火種子 ~琉球沖縄の伝説

2010年11月19日

Posted by 横浜のトシ(爲井) at 20:20│Comments(4)琉球沖縄の伝説・奄美編

みんなで楽しもう!
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第38話。


火種子(ひだね)ミロク(ミルク)シヤカ(サーカ)



 むかし(むかし)のことです。
 ミロク(ミルク)のホトケと、シヤカ(サーカ)のホトケが、()(なか)(うば)()(あらそ)いを()こして、どちらも一歩(いっぽ)(ゆずり)りませんでした。
 そしてミロク(ミルク)のホトケが()うことには、
 「こんな(あらそ)いは、もうやめましょう。
 こうしては如何(いかが)でしょうか。
 ()(とき)枕元(まくらもと)花瓶(かびん)()いて、()(なか)は、花が(はや)()いた人のものにすることにしませんか。」と。
 こうして二人のホトケの相談(そうだん)は、まとまったのでした。
 そして各々(おのおの)花瓶(かびん)枕元(まくらもと)に置いて(ねむ)りました。
 真夜中(まよなか)のことです。
 シヤカ(サーカ)のホトケが()()ますと、自分の枕元(まくらもと)花瓶(かびん)の花はまだ咲いていないのに、ミロク(ミルク)のホトケの花の(ほう)は美しく咲き(みだ)れているではありませんか。
 そこでミロク(ミルク)のホトケのは、自分の花の咲いていない花瓶(かびん)と、花が(うつく)しく()いている花瓶(かびん)をこっそり()()えておきました。
 こうして、約束(やくそく)(どう)り、世の中は、とうとうシヤカ(サーカ)のものになりました。
 そこで、シヤカ(サーカ)のホトケに世の中を(うば)われたミロク(ミルク)のホトケは、(ひと)や動物や(むし)はじめ、(すべ)ての()(もの)()()じさせて、その(あいだ)に、「()種子(たね/しゅし)」を(かく)してから龍宮(りゅうぐう)()()ったのでした。
 さて、世の中から火が(まった)くなくなってしまったので、シヤカ(サーカ)のホトケは、大層(たいそう)(こま)()ててしまいました。
 そこでシヤカ(サーカ)のホトケは、人間(にんげん)や動物や昆虫(こんちゅう)たち、(すべ)ての()(もの)(あつ)めたのでした。
 そして、ミロク(ミルク)のホトケが(かく)した「()種子(たね/しゅし)」の場所(ばしょ)(たず)ねたのでした。
 しかしながら、(だれ)(かれ)も、
 「目を閉じていたので知りません。」と答えます。
 ところがその時にバッタが前に進み出て、
 「私は知っています。」と(もう)し出ました。
 シヤカ(サーカ)のホトケはバッタに、どうか話してくれるようにと(たの)みました。
 バッタが言うことには、
 「私もまた、みんなと同じように、羽根(はね)()(おお)っていたのですが、私には(ほか)に、(した)(わき)にも()があるのです。
 ですからミロク(ミルク)のホトケが、(いし)()に、火の種子(たね/しゅし)(かく)すところを見ました。」と。
 これを()いたシヤカ(サーカ)のホトケは大層(たいそう)(よろこ)んで、石と石を()ち合わせると、そこから火種子(ひだね)をとり、木と木を()()わせものにその火種子(ひだね)(うつ)して「()種子(たね/しゅし)」を手に入れたのでした。
 シヤカ(サーカ)のホトケは、バッタに言いました。
 「よくぞ、見ていてくれました。そのお(れい)に、ひとつ()っておきます。
 あなたが死ぬ時は、呉々(くれぐれ)も、地面の上で死んで(あり)などに()べられないようにしなさい。
 木の(えだ)(くさ)()の上で死になさい。」と。
 さてそれからというもの、世の中には、以前はいなかった(うそ)をつく者や、(まず)しい者や泥棒(どろぼう)()まれるようになりました。
 そんな悪い人間たちがこの世にいるのはそもそも、シヤカ(サーカ)のホトケが、ミロク(ミルク)のホトケの美しい花瓶(かびん)(ぬす)んで、自分のものにしたのが(はじ)まりです。
 一方(いっぽう)ミロク(ミルク)のホトケは正直だったので、その後も龍宮(りゅうぐう)(たの)しく()らしたそうな。


