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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第39話。
稲の始まり
むかし
それを
長老が言うことには、
「それは
そう
なお、六月のアラマツリやウフンムェの時などに神事で使われる
※この話の参考とした話
【神扇】(かみおうぎ/テロギ/テルコ扇/太陽扇/ミガキ)~ノロ(祝女)が持つ大きく美しい絵がかかれた扇。ノロ神事で使用。ノロは神事の際、両手で前に捧げ持って、ノロと周囲とを隔絶する神垣として使用。つまり、神の世界と俗界を分ける神垣を作り出す道具。テルコは太陽。ミガキは扇のホネに磨きをかけた末広がりの意。
※この話の参考とした話
①奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町於斉~南島昔話叢書1『瀬戸内町の昔話』
②奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町古仁屋~南島昔話叢書1『瀬戸内町の昔話』
③奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町蘇刈~『瀬戸内町誌』
④奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町諸鈍~同上
⑤奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町於斉~同上
⑥奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町嘉徳~同上
⑦奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町節子~同上
⑧奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町久慈~『薩南諸島の総合的研究』
⑨奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町蘇刈、伊須、網野子、嘉鉄、篠川、花天、薩川、池地、請阿室、竜郷町竜郷~同上
⑩沖縄本島・沖縄県国頭郡国頭村比地~『国頭村史』
⑪沖縄先島・沖縄県八重山郡竹富町波照間島~『ばがー島 八重山の民話』
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●伝承地
①奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町於斉~於斉のウフヤマの砂糖圧搾場ぐらいの広さの所に、餅稲が真っ赤に稔っていたそうです。それを見た人はびっくりして、刈り取って帰っていいのか迷ったそうです。それで、一度は村へ帰って、その事を村の長老に話すと、
「それは果報物だから、早く行って刈ってこい」と言われたそうです。すると、友達を連れてまたそこへ行って見たけれども、そこには、もう、その真っ赤に稔った餅稲はなかったそうです。初め見た人にだけ、果報は付いているものだから、友達を連れて行ったため、その果報が逃げたそうです。六月のアラマツリやウフンムェのときにノロ神様が使う、ミガキの扇には、鷲の大きさの鳥の絵が描かれてありますが、その大きな鳥が稲の種子をくわえてきたそうです。(南島昔話叢書1『瀬戸内町の昔話』)
②奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町古仁屋~アガレンハルカナはどこからか稲霊(いなだま)を盗んできたので、稲が良くできた。盗んでぎたので、良くない噂がたった。両親は死ぬことをすすめ、七川七谷の川の水を汲んできて、体を清め、粢水を作り、口、腹を清めてアガレンハルカナは死んで稲霊の神になった。(南島昔話叢書1『瀬戸内町の昔話』)
③奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町蘇刈~タカンマ(小字名)の先のイヒャドリという場所の尾根に稲がたわわに稔っていたので刈りとってきた。(『瀬戸内町誌』)
④奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町諸鈍~昔、秋徳の村で、百姓が山へ椎の実を拾いに行った。途中、山の中で稲が金色に稔っているのに出会ったので、下山して、村の長老に聞くと山幸だから見捨ててはいけないといわれて、再び行ってみたがなにもなかった。(同上)
⑤奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町於斉~於斉のウフヤづ、(深山)に餅稲が稔っていた。それをみた人がびっくりして、村へ帰り、村の長老からそれは果報な物種だから、早く行って刈り取ってこいと教えられた。友だちと行ってみたがなかった。(同上)
⑥奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町嘉徳~昔、山へ行ってみると、稲が満作に稔っていた。それを親に話すとイナダマガナシだというので、急いでひき返したが、その姿はなかった。(同上)
⑦奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町節子~老婆が浜の大岩の近くで稲の稔っているのをみつけ、弟を連れて行ってみるとなかった。(同上)
