フチャギの由来 ~琉球沖縄の伝説

2010年12月08日

Posted by 横浜のトシ(爲井) at 20:20│Comments(14)琉球沖縄の伝説・沖縄本島編

みんなで楽しもう!
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第57話。


フチャギの由来(ゆらい)



 (むかし)あるところで、ものに(まよ)わされたというお話です。
 ものに(まよ)わされたその人は、気付(きづ)くと、いつの()にか按司(あじ)(ばか)()れられていて、(なに)()べないままでいたのでした。
 ちょうどそこへ、遊郭(ゆうかく)(つじ)(あそ)びに行くため、男友達(おとこともだち)二人が通り()かったのでした。
 按司墓(あじばか)を通り()ぎようとした時、あたかも雨が降ってきて、一時(いちじ)雨宿(あまやど)りのため、二人は(はか)()(ぐち)屋根(やね)(した)へ行って、話をしていました。
 ものに迷わされている人は言葉(ことば)(はっ)することができなかったため、(うし)ろから必死(ひっし)(たす)けてくれという気持(きもち)ちで、二人の(かた)()を、やっとのことで()いたのでした。
 さて二人ですが、()かれた()(あま)りにも(つめ)たかったこともあって、異変(いへん)に気がつきました。
 そして一人が言うことには、
 「おい。
 お(まえ)には今、(なに)(なに)わったことが()きてないか。
 (じつ)(おれ)(ほう)なんだが、(かた)(なに)やら(つめ)たい()のようなものが()かれた(かん)じがして、ならないんだ。」と。
 するともう一人も言うことには、
 「やっぱり、お(まえ)もそうか。同じだ。」と。
 二人は顔を見合(みあ)わせると、一人が(おび)えながら言うことには、
 「という(こと)は、もしかして、幽霊(ゆうれい)か。」と(さけ)びました。
 (おどろ)いた二人は(かた)(つか)まれたまま軒先(のきさき)から()()したため、ものに(まよ)わされて()()められていた人は一緒(いっしょ)に墓の(そと)()っぱり()されたのでした。
 それを見て、(おどろ)いた二人が言うことには、
 「な、なんだ、お(まえ)は。幽霊(ゆうれい)か。それとも人間(にんげん)か。」と。
 すると、(むし)(いき)のまま()にそうな(こえ)で、ものに(まよ)わされた人が言うことには、
 「私は人間です。
 (じつ)は、ものに(まよ)わされて気付(きづ)いたら、いつの()にかこの按司墓(あじばか)()れられていたんです。
 もう随分(ずいぶん)、何も食べていないんです。
 お(なか)()いて、段々(だんだん)体力(たいりょく)がなくなってきて、このまま自分は死んでしまうんだなあと(かんが)(はじ)めた時、あなたたち二人がやって来て、助けて下さったのです。
 (はか)(なか)では、いくら(こえ)()そうとしても何故(なぜ)かまったく()ず、(たす)けて欲しいという(おも)いだけで、あなたたち二人の(かた)にやっと()()くことができたんです。
 偶然(ぐうぜん)、あなた達に()()られて自分は(はか)から出ることが出来(でき)ました。
 ありがとうございます。
 本当(ほんとう)に心から感謝(かんしゃ)します。」と。
 何とかそれだけ事情(じじょう)を話すことが出来(でき)たのでした。
 「それは、それは、とんだ災難(さいなん)見舞(みま)われて大変でしたね。
 ところで、あなたは何処(どこ)(なん)という(かた)でしょうか。」と。
 二人がそう聞くと、男は何とか自分の家と名前を言うことができました。また今頃(いまごろ)は、私がいなくなって(さわ)いでいる(はず)なので、連れて行って(もら)えないだろうかと、御願(おねが)いしたのでした。
 もちろん大変(たいへん)()()って同情(どうじょう)した二人は、両脇(りょうわき)から(かか)えるようにして、家まで()れて行ってあげたのでした。
 家の(もん)()くと二人の男のうちの一人が、(さき)に私だけ中に入って事情(じじょう)を話して来ますので、どうかここで待っていて下さい言い、屋敷(やしき)に入って()きました。
 もうすっかり()()けていましたが、中は火があちこち(とも)されていて明るく、沢山(たくさん)の人が(あつ)まって(いそが)しそうに(はたら)いていました。
 というのも、ものに(まよ)わされて行方知(ゆくえし)れずになって、明日(あす)丁度(ちょうど)四十九日(しじゅうくにち)であり、取り()えず明日は初七日(しょなぬか)をしようという事に決まり、(もち)餅菓子(もちがし)を作ってその準備(じゅんび)をしていたところなのでした。
 そこで男は屋敷(やしき)にいた者達に向かって、今までの事情を話して聞かせました。それから、今から連れて来ますと行って、門に向かって走り出しました。
 ()ぐに、行方不明(ゆくえふめい)だったその人が()れて来られると、そこ()にいた人達の喜びようは、それは大変なものでした。
 一方、葬儀(そうぎ)を行うために作られた(もち)ですが、今度(こんど)はお(いわ)いのために(あか)小豆(あずき)がつけられ、生還(せいかん)(いわ)うためのものに代わりました。
 それが、やがてフチャギと呼ばれるようになったのであり、こうしてフチャギを食べる習慣(しゅうかん)()まれました。
 以上(いじょう)がフチャギの由来(ゆらい)として(つた)わってきた(はなし)です。
 その()、お月見(つきみ)(さい)に、長く白い(もち)(まわ)りに、(あま)くないあっさりとした塩味(しおあじ)仕上(しあ)げた小豆(あずき)をつけ、十五夜(じゅうごや)に食べる餅菓子(もちがし)として、よく食べられるようになったそうな。