  
※この話の参考とした話
奄美・鹿児島県大島郡与論町立長~『奄美大島与論島の民俗語彙と昔話』
奄美・鹿児島県大島郡住用村役勝~『吉永イクマツ嫗昔話集』
奄美・鹿児島県大島郡与論島~『与論島郷土史』
沖縄本島・沖縄県国頭郡大宜味村田嘉里~『大宜味のむかし話』
沖縄本島・沖縄県中頭郡勝連町津堅~『沖縄の昔話』
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村伊良皆~『伊良皆の民話』読谷村民話資料1
中頭郡読谷村儀間~『儀間の民話』読谷村民話資料5
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村瀬名波~『瀬名波の民話』読谷村民話資料4
沖縄本島・沖縄県具志川市~『ふるさとの昔ぱなし具志川市の民話』一
沖縄本島・沖縄県那覇市識名~『沖縄の民話資料』第二集子どものための民話
沖縄本島・沖縄県那覇市国場~『那覇の民話資料』第二集真和志地区一
沖縄本島・沖縄県那覇市天久~同上
沖縄本島・沖縄県那覇市首里崎山町~『那覇の民話資料』第四集首里地区
沖縄先島・沖縄県八重山郡竹富町西表島大富~『日本の民話』〈九州(二)沖縄〉
沖縄先島・沖縄県八重山郡与那国町租納~『与那国島の昔話』


