屋蔵大主 ~琉球沖縄の伝説

2011年01月28日

Posted by 横浜のトシ(爲井) at 20:20│Comments(0)琉球沖縄の伝説・沖縄本島編

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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第81話。


屋蔵大主(やぐらうふぬし/八蔵大主)



 むかし(むかし)屋蔵大主(やぐらうふぬし)という人物(じんぶつ)がおりました(※屋蔵大主は、八蔵大主(やぐらうふぬし)とも。英祖(えいそ)王統(おうとう)英祖(えいそ)の五男として生まれ、伊平屋島(いへやじま)我喜屋(がきや/がーざ/がんじゃ)集落の上里(うえーしと)部落に住んで二男二女をもうけ、やがて長男は佐銘川(さめかわ)大主(うふぬし)(※鮫川大主とも)、次男は上里按司(あじ/あんじ)、長女は我喜屋親祝女(のろ)、次女は我喜屋祝女(のろ)就任(しゅうにん)。長男の佐銘川大主(さめかわうふぬし)の子が、琉球國(りゅうきゅうこく/るーちゅーくく)第一尚氏(しょうし)王統の、初代国王尚思紹(しょうししょう)、その父と共に実際に琉球を統一したのは、子で第二代国王尚巴志(しょうはし)とされる(※中国との冊封(さっぽう/さくほう)(じょう)は尚巴志が初代国王)。なお、屋蔵大主(やぐらうふぬし)の別の出自(しゅつじ)では、屋蔵大主の父上与座(かみよざ)按司(高嶺城主)が、兄の大里按司に殺害されたため、島尻(しまじり・)大里(おおざと/うふざとぅ/うふじゃとぅ)から伊平屋島(いへやじま)に渡ったとする)
 それまで三つに分かれていた沖縄本島を統一して、琉球國(りゅうきゅうこく/るーちゅーくく)第一(だいいち)尚氏(しょうし)王統(おうとう)建国(けんこく)した、あの有名(ゆうめい)尚巴志(しょうはし)曾祖父(そうそふ)()たる人物(じんぶつ)です。
 言い伝えによると屋蔵大主(やぐらうふぬし)は、伊平屋島(いへやじま)我喜屋(がきや)永住(えいじゅう)して、大層(たいそう)農業(のうぎょう)心血(しんけつ)(そそ)いだ人物(じんぶつ)だと()われています。
 屋蔵大主(やぐらうふぬし)は、豊作(ほうさく)(とき)(くら)を一つ(つく)って、その(くら)(あま)った(ぶん)(たくわ)えました。やがて、その(くら)一杯(いっぱい)になると、(つぎ)(くら)(つく)って(たくわ)えていったため、何年(なんねん)かが()ってみると、(くら)は八つに()えていて、どの(くら)(なか)一杯(いっぱい)(たくわ)えが()まっていたそうです。
 そんなある(とき)(むら)飢饉(ききん)(おそ)いました。
 (こま)った、ある農民(のうみん)が、屋蔵大主(やぐらうふぬし)(ところ)へやって()()うことには、
 「こんな(とき)のために、(たくわ)えて()たと()いております。あなたの屋敷(やしち/やしき)(くら)から、(なん)とか(わたし)どもに、(すこ)しだけでも(たくわ)えを()けては(いただ)けないものでしょうか。
 勿論(もちろん)豊作(ほうさく)になった(おり)には、(かなら)ずお(かえ)(いた)します。」と。
 すると、屋蔵大主(やぐらうふぬし)(こた)えて言うことには、
 「(わたし)()るところでは、まだまだ(いま)(むら)状況(じょうきょう)なら、大丈夫(だいじょうぶ)です。
 (たし)かに(いま)大変(たいへん)なのはわかります。
 しかしもしかすると、飢饉(ききん)(いま)だけでなく、この(さき)もずっと、(つづ)くかも()れないのです。
 本当(ほんとう)窮地(きゅうち)(むら)(おそ)った(とき)こそ、(むら)のために(よろこ)んで(くら)()ける(とき)だと、(わたくし)(かんが)えているのです。」と。
 ()てが(はず)れた村人(むらびと)は、しげしげと(かえ)って行きました。
 それからというもの、村人(むらびと)(なか)には、屋蔵大主(やぐらうふぬし)の事を、(わる)()って回る人間(にんげん)(くず)もいたものの、(ほとん)どの村人(むらびと)はこの(はなし)()いて、屋蔵大主(やぐらうふぬし)()(こと)が、(もっと)もであり、正しいと(おも)いました。
 すると、屋蔵大主(やぐらうふぬし)心配(しんぱい)的中(てきちゅう)してしまい、飢饉(ききん)がずっと(つづ)いて、ますます(むら)大変(たいへん)状況(じょうきょう)(おちい)ってゆきました。
 そしていよいよ、本当に切羽(せっぱ)()まった(いえ)では、一家(いっか)(そろ)って餓死(がし)する(ほか)()いと考えるところが、出始(ではじ)めました。
 すると屋蔵大主(やぐらうふぬし)は、村人達(むらびとたち)()()せると、(くら)を一つひとつ()けてゆき、(すべ)ての(くら)開放(かいほう)したのでした。
 そして農民(のうみん)(すべ)てに、()(へだ)()く、(くら)(たくわ)えを(くば)ったのでした。
 こうして、(むら)苦境(くきょう)(すく)ったため、人々(ひとびと)から屋蔵大主(やぐらうふぬし)()ばれるようになったという(こと)です(※一説には、倉の数から八蔵大主(やぐらうふぬし)とも)
 屋蔵大主(やぐらうふぬし)(ほね)は、伊平屋(いへや)我喜屋(がきや)(むら)(はず)れにあるハイフという御崎(みさき)(※ヤクラ海岸の屋蔵墓)(ほね)(まつ)られたと(つた)わっています。(※なお、(いま)そこには、大和(やまと)(はか)(わき)()ち、第一尚氏(だいいちしょうし)()かれた香炉(こうろ)まで()かれていますが、これらは(しま)人々(ひとびと)()らぬ()に、どこからか()()まれた(もの)であり、勝手(かって)()かれたものだそうです。まったく先祖を(けが)(ひど)い話です。)

