(のこ)しの、今までなら粗末(そまつ)にしていた(あま)った(もち)を、お(なか)()いて、ひもじくなったら()べようと(おも)()いたのでした。ただそのことを知られて、餅が落ちてこなくなるといけないと思って、(たな)(かく)すことにしました。
 一方(いっぽう)で神は、二人のその(おこな)いを天から見て思うことには、
 「あの者達(ものたち)は、(もの)大事(たいせつ)にすることをやっと(おぼ)え、なかなか感心(かんしん)なことだ。もうこれからは、天から餅を落とさなくても、きっと自分達の力で働いて、生きていかれるに違いない。」と。
 そう思って、餅を(まった)く落とさなくなったそうです。
 二人は、ある日から全く餅が降ってこなくなって、その日の夕方に、天の神に向かって言うことには、
 「天の神さま。お(なか)()いて、ひもじくて、ひもじくて、仕方(しかた)がありません。どうか今までのように、お餅を落として下さい。」と。
 そう言うと、天に向かって(いの)ったそうです。
 しかし神にはお考えがあり、いつまで待っても、そして二度(にど)とふたたび、(てん)から(もち)()ってくることはありませんでした。
 そこで二人は海へ行き、(かい)などを取ったり、また(さかな)を取って食べ、自分達の力で生活(せいかつ)するようになりました。
 二人の自給自足(じきゅうじそく)の暮らしが(いた)()いてきた、ある日のことです。
 夫婦(ふうふ)で海を見ていると、いつもは見たこともない光景(こうけい)()にしたのでした。その光景は、生き物の交尾(こうび)でした。二人の神は、見ない()りをしましたが、その時から二人の心の中に()じらいの気持ちが生まれたのでした。
 そのため、今までは(はだか)()らしてきましたが、それからは木の葉(このは)脚巻(こしま)きにしたりして、体の端々(はしばし)(かく)すようになったということです。
 このようにして、古宇利島(こうりじま)は、この二人から(はじ)まって、今現在の、古宇利島になったのだそうです。
 また、この神さま二人は、今も古宇利島の中の御獄(うたき)(まつ)られているそうです。なお、かつては白米(はくまい)(そな)えて人々は(おが)んでいたそうですが、今ではお酒を供えて拝んでいるとのことです。
 古宇利島はこの二人の神さまから、やがて子孫(しそん)()えていって、現在(げんざい)の古宇利島の人々になったのだそうな。



※この話の参考とした話
沖縄本島・沖縄県島尻郡伊平屋村字我喜屋~「昭和五七年度 沖縄国際大学 口承文芸研究会伊平屋村調査草稿」
沖縄本島・沖縄県島尻郡伊平屋村字我喜屋~『南島説話』
沖縄本島・沖縄県国頭郡宜野座村漢那~『宜野座村の民話』下巻〈伝説編〉
沖縄本島・沖縄県島尻郡伊是名村字伊是名~『いぜな島の民話』
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村伊良皆~『伊良皆の民話』読谷村民話資料1
○沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村長浜~『長浜の民話』読谷村民話資料3
沖縄本島・沖縄県那覇市~『古琉球』
沖縄本島・沖縄県那覇市安謝~『那覇の民話資料』第三集真和志地区(2)
沖縄本島・沖縄県那覇市首里桃原町~『那覇の民話資料』第四集首里地区