⑧奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町久慈~ある人が山に行ったら、三株ほど米がみのっていた。一握り刈って昼寝した。すると神がでてきてお祝いしろといわれた。お祝いして、その米を囲炉裏のまわりに播いたら、その家の米櫃は一杯になった。これをイナダマという。(『薩南諸島の総合的研究』)
⑨奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町蘇刈、伊須、網野子、嘉鉄、篠川、花天、薩川、池地、請阿室、竜郷町竜郷~山中で稲を発見する(同上)
⑩沖縄本島・沖縄県国頭郡国頭村比地~昔、ある老人が子や孫を連れて畠回りをしていると、どこからともなく天人が現れて、老人に年齢を聞いたので、百二十歳と答えた。次に子や孫が繁昌しているかと聞いたので、孫や曾孫までできていると答えた。天人は、美しい心根の人だとほめて、稲の作り方を教えて、村人にも伝えよと言って去った。老人は喜んで帰り、教えの通り稲作をすると、すばらしい米ができた。現在の比地川の上手、中の宮に近い右岸山麓に、ミルク田というのがその跡で、ここが稲作の始まりの田で、一年越しの豊年祭には、この田を拝んで始まる。(『国頭村史』)
⑪沖縄先島・沖縄県八重山郡竹富町波照間島~昔、波照間の豪家の保多盛家の人が海へ漁に出たところ、フルマルのパースクチイで、網に俵一つがかかった。中には見たこともない種物がいっぱい入っていたので、持ち帰って籾をすって食べてみると、たいへんうまいものであった。これは神さまのお授け物だと、この種を水瓶のそばの水溜に植えてみると、芽を出しぐんぐん伸びて、みごとな稲穂となった。そこで、今度は井戸の前の土地を耕し、水を入れて田圃を作ると、たいへんな豊作となった。これが波照間の稲作の始まりで、その最初の田を井戸田(ケーマシイ)と呼んでいる。(『ばがー島 八重山の民話』)
①奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町於斉~於斉のウフヤマの砂糖圧搾場ぐらいの広さの所に、餅稲が真っ赤に稔っていたそうです。それを見た人はびっくりして、刈り取って帰っていいのか迷ったそうです。それで、一度は村へ帰って、その事を村の長老に話すと、
「それは果報物だから、早く行って刈ってこい」と言われたそうです。すると、友達を連れてまたそこへ行って見たけれども、そこには、もう、その真っ赤に稔った餅稲はなかったそうです。初め見た人にだけ、果報は付いているものだから、友達を連れて行ったため、その果報が逃げたそうです。六月のアラマツリやウフンムェのときにノロ神様が使う、ミガキの扇には、鷲の大きさの鳥の絵が描かれてありますが、その大きな鳥が稲の種子をくわえてきたそうです。(南島昔話叢書1『瀬戸内町の昔話』)
②奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町古仁屋~アガレンハルカナはどこからか稲霊(いなだま)を盗んできたので、稲が良くできた。盗んでぎたので、良くない噂がたった。両親は死ぬことをすすめ、七川七谷の川の水を汲んできて、体を清め、粢水を作り、口、腹を清めてアガレンハルカナは死んで稲霊の神になった。(南島昔話叢書1『瀬戸内町の昔話』)
③奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町蘇刈~タカンマ(小字名)の先のイヒャドリという場所の尾根に稲がたわわに稔っていたので刈りとってきた。(『瀬戸内町誌』)
④奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町諸鈍~昔、秋徳の村で、百姓が山へ椎の実を拾いに行った。途中、山の中で稲が金色に稔っているのに出会ったので、下山して、村の長老に聞くと山幸だから見捨ててはいけないといわれて、再び行ってみたがなにもなかった。(同上)
⑤奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町於斉~於斉のウフヤづ、(深山)に餅稲が稔っていた。それをみた人がびっくりして、村へ帰り、村の長老からそれは果報な物種だから、早く行って刈り取ってこいと教えられた。友だちと行ってみたがなかった。(同上)
⑥奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町嘉徳~昔、山へ行ってみると、稲が満作に稔っていた。それを親に話すとイナダマガナシだというので、急いでひき返したが、その姿はなかった。(同上)
⑦奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町節子~老婆が浜の大岩の近くで稲の稔っているのをみつけ、弟を連れて行ってみるとなかった。(同上)
⑧奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町久慈~ある人が山に行ったら、三株ほど米がみのっていた。一握り刈って昼寝した。すると神がでてきてお祝いしろといわれた。お祝いして、その米を囲炉裏のまわりに播いたら、その家の米櫃は一杯になった。これをイナダマという。(『薩南諸島の総合的研究』)
⑨奄美・鹿児島県大島郡瀬戸内町蘇刈、伊須、網野子、嘉鉄、篠川、花天、薩川、池地、請阿室、竜郷町竜郷~山中で稲を発見する(同上)