 
 
※この話の参考とした話
高木~「長者の城跡」・柳田~「長者屋敷」
沖縄県島尻郡伊平屋村字前泊~「昭和五四年度 沖縄国際大学口承文芸研究会伊平屋調査草稿」
沖縄本島・沖縄県具志川市米原~『ふるさとの昔ばなし 具志川市の民話』(一)
沖縄本島・沖縄県島尻郡伊平屋村~『伊平屋村史』
沖縄本島・沖縄県島尻郡伊平屋村島尻~「奄美・沖縄民間文芸研究」十一号


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●伝承地
高木~「長者の城跡」・柳田~「長者屋敷」
伝承地~沖縄県島尻郡伊平屋村字前泊~この屋蔵大主はですね、沖縄の第一尚巴志のお祖父さんにあたって、伊平屋島の我喜屋に永住して、そして、非常に農業に熱心されて、この豊作のときには蔵をですね、一つひとつ作って、その豊作のときには、みなその蔵に蓄めて、その蔵がおわったらまた次の蔵を作ってそれに貯えて、そういう順序を経て、八つの蔵のいっぱいつまったところ、非常に飢饉が生じまして、そのときに農民は困って、「屋敷の蔵から、なんとか出来ないか」ということをやったけれども、屋蔵大主はですね、「まだまだ今は大丈夫でしょう。まだ飢饉があるから」と言っていると、そして、いよいよもうせっぱつまって、一家死ぬかの立場になったところに、蔵を一つひとつ開けて、一般の農民に配けてあげた。そして、全部の蔵を開放してあげて、住民の非常な苦しい立場を救って、それで、あだ名を屋蔵大主と名をつけたそうであります。そして、その骨はですね、まだ、伊平屋のハイフという崎のところに、骨を祭ってあるそうであります。おわり。(「昭和五四年度 沖縄国際大学口承文芸研究会伊平屋調査草稿」)
沖縄本島・沖縄県具志川市米原~伊平屋の王(後の尚巴志の父親)は、旱魃で作物も全部枯れ困っている島の人達に、倉にしまってある食べ物を分け与えていた。また魚を捕るのがうまかったので、漁に出て、魚も配布した。しかしその分け前に不満を持った村人は、王を殺して倉の物を奪い取ってやろうと考え、漁からの帰りを待ち構えていた。彼が帰って来る時、神様が現れ「島には帰らず、舟で西に向いている島を探しなさい」と告げた。彼が逃げた村が佐敷であった。そこの按司の娘を妻にし、大勢の子供ができた。その中の一人が尚巴志である。彼は体は小さいが大変な力持ちだったという。(『ふるさとの昔ばなし 具志川市の民話』(一))
沖縄本島・沖縄県島尻郡伊平屋村~屋蔵大主は、天孫子の子孫で、英祖の五男、島尻世主大里按司の三男、上与座按司の次男である。英祖王の四代目の玉城王の時代になって、王が酒と女に溺れたため、国中が乱れて、中山、北山、南山が対立するようになった。そのため上与座按司は、兄の南山の大里按司から玉城王をいさめるように進言した。兄の大里按司はこの進言を怒って上与座按司を殺害した。上与座按司の次男の屋蔵大主は、伊平屋島の我喜屋が上里村にあった頃、伊平屋に渡って上里に耕地を求めて住み、八つの高倉を建てて穀物を蓄え、その地を屋蔵敷地と唱えた。屋蔵大主は、二男、三女を生み、長男は鮫川大主、次男は上里按司、長女は我喜屋親祝女、次女は我喜屋祝女になった。
その後も力を強めた屋蔵大主は、伊是名城に城を築き、鮫川大主を城主として、伊是名島を統治させた。屋蔵大主は、伊平屋の地を次男の上里按司に継がせ、死後は我喜屋のヤクラ海岸の洞窟の屋蔵墓に葬られた。(『伊平屋村史』)
沖縄本島・沖縄県島尻郡伊平屋村島尻~屋蔵大主は、首里から派遣されて、この島に来て、我喜屋に稲を作らせた。苗は失敗したが、マカーという草を混えて植えると豊作になった。稲はでぎないと申請していたのに、首里から調べに役人が来るというので、家を造って、稲を皆刈り取り、それを隠した。それで屋蔵大主と祀られるようになった。(「奄美・沖縄民間文芸研究」十一号)


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