Posted by 横浜のtoshi


●伝承地
奄美・鹿児島県大島郡与論町立長~むかし、ミロクのホトケと、シヤカのホトケが「世の中」を奪う争いを起こして、どちらも譲りませんでした。そこで、ミロクのホトケがいいました。
 「寝るとき、枕もとに花びんをおき、花びんに花が早く咲いた方の世の中にしては」ということに、両ホトケの相談がまとまりました。そこで、めいめい花びんを枕もとにおいて眠りました。夜中のころにシヤカのホトケが目を覚ましてみると、自分の枕もとの花びんにはまだ咲いていないのに、ミロクのホトケの花びんには花が美しく咲き乱れていました。シヤカのホトケは、ひそかに自分の花の咲いていない花びんを、美しく咲いているミロクのホトケの花びんと、とりかえておきました。それで、約束どおり、とうとうシヤカの世の中になりました。そこで、シヤカのホトケに世の中を奪われたミロクのホトケは、しかたなく、人類・獣類.昆虫類などにいたるまですべてのものに目を閉じさせてから「火の種子」をかくし、竜宮に立ち去りました。それから後は、火がまったくなったので、シヤカのホトケはたいへん困りきってしまいました。シヤカのホトケは、人類・獣類・鳥類・昆虫類など、生きているあらゆるものを集めて、ミロクのホトケが火の種子をかくしたところを尋ねました。だが、 どれも、これも、「目を閉じていたので知りません」と答えました。ところが、バッタが進み出て、
 「私が知っています」と申し出ました。シヤカのホトケは早く話してくれと頼みました。バッタは、
 「わたくしは、羽根で目をおおっていましたが、わたしの目は、下わきにあります。それで、ミロクのホトケが、石と木に火の種子をかくすのを見ました」といいました。シヤカのホトケは、たいへん喜び、木と木をもみ合わせて火種子をとり、石と石を打ち合わせて、火種子をとることができました。シヤカのホトケは、バッタに、
 「よく見てくれた。その礼に、一ついっておくことがある。お前が死ぬときは、地面の上に死んで、アリなどに食われるな。木の枝や、草の葉の上に死になさい」といわれました。そこで、この世の中でうそをついたり、貧しい者があったり、盗人が出たりするのは、シヤカのホトケがミロクのホトケの美しい花びんを盗んで、自分のものにしたからだといわれます。一方のミロクのホトケは、正直でありましたから、楽しく暮らしたということです。(『奄美大島与論島の民俗語彙と昔話』)
奄美・鹿児島県大島郡住用村役勝~昔は、火をつける人が一人いた。火がきれると、その人のところにもらいに行ったが、なにかもっていかなければ火種をくれなかった。それでアブを使って、その人の火を打ち出すのを知った。アブの目が胴のところにあるのを利用した。(『吉永イクマツ嫗昔話集』)
奄美・鹿児島県大島郡与論島~ミロクとシヤカが寝る枕元に花を生け、その花が早く咲いたものがこの世の中を自分のものにしようときめた。夜中、シヤカが目をさますと、ミロクの花が咲いているので自分のものと入れかえた。ミロクはみんなの目を閉じさせて火の種を隠すと竜宮に立ち去った。シヤカは人間・動物を呼び集めミロクがどこに火を隠したかを知ってるものはいないかとたずねた。バッタが進み出て、私の目は羽の下脇に本当の目があるので、石と木にミロクが火の種を隠すのをみたといった。(『与論島郷土史』)
沖縄本島・沖縄県国頭郡大宜味村田嘉里~土地を分配するとぎ、欲の深いサーカは、見える土地は全部私のものと言うので、ミルクは見えない所は私のものと言って分けると、サーカの土地は痩せていて農作物が何もできず、ミルクの土地は肥えていて豊富であった。サーカはミルクを憎んで、多くの鼠をミルクの土地へ放したので、ミルクは猫を飼って鼠を取らせた。サーカは鼡のように顔が痩せており、ミルクは太っていて裕福である。(『大宜味のむかし話』)
沖縄本島・沖縄県中頭郡勝連町津堅~働き者のミルクが豊かになると、それをねたんだ怠け者のサーカ神が動物に目隠しをして火を隠した。その頃は、動物は言葉が話せたので、ミルクが動物達に聞くと、脇の下にも目があるセミとバッタが火は木と石に隠したと答える。そこでミルクが石を打合わせると火が飛び出たが火が小さかったので、木で火切りを造って擦り合わせて火を取り出す。ミルクは、サーカに意地悪ばかりされるので、船にお金と麦を積んで遠くの島に逃げ、その島でまた栄える。それを聞いてサーカの島の者がミルクの島に様子を見に行くと、百姓が畑の境界を、「ミルク様には、『人の畑を一坪取れば十坪の損、銭十貫取れば千貫の損』と教えられているので譲れない」と互いに譲り合って喧嘩している。その様子を見て、サーカの島の者は、驚いて帰って来る。(『沖縄の昔話』)
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村伊良皆~土地分けで欲が災いして痩せた土地を取ったサーカは、ミルクを妬んで、良く実ったミルクの畑を荒らす為の鼠を作った。そしてまた、ミルクもそれに対抗する為の猫を作り、鼠を全部殺した。それで猫はミルクの子、鼠はサーカの子だと言う。(『伊良皆の民話』読谷村民話資料1)
中頭郡読谷村儀間~世の始め、ミルクという子供とサーカという子供が土地を分ける事になった。ミルクは見えない土地を、サーカは見える全ての土地を取った。サーカの土地より、ミルクの土地が農作物が豊かであった。ミルクユガフーと言う言葉はその話から出たものであるそうだ。(『儀間の民話』読谷村民話資料5)
沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村瀬名波~サーカは欲深で、見える所は全部私の土地だと高い所まで取り、ミルクは見えない所は自分のものと低い土地まで取ったので、ミルクは豊かになりミルク世果報と言われるようになった。すると、サーカはミルクをやっかんで、火を盗んで逃げたので、ミルクはたいへんに困った。サーカは昆虫の全部に目隠しをさせたが、マージェー(バッタの一種)は羽の下に目がついていたので、サーカの火を隠した所を見ていて、それをミルクに教えた。(『瀬名波の民話』読谷村民話資料4)
沖縄本島・沖縄県具志川市~サーカは欲張りで、見える土地はすべて自分のものだと言って取ったので、ミルクは誠実で、それなら見えない土地は全部わたくしのものにすると言って取ったところ、サーカの土地は高原地帯で作物はできず、ミルクの土地は平地で水はけもよく、作物がよくできた。サーカは、ミルクの作物を取るために鼠を作ったので、ミルクは鼠を取る猫を作った。それで猫は鼠を食うことになり、鼠は死んでも猫がこわくて目をとじることがなく、猫は死んでも鼠がよく見える所にさげられるのである。(『ふるさとの昔ぱなし具志川市の民話』一)
沖縄本島・沖縄県那覇市識名~サーカは、見える分の畑は私のもの、七福寿は、それじゃ見えない分は私のものと言って土地を分けた。サーカの土地は作物がとれず、ミルクの土地は窪地でよく作物ができた。サーカは鼠を作ってミルクの作物を食べさせたので、七福寿は猫を作って鼠を取らせた。今の七福寿の祭のたびに、七福寿が出て、弥勒世果報と踊るのはこのことによる。(『沖縄の民話資料』第二集子どものための民話)
沖縄本島・沖縄県那覇市国場~ミルクとサーカは仲の良い神さまで、あるとき二人で、山や野を見て歩ぎながら知恵比べをした。山の上からサーカが、ここから見えるだけは私の土地だと言ったので、ミルクは、それなら見えない所は私のものだと言った。二人が戻る頃、大雨が降ってきたが、ミルクの土地は平地だったので作物が駄目になり、サーカの土地は山もあって作物は助かった。サーカが勝ったようであったが、その後、ミルクの土地は豊かで作物がたくさん取れるようになり、サーカの土地は痩せていて作物があまり取れないこととなった。(『那覇の民話資料』第二集真和志地区一)
沖縄本島・沖縄県那覇市天久~ミルクとサーカが土地分けをした。サーカは、ここから見える所は全部自分のものだと言うので、ミルクは、それでは見えない所は私のものだと言って分けたところ、'サーカの土地ははげ畑で、ミルクの畑は豊かな作物がとれた。
サーカは怒って、鼠を作ってミルクの作物を取らせたので、ミルクは猫を作って鼠を取らせた。サーカは、十二支に入っていない猫を作るのは許せないと言って怒ったという。(同右)
沖縄本島・沖縄県那覇市首里崎山町~昔からサーカは利口な者で、天と地とは全部自分のものだと言っており、ミルクもそれに従っていた。ところが、土地分けをするとぎに、サーカは上に登って、ここから見えるだけ全部わたしのものだと言ったので、ミルクは、サーカの取った後は全部自分のものだと言った。サーカの取った土地は全部山でやせ地であったが、ミルクの取った土地は平地で、何でもよくできた。そのときからミルクは世果報の子とあがめられるようになった。(『那覇の民話資料』第四集首里地区)
沖縄先島・沖縄県八重山郡竹富町西表島大富~昔、お釈迦さまは、世界はみな自分のもんだと考えられていたが、自分の相手にミルク神がいることを知り、使者をやってミルク神を迎えた。お釈迦さまは、土地分けをするためにミルク神を誘って山に登り、見えるものは全部自分のものだと言われたので、ミルク神は、それなら見えないものは全部自分のものとするということになった。そして、それぞれに畑をおこし農作物を作ったが、山の高い所のお釈迦さまは、ほとんど収穫がなく、谷間や低地のミルク神は、沢山の収穫があった。怒ったお釈迦さまは、鼠を作ってミルク神の農作物を取らせたので、ミルク神は猫を作って鼠を取らせた。さらにお釈迦さまは、猪を作って出したところ、ミルク神は犬を出して猪を負かした。こうしてミルク世果報ということになった。(『日本の民話』〈九州(二)沖縄〉)
沖縄先島・沖縄県八重山郡与那国町租納~ミルクという女とサーカという男がおり、どちらも頭のよい人物で、島の王になることを争うが、寝ている枕元に花が咲いた方が王になることとなる。女のミルクが熟睡しているとき、サーカが見るとミルクの枕元の花が咲いているので、その花を盗み取って自分の枕元に置いておく。ミルクはサーカに負けたことになり、遠いアンドの島に移られた。ところが、それまで豊かであった島は貧乏になり、農作物もよくできなくなってしまった。そこで、島の人たちはミルクをお迎えするためにミルクの唄を歌い続けたそうだ。今も、島の豊作はミルクのお陰と、島の行事にはミルクを先頭にミルクの踊りをおこなう。ミルクが島を出たとき、ある家でビングウイ芋を鍋いっぱいに炊いていた。ミルクはそれが食べたかったが、食べさせてもらえなかったので、それからビングウイは人間が食べられなくなったという。(『与那国島の昔話』)