 

※この話の参考とした話

沖縄本島・沖縄県那覇市久米~『那覇の民話資料』第三集真和志地区(2)
沖縄本島・沖縄県島尻郡渡嘉敷村渡嘉敷~渡嘉敷村史別冊『とかしきの民話』
沖縄本島・沖縄県島尻郡南風原町津嘉山~『ふるさとの民話南風原町』第一集


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●伝承地
沖縄本島・沖縄県那覇市久米~昔、あるところにものに迷わされたという話で。ものに迷わされた人で、按司墓に入れられてこのまま、もう何もたべないで按司墓に入れられている人がいた。ちょうどそこへ、あの遊郭の辻へ遊びに行くという友だち二人が行く途中に、雨が降って、雨宿りするといって、この入り口に二人、隠れて話しているときに、いつのまにか後から、ものに迷わされている人が.二人の肩に手を置いた。助けてくれという気持ちで、手を置いて、そうしていると、言葉は言わないが二人は気がついて、この置いてある手があまりにも冷たかった。それで、ひとりの人が、「おい、おまえは、何もわからないのか。私の肩に、何やら冷たいものが置かれているようだが」と言ったので、それでひとりの人がまた、「あ、おまえもそうか。私もそうみたいだ」と言ったので、「ああ、それならこれは、幽霊じゃないか」と言った。
 驚いてすぐに二人はそのまま飛び出したので、肩をつかまえられたまま二人飛び出したので、このものに迷わされている人もいっしょに、墓から引き出された。それから、驚いて、二人の友だちが、「おまえは、幽霊か人間か」と言ったので、虫の声みたいな、つまり死にそうになっている人の声のように、「私は人間なのだが、実はものに迷わされて、いつのまにかこの按司墓に入れられてしまったが、自分は食ベ物を何も食べていない。もう何日もお腹をすかして、そうしているとあなたたち二人が来てくれたので、良かったと思って助けてくれという気持ちであなたたち二人の肩に手を置いていたので、このまま引き連れられて、墓から出たのだが」と事情を言ったので、「ああ、そうなのか。それならおまえは、どこどこの何という人か」と言ったので、それで、「ああ実は、どこどこの何々という家の子どもだけど、私の家に行ったら、今頃騒いでいるはずだから、連れて行ってください」と言ったので、二人で両方から抱えるようにして連れて行った。
 門まで連れて行き、まず、「おまえはここにいなさいよ、待っていなさいよ」とひとりの者が言ったら、夜なのだが、もう火もつけて明るくしてたくさん人が集まって騒いでいたので、その中に入った。そして、事情を聞いてみたら、ちょうどこの人がものに迷わされて家から出てから、明日は四十九日という日になって、ちょうどこれの初七日の準備をするといって、餅を作り、餅菓子を作っていたときだった。それで、「実は、そういうことなら驚かないでください。このものに迷わされて出たという人は、私たちが今連れて来ますので」
と言って連れてくると、もう、そのときからはたいへん喜んで、この四十九日を行うために作った餅をひきちぎり、今度は赤豆をつけて、フチャギというものを作って、それで、それからフチャギということができたという。そのフチャギの由来の話だよ。(『那覇の民話資料』第三集真和志地区(2))
沖縄本島・沖縄県島尻郡渡嘉敷村渡嘉敷~牛博労が墓の近くを歩いていると、墓の中から声がした。事情を聞いて牛博労が、その人の家族に知らせ、墓を開けてみると、死んだはずの人が墓の中で生き返っていたという。それで、焼香をしようと思って水に浸してあった餅米でカシチーを作り、その人に食べさせてお祝いをしたという話がある。それから、カシチーを作るようになったそうだ。(渡嘉敷村史別冊『とかしきの民話』)
沖縄本島・沖縄県島尻郡南風原町津嘉山~昔、北山王子の子孫のマンナーが大里城の叔父を頼りにやってきたが、南風原の農場に行って、牛買の仕事を勧められた。ある日、中頭の方で牛を買って帰る途中、にわか雨が降ったので、牛を木に縛り、墓の前に座って雨宿りをしていると、急に墓の中から片頭を引張る者がいた。
驚いて、生き身なのか死者なのかと訪ねると、細い女の声で生身ですと答えた。マンナーは、お墓の石をこじ開けると、白い衣裳の青白い顔の女が、ウチンミ按司の娘であると言うので、マンナーは急いでウチンミ城に赴き、父親にそのことを話した。こちらでは七回忌の準備をしていたが、祝いの準備に変わり、つけてあった餅米は、赤飯にしてカシチーと名づけ祝った。これからカチシーは始まったという。この話は王にも聞こえ、褒美として沢山のお金がマンナーに与えられたが、今もそれが親国の家宝として伝えられている。マンナーは助けた娘と結婚し、ウチンミ城の聟(むこ)となり、首里王府を守る役を勤めた。(『ふるさとの民話南風原町』第一集)


