真千鎌の横死 ~琉球沖縄の伝説

2011年01月19日

Posted by 横浜のトシ at 20:20│Comments(0)琉球沖縄の伝説・奄美編

みんなで楽しもう!
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第73話。


真千鎌(まちがま)横死(おうし)



 (むかし)むかしのことです。
 世之主(よのぬし)真松千代(まちぢよ)時代(じだい)沖永良部島(おきのえらぶじま)古里(ふるさと/さーとぅ)のメーヒヤという(ところ)に、真千鎌(まちがま)という大層(たいそう)器量(きりょう)()い女性がおりました。
 世之主(よのぬし)()りに出掛(でか)ける与和(よわ)(ちか)くに住んでいたため、何時(いつ)しか世之主(よのぬし)()()まって()しかかえられ、世之主(よのぬし)城下町(じょうかまち)内城(うちじろ)のヘンタに()みました。
 そのうちに真千鎌は、世之主(よのぬし)()身籠(みご)もって、(たま)(よう)王子(おうじ)が生まれました。
 どんどん成長(せいちょう)して十四の年齢(ねんれい)になった(とき)には、(すで)に王子は武芸(ぶげい)(ひい)でていました。
 そこで世之主(よのぬし)は、その能力(のうりょく)のほどを(ため)すため、城から直城(のーしぐすく)まで(なわ)()らせて言うことには、
 「()()ならば、この(なわ)(わた)れる(はず)だ。もし(ほか)(もの)の子なら()ちて()ぬに(ちが)いない。」と。
 こうして綱渡(つなわた)りで王子(おうじ)の力を(ため)したところ、首尾(しゅび)よく(わた)りきったのでした。
 その()王子は、ある時、大屋子(おおやこ/うふやく)(しょく)任命(にんめい)のため、琉球(りゅうきゅう)北山(ほくざん)()かいました。
 その(あいだ)に、世之主(よのぬし)が、あの有名(ゆうめい)騒動(そうどう)割腹(かっぷく)自殺(じさつ)してしまい、一門(いちもん)もまた(とも)(あと)()って()くなってしまいました。
 世之主(よのぬし)()くなったため、真千鎌は()()まいをし、幾年(いくねん)かが()ちました。
 しかし、その(あいだ)王子(おうじ)音沙汰(おとさた)一向(いっこう)に聞こえてきません。
 (かえ)って()(とき)のためにと、真千鎌は、王子の()(まわ)りの品々(しなじな)用意(ようい)し、(はた)()って、大屋子(おおやこ/うふやく)(しょく)相応(ふさわ)しい着物(きもの)準備(じゅんび)をすっかり(ととの)え、首を長くして()っていました。しかし、とうとう王子(おうじ)帰国(きこく)することはありませんでした。
 真千鎌は、()くなったとはいえ、(あま)りに高貴(こうき)(おう)(めかけ)だったため、その()、いい()(おとこ)もなく、(すで)身内(みうち)がいない境遇(きょうぐう)だったために、いつしか真千鎌の美貌(びぼう)色褪(いろあ)せ、(むかし)(かげ)もない有様(ありさま)となり、(くろ)(うつく)しかった(かみ)次第(しだい)(みだ)れがちになり、最後は(しらみ)()くまで()ちぶれて、とうとう(もだ)(くる)しんで非業(ひごう)の死を()げたと()われています。
 世間(せけん)(うわさ)では(もっぱ)(しらみ)()(ころ)されたらしいと言われました。
 かつて世之主(よのぬし)が生きていた(ころ)、真千鎌のお(さと)(がえ)りの()りには、(おそ)くなると家来(けらい)たちが東石橋まで、たびたび(むか)えに()ったそうで、そこで、
  「東石橋に あんどまち とぼち
   へんだ真千鎌が お(ムケ)しやぶら」
と、歌ったそうです。
 なお、真千鎌の屋敷跡(やしきあと)は、今の小山家がある東にあり、真千鎌が亡くなってからずっと、屋敷の足洗(あしあらい)()りと呼ばれた所の木々(きぎ)は、()()()ちることがなく、(よご)れることがなかったと言われています。
 また島の老人達(ろうじんたち)は子ども達に、この(いけ)大切(たいせつ)にしなければならない。また、(けっ)して人に売ってはならないと、代々(だいだい)()(つた)えてきました。
 なお、この古池(ふるいけ)から、(たから)が出たことがあり、それは小山家で、現在まで大事(だいじ)保存(ほぞん)されきたそうな。


※この話の参考とした話
奄美・鹿児島県大島郡沖永良部島~沖永良部島郷土史資料』


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●伝承地
奄美・鹿児島県大島郡沖永良部島~昔、世之主の世、古里のメーヒヤに真千鎌という器量の良い女が居た。世之主が釣りに下る与和通り近くに居る事とて何時の間にか世の主のお目に止りお召しになって内城のヘンタに居らしめた。兎角している中に(とかくしているうち/あれこれの意)真千鎌は世の主の種をやどして玉の様な王子が生れる。ずんずん成長する。十四の年になると武芸も中々達者になってくる。そこで世の主は其の気象をためさんために直城まで縄を張り「我子ならば渡れる。人の子なら落ちて死ぬるに相違あるまい」と縄渡り試験を致せしに首尾よく渡って了った。王子は大屋子御拝命の為上国なさいましたが、其後世の主はあの御騒動のために御割腹召され一門皆亡んで真千鎌は侘(わ)び住ひに幾年か経ましたが王子の音沙汰が一向に聞えぬ。御衣調度など調へて機を幾機か織り切って大屋子の準備を調へて置いたがとうとう御帰国が無い。高貴な方のお妾なれば寄りそふ男もなく世間もなく真千鎌の美貌もいつしか色褪せて見る影もない有様となり、うば玉の髪も散り乱れてシラミさへ湧き出でとうとうもだへ死にました。世俗伝えてシラミに嚙倒されたといふて居たそうである。世の主の御家来どもが真千鎌のお里帰りの折り、晩くなりますと東石橋までお迎へに行ったもので、
 「東石橋にあんどまちとぼち
  へんだ真千鎌がお迎(むけ)しやぶら」
と歌ったのだそうです。此女のお屋敷跡は今の小山家の東で近い昔、まで其の足洗の堀りにはマンク木の葉も落ちず汚れもせなかった。御老人の方々がこの池は御大切にせねばならぬ。人に売ってもならぬと申して居たそうで、此古池から出た宝物が只今小山家に保存されて居ます。(『沖永良部島郷土史資料』)


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