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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第87話。


イナディオンノー



 むかし(むかし)徳之島(とくのしま)に、イナディオンノーという(ひと)がいました。
 この人は、(ゆみ)(かん)して大変(たいへん)腕利(うでき)きであったそうです。
 その人は、ヲゥランという(ところ)(うし)をもっていて、アブェシャ(ぎゅう)一頭(いっとう)と、(のこ)りの(うし)に、そこで(くさ)()べさせていました。
 ところが、(うし)一頭(いっとう)ずつ、いなくなりました。(だれ)かが(うし)(ぬす)んでいるようです。
 イナディオンノーは亀津(かめつ)用事(ようじ)があり、その(かえ)りがけに牛を()()ると、アブェシャ牛が、いなくなっています。そこで()ぐに、牛の爪跡(つめあと)調(しら)べ、牛を()いました。すると、ノーンカという(かわ)()ました。
 川には、ヒアゼという七人のアゼが()んでいました。足跡はそちらに向かっています。もしかすると彼等(かれら)仕業(しわざ)かもしれないと(おも)い、()()えず(いえ)まで(はし)って(もど)ると、(ゆみ)()り、(かご)(かつ)いで、(かに)()(とき)の、(やぶ)れた着物(きもの)()()ちに着替(きが)えて、(ふたた)び川に()きました。
 するとアゼ(たち)が、(ころ)した(うし)(かつ)いでやって()ました。そこでイナディオンノーは、(すこ)しでいいから(にく)()けてくれないかと(たの)んでみました。
 すると、アゼ(たち)は、アブェシャ牛の(にく)()けてあげるので、蟹捕(かにと)りなど()めて、さっさと(いえ)(かえ)れと()い、(にく)()って()けてくれました。
 イナディオンノーは、肉を(もら)()りをして牛をよく見ると、(まぎ)れもなく自分(じぶん)の牛です。肉を(かご)()れると、その(よこ)(かく)しておいた(ゆみ)()()り、()()きざまに、一番近いアゼに(ねら)いを(さだ)めて、()()ったのでした。
 ところが、一本の矢で七人が串刺(くしざ)しになって、みんな死んでしまいました。
 (なお)、ヒアゼというのは、(おとこ)が七人と(おんな)が二人の、全員(ぜんいん)で九人でしたが、(おとこ)(すべ)てを一矢(ひとや)で、射殺(いころ)してしまったのでした。
 (いま)でも、ウウビャグシクという(ところ)があり、ウシクムリというムリがあります。勿論(もちろん)、イナディオンノーのお(かげ)で、それ以後(いこう)(ひと)(なに)かを()られるような(こと)は、なくなったそうな。

 
※この話の参考とした話
奄美・鹿児島県大島郡伊仙町上面縄~『徳之島の昔話』
奄美・鹿児島県大島郡伊仙町面縄~『伊仙町誌』
同上~『徳之島民話集』


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●伝承地
奄美・鹿児島県大島郡伊仙町上面縄~昔、イナディオンノーという人があった。この人は大変な手ききであったそうな。その人がヲゥランという処に牛を持っていて、アブェシャ牛を一つおいて残りの牛には草を食べさせていたが、牛が一つづついなくなるので、いよいよこれは人がとっているのであろうと考えた。そこでイナディオンノーは亀津に用があってその帰りがけ、その牛を見に行くとアブェシャ牛がいなくなっている。そこでその爪あとを調べて見ると、その上にノーンカと云う川があって、そこにヒアゼという七人のアゼが居た。それ等がとっているらしいというので、家に走り帰って弓を取り、カゴをかついで蟹あさりするように見せかけて破れ着物を着て上って行った。
 すると田のアブェシャ牛を殺してかついで来る人がいるので、自分にも少しでいいから分けて下さいと云うと、その人達はお前にこれだけやるから蟹捕りはやめて帰れと云って肉を切って分けてくれた。イナディオンノーはそれをもらってカゴに入れるようにして、弓を取り出しねらいを定めて、この七人の人を射ったところが七人が一本の矢で串刺しに刺されて死んでしまった。ヒアゼというのは男が七人女が二人全部九人だったが、その人達全部射殺してしまった。そこに今でもウウビャグシクという所があり、ウシクムリというムリがあって、其の人のおかげで牛がそれ以後人に取られるような事もなくなったという。(『徳之島の昔話』)
奄美・鹿児島県大島郡伊仙町面縄~ある日、ミナデ恩納は野につないである牛が盗まれることを村人から聞き、ウービラ按司の悪事を発見する。言葉巧みに仲間に入り、牛を殺し、配分し、ウービラ按司たちが細い道を背負って帰るところをミナデ恩納が一矢で射殺した。ウガン按司のいるウガン城もミナデ恩納が滅した。
 この戦いの最後にウガン按司の妹のノロであったマルが一人生き残ってミナデ恩納と戦ったが刀の目釘が抜け、髪のかんざしで目釘の代用にした。マルは髪は長く、ほどけたので下にいたミナデ恩納が髪をつかんで引きずり落としてマルを殺した。(『伊仙町誌』)
同上~ある日、ミナデ恩納は検福村のヤスクマメーバルと上面綱の西南にある鍛冶岩の近くの田いもを植えた田で一晩中相撲をとった。持ち主が翌朝いってみると田はなにごともなかった。ある日、ミナデ恩納が七人の荒くれ按司が他人の牛を殺している現場に出くわした。何くわぬ顔で仲間に入り、一足先に帰り、待ち伏せをしていた。七人の按司が坂道の中腹にさしかかった時に一矢で七人を串刺しにした。(『徳之島民話集』)


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一本の矢で、7人、串刺しって!
横向き、縦列、どっちかにもよりけりだけど、

単純に、縦列の場合として、
その当時の体型は、そんなにメタボは居なかったと思うから、

大人一人の幅が、30センチとして、×7ってことは、
210センチ!
それが貫くって(*≧▽≦*)

矢って、どうしても、一般的なイメージで、
弓と矢というものが頭に浮かぶし、
また、一本型の矢にしても、
そこそこの長さしか思い浮かばないから、
一体、どんだけ~~な矢の長さで、
それを放つイナディオンノーって、
どんだけの巨体なんだ??って
想像しまくりでした~~(#´艸`)プププ
Posted by す〜み〜☆ at 2011年02月04日 08:37


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