⑩沖縄本島・沖縄県国頭郡国頭村比地~昔、ある老人が子や孫を連れて畠回りをしていると、どこからともなく天人が現れて、老人に年齢を聞いたので、百二十歳と答えた。次に子や孫が繁昌しているかと聞いたので、孫や曾孫までできていると答えた。天人は、美しい心根の人だとほめて、稲の作り方を教えて、村人にも伝えよと言って去った。老人は喜んで帰り、教えの通り稲作をすると、すばらしい米ができた。現在の比地川の上手、中の宮に近い右岸山麓に、ミルク田というのがその跡で、ここが稲作の始まりの田で、一年越しの豊年祭には、この田を拝んで始まる。(『国頭村史』)
⑪沖縄先島・沖縄県八重山郡竹富町波照間島~昔、波照間の豪家の保多盛家の人が海へ漁に出たところ、フルマルのパースクチイで、網に俵一つがかかった。中には見たこともない種物がいっぱい入っていたので、持ち帰って籾をすって食べてみると、たいへんうまいものであった。これは神さまのお授け物だと、この種を水瓶のそばの水溜に植えてみると、芽を出しぐんぐん伸びて、みごとな稲穂となった。そこで、今度は井戸の前の土地を耕し、水を入れて田圃を作ると、たいへんな豊作となった。これが波照間の稲作の始まりで、その最初の田を井戸田(ケーマシイ)と呼んでいる。(『ばがー島 八重山の民話』)
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赤米の話は、僕も、聞いた事があります。
カシチー・カッチーと呼ばれる強飯(こわめし)を炊く場合と、
赤米 (あかごめ)を炊く場合が、あったようです。
赤米は、玄米で、
皮が赤褐色(暗褐色もある)のイネの総称。
肥料が少なくてすみ、旱魃に強く、
作りやすい品種だったようで、
昔、西表島や沖縄本島などで、広く栽培されていたそうです。
ただ、収穫量が少ないため、減ったとされています。
沖縄の在来種として、羽地黒穂、赤烏(からす)米、という名を聞いた事があります。
コメント、ありがとうございます。
では。
Posted by 横浜のtoshi
at 2010年12月01日 07:30

Posted by くがなー at 2010年12月01日 04:51
えっ?そんなに、喜んで、いただけましたか?よかった、よかった。
でも、僕にとっては、普通なんだけれどもなぁ~。
美味しそうな、サトウキビが、目の前にあるとする。
あ~、キビが、オレを、呼んでいる~。
自然と足が向かって、
根元を、足で、バキッ!
まいう~
Posted by 横浜のtoshi
at 2010年11月23日 19:19

足でバキッ!は2週間くらい思い出し笑いしそうなお話でした。
友人達にも話て盛り上がりそうです(^^)
こちらこそ、いつもありがとうございます。
お身体ご自愛くださいませね。
Posted by スーさん at 2010年11月23日 17:14
宮国さん、法政大学で催しされるんですか?
面白そうですね。行かれるなら、楽しんできて下さい。
僕は、今年度、
つまり4月~来年3月まで、
仕事もさることながら、今年度は大変な仕事も抱えていますから、まず無理です。
1日2~3時間しか寝られない毎日です。
それ以外、仕事のしっぱなしなんです。休みや週末休みなどない日々です。
そして、たまにブッ続けで寝たりして、
でも、起きたらまた、1日2~3時間睡眠で頑張れるだけ頑張って、
という毎日なんです。
サトウキビですが、
確かに、オジーはじめ、色々な方に、
綺麗に刈ってもらったのを食べたことも、あります。
一方で、自分の土地のキビを、子ども達が勝手に食べる時のやり方も、
また、知っていますよという意味で、書いてみました。
つまり、
長年、サトウキビをしている家に生まれ育った人なら、
足でバキッ、で通じる筈だと思って書いたんですが、無理があったか?(笑)。
冬は18日間、沖縄にいることにしました。
6月の後半から、沖縄には行ってないので、そうします。
また、沖縄本島は、今回で、一応、キリを付けます。
来年からは、いよいよ、残った離島めぐりと、いきたいと思います。
コメント、いつもありがとうございます。
では。
Posted by 横浜のtoshi at 2010年11月22日 20:56
ハハハ!そっちのほうが難しいのでは?
おじぃが鎌で綺麗にむいて、食べやすい長さにカットしたのを帽子に山盛り・・・これが私のおやつでしたね。
宮国さん、有名なのですね?
法政大学での催しは行く?
Posted by スーさん at 2010年11月22日 20:28
宮国優子サンの、寝ても醒めても宮古島、でーじ有名だばーよー(笑)。
さすが、苦労人は違うなぁ。
スーさんは、畑の共同経営者でもあったんですねぇ~。
サトウキビといえば、
道具を使わず、
足でバキッと蹴り倒して食べる方法なら、知ってますが・・・・・・(笑)。
コメント、いつもありがとうございます。
では。
Posted by 横浜のtoshi at 2010年11月22日 11:31
私は独身の頃から共同で畑をやっているので興味深いですね。
子供時代はおじぃのサトウキビ畑を手伝って?(邪魔して?(笑))いました。
馬の背中に工具?をのせて穴を一直線に創ります。
そこに等間隔にサトウキビを埋めていきます。
馬は速いので、私も必死でしたよ。
ところで、宮国優子の寝ても醒めても宮古島というブログの本日付の告知、横浜のtoshiさんにとって面白い情報が手に入ると思いますよ。
Posted by スーさん at 2010年11月22日 10:47
コメント以外の目的が急増し、承認後、受け付ける設定に変更致しました。今しばらくお待ち下さい。
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