てぃーだブログ › 琉球沖縄を学びながら、いろいろ考えていきたいな~ › 琉球沖縄の伝説・奄美編 › ケンムンの始まり ~琉球沖縄の伝説
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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第96話。


ケンムンの(はじ)まり



 (やま)()妖怪(ようかい)のケンムンですが、元々(もともと)人間(にんげん)でした。
 最初(さいしょ)にケンムンになったのは、ノロ神様(かみさま)の、(めい)(おい)でした。二人(ふたり)両親(りょうしん)()くなったため、ノロの叔母(おば)()()られました。それは(あね)(なな)つ、(おとうと)(いつ)つの(とき)でした。
 ある()のこと、叔母(おば)(おさな)二人(ふたり)()かって、
 「(やま)()って、ジヒキ(すすき)()()って()なさい。」と命令(めいれい)すると、(いえ)()()し、(とびら)()めました。
 二人(ふたり)仕方(しかた)なく、(やま)(なか)一日中(いちにちじゅう)(ある)(まわ)ったものの、ジヒキ(すすき)がどんなものか()からず、(かな)しみのあまり()いていました。
 するとそこに、(ひげ)()やしたフッシュ(老人)(あら)れて、()うことには、
 「わらべ(たち)よ。()もなく()()れるというのに、こんな(やま)(なか)で、どうしてそんなに()いているのか。」と(たず)ねました。
 「お(じい)さん。
 (じつ)は、叔母(おば)さんに、ジヒキ(すすき)()()って()るように()われたんです。でも、ジヒキ(すすき)()がどんなものか、()いても(おし)えてくれませんでした。ですから、どれがジヒキ(すすき)()からず、()れませんでした。
 叔母(おば)さんから、もしもジヒキ(すすき)()って()なければ、絶対(ぜったい)(いえ)には()れないと、()われているんです。」と。
 そう()うと、(おさな)二人(ふたり)は、また()()しました。
 「そうか、それは可哀想(かわいそう)なことだねえ。
 では、(わたし)がジヒキを見付(みつ)けてあげよう。ジヒキ(すすき)()たせてあげるから、それを()って()きなさい。
 (ただ)し、(いえ)(なか)(はい)っては、いけないよ。
 (いえ)(まえ)まで行ったら、(いえ)反対向(はんたいむ)きに()って、ジヒキ(すすき)を、(うし)ろの(いえ)(なか)()()れなさい。
 それが(おわ)ったら、海岸(かいがん)()って、二人仲良(ふたりなかよ)く、(かい)()って()らすがよいぞ。」と()いました。
 ()ども(たち)はそのフッシュ(老人)()(とお)りにしました。
 やがて(ふゆ)になると、海岸(かいがん)には塩風(しおかぜ)()()せました。ここではもう()めないと(おも)った()ども(たち)は、(やま)にやって()ました。
 するとまた、フッシュ(老人)(あら)れて、()うことには、
 「何故(なぜ)、また(やま)に、(もど)って()たのか。」と()きました。
 すると、幼子達(おさなごたち)()うことには、
 「海岸(かいがん)は、塩風(しおかぜ)(つよ)くて()めないんです。それに、海岸(かいがん)でばかり、生活(せいかつ)できないと(おも)って、(やま)にやって()たんです。」と(こた)えました。
 フッシュ(老人)は、(すこ)(かんが)えてから、()うことには、
 「では、これからフッシュ(老人)()(とお)りにするがよい。
 (やま)三ヵ月(さんかげつ)(やま)三ヵ月(さんかげつ)(やま)三ヵ月(さんかげつ)()らしなさい。
 (ただ)し、これだけは(まも)らないといけませんよ。もしも人間(にんげん)が、この(やま)にやって()たら、お前達(まえたち)は、(たに)(うつ)りなさい。もし(たに)()たら(やま)(うつ)って、絶対(ぜったい)人間(にんげん)(かお)()わせてはいけないよ。
 それから、お前達(まえたち)が、人間をワヤクしたり(からかったり)すれば、海岸(かいがん)でしか()めなくなってしまうよ。」と。
 ()ども(たち)は、フッシュ(老人)(はなし)()()わると、「そうします。」と素直(すなお)(こた)えました。
 それからまた、フッシュ(老人)()ました。
 「そうだ、お前達(まえたち)に、名前(なまえ)をつけてあげよう。」と。
 こうして()ども(たち)は、ケンムンと()()(もら)ったそうな。