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ウイングさん、ちゅーうがなびら。

おにゅーのパソコン購入、おめでとうございます。
すべては慣れです。

冷凍庫に一個だけ残っていたフチャギ、
残り物には、きっと福がありますよ~。

フチャギは、レンジでチン出来るですねえ。知りませんでした。

全く関係がありませんが、
そう言えば、卵を冷凍する事が出来ると、先日知って、びっくり。

卵のままだと駄目ですが、卵の殻を割って、といて、冷凍パックに入れておくと、
ちゃんと凍って、ちゃんと解凍出来ました。目からウロコ。

コメント、ありがとうございました。
では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年12月10日 06:36


仲本勝男さま、今日拝がびら。

まさか、ふちゃぎの由来で、こんなに盛り上がるとは思いませんでした。
あきさみよ。

くるくま、そして、中城から眺め、楽しく拝見しました。

毎日、早くから、海から昇る太陽に向かってカメラを向けるお写真には、
仲本さんの、気持ちまで、写りこんでいます。

いつも素適な朝日、そして、沖縄の空を、横浜で感じております。
感謝
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年12月10日 06:27


そういえば、冷凍庫に今年母からもらったフチャギがありました!!
一個だけ残っていたのを思い出しました!ありがとうございます!?^^;レンジでチーンしてフチャギの由来を噛みしめながら食べる
ことにします。"^_^"
Posted by ウイングウイング at 2010年12月10日 01:17


フチャギの由来toshiさん楽しく読ませていただきました。本当に最高です。いつも勉強です。ありがとうございます。
Posted by 仲本勝男仲本勝男 at 2010年12月09日 19:47


セコムさん、はいさい、今日(ちゅう)拝(うが)なびら。

何度見ても、セコムは、可愛いなあ。
動物は、なんでも好きですが、やっぱり犬が好きです。
アルソックには、内緒にしておいて下さいね(笑)。

セコムさんも、ふちゃぎ、大好きですか。

みなさん、好きな方、多いなあ。

どうやら、
僕が買って食べた、スーパーで売っていたフチャギは、
たまたま、美味しくないのだったのかなあ?
それとも、
僕の舌が、おかしいのか、関東育ちの僕の舌に合わなかったのかなあ。

いずれにしても、
再度、十五夜に、美味しそうなのを買って食べて見ることにします。

今、ネットで調べたら、
意外に、ふちゃぎの由来って、ないですねえ。

どおりで、みなさん、
ふちゃぎの由来、初めて聞きましたって言うわけですね。

てっきり僕は、
沖縄の人なら、みんな知っているものとばかり思っていました。

みなさんが、
ふちゃぎの由来を、みんなに聞かせたら、
オジーやオバーも、きっと、アキサミヨ~

いつもコメント、にふぇーでーびる。
では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年12月09日 19:45