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くがなーサンへ。

コメント、ありがとうございます。

僕も、國學院で民俗学の研究を志して以来、
今では、研究とまでは、なかなかいかないものの、
それなりに民話を読み、楽しみ、色々と考えてきました。

数年前の、ある日突然、ある民話の場所を訪れて、思いました。

民話って、はたして、誰のものなんだろうと。

研究者は、一生懸命に、民話を採録し、集めます。
これは尊い仕事だと思います。

そして、それが史料や、書籍や、本になったりします。

さらに、
民俗学の研究分野で、
様々に、議論されたり、
あるいは、研究論文の、あちこちに登場し、紹介されたりします。

けれども、
著者がいる小説などとは違って、
民話はやはり、
そんなことのために、本来、あるものではないという強い思いが、
おこりました。

その土地で生きる、先祖から子孫へと、伝えられるべきもので、
そのためにこそ、あるのだと。

その思いもあって、こうして書き綴っている、というわけです。

せっかくの話が、消えてしまっては、
かわいそうというか、もったいない、という思いも、ありますが。

いつも、勇気づけられるコメント、ありがとうございます。
では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年11月23日 19:38


そうですよね、ある程度の出来事がきっかけで変化して伝承される民話の楽しさはそこにありますよね。学術的に専門分野の観点から見れば間違いかもしれないですが、民俗学的見地から見れば伝承は伝承ですからね、ある意味不思議で楽しく面白かったりしますよね。
Posted by くがなー at 2010年11月23日 16:15


くがなーサン、こんにちは。

これだから、琉球の民話は、個人的に、やめられませ~ん(笑)。
読んでいて、この手の民話に出会って、
「ナニィ!」って、驚かされること、多いですから。
当然、腹の底から、笑えるわけです。

この話など、出だしから、腰を抜かすほど驚かされます。

でも僕は、それを、
テーゲーな土地だから、という風には、とらえたくないんです。

個人的には、
ある出来事が、シマにあったり、
伝わってきた話に、シマの出来事が重なって、
更に、シマ特有の考え方や、シマの伝承者の考えが加わって、
民話は、伝わっていくわけです。

それは、考え方によっては、良くも悪くも、
そこで生活し、生活に密着した形に、話が変形されるということです。

机の上とかで、考えられて作り出されるものより、
人の生活や営みの中から生まれるので、楽しく価値があるのと、
話が、活き活きしている感じが、僕にはするんです。

もちろん、ある人は、
知識や学問の上で、滅茶苦茶だ、間違っていると判断する人もいるでしょう。

また、伝承は、
本質が正しく伝えられていかないと、
違う話になってなって、意味がないと言う人います。

ただ、決まった同じ話が伝わって、
僕がそれを読んだって、つまらないわけです。

その話、知ってる、○○に書いてある、で、
終わってしまいますから。

いつもコメント、ありがとうございます。
では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年11月23日 11:18


流石民話ですね、此処まで仏教説話が変化するのも見事ですね。しかし七福寿話には驚きました。私は私見として、島のミルクは「大黒天」だと確信していましたから、本物の弥勒ならブッダの説法語録では86億数千年後に無限の大宇宙のどこかへ誕生する筈の表現上での救世主ですから、架空のキャラクターなんですよね。五穀豊穣の七福寿なら大黒天を指しているのだろうと、合点がいきました。
Posted by くがなー at 2010年11月23日 01:06


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