※この話の参考とした話
奄美・鹿児島県大島郡奄美大島~全国昔話資料集成15『奄美大島昔話集』
奄美・鹿児島県大島郡住用村西仲間~『奄美のケンモン』


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●伝承地
奄美・鹿児島県大島郡奄美大島~山のケンムンというのは、本当は人間からなったものである。ケンムンになったのは、ノロ神様の姪、甥で、両親が死んだので叔母に引き取られていた。姉が七つ、弟が五つだった。叔母がある日、二人に、「山に行ってジヒキ(すすき)の葉をとって来い」と言いつけた。二人は、山の中を一日中捜し回ったが、ジヒキがどんなものかもわからず捜せないので悲しくなって泣いていた。するとそこに髭をはやした爺さんが来て、「わらべ、わらべ、日が暮れるまでどうしてそんなに泣いているのか」とたずねた。「叔母が『ジヒキの葉を取って来い』と言ったが、どんなものがジヒキかわからないし、『持って来ないと家に入れない』と言ったので」と言って泣いていた。「そうか、それではフッシュ(爺さん)がとって持たせてやるから、それを持って行けよ。そして、家の中には入らないで、これを後向きに投げ入れて来い。そしてふたりはこれから先は海岸で貝を採って暮らせ」と言った。子供たちはフッシュの言う通りにした。そして冬になると塩風が吹いてとても住めないので山に来た。そこヘフッシュが来て、「なぜ、また山に来たのかね」と聞いたら、「海岸でばかりは住めないので山に来た」と言ったら、「では、フッシュの言う通りにするがよい」と言って、「山に三ヵ月、川に三ヵ月、海に三ヵ月暮らせ。それからもうひとつ言うことがある。人間がこの山に来たら、お前は谷に行って、谷に来たら山に行って、絶対に顔を会わすなよ。人間をワヤクしたり(からかったり)するとすぐに海にやるから」と言ったら、「そうする」と答えたので、「では名前をつけるから」と言って、「ケンムン」と言う名前をつけたそうな。(全国昔話資料集成15『奄美大島昔話集』)
奄美・鹿児島県大島郡住用村西仲間~七つと五つの兄弟がノロ神さまの養子になっていたが、継母のノロは、二人をよくいじめた。ある日、二人が朝寝をしたので、二人は叱られて、山へ行ってアザハとシゲクの枝を取って来いと命じられた。しかし、二人は知らないで、取らずに戻って来たので、ムナドリ(むなしく帰る)する奴があるかと叱られ、もう一度、二人は山へ戻り、高野で泣いていた。そこヘテダクモガナシ(太陽神)がやって来て、アザハとシゲクを折って与え、これを親に渡すとき逆手で投げつけよと教えた。二人は喜んで家に帰り、言われた通りにすると、ノロはたちどころに死んだので、二人はまた高野に戻った。すると、またテダクモガナシは、ギスにさわるなと教えて、兄をケンモン、弟をウバにして木に登らせた。しかし、ケンモンは教えにそむいて、ときどきギスの目を突いていたずらしたので、ギス(人間)は目が痛むこととなった。そこで、人間は目が痛むと、ケンモンがいたずらを止めるクチ(呪詞)を唱えることになった。(『奄美のケンモン』)


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ペペさん、こんにちは。

授業参観は、意外に、先生の方も緊張するのと、
生徒の方も、いつもとは違うので、
通常の授業風景とは、違うと考えた方が、いいと思います。

それから、
英語を話すことと、英語を、勉強したり学問することは、
まったく違うことです。
これは、日本語も、同じことです。

日本語を使うことと、日本語を知っているのとでは、全く違うわけです。

以前、オーストラリアのケアンズに、遊びに行った時、
ホテルのJTBカウンターに、金髪の美女が、いました。

片言の英語で、話しかけたところ、日本語でどうぞと言われました。

ところが、その女性の日本語の、正しいこと、美しいこと。

その時、日本人として、自分が恥ずかしくなりました。
もっと自分も、きちんとした日本を使おうと、反省しました。

彼女に聞いてみたところ、
オーストラリアの大学を出たそうで、
初めてそこで、日本文学に興味をもち、
奈良女子大に留学して、数年で日本語をマスターしたそうです。
日本語は、美しいから好きだと、彼女は言ってました。

出稼ぎなどで、外国から日本にやってくる方々の日本語、
つまり、
コミュニケーション・ツールとしての日本語の会話と、
このオーストラリアの女性が話す日本語とは、
まったく違うわけです。

正しい日本語を使うことは、難しく、決して簡単ではありません。

民放と違って、例えばNHKは、非常に、かたい言葉を使います。
あれは、
ひと言でも間違えたら、始末書を書かなくてはならない世界だからです。
それだけに、NHKの人達は、
プライドをもっている、本物のプロと言えます。
滅多に間違えませんし、常に、正しい日本語です。