Girls168さん、こんにちは。

フチャギで、こんなに、盛り上がるとは、思っていませんでした。

あくまで、僕はこのブログで、
知っていることを、書いているというより、
読む代わりに、書いている感じなんですが、
フチャギを知ったのが10年ぐらい前で、
初めて食べたのが、
数年前、赤嶺の、かねひでで、偶然、売っていた、
あんまり、美味しくないフチャギでした。

フチャギの由来の話としては、
僕も、みなさん同様、初めてに等しいんです。

ただ、
この話の、元になる話のいくつかは、知っていました。

ただ、その話では、
亡くなった人が、墓の中で生きていて、といった話で、
フチャギに結びついた話は、今回が初めてです。

喜んで頂けて、書いた甲斐がありました。

コメント、ありがとうございます。
では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年12月09日 19:44


ふちゃぎは大好きです。

長く沖縄を離れていた事もあって、懐かしく久しぶりに頂く
ふちゃぎは美味しく感じました。

ふちゃぎには、こう言う由来がある事は初めて知りました。

祝いの食べ物なんですね。

次回からはこのお話を思い出しながら頂きます。
Posted by セコムセコム at 2010年12月09日 18:56


こんにちは!

フチャギにもこんな由来があったんですねっ!
これまた初めて知りました(^^;)

久々に来てまた勉強になりましたよぉ♪
Posted by Girls168Girls168 at 2010年12月09日 17:04


かめきちサン、こんにちは。

沖縄で、
小豆と言えば、宮古の小豆。

宮古の小豆で作った、ふちゃぎなら、デージ美味しいんだハズ!

僕が食べたのは、かねひでで買った、パックだったから、
あんまり、美味しくなかったで~す(笑)。

次回は、美味しいのを探そうっと。

小豆には、魔除けの意味が、沖縄ではあります。
ふちゃぎの場合、
十五夜に、火の神(ヒヌカン)に供えて、
家族の幸せを、ウートートーしたりしますね。

いつもコメント、ありがとうございます。
では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年12月09日 06:43


SUZUさん、ハイサイ、今日拝なびら。

我が家の冷凍庫に保存されてるんですか?流石!
あくまで、この話も、伝承なので、
真偽のほどはわかりません。
小豆は、魔除けの意味があります。

でも、
沖縄で、目が覚めたら、お墓の中だったりしたら、嫌だなあ~(笑)。

鬼餅(カーサムーチー)の日でしたか。
むかし、よく月桃(サンニン)を取りに行ったり、
夜、どこそこで、○○が足りなくなったとかで、
まーやーくいやー、したのが懐かしいです。

最近では、色々な味があって、
みなさん、どんどん工夫して、新たな味を作り出すので、
それもまた楽しみですね。

では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年12月09日 06:34


yukuru mama、ハイサイ、今日拝なびら。

少し長めの、お餅に、小豆がついたものです。

ただ、関西の人はじめ、
ゼンザイのイメージを持っていると、
あれは甘いのに対して、
フチャギの小豆は、甘くないので、
違和感を持つ人がいます。

十五夜に食べるもので、
特別、おいしいわけではありませんが、
沖縄では、小豆は、魔除けの意味があるので、
是非、来年にでも、食べて下さい。

年末年始、顔を出しま~す。

12/24~1/10まで沖縄にいます。
前半は、伊是名島、伊平屋島、粟国島に行ってきます。
暇をみて、津堅島にも。

では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年12月09日 06:25


横浜のtoshiさん、おはようございます。

今年は、宮古出身の方が、宮古の豆でふちゃぎを作ってくれました。
意味はわからなかったけど、美味しかった~!!
ふちゃぎの由来、勉強になりました。
Posted by かめきちかめきち at 2010年12月09日 05:56


toshiさん
こんばんは〜

フチャギは、只今我が家の
冷凍庫に保存されてます

どうして、あずきが着いた
のをお供えするのか疑問

でしたねけど、知る事が

できて良かったです。

ちなみに本日は、か〜さ〜
む〜ち〜をお供えの日でし
たよ、
Posted by SUZU at 2010年12月08日 23:51


横浜のtoshiさん

こんばんは~o(^-^)o

あのお餅がフチャギと言うのですか?
まだ食べたことないですけど…(苦笑)

今年も後少しになりましたね!
toshiさんは相変わらず、忙しい毎日を過ごされてるのでしょうね?

年末年始は沖縄で
ノンビリして下さいね~o(^-^)o
Posted by yukuru mama at 2010年12月08日 23:16


コメント以外の目的が急増し、承認後、受け付ける設定に変更致しました。今しばらくお待ち下さい。

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