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●伝承地
沖縄本島・沖縄県島尻郡伊平屋村字我喜屋~古宇利島にさ、男と女と二名いたようですな。このところ、着物着てはいない。全部、裸さ。三食の餅もさ、御飯は天から餅が落ちたってさ。それで、これをめしあがっていたみたい。これまで二人は、餅を食べて残して全部粗末にしていたさ。あれ達は、年をとるうちに頭を働かすようになったらさ、余って粗末にしていた餅を、「これは、またひもじくなったら食べる」と、棚に隠していたみたいさ。こんなしたので、天から神様は、「さあ、これ達は物を大事にする、これがあるので、今から、天から餅を落とさなくても、自分達で働いても生きていける」と、これから餅を全然落とさなかったってさ。そしたら、翌日、夕方から、天の神様に、もう、「お腹が空いて、ひもじくなってしょうがないので、必ず、餅を落として下さい。」と言って……。
 さあ、これから神様の考えだから、全然落とさないわけさ。これから、絶対餅を落とさなかったので、二人は海へ行って、貝がらを取ったり、また、魚を少しずつ取って、これを食べて育っているわけ。
 ある日、いつも見たこともないものを見ているわけさ。これは、夫婦で海を見ているわけさ。そしたら、この二人の神様は、見ないふりしたってさ。見ないふりしたからさ、これから、楽しみにしたが、また、恥ずかしいということがわかってさ、これから、体の端を隠すようになって、これをあやしてはいけないと、これから、木の葉で脚巻きしてさ、それで、もう、恥を隠したってさ。
 この古宇利島は、この二人から今現在広がって、古宇利島の島になったってさ。この神様、二人は、今、古宇利島の中の御獄の前に、お祭りしていたって。前は、この白米っていう、これを供えて拝んでいたが、今は酒で拝んでいるそうだよ。この古宇利島は、この二人の神様から、現在の古宇利島になったそうですな。(「昭和五七年度 沖縄国際大学 口承文芸研究会伊平屋村調査草稿」)
沖縄本島・沖縄県島尻郡伊平屋村字我喜屋~最初の人の兄姉が、古宇利島に降り、海岸で貝を拾って暮らしていた。ある日、海鳥が首尾を揺るがして交尾するのを見て、交道の法を知った。あるいは、二人が、緑の芝生で、バッタの雌雄が背中を合わせて交尾するのを見て、交道を知ったともいう。(『南島説話』)
沖縄本島・沖縄県国頭郡宜野座村漢那~遠くから今帰仁(なきじん)と中頭と島尻のそれぞれに、男女がやってきた。中頭と島尻の男女は、恋の道を知っていたが、今帰仁のそれは分らず夫婦の営みを知らなかった。その今帰仁の男女は、裸のまま洞穴(ガマ)に住んでいたが、たまたまいいお天気に誘われて、運天港から古宇利島へ渡った。古宇利島へ着くと、雨風となり、やむなく二人で抱き合っていると、海鳥が飛んで来てクーイクーイと鳴いて交尾した。それを見た二人は恋ということが分って、今帰仁の洞穴に戻って海鳥と同じく交ったという。(『宜野座村の民話』下巻〈伝説編〉)
沖縄本島・沖縄県島尻郡伊是名村字伊是名~天から女の子と男の子が降ろされた。この二人が成長するまで、毎日天から餅が降りてきたが、二人が成長して働いて食べられる年齢になると餅は、降りてこなくなった。二人が海で貝や魚を取っていると、ウミウマ(タツノオトシゴ)が恋をするのを見て、その夜から恋をするようになったので、子や孫が出来て子孫が栄えるようになった。今も古宇利島の御願所には、二人が祭られている。(『いぜな島の民話』)
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村伊良皆~大昔の世の始まりの頃、戦で人々がみんな殺されたが、運天港に隠れた姉弟は生き残った。その姉弟が海の魚が交尾するのを見て、それを真似て子孫を作った。(『伊良皆の民話』読谷村民話資料1)
○沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村長浜~昔、古宇利島に若い男女二人が住んでいた。毎日のように天から餅が落ちてきたので、それを食べて暮らしていたが、あるときその餅を貯え始めたところ、天から餅は落ちてこなくなった。それから二人は海に出て、貝や魚を取り、働かなければならなくなった。この二人は裸で暮らしていたが、海の生物が交尾するのを見て、夫婦の交りを始め、それから沖縄には人間が増えたという。(『長浜の民話』読谷村民話資料3)
沖縄本島・沖縄県那覇市~昔々、古宇利島に男の子と女の子が現れた。二人は裸であったが、恥しいことはなく、毎日、天から落ちて来る餅を食べて暮らしていた。ある日、餅の食い残しを貯えると、それ以来、餅の落ちてくることが止まった。二人は天を仰いで、お月さま、餅を落としてくださいと歌ったが、その甲斐はなかった。そこで、二人は働くこととなった。朝に夕に、海岸でウマグルなどをあさっていると、海馬の交尾するのを見て男女の交道の法を知った。それから二人は裸が恥ずかしくなり、クバの葉で隠部をかくすようになった。今日の沖縄三十六島の住民は、この二人の子孫であるという。(『古琉球』)
沖縄本島・沖縄県那覇市安謝~天の神が、そこの国へ行って子孫を広げよと命じられて、地上に降りた。天から食べ物が降ろされていたが、貯える知恵ができたので、食べ物は降ろされなくなった。
天に向って、大きい餅やき餅、降ろして下さいと言って祈ったが降ろされなかったので、それから働くようになった。農耕は、このときに始められたという。(『那覇の民話資料』第三集真和志地区(2))
沖縄本島・沖縄県那覇市首里桃原町~毎日三度、天から餅が降ろされたが、その男女の子どもに欲が出て、その餅を貯え始めた。天の月の神さまは、これを知って餅を降ろすことをやめた。子どもたちは、大きな餅やとう餅、お月さま降ろして下さいと歌って願ったが、再び餅は降ろされなかった。二人は働き始め、成長すると夫婦となって子どもを生み、それから沖縄には人が広がったという。(『那覇の民話資料』第四集首里地区)




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くがなーサマ。はいさい、今日拝なびら。

ちょっと忙しくて、お返事遅れました。
まだ、
調べ始めているところで、
考えるには、いたってはいませんが、
くがなーサンの言う点は、
僕も、感じております。

僕の場合は、
兄妹始祖に限らないんですが、
似た話の場合は、
その違いに、とても興味を惹かれます。

そして、それを調べていくうちに、
突然、まったく違う話に、出会ったりして、
それが、
琉球の楽しさです。

宮古島市大神島、徳之島の「犬の門蓋」の情報、
ありがとうございます。

子孫ですから、
生き残ったとして、
男女の場合以外も、当然、あるわけですが、
子がいない場合は、
伝わっていきません。

一方、
姉と弟でも、いいわけですが、
たいがい兄と妹になっているのが、やはり琉球らしいと思います。

コメント、ありがとうございます。
では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年11月12日 06:24


スーさん、こんにちは。

ちょっと忙しくて、お返事遅れました。
個人目的なのですから、プリントアウトしても、OKですよ。

今のシリーズは、
「続きを読む」の部分が研究資料、
本文が、
それを元にした、僕のテーゲーかも知れない訳というか、
作った話みたいなところもあるので、
その点を、お間違いにならないで、下さいね。

いつもコメント、ありがとうございます。
では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年11月12日 06:16


琉球には兄妹始祖系民俗伝承が広範囲に分布していますよね。兄妹始祖になった理由が「その兄妹以外が海賊に皆殺しにされた故に」となる民俗伝承は宮古島市大神島と徳之島の「犬の門蓋」近辺の集落が強いですよね。
大変興味深いですね。
Posted by くがなー at 2010年11月11日 20:25


今晩は(^^)
あの~ ブログを個人的にプリントアウトして良いですか?
手元に置いて勉強したいというのがあります。
ずうずうしいお願いでしたらごめんなさい。
Posted by スーさん at 2010年11月10日 21:04


スーさんへ。はいさい、今日(ちゅう)拝(うが)なびら。

僕が本を出す?作家?

ん~。
報われないことをしたり、陽の目をみることもない仕事って、
結構、ぼく、好きなんだよなあ(笑)。

別に、生意気だなんて、おほめいただいて、嬉しい限りです。

いつもコメント、ありがとね。
では。
Posted by 横浜のtoshi at 2010年11月09日 20:36


こんばんは(^^)
前から話そうと思っていたのですが・・・。
このブログ、一冊の本にまとめるっていうのはどうでしょうか?
生意気でしたらごめんなさい。
Posted by スーさん at 2010年11月09日 20:26


コメント以外の目的が急増し、承認後、受け付ける設定に変更致しました。今しばらくお待ち下さい。

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