学校の、国語の授業で、文節ごとに区切る目的は、
行間を深く読み込む読解とは、違う目的です。
どんな文章でも、正しく読める能力を養うという、手段の訓練です。

学校教育における、国語の究極の目的が、
ペペさんがおっしゃる読解です。

ただし、文字を読解するのではなくて、
文字を通して、
その向こう側にいる、作者の考えや気持ちを、読解します。
人間を、学問するということです。

人の考えや思いを読解するのが、国語の最も大切な目的です。
そして、
映像には限界があり、文字を越える事ができません。

勉強や学問は、
絶えず、いろいろな角度から正しく勉強しないと、
勉強や学問には、なりません。

特に、
そうかもしれないし、そうではないかも知れないと、
たえず、様々な角度から、物事を考えられなければ、意味がなく、
正しく「批判する能力(批判精神とも)」が重要で、
読解のためには、批判がなくてはならない、最も重要な能力です。
なお、批判は、否定とは違います。

平仮名は、古今和歌集の撰者、
紀貫之(きのつらゆき)が作ったとされています。天才です。
日記の元祖、土佐日記の作者でもあり、
小倉百人一首も、紀貫之が撰者です。
古今和歌集の目次にあたる、
仮名序(かなじょ)と真名序(まなじょ)は、貫之が書きましたが、
それが一冊の物語にも匹敵する、文学と言われています。

平仮名が発明されるまでは、漢字まじりの万葉仮名でした。

日本語は、世界に例をみないほど、高度な文字です。
言葉に、気持ちや、色々なものが、くっついて、伝わる言葉です。
外国に、そんな言語はありません。

漢字には漢字の素晴らしさ、
平仮名には平仮名の素晴らしさがあり、
その組み合わせが、素晴らしいわけです。

ちなみに、
「こどもたち」という表現が、コメントにありますが、
人類の歴史上、
子どもが発明されて、そんなに年月は、経ってないんです。
今から、150~200年といったところです。

それより前に、「こども」は、存在していません。
ですから、言葉も、ありませんでした。
存在したのは、「小さな大人」だけです。

「小さな大人」とは、
「小さな労働力しか持たない大人」という意味です。
近代学校が、発明されて初めて、
「子ども」という、概念と言葉が、できたのです。

ですから、
ペペさんがおっしゃる事は、私にも、誰でも、伝わるようで、
実は、何となく、言いたいことが、伝わっているだけなのです。

90歳の親にとって、65歳の息子は「こども」です。
つまり、子どもは、色々と使える言葉のため、
きちんと、条件をつけなければ、正しく伝わらないわけです。
ペペさんは「小学生の3年生」とつけているので、
日本語として、成立しています。
これが、もしなければ、正しく相手に、伝わらないというわけです。

正式な言葉は、
小学生は児童、中学・高校生は生徒、大学生は学生、大学院生は院生、
というのが、正式な呼び名になります。

あくまで、簡単な説明です。では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2011年02月14日 21:50


笑い猫さん。こんにちは。

す~み~サンに言われて、
ススキを、後ろ向きに投げるケースを調べましたが、
調べきれず、それが何を意味するのか、よくわかりませんでした。

この話は、全国昔話資料集成15『奄美大島昔話集』というのを、
元にしていますが、
似た話の、『奄美のケンモン』では、
「ノロはたちどころに死んだ」とあります。
この場合は、アザハ(すすき)とシゲク(不明)の枝を逆手で投げつけています。

本文では「ススキ(薄)」を「ジヒキ」と言ってますが、
これは「トキワススキ」と呼ばれるものです。

他に、「トッグア」「トッポ」、奄美では他に「アザハ」とも呼ばれます。
ススキは、宮古~「ギスギスィ」、八重地方~「ユシィキ」などとも。

いずれにせよ、
本来、薄(すすき)は、魔よけとしての草なんですが、
違う力も、あるようです。
Posted by 横浜のtoshi at 2011年02月14日 11:41


単純に考えて、
神に使えるノロである、叔母に追い出されて、
妖怪になるって、可哀そうな話でもありますね(^^;;

ジヒキを投げ入れられた、叔母のその後が、
どうなったのか、非常~に気になる~~~!
神の怒りを、かったかな!
Posted by す〜み〜☆ at 2011年02月12日 20:31


コメント以外の目的が急増し、承認後、受け付ける設定に変更致しました。今しばらくお待ち下